第58話 最後のチャンス

鳴き声のした方を見ると、慌てふためいた様子のカラスが森を突っ切って飛んでくるところだった。


そのカラスは息を切らすようにウィルの肩に止まると、まるで言葉を交わすようにカァと鳴いた。ウィルは驚いたように、目を丸くした。

「何? そうなのか」


僕はその様子を見て、オリオにこそりと耳打ちした。

「ウィルって、カラスの言葉がわかるの?」


オリオは頷いた。

「魔法でうまくやれば、お互い意思疎通ができるらしいよ」


僕たちの会話が聞こえていたようで、ウィルはカラスを撫でながら付け加えた。

「グリモーナのカラスは現世のと違い、我々の言葉をきちんと理解している。彼らが話せないのは、ひとえに人の言葉を発音できる舌と声帯を持ち合わせていないからだ。ならば彼らが発声器官を持っている状態を魔法で思い描けば良い。そうすれば誰だって話せる」


オリオは顔をしかめた。

「うーん。なるほど。絶妙によく分からない」


僕は自分なりにウィルの言っている魔法の使い方を予測した。

「つまり目の前にいるカラスが、ワタリガラス大公の親戚みたいなものだと強く想像すればいいってこと?」


「平たく言えば、そういうことだ」

ウィルが頷いたので、僕は微笑んだ。


オリオは釈然としないようだったけれど、それ以上深く追求するつもりもないようだった。

「ところで、そのカラスは何て?」

彼が尋ねると、ウィルは表情を張りつめた。


「カラスによると今ちょうど、私の家に客人が来ているらしいのだ」


「お客さん?」

オリオが怪訝そうに尋ねると、ウィルは気掛かりな様子を見せた。


「ああ。誰かを招いた覚えは全くないのだが。念の為、私は様子を見に戻ろうと思う」


ウィルがいなくなったら、またティルトとオリオと僕の三人だけだ。

何か起こりそうな予感がする。悪い意味で。

空気がさらに緊張して、肌をチクリと刺すように感じた。


ウィルは念押しするように言った。

「ティルト。少年たちを頼んだぞ。後ほどまた、彼らを迎えに来る」


ティルトはそんな彼を追い払うように、手を振った。

「迎えにこなくてもいいぞ。どうせ用事はすぐ終わる」


ウィルは試すような視線をティルトに向けたけれど、すぐに表情を緩めた。

「そうかい。なら安心だね」


彼はそれだけ言うと、足早に来た道を引き返していった。彼の肩に止まっていたカラスは、お役目終了と言わんばかりにパサリと地面に降り立って、僕たちを見上げた。




カァ。ウィルに来客を知らせたカラスは、今度はオリオを見上げて鳴いた。彼はキラリと光る黒い瞳でオリオの顔あたりをじっと見つめては、カァカァと物欲しそうに羽をばたつかせる。


そのとき、僕とオリオは同時にそのカラスの正体に気がついた。オリオはうんざりした悲鳴をあげて、耳飾りを抑えた。

「またお前か。懲りないなあ」


そこにいたのは紛れもなく、前にオリオの耳飾りを掠め取っていったあのカラスだった。


厄介な三人組に、厄介な一匹が追加されてしまった。

気づけば僕は、よほど慎重に動かないとトラブルは避けられない状態に追い込まれていた。




不安の波を代弁するように、ごうごうと風が押し寄せる。森がざわめく音の中、ついにティルトが沈黙を破った。

「さっきのウィルの質問に対する答えだが、あの手紙は嘘だ」


驚くというより、やっぱりそうだったのかという気持ちが勝った。


オリオは強気に返した。

「だったら、なぜ手紙なんて書いて僕たちを呼びつけたわけ?」


ティルトは冷淡な口調で答えた。

「さっきも言った通り、俺は人間はこの世界にいるべきではないと思っている。特にオリオ、お前にはもう時間がない。茨病が今以上に進行したら、もう取り返しがつかないだろう」


僕はこの文脈で茨病の話が出てきたことを、意外に思った。


オリオは眉をひそめた。

「茨病の話、ティルトにした覚えはないんだけど」


ティルトは悪びれずに返した。

「この世界で人間は珍しい。珍しいものの噂は早く回るもんだ」


オリオは納得いかないようだったけれど、ティルトに先をつづけさせた。


「お前の肉体は現状、六割が茨に覆われているらしいな。しかし調べてみれば、六割までの進行度合いなら薬で回復したという前例が一件だけ見つかった。限りなく少ない件数だが、可能性がないわけじゃない。これが最後のチャンスだ」


ティルトはそこで後ろ手に持っていた大鎌を、すらりと前に持ってきて構えた。


僕は密かに首を傾げた。鎌を構えるという行動からはしっかりと殺意を感じる。けれどもその一方で、ティルトの言葉だけを切り取ってみれば、まるでオリオが生きて現世に帰れるように願っているように聞こえる。ティルトはオリオのことを心配しているのか殺したいのか、どっちなんだろうか。


しかし僕が考え込んでいる間にも、ことの成り行きはあれよあれよと、悪い方向へ流されていく。ティルトは刃を光らせ、断固として宣言した。


「お前をここで殺して、現世に送り返す」


僕は退路を振り返った。ティルトと真正面からぶつかったら、多分タダでは済まない。少なくとも、僕とオリオだけでこの状況を切り抜けるのは現実的じゃない。


「ねえ、オリオ」

ここはいったん退いて、ウィルに助けを求めよう。

今から走って逃げれば、まだウィルに追いつけるかもしれないよ。


そう提案しようとして、僕は言葉を止めた。オリオは僕の提案を受けないであろうことが、彼を見た瞬間に予測できた。なぜなら、オリオは大きく自分の鎌を振りかぶって、今まさにそれを両手で構えるところだったのだ。


「売られたケンカは買ってやる。殺れるものなら殺ってみろ!」

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