第94話 承諾

しばらく沈黙が続いたあと、ティルトは急に我に返って毒づいた。


「って、俺は何の話をしているんだ。チッ、お前といると調子が狂う」


感傷的になっていた時間を取り繕うように、彼は早口になった。


「お前、このあと家に帰るのか?」

「うん。そのつもり」

「だったらオリオに会うはずだな」


そう言うと、彼は魔法で棚から何かを引き寄せる。その手の中には、ガラスの小瓶がすいっとおさまった。


「こいつを、オリオに渡しておいてくれ」


差し出された小瓶を、僕はまじまじと眺めた。瓶になみなみと満たされているのは、光も通さないような漆黒の液体だ。僕はそれに見覚えがあった。


「これってもしかして、病の木の実から搾り取った果汁?」

「そうだ」


ああやっぱり、と僕は手を打つ。ウィルが植物園から病の実を収穫していたとき、この瓶を見たことがあったのだ。果汁を搾り取ってそれを小瓶に詰め、カラスたちに配送をお願いしていたっけ。それに。


「僕が初めてティルトに会った日も、この瓶を貰いにきていたんだったね」


初対面の日にあった出来事を思い出して指摘すると、彼は低い声で認めた。


「そうだ。よく覚えてんな。・・・・・・人間の魂を刈り取るとき、こいつを魂にぶっかけると切りやすくなるんだ。むしろ鎌だけで切り取るのは、魔力制御が相当得意でないと難しい。かくいう俺も、魔法の才能が皆無なせいで、こいつに頼ることも、まだ たまにある」


彼はの部分を若干強調した。実際の頻度は、たまにという言葉が表すよりも多いということだろうか。少し意地悪な疑問を抱きながらも、僕は別のことを尋ねる。


「どうして、これをオリオに?」


すると彼は、不機嫌とも取れるような不気味な笑みを浮かべた。


「今回の件で、俺も学んだことがある。ジュリアが生きていようが何であろうが、帰還許可証が出るやつには存外すぐに出るってことだ。だからこれは、現世に帰れそうにもないオリオへの、せめてものお情けだよ。どうせ死神になるんなら、俺が先人として、責任持ってあの憎たらしいガキを徹底的にしごいてやろうと思ってな」


僕はそれを聞いて複雑な気持ちになった。

きっとウィルは喜ぶだろうけれど、オリオはなんと思うだろう!


それでも今の僕は、どちらかというとウィルの味方だったから、その小瓶を受け取った。


「帰ったらすぐに渡しておくよ。オリオのこと、よろしくね」






預かった病の果汁は、宣言どおりすぐにオリオに手渡した。それと一緒にティルトが言っていたことも伝えたけれど、意外にも彼はそれをすんなりと受け取った。


「ロミがいなくなっちゃったら暇になるし、まあちょっとぐらいなら、しごかれてやってもいいよ」


その様子をウィルが怪訝そうに眺めている。


「病の果汁なら植物園でたくさん採れるのだから、わざわざ自分のを届けてくれなくてもよかったのだが。そもそもティルトが使っている果汁は全て、私の植物園で収穫されたものだというのに」


オリオはくすくすと笑いながら、小瓶を大事そうにしまった。


「きっと生きていた頃も、行動ばかり早くて詰めが甘い人間だったに違いないね」






その日はいつもより遅くまで、二人と一緒に過ごした。明日で最後だと思うと名残惜しくて、なかなか別れられなかったのだ。こうしていつまでも他愛ない話を続けていられたら、どれだけ良かっただろうと思う。しかし満月が真上を横切る頃には、まぶたは重くなっていた。


「明日は現世に帰還するための簡単な儀式があるから、そろそろ眠っておいた方がいい」


ウィルに促されて、僕はベッドに向かった。


布団の中で目を閉じる。

最後にもう一度、彼女に会えるだろうか。


そしてグリモーナでの最後の眠りについた。

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