第61話 罰

「俺も元は人間だったからだ!」


ティルトの告白のあとに続いたのは、長い沈黙だった。彼が何を言ったのか、飲み込むのに時間がかかった。そしてやっと彼の言葉を理解できたと思ったら、次は心が沈黙してしまった。まるで驚きが一周回って、無の感情になってしまったかのようだった。


頭の中で、ティルトの放った言葉が形を変えながらぐるぐると回った。


彼は元人間。

僕たちと同じように生死を彷徨ってグリモーナに迷い込んだ、元人間。

そこから現世に帰ることがついに叶わなかった、元人間。

死の気配を溜め込みすぎ現世に帰る可能性を失った、元人間。


彼が?

本当に?


しかしティルトは嘘を言っているようには見えない。


途方もない事実を前に、僕はその場で膝をついた。


その隣に、怪我した肩を押さえながらオリオが歩いてきた。彼はティルトの顔を覗き込むようにしゃがんだ。

「本当に人間だったの?」


ティルトは「ああ」と穏やかに返した。

オリオはカッと目を見開いた。


「だったら尚更、なぜ僕たちを死神の世界から追い出そうとするんだ! 僕はどうせ現世に戻っても、茨病で死ぬだけだ。下手すれば悪霊化してしまうかもしれない。あんたのやろうとしたことは、れっきとした人殺しだ。分かっているのか?」


「それは!」


ティルトは一瞬、苛立ちの表情を見せた。しかしすぐに落ち着いた様子に戻って、ふぅと息をついた。いつもの威圧的な態度からは想像もつかないほど、彼は今、傷つき疲弊して見えた。


「さっきも言ったとおりだ。お前らは死神になるぐらいなら、無理矢理にでも現世に戻ったほうがいい。たとえ生き延びられる可能性が、万に一つもなかったとしても」


オリオは語気を荒げた。

「だから、なぜそう思うの?」


「俺たち人間は、そもそも死神になるようにできていないからだ。お前こそ、わかっているのか? 死神になるということは、お前が魂を切断する瞬間が、その人間の死亡時刻になるということだ。お前がもし切らなければ、もう少しは長く生きる魂だ。それをお前が殺さなきゃいけない。それを一度でも想像したことがあるのか?」


僕たちは言葉に詰まった。ティルトは返事を待たずに、これまで見てきた光景を思い起こしては吐き出した。


「神からリストが届くたび、俺はリスト上の人間を一人一人殺して回る。そいつがどれだけ善人であろうが、そいつの周りでどれだけ家族が泣いて祈ろうが、容赦なく殺す。それを何度も何度も、繰り返す。それが死神の責務だ」


僕とオリオは殴られたように衝撃を受けた。

殴られたのは体ではない、心だ。


僕はウィルのことを思い浮かべた。


行く当てのない僕を、森から連れ出してくれたウィル。

毎日、植物園の木々の世話を欠かさないウィル。

面倒がりながら仕事に出ては、夕方には朗らかな足取りで帰ってくるウィル。


今更になって、気がついた。

僕は仕事中の彼の顔を一切知らない。


しかしあのウィルが恐ろしい顔で鎌を振るうところなんて、いくら頑張っても想像できなかった。しばらく考えて、むしろ逆だと思った。


もしかすると彼は、穏やかな表情のまま仕事に臨んでいるのかもしれない。

その考えに至った途端、魂を切り取る瞬間のウィルの姿がありありと思い浮かんだ。


彼は生命に刃を当てる。

刃の先では死にゆく人間がきたる恐怖に怯え、その周りでは悲嘆に暮れた面々が逝かないでと泣き叫ぶ。


そんな人々を眺めながら、彼はシャリンと軽快な音で、その生命を狩り取る。

その場に似合わない、慈しむような穏やかな微笑みをたたえて。

農家が作物を収穫するかのように、淡々と。



オリオはティルトの目を見たまま、凍らされてしまったかのように動かなくなった。




ティルトは遠くを見るような目で、小川の向こうを見つめた。


「死神ってやつはいくら優しく見えても、根本的な作りが人間と違うらしい。ウィルはグリモーナに流れ着いた俺を拾った。下手くそだったが魔法の訓練もつけた。この世界で死神として生きていくために必要なことは、全てあいつに教わった。しかし彼には肝心なことが分からなかった。人間は、死神ほど無感動に人を殺すことはできない」


人間は魂の回収対象だと、サリアが言っていたのを思い出した。


ウィルはそれに反論した。しかし、そのとき彼が理由として挙げたのは『人間たちの方が感受性が豊かで、一緒に過ごすと刺激になる』ということだった。


ウィルは人間に対して優しい死神だ。僕たちを尊重してくれる。でも神様はウィルに、僕たちと全く同じ感受性を授けることはしなかったのだろう。むしろ死神であるウィルには、余計なものだと思われたのかもしれない。


「現世に生きていた頃、俺はろくでもない人間だった。もし死神にならずに死ねたとしても、天国には入場拒否されちまっていただろう。だが、お前らは違う」


ティルトは僕たち二人を、真剣な目つきで見据えた。


僕は視線を落とした。自覚はないけれど、僕の魂には呪いがかかっている。誰かの恨みを買ったとしか思えないほどの強い呪いが。


しかし。


僕は呆然と立っているオリオを見つめた。

彼だけは間違いなく、天国へ昇ることができる。


オリオは肩の傷をギュッと握りしめるように押さえた。

「あんたの話はよく分かった」


それから彼はきっぱりと顔を上げた。

「それでも僕は、やはり死神になる道を選ぶよ」


オリオの決然とした態度を前に、ティルトは気の抜けた、気だるそうな表情をした。


「なぜだ? あんなに力説してやったのに。話を聞いていなかったのか」

「聞いていたよ。でもね、ティルト。僕には絶対に死ねない理由があるんだよ」


そこでオリオは肩に当てていた手を、そっと耳元の青い耳飾りに当てた。

それは家族からの愛が詰まった、大切な耳飾りだ。


「もし僕が死んだら、このイヤリングとは離れ離れになってしまう。そうでしょ? だから僕は死なない。死なないために、死神になる」


オリオは清々しいほどの笑顔を浮かべた。


ティルトはその返答に唖然としたけれど、しばらくするとふっと笑みを見せた。

「そうかよ。たかがイヤリングのために、先輩死神からのありがたい忠告を無視するとはな」


彼は地面に大の字に倒れた。

「ああもう、好きにしろ」






---------------------------------

作者コメント:

ここまで読んでいただいた皆様、おめでとうございます。


第30話 コーヒー豆 でティルトが死神の世界には存在しないはずの『コーヒー』を知っていた理由が分かりましたね!


という小ネタを挟んで、シリアス展開を中和しておきます。


しばらく平穏パートがないですが、これからも気長に読んでいただけますと幸いです。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る