第68話 独り言

その日の夜。また夢を見た。


僕は再び、四角い縦長の窓以外に何もない無機質な部屋の中に立っていた。窓辺でジュリアが、こちらを背にして月を見上げている。この前とあまり変わらない光景。しかし後ろ手に組まれた彼女の指の数本には、見覚えのない白い包帯が巻かれていた。


「ジュリア」


声をかけても、なぜか彼女はこちらを見てくれない。

聞こえなかったのだろうか。


もう一度、彼女の名前を呼ぶ。

しかし返事はなかった。


もっと彼女の近くに行こう。僕は部屋の奥へと、一歩踏み出す。すると前に出したつま先が、カツンと音を立てて止まった。まるで何かにぶつかったかのように。


僕は足を下ろして、今度は両腕をそっと突き出してみた。すると腕が伸び切らないうちに、両手がひんやりとした板のようなものに触れた。


僕とジュリアの間を、見えない壁が隔てていた。

僕は初めトントンと控えめに、続いてドンドンと思いきり、その見えない壁を叩く。


「ジュリア! 僕はここだよ」


手はジンジンと痺れたけれど、壁はびくともしなかった。

相変わらずジュリアにも声は届かない。

僕は手を下ろした。


この壁はきっと、今の僕たちの現実を表しているんだと思った。


研究所までは、馬車を使えばすぐに辿り着くことができる。しかし物理的距離と、僕がジュリアと再び会えるかということは、全く別の問題だ。


ジュリアは壁のすぐ向こうにいる。

けれども、僕は彼女と話すことすらできない。


ジュリアが後ろで組んでいた両手を解いた。彼女は右手を顔の前に持っていって、手のひらを目元に押し当てた。数秒後、その手を離して左手も同じようにする。濡れた右手が月の光を反射した。


その仕草の意味を理解して、僕は目を見開いた。

彼女は泣いているのだ。


そう気づいた途端、彼女のすすり泣く声が、見えない壁をすり抜けて耳に飛び込んでくる。


「『私は平気』だなんて見栄を張ってしまったけれど、そんなの嘘。本当はすごく怖い。一秒でも早く、ここから帰りたい」


僕は彼女の震える肩を、一層強く見つめた。

心が圧縮機にでもかけられたように、押し潰れる感じがした。


ジュリアは包帯の巻かれた指に視線を落とす。


「今日は葉っぱを何枚かちぎられてしまった。明日には枝ごと切り落とされるかもしれない。実験用に、一本、また一本と、大切な枝が折り取られていくの。私、いつまで持つかしら」


彼女は再び月を見上げる。

そして両手を胸の前に置いた。


「どうかロミに、もう一度会えますように。どうか、ロミが私のことを迎えにきてくれますように」


僕は思わず壁に体をくっつけた。そして叫ぶ。


「ジュリア。待ってて、すぐに助けにいく。たとえ誰が邪魔しようと、たとえどんな困難があろうと、絶対に君を連れ戻す!」


しかし壁は僕を嘲笑うように、その声をジュリアに聞かせることなく打ち消してしまう。


ジュリアは僕の言葉が聞こえないまま、力なく両手を下ろした。


それから、月に向かって願った。

僕は彼女の言葉に、思わず息を止めた。


「お月様。今の独り言、どうかロミには内緒にしてください。彼がこのことを知ったら、きっと今すぐにでも私のことを連れ出そうとしてしまう。そんなことをしたら、死神たちがロミにどんな罰を下すか分からない。ロミが悲しい思いをするなら、私、助けて欲しいなんて言わない。彼が苦しみに苛まれるのだけは、私、絶対に嫌なの」




次の瞬間、僕はガバッとベッドから飛び起きていた。

心臓がドクドクと、早鐘のように脈打っている。

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