病院にて
第108話 目覚め
僕は死神の世界と現世を繋ぐ、青白い川に足を踏み入れた。
するとその途端、めまいのような感覚が足をすくった。ぐらりと視界が回って、それから急激に暗くなっていく。体のバランスが崩れて、背中から倒れた。そして僕は、暗く冷たい水の中へ・・・・・・。
いや、水の中へは入らなかった。
体が倒れたあとも、なぜか、普通に息ができた。
それに、水に流されている感覚もない。
気付けば僕は、平たくて柔らかい地面の上で、目を閉じ、じっと横たわっていた。
恐る恐る、目を開けてみる。すると、急に眩しい光が差し込んできた。頭がくらくらするほどの、強烈な明るさだ。その光はまるで、暗闇の中で光るスポットライトのように、視界を白一色で塗りつぶす。
僕はしばらく、その真っ白な世界を見つめていた。それから目が慣れてくると、ようやく自分が何を見ているのかが分かった。
僕が見ているのは、白い天井だ。
視界いっぱいに広がった白天井が、太陽の光をまぶしく反射している。
パチパチと何度か、まばたきをした。
ここは、どこだろう。
僕は周囲を確認するため、体を起こそうとした。けれど、どういうわけか、首から上が、鎖で固定されているかのようにぴくりとも動かせない。少しの間、首に力を込めてなんとか動こうとしてみたけれど、結局、効果はなかった。仕方がないので起き上がるのは諦めて、代わりに視線だけを横目にぐるっと一周させる。
白い壁。窓。そして、体の上には薄いシーツがかかっている。
その全てに見覚えがあった。
自分の周りに広がっているのは、間違いなく、現世鏡の中で見た病室の風景だ。
病室中央に置かれたベッドで、僕は今、横たわっている。
意識のない肉体だけが眠っていたあの場所で、僕は今、目を開いているのだ。
そう気づいて、僕は胸をなでおろした。
僕は帰ってきたんだ。
川を渡って、本当に現世に帰ってきたんだ。
そう考えると、頭が動かない理由にも納得がいった。現世鏡に映った僕は、大きな機械で脳波を監視されていた。あの機械のせいで、僕の頭が固定されてしまっているのだろう。
せっかく目が覚めたのだから、動きたいのはやまやまだ。けれども、あの複雑そうな監視機械を自分で取り外す勇気は、さすがにない。
誰かが来て頭の機械を外してくれるまで、このまま待つしかなさそうだ。
僕は再び天井を見つめた。待つしかないとは分かっていても、やっぱり落ち着かない。せめて、首から下だけなら動かせるんじゃないか。そう考えて、ゆっくりと伸びをしてみる。すると全身が、きしむように痛んだ。
「うっ」と、思わず呻き声をあげる。しかしその声もガサガサに掠れていて、なんだか自分の声ではないみたいだ。
自分の肉体とは思えないぐらい、動きも声も思い通りにならない。そのことに、最初はちょっとびっくりした。でも冷静に考えてみれば、それは当然だ。だってこの肉体は、何週間も微動だにせず眠っていたのだから。
それでも僕は、ゆっくりと右手の指を一本一本折り曲げた。すると、ひんやりとしたガラスが手に触れる。思わず口元をほころばせた。早速、指に触れたガラスを手に取ってみる。そして落とさないように気をつけながら、それを顔の前まで持ってきた。
ガラスの中にはちゃんと、芸術品のような黒い果実がおさまっている。
この世で一番、可憐な果実。
ジュリアが生きた証だ。
僕は飽きることなく、その果実を見つめ続けた。ジュリアはちゃんと、僕と一緒に現世に帰ってきてくれたんだ。そう思うと安心する。僕は一人じゃないと思える。
でもその安心感をかき消すように、悲しい気持ちも込み上げた。
だってこの子は、元は儚く愛らしい一人の少女だったのだ。
それがこんな、手のひらに収まるほどの、ものも言えない姿になるなんて。
腕が疲れてきたころ、僕はその右手をシーツの中に隠した。
腕を下ろした、そのとき。
バタバタと騒がしい足音が、廊下の方から近づいてきた。何事かと思って、音のする方に視線を向ける。すると、病室の扉がバタンと開いた。
入ってきたのは白衣の男性。
それが誰だか、すぐにわかった。
鏡で見たお医者様だ。
「こんにちは。先生」
掠れ声で挨拶する。
驚いていたお医者様の表情は、みるみる喜びに満ちあふれた。
「ああ良かった。気がついたんですね」
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