第95話 大切な人

夢の中で目を開けると、そこは見覚えのある部屋だった。壁際を天井まで埋め尽くす本棚、桜色の絨毯、白いレースカーテンのかかった窓。


ここは、ジュリアの部屋だ。

久しぶりに見る光景に小さく歓声を上げた。


そしてジュリアはというと、窓際の机に向かって本を読んでいた。その背後へ軽やかに駆け寄る。彼女は足音に気づいて、こちらを振り返った。


僕が笑いかけると、ジュリアは控えめな笑みを返した。その表情がどこか寂しげで切なくて、それだけで胸が詰まりそうになる。まだ何も話していないうちから、目頭が熱くなった。


それでも、伝えなくてはならない。


「ジュリア。僕は明日、現世に帰ることになったよ」

「うん。分かってる。おめでとう」


潔くそう伝えると、彼女が小さく拍手をしてくれた。ありがとうと僕が言うと、彼女はニコッと笑う。その儚い笑みが今日で見納めかもしれないと思うと、どうしようもなく胸が引き裂かれそうだった。それでも、僕はなんとか平静を装った。


「ジュリアに会えないと、寂しくなるね」


そんなありきたりなセリフを口に出す。

すると彼女は表情をかげらせた。


「私に会えないと寂しい?」


どうしてそんなことを聞くのだろう。


「寂しいに決まってるじゃないか」


即座にそう答えると、彼女の紫の瞳がうっすらと光った。


「どうして? 私、ただの幻覚なのよ? 私は、あなたを苦しめた病気の症状の一つに過ぎないの」


彼女は俯いて、スカートをギュッと握った。さっきまで何とか彼女が浮かべていた微笑みが、あっという間に崩れ落ちる。僕はその震える肩を見つめた。ジュリアの痛いほどの悲しみが、一気にこちらまで押し寄せてくるようだった。こうして見ていると、彼女が幻覚だなんていまだに信じられないくらいだ。


僕はかがんで、ジュリアと視線の高さを合わせた。

やっぱり、この吸い込まれそうな紫色の瞳を、偽物だなんて到底思えない。


「木の精霊でも幻覚でも、どちらでも関係ないよ。僕にとって、ジュリアはジュリアだ」


彼女の右手に、そっと手を重ねた。指に触れた温かさが物語っている。

僕にとって、ジュリアは紛れもなく本物だ、と。


僕は彼女と出会ってから今日までのことを、一つ一つ口に出した。


「ジュリアがいたから、僕は森で一人きりにならなかった。ジュリアがいたからオリオの茨病の話を聞いたあとも、気持ちを落ち着けることができた。ジュリアがいたから僕は生の気配をぶつける魔法を使えるようになった。他にも色々ある。君と話したどんな他愛ない話も、僕にとっては宝物。君は僕にとって本当に大切な人だ」


ポタリと透明な雫が手の甲にかかった。もう一粒、さらに一粒と、ジュリアの瞳から涙がこぼれては落ちる。


「私もロミとお別れするのは嫌。ロミは森にいた私に気づいて、手を振ってくれた。ロミは魂を削ってまで、私を育ててくれた。研究所に囚われたときも、助けにきてくれた」


彼女はぐすんと涙を拭うと、気持ちを落ち着けるように息をついた。


「だからね、私、ロミが助かるなら、それ以外どうなったっていいわ。自分自身ですら、どうなってもいいの。だからロミに会えなくなっても我慢する。どれだけ寂しくても耐えてみせる。だからロミ、そんな顔しないで」


彼女に指摘されて初めて、自分がすごく悲しい顔をしていたことに気がついた。僕は無理やり、笑顔を作り直した。


「分かった。ジュリアが我慢するなら僕もそうする。もし現世に帰ると君に会えなくなってしまうとしても、弱音なんて吐かないよ」


ジュリアは満足そうに、涙を拭った。


「うん。約束ね」





お別れの挨拶に一区切りついても、僕の夢はまだ少しの間、覚めずにいてくれるようだった。とにかく一秒でも長く彼女と言葉を交わしたい。そんな気持ちで、彼女が手にしている本の表紙にチラリと視線を走らせる。僕はアッと嬉しい声を上げた。


「『ロミオとジュリエット』だ。ジュリアもこの本、持ってたんだね」


彼女はパアッと表情を明るくした。


「そうよ、この本、そこの棚に置いてあったの」


彼女が壁際の本棚を指差すのを見て、僕はあれと首を傾げる。


「この部屋に置いてある本って、全部白紙なんじゃなかったっけ?」

「全部じゃないわ。一冊だけ文字の書いてある本があるの。それがこの本」


ジュリアは本の表紙をなぞる。


「このお話、切ないけれどとても素敵。特に最後のシーンは好きよ」

「最後・・・・・・ああ、死んでしまったロミオを前に、ジュリエットがその場で命を絶つシーンだね」


僕が答えると、ジュリアはきょとんとした。


「え? ロミオが死んでしまったあと、ジュリエットは命を絶つ勇気がどうしても出なくて、人知れず行方をくらましたって、この本には書いてあるけれど」


そう言って、彼女は本をトントンと叩く。


「そんな終わり方だっけ?」


僕はオリオに勧められて読んだ内容を、懸命に思い出した。


「いや、やっぱりロミオもジュリエットも死んでしまったと思うよ」


ジュリアは不思議そうな顔をした。


「ならきっと、ここに置いてある本と、ロミの知っている本の内容が違うのね」








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作者コメント:

『この部屋に置いてある本って、全部白紙なんじゃなかったっけ?』ってなんの話?と思ってくださった方へ。


第34話 魔力反転と相殺 にて、紹介した設定でした。めっちゃ前ですね!

34話を書いているときなんて、world is snowはまだこのお話が15万字を超えるとは思ってもいませんでした。自分にはとてもそんな長文を書き切れる胆力はないと思っていました。ここまで続けられたのは、読んでくださっている皆さんのおかげです! いつもありがとうございます!!!!


と、熱烈な感謝を述べて、近況ノートで話した通り、一瞬更新ストップします。すみません。もう少々お待ちください・・・・・っ!

https://kakuyomu.jp/users/world_is_snow/news/16818023212388046321

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