第104話 昔話
「今ここで、死神の鎌で、僕の首を切り落として」
そう頼むと、ウィルは息を呑んだ。それから固く首を振った。
「それはできない。それに、すべきではない。君は現世に帰る人間だ。現世に帰って、自分の人生を歩むのだよ」
僕は唇をギュッとむすんだ。
自分の人生なんて、今の僕にはなかった。だって僕の記憶は、グリモーナで過ごした日々だけでできているのだ。現世の自分の人生なんて、僕は知らない。
ジュリアがいない、なんの思い入れもない人生なんて、価値があるとは思えなかった。
黙っていると、ウィルは尋ねた。
「ロミ。君は将来、何をして生きていきたい?」
出しぬけにそう質問されたけれど、とてもそんなことを考える気分じゃなかった。
「なんだっていいよ」
「そうか・・・・・・」
冷淡な対応に、ウィルはしみじみと遠くを見るような目になる。
「では、私の人生の目標の話を聞いてくれないか。私はね、いつか、素晴らしい小説を書き上げたいと思っているのだよ」
意外だとは思わなかった。ウィルはたくさんの小説を集めて読んでいるし、小説を書くために僕たちの行動を細かく記録もしている。その目標は、いつかきっと叶うだろう。
しかし彼はどこか寂しそうに続けた。
「私が初めて小説に興味を持ったのは、ある人間の魂を回収したときだ。その人間は、死の直前まで一心不乱に何かを書き連ねていた。ぜいぜいと息をして、時折血の混じった咳をしながら、苦しみに震える手で、彼は書き続けていた。私は不思議に思ったものだ。安静にしていれば、もう少し楽に天に召されることもできただろうに、苦痛を忍んでまで、一体この人間は何を書いているのか、と。だから私はしばらくの間その場に留まって、彼が何を書いているのか観察した。すると、それは短い小説だった。そこには、ある人間が悲劇の死を遂げるまでを描いた物語が綴られていた。私はその小説に、いたく感動した」
ウィルはありし日の自分を淡々と語っていく。そこで小さなため息を挟んだ。
「私は実は、魂の回収という作業が好きではない。あの作業は、人間の感覚で言えばそうだな・・・・・・例えは悪いが、庭に生えた雑草を一本一本抜くようなものだ。当時の私にとって、人間の死とは本当にその程度のものだった。どうしようもなく、退屈でどうでもいいことだと思っていたのだよ。しかし彼の小説を読んで私は変わった。人間にとって死とはどんなものなのか、私は初めてその片鱗を知った。それから、私は人間に興味を持つようになった」
彼の話を聞いて僕の心に浮かんだのは、グリモーナで過ごしたなんでもない日常だった。
カラスが死人リストを届けにくるたびに、不平を漏らしていたウィル。現世に遣わされる彼の足取りが重かったのは、終わりのない単調な魂の回収作業に嫌気がさしていたからかもしれない。
そんな中で出会ったのが、その小説だったのだ。
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