第59話 盗賊カラス

大きな死神の鎌を片手で悠々と構えたティルトと、ひとまわり小さい見習い用の鎌を両手で抱えたオリオが、暗い森に囲まれたバトルフィールドで向かい合った。


僕は咄嗟に、オリオの持っている鎌を取り上げようとした。

「オリオ、戦うなんて無茶だよ」


しかし、僕の手は鎌を幽霊のようにすり抜けるだけ。悔しいけれど僕の魂には、鎌を掴めるほどの死の気配は溜まっていない。


オリオはこちらの想いに反して、僕を庇うように一歩前に進んだ。


「たとえ無茶でも、僕はアイツの卑劣な暴論に屈する気はないよ。奴はたった今、侵食率六割の忌々しい僕の肉体が、まだ回復できる状態にあるだなんて言い放ったんだ。現世で、医者からも何度も同じようなことを言われたよ。そんな無益な希望に、何度騙されてきたことか! 本当に回復できるのなら、僕は今頃こんなところにいるはずがないじゃないか!」


ティルトが提示した希望が図らずもオリオの逆鱗に触れて、彼を怒りの濁流のなかに取り込んでしまったようだった。僕は何か言おうとしたけれど、結局言うべきことは一言も出てこなかった。僕がどんなに訴えたって、きっと今のオリオには届きっこない。


ティルトは鋭い目を一層厳しく光らせた。

「俺がお前に負けるとは思わないが、その度胸だけは買ってやる」


次の瞬間、彼は大きく鎌を振り上げた。


ティルトが振り下ろした鎌は、オリオが両手で掲げた鎌の柄に激しくぶつかった。甲高い悲鳴のような金属音が響いた。それが開戦の合図だった。


ティルトの攻めの姿勢には容赦がなかった。オリオの体を切り刻んでやろうと、刃が何度も光の筋を描いた。オリオは身をよじり鎌を盾がわりにして、なんとか攻撃をかわした。立て続けの防御のあと、盾に喰らった攻撃に押されて、彼はうしろによろめく。


たとえ次の瞬間にオリオの体から血が吹き出していても、おかしくない戦況だった。僕の足は、森に駆け出そうとする力と、その場にとどまろうとする力の間で揺れ動いた。僕一人ではオリオを助けられない。でも、ウィルを呼びに行ったとして、戻ってくるときまで彼は無事でいてくれるだろうか?


ティルトが再び鎌を振り下ろし、オリオは草地に手をついて倒れ込んだ。彼はギリギリのところで地面を転がって、刃をかわした。さっきまで彼が倒れていた場所に、刃が深々と突き刺さる。


オリオは立ち上がりながら叫んだ。

「なぜ執拗に僕を現世に返そうとする? 僕はもう諦めがついた。ここに残って、時が来たら死神になる。そう決めているんだ」


ティルトは刃を地面から引き抜くと、いつになく大声で怒鳴り返した。

「お前を死神にさせるわけにはいかない!」


オリオは怒りで顔を歪めた。

「それは僕が人間で、お前が人間を嫌っているからだろう! だから治るはずのない茨病のことまで持ち出して、僕の心を苦しめる! 違うのか?」


ティルトは何か言おうとしたが、その前にオリオが鎌を振るった。その刃が荒ぶりながらティルトの体のそばを掠める。ティルトはパッと身を引いて、体勢を整えた。


そこからはもう、攻守なんて関係なくお互いがお互いに刃を浴びせ合った。オリオは左肩を怪我していたし、ティルトも腕に傷を負っているようだった。


僕は呆然と、二人のやりとりを見ているしかなかった。僕がウィルなら魔法や鎌で二人を諌めただろうし、僕がワタリガラス大公なら命令一つで彼らに鎌を置かせることができただろう。でも、僕はそのどちらでもない。


お願いウィル、戻ってきて! お願い、誰か助けて!

せいぜい僕にはそう願うことしかできない。


カア。足元でカラスが鳴いて、僕を見上げた。無力な僕とただのカラス。ふと皮肉な笑みがこぼれる。

「君がワタリガラス大公だったらよかったのにね」


カア。カラスがもう一度鳴いた。彼は耳飾りを奪いに来たときと同じ目をしていた。挑戦的で、怖いものなんて何もない。そんな目。僕は彼が羨ましくなった。


「ねえ。君ならこんな時どうする?」


彼が何かアドバイスをくれたらと半ば本気で願った。本当に、彼がワタリガラス大公だったらよかったのだ。


そんな夢想で時間を少し溶かした。カラスがまた口を開く。

「オレなら、欲しいもんはすぐ奪い取りに行くけどな」


僕は思わずのけぞった。

「奪い取りに行くって・・・・・・え、君、喋れるようになったんだね?!」


そのカラスは目を細めた。

「オレはずっと喋ってたさ。お前こそ、ようやくオレの話を聞く気になったようだな」


僕は呆気に取られてカラスを見つめた。それから急に、ウィルと話したことを思い出した。


『つまり目の前にいるカラスが、ワタリガラス大公の親戚だと強く想像すればいいんだね』


つまり、そういうことだったのだ。

僕はワタリガラス大公がいればと強く願いすぎたせいで、無意識に魔法を発動してしまったらしい。


話すカラスは勝気な声色で言った。

「アイツらの小競り合いを止めたいんだろう」


カラスの視線の先を見た。オリオは思ったよりも善戦しているけれど、見るたびに怪我が増えている。刃が行き交うその光景は、もはや小競り合いどころではなかった。


「止めたいけど、どうすればいいのか分からないよ」


僕は途方に暮れた胸の内を、正直に認めた。

すると彼は鼻を鳴らすような声を出した。


「そんなの簡単だ。喧嘩を止めたいなら、奪えばいいだろ」

「奪うって何を?」


カラスは不敵な鳴き声をあげた。


「そりゃあ、死神の鎌だよ。死神ってやつは大抵、鎌なしじゃ戦えない腑抜けどもばっかりだからな!」

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