第50話 効率

次の日。


植物園にやってきたハリスは、枯れ木を見下ろしながら残念そうにため息をついていた。


「雪のように美しい病木だと聞いて足を運んだのに、乾燥しきったむくろに出会うとはね。こんなことなら、もう少し早く出向くべきだったよ」


彼はいつかの宣言通り、新しい病の木を見るためやってきたのだけれど、その木は昨日枯れてしまっていたのだった。


ウィルはこの木の話題の間、『決まりがわるい』と『申し訳ない』を足して二で割った態度でハリスに接していた。

「すまない。君なら、もっと長生きさせていただろうに」


ハリスは特に責めるわけでもなく、肩をすくめた。

「病木という繊細なものに接する以上、こういうこともある。仕方ない。それに枯れていても、分析資材としてなら何かの役に立つだろう。この枯れ木、貰っていって構わないね?」


「ああ、もちろんだ」


しおらしく頷いたウィルに、ハリスは言い放った。

「憂いはなんの利益も生まないよ、君。効率を下げるだけだ」


ウィルはそれが気に障ったようだった。

「この世に感情ほど高貴なものは、なかなかないと思うが」


僕は二人のやりとりを、ジュリアの隣に立って聞いていた。今日も彼女は少女の姿で作業台の上にいたけれど、僕以外には誰もジュリアのことを気に止める人はいなかった。


「憂鬱ばかりじゃ悲しいけれど、効率ばかりもつまらないわ」

ジュリアの感想を、僕はもっともだと思った。




ハリスは枯れ木の話に区切りをつけると、今度は僕とジュリアの方へといそいそと近づいた。

「やあやあ、ロミ。君の麗しい病木の調子はどうだい?」


僕は愛想よく答えた。

「前より大きくなりました。つぼみも付きましたよ」


僕が指し示す枝の先に、ハリスは腰を折って顔を近づけた。

「へぇ。発育が早いね。君は病木を育てるセンスがあるよ」


僕は病の木の専門家にそう言ってもらえて、くすぐったい気持ちになった。


「相変わらず、なんという美しい木なんだ」

ハリスは夢中で、ジュリアのことを上から下まで眺めた。


ときどき彼は「おや」と視線を止めて目を輝かせた。

「これは、なかなかいい兆候だぞ。いや、こっちもだ」


さらに彼は幹や枝を指で撫でたり、葉の感触を確かめたりもした。


そのとき僕は、ハリスが若木に触れるたびに、少女の姿のジュリアが居心地悪そうに体を動かしているのに気がついた。


僕はさりげなく、かつ強引にハリスとジュリアの間に割って入った。

「あの、どんなところがいい兆候だったんですか?」

ジュリアはほっと息をついた。


ハリスは姿勢を正した。

「このうら若く美しい木の至る所に、科学性疾患や魔法性疾患特有の構造が作られ始めているのを発見したのさ」


ウィルも僕たちの会話に混ざりにやってきた。

「というと、君にはもうジュリア、この新種の木がどちらの疾患に属するものか分かったのか」


ハリスは両手をポケットに入れた。

「それはまだ分からないよ。というかこの若木には、両方の特徴が出ているように見える」


ウィルはすぐさま反論した。

「両方に同時に属する木など聞いたことがない」


「ボクだって聞いたことないよ。だがしかし、この木の幹の部分には脳に影響する科学性疾患によく見られる特徴が出ているし、葉の部分には幻覚を伴う魔法性疾患によく見られる特徴が現れている」


そこでウィルは何かに気がついたように、聞き返した。

「幻覚? ジュリアは幻覚症状を起こす病なのか?」


ハリスは「目下のところはあくまで可能性だが、十分あり得るだろうね」と軽い調子で認めた。


ウィルは今の話に、何か思うところがあるようだった。


「どうしたの?」

僕が尋ねると、彼はハッとして首を振った。

「いや、なんでもない」


僕はウィルが何か大切なことを隠しているような気がした。しかし彼に話す気がないのなら、ここで聞き返しても無駄だと思った。


ハリスはまたしても、うっとりとジュリアの葉を撫でた。

「見れば見るほど、魅力的で興味をそそる木だ。研究対象としても十分興味深い。新種な上に、魔力性と科学性の両特徴を兼ね備えているだなんて。ああ、こんな植物園に置いておくなんて、もったいない。いますぐ研究所に持ち帰って、彼女を隅々まで分析したいぐらいだ」


僕はその光景を見て、なぜか言いようのない不安が胸に込み上げてくるのを感じた。




と、ちょうどこのタイミングで扉が開いて、植物園に溜まった不穏な空気を吹き払うように、オリオが植物園に顔を出した。


彼はルンルンと軽い足取りで中に入ると、ウィルにお伺いを立てた。

「冷蔵庫にシュークリームの魂が、四つあったと思うんだけど。ちょうどお客さんがいて今は四人だし、食べない? コーヒー係なら僕に任せて」


トンと胸をたたくオリオを、ウィルは微笑ましく見つめた。

「名案だ。私は構わないよ」


僕ももちろん、賛成した。

人数には数えられていないジュリアも、美味しそうねと微笑んでいる。


しかし当の四人目、ハリスはあっけらかんと首を振った。

「いや、ボクは遠慮するよ。飲食なんて無益で非効率的な行為に時間を割くのは、性に合わないのでね。君たちだけで楽しんでくれたまえ。さて、もう用は済んだ、今日のところはこれで失礼するよ」




ハリスがせわしなく去っていったあと、オリオは宇宙人に出会ったかのように呟いた。

「飲食が無益で非効率的だって。利益や効率だけでは測れない幸せが、シュークリームには詰まってるっていうのに」

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