第105話 願い

ウィルは話を続けた。


「それ以来、私は何冊も何冊も現世から小説を回収しては、読み漁った。小説の中で描かれる人間たちは、一人として同じ人生を歩んではいなかった。そこには豊かな世界があった。私は驚いたよ。というのも、死神とは何百年何千年と続く人生を、魂の回収に捧げるためだけに創られた、神の奴隷だ。全員が魂の回収業務に従事していて、魂の回収以外の生き方など存在しない。そんな生き方を、考えたことすらない。それだというのに、人間には無限の自由が約束されているのだ。小説を読み始めたばかりの頃の私は、そのことに嫉妬した。一時期、そのせいで人間が嫌いにもなった」


「ええ、そうなの」


その告白が意外だったので、僕は思わず口を挟んだ。すると彼は恥ずかしそうに目を伏せる。


「昔の話だよ。今はもう、諦めもついた。手に入らない自由を羨んで嫉妬しても、得をすることは何一つない。自分が疲弊するだけだよ。代わりに私は、こう思うようになった。私は死神を辞めることができない。しかし小説を読んでいる間だけは、別の世界に入り込み、そこでの生活に浸ることができる。それならば、自分自身で小説を書けば、自分が思い描いた通りの生き方を・・・・・・つまり魂の回収から解き放たれた自分を、擬似体験できるのではないかとね」


僕は彼の言葉に、深く納得した。


「それでウィルは、小説を書いているんだね」


「そうだ。それが私が小説を書きたい理由だ。とはいえ、納得のいく作品を書き上げたことは、未だかつて一度もないがね」


「そうなの?」


「ああ。不甲斐ない話だが。私は自分が死神として生きていない世界を切望してい。切望しているのに、いざ理想の世界を作り出そうとすると、ストーリーも、登場人物の感情も、ひどくチグハグな具合になってしまう。それはきっと私自身が、あまりに長い間、死神という束縛された身分に甘んじていたせいだ」


僕はそれを聞いて、悲しい気持ちになった。


ウィルはこれまで、魂の回収以外の生き方が存在しない世界に囚われていた。だからせめて、小説の中だけでも自由になろうとした。それなのに、いざ自由にしていいと言われたら、やり方が分からなくなってしまうのだ。それは鳥籠の中に囚われて育った鳥が、大空を飛ぶ方法を知らないのに似ていた。


いくら大空に憧れても、その鳥は空を飛ぶ感覚を想像することすらできない。

しかし、ウィルは諦めてはいなかった。


「だから最近は、自分の力だけで創作を試みるのをやめたよ。ロミやオリオのように、身近にいる人間たちの話を聞いて、ヒントを得ることにしたのだ」


ウィルはそう言って、微笑む。


「ロミ。一つ、私の願いを聞いてはくれないか」

「何、願いって?」


彼の真剣な両目が、僕を見つめた。


「私の願いはこうだ。君には今すぐ、首を切って欲しいなどという馬鹿な考えは捨てて欲しい。そして現世で自分の思う通りの未来を生きるのだ。時間はかかるかもしれないが、いつかジュリアを失った悲しみを乗り越えて、幸せを掴むのだ。もしそうしてくれるなら、私はきっと君のその姿を、時たま現世に訪れては書き留めるだろう。そして君の人生の幸せな軌跡を、いつか私の小説の中に使わせてもらいたい」


そのまっすぐな青い瞳を見ていると、僕の目からは涙が一粒溢れ出した。


ジュリアがいなくなった悲しみは、そう簡単には消えない。僕のせいでジュリアが死んでしまったのだという、罪の意識も消えない。


でもウィルの願いを叶えるために、僕の命が役立つのなら。

それならば、もう少しだけ踏ん張って、現世に戻ってみてもいいと思えた。


僕は生きていてもいいと思えた。


泣き出した僕に、ウィルはもう一度、問いかける。


「ロミ。君は将来、何をして生きていきたい?」

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