第102話 お別れ

いよいよ儀式が始まることになって、僕は祭壇の前に立った。


祭壇の上にはワタリガラス大公。彼の黒い羽は、上から照らす神秘的な灯りで、つややかに光沢を帯びてみえる。


左後ろの長椅子では、ハリスが足を組んで座っていた。彼もウィルたちと一緒に、僕が現世に帰るまで見守ってくれることになったのだ。てっきりジュリアの果実を見せたあとは、研究所に帰るのかと思っていたから、意外だった。


ワタリガラス大公もそう思ったようで、彼に向かって「もう帰ってくれていいのだぞ」と進言し続けていた。しかし彼は「はるばる出かけてきたんだ。どうせなら最後まで見届けさせてくれよ」と首を縦にふらなかったのだ。大公も最後には「そうか」と、半ば諦めたよう呟いていた。


ハリスと反対側の長椅子には、ウィルとオリオが並んで腰掛けている。目が合うと、二人とも微笑み返してくれた。言葉は交わさなかったけれど、それだけで心が暖かくなった。


しかし一方で、さっきまで椅子にぺたんと座っていたはずの盗賊カラスは、いつの間にか姿を消していた。飽きて帰ってしまったのだろうか。もしそうだとしたら、いかにも彼らしい。


そして僕の左隣には、若木のジュリアが置かれている。これは僕が帰る最後の瞬間まで、彼女を見ていられるようにとの、死神たちからの最後の気遣いのプレゼントだった。みんなには見えていないけれど、当然そこには少女の姿のジュリアもいて、僕たちは二人並んで立っている。


ジュリアがそっと僕の左手を握った。教会のような空間で、そうやって二人で並び立っているなんて、なんだか結婚式でも始まりそうな光景だ。みんなの視線が少しこそばゆく感じてくる。


全員の準備が整ったところで、ワタリガラス大公が口を開いた。


「ではこれより、ロミ少年を現世に帰還させるべく、蘇生の儀式を執り行う」


その厳かな宣言を合図に、大公の前にふわりと一枚の紙が出現した。折り目ひとつ付いていないその白い紙のふちは、真紅の模様で飾られている。あの色は、管理局の入り口にあった神の紋章と同じ紅色だ。


大公は聖堂中に、その凛とした声を響かせた。


「ここにあるこの紙面は、神より託された帰還許可証である。グリモーナの統治者であるこの私が、神の代理としてこの内容を読み上げたとき、その御意志は現実のものとなるだろう」


彼の丸い瞳が僕を見つめる。

つまり彼が内容を読み切ったときが、僕がこの世界を去るときなのだ。


緊張感が背筋を伝う。


もう一度、ウィルとオリオを振り返った。目が合うと、オリオがエールを送るように手を振ってくれた。ウィルも優しく頷きかけてくれている。僕は少し心が落ち着いて、再び大公の方に向き直った。


すると彼はついに、紙面に書かれた内容を読み上げた。


「我はここに、グリモーナに迷い込んだ哀れな人間を現世に帰還させるため、蘇生の魔法を行使することを宣言する。所定の手順を踏んだ者がこの文書を読み上げ終えたときこそが、その発動の刻となる。ただし」


そこで不気味な間があった。

ワタリガラス大公の読めない瞳が初めて、憐れみという感情を僕に向けた。


「その人間は不治の病によって、現世への帰還を妨げられている状態である。よって蘇生の魔法発動と同刻に、彼を蝕む穢らわしき病木は滅殺する」


「・・・・・・え?」


頭からつま先を、冷たい鉄串で貫かれたような衝撃が走った。磔にされたように動かない体の中で、眩暈や吐き気に似た感覚がせり上がる。


ワタリガラス大公の声は、冷酷だった。


「以上だ」


彼の声の余韻がまだ消えないうちに、帰還許可証から血のように紅い閃光が噴き出した。とても耐えられないほどの光の暴力に、僕は右腕で自分の目を、そして体全体を使ってジュリアを庇った。


彼を蝕む穢らわしき病木は滅殺する。

僕を蝕んでいる病はジュリアだ。

ジュリアが死んでしまう。

神様に殺されてしまう!


早くここから逃げないと。


恐怖に満ちた警報のように、その言葉が脳内を回った。

でも体どうしても動かない。


それは他の人たちも同じだった。誰もが驚愕し、まるで時が止まったかのように動きを止めている。


しかしそんな中で、唯一この事態に素早く反応した者がいた。


「待て。そのような暴挙はこのボクが許さない」


ハリスが叫んで、紅い閃光に向かって青白い魔力を撃ち込んだ。近くにいるだけで感じるその強烈な魔力に、皮膚が焼かれそうになる。でもそのおかげで体が動いた。両足をもつれさせながら、僕はジュリアを連れて管理局の出口へ一歩踏みだす。


しかしハリスの強力な魔法も、神の前では無力だった。彼の魔法は嘘のように消し飛んで、代わりに赤の閃光が彼を刺し貫こうと襲いかかった。彼はあっという間に、自分の身を守るだけで精一杯の状態まで追い詰められていく。


「神よ・・・・・・何故いつも貴方は・・・・・・」


吹き荒れる魔法の轟音の中、ハリスの声が切れ切れになって飛んできた。しかし、それに対するワタリガラス大公神の代理の返事は静かなものだった。


「人間の命は、病の命よりもはるかに重い。そう神はお考えだ」


そしてとうとう、紅い閃光が若木のジュリアを呑み込んだ。

緑の葉が、紫の幹が、ピンクの花が、ばらばらになって宙を弾け飛ぶ。


僕は手を繋いだジュリアを見つめた。

彼女の紫色の澄んだ目が、僕を見つめ返す。


その刹那。


ばらばらになった木に連動するように、赤い飛沫が散った。

握った手が離れる。

彼女を形作った紫色が、飛び散る赤色とまだらに混ざり合う。


そして次の瞬間、真っ白な光が視界を埋め尽くして、僕を別の世界へと連れ去った。

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