第91話 感傷

「冗談だよ。無闇に人間を殺したら、神にお咎めをくらってしまうからね」

「また・・・・・・?」


詳しく事情を聞くのが恐ろしいような、でも聞かずにはいられないような。そんな気持ちでいると、ハリスは自ら そのときのことを語りはじめた。


「ボクは究極の病、つまり最も効率よく人間の魂に死を刷り込む手法を生み出すために、科学性疾患と魔法性疾患の融合に心血を注いできた。しかし最初からずっと 融合一筋で研究していたわけではなくて、それ以外の方法もいろいろ試してきた。その中で一度、ボクはかなり自信のある科学性疾患を開発することに成功したんだ」


彼はふふんと、誇らしそうに胸を張る。


「その病はね、人間に感染すると、三十九度を超える高熱と、皮膚の内出血による激痛を引き起こすんだ。それがもう、凄まじい感染力と致死率でね。面白いように人が死んだよ」


ハリスは口元に手を当てて、懐かしそうに苦笑した。

けれども、人間視点の僕からすると笑い返すどころではない。


二人の温度差を感じ取って、ハリスはコホンと咳払いした。


「とにかく、あれは優秀な病だった。しかし病の役割は、あくまで死の。高すぎる殺傷能力が目に余ったのか、ある日、神から突然、神託めいれいが届いて、ボクはその病木を切り倒さなければいけなくなった。ひどい神様もあったものだよ。あの病は何度も何度も試行錯誤を繰り返して、やっと作り上げた大作だったんだ。それを命令書一つで奪い取られるだなんて、冗談じゃないと思ったね」


ハリスの指がコツコツと机を叩く。その赤い瞳が、謝罪にやってきた僕に向けられたものよりもずっと冷たく厳しく見えて、僕は静かに驚いた。彼にとって、その神託はそれほどまでに理不尽極まりないものだったのだ。


「散々ごねたし、怒り狂いもしたよ。自分でもびっくりするほどに。でも最後には切らざるを得なくなった。神にとっては、一本の病よりも多数の人間の方がよほど大事だったということだ。ああ、分かっている。数値的にはそれが正しい判断だ。それでもボクは、自分の努力が踏み躙られたと感じて、悔しくてたまらなかったんだ」


彼はしばらく憂鬱そうに目を閉じる。


僕はハリスのことが少し気の毒になった。この植物園に浮かんだ無数の走り書きや、散らばった誌面から ひしひしと伝わるその努力は、紛れもない本物に違いなかった。彼はそのために、何年も、いやもしかしたら何百年も費やしたのかもしれないのだ。


ハリスが目を開ける。


「ロミが血みどろになりながらジュリアを取り返しにきたと知って、不覚にも、あのときのことを思い出してしまったのさ」


その瞳には、悲しみと同情が混ざったような、不思議な色が宿っていた。


正確には、流血沙汰になってしまったのは、ジュリアの元に辿り着いたあとだ。しかしそのことはあえて指摘しなかった。ハリスが肘をついていた手を外して、姿勢を正したからだ。


「すまなかったね、ロミ。君からジュリアを無理に奪い取るような真似をして」


彼が改まってしっかりと目を合わせるので、僕はハッとなって背筋を伸ばした。まさかハリスからそんな言葉をかけられるだなんて、思ってもみなかった。でも目が合った彼の瞳は、誠実そのものだ。


温かい感情が、体の内側からじんわりと湧き上がってきた。


死神にとって人間は花のようなもの。そうマキは言った。

人間は花を摘み取るとき、それが花にとっての死だということを気に留めたりはしないのだと。


だけど僕は信じた。

人間が花が萎れれば水をやるように、死神にもきちんと気持ちが伝われば寄り添い合うことができると。


奪還作戦で、ジュリアは戻ってこなかった。

でもその戦いは十分報われたんだ。


張り詰めていた息が、不意に緩んでそのまま肺を出ていった。もう一度空気を吸い込むと、今までは胸を縛られでもしていたのかと思うほど、その空気は深々と体を出入りした。






お互いの言いたいことに一区切りがついたところで、ハリスはこれからのことを話した。


「君には本当に申し訳ないけれど、ジュリアのことは今後もこちらで預からせてもらいたいと考えている。というのも、少し分析した結果、究極だと思っていたジュリアにも、欠点があることが分かったからだ」


そう言われて、残念に思わなかったと言えば、嘘になる。けれどもそれは、ジュリアが連行されていったときのことを思えば、大した苦しみではなかった。そんな気持ちでいられたのは、ハリスと少し分かり合えた気がしたからかもしれない。


「どんな欠点ですか」


尋ねると、彼はここまでの研究成果を手短に教えてくれた。


「ジュリアには素敵な症状が二種類もある。だがしかし、感染力が一切ないんだよ。これでは死神がいちいち人間の元を訪ねて回って、ジュリアに感染させなければいけない。言わずもがな、非常に効率が悪い。そこでボクは、その欠点を克服するため、ジュリアにより感染能力の高い病を接木してやることを思いついた。実は、その実験を始める準備は整ってしまっているんだ。だから今はジュリアのことを返してあげられない」


「そうなんですね」


僕は強がって、平気なふうに答えた。彼にはジュリアを返せない 理論だった理由があるのだ。一方、僕のジュリアに会いたい気持ちは、ただの感情でしかない。


しかし話にはまだ続きがあった。


「だからその代わり、ロミが研究所に遊びにおいで。ジュリアは今花盛りだし、このままの成長速度が維持されれば、来月には初めての病の果実だって実るだろう。心ゆくまで何度でも鑑賞していくといい」


その提案を受けて、僕は大きく目を見開いた。


「本当ですか?」


思わず尋ねると、ハリスは力強く頷き返してくれた。


よかった! またジュリアに会えるんだ! そう安心しかけた矢先、僕は重大な問題に気がついた。途端、心をちくりと刺すような悲しい気持ちが、喜びを押し流していく。僕はうつむいた。


「実は僕、帰還許可証が届いて、明日現世に帰ることになったんです」

「え、そうなのかい? それは残念だね」


ハリスは急なことに戸惑って、その先の言葉をしばらく見つけられなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る