敵襲
第56話 果たし状
それからの数日間は、落ち着かない平穏が続いた。
僕はふとしたときに、あの棺桶を思い出した。
棺桶の中で横たわったあと、自分はどうなったのか。
記憶はないけれど、予感めいたものはあった。
なぜなら僕は現在進行形で、生死を彷徨っているところなのだ。
あの棺桶とこの状況には、何か関係があるに違いない。
そんな抽象画のように曖昧で、それでいて大木の根のように強固な予感が心に居座っていた。
しかし不穏な心の中とは反対に、日常は平和そのものだった。
ハリスは二人きりで話したあの日以降、一度も訪ねてこなかった。近いうちに僕の返事を聞きにくると言っていたのに、忘れてしまったのだろうか。それとも彼のいう「近いうち」が、僕の思っているよりも余裕のあるものだったのか。ウィルが出してくれた手紙にも、まだ返事は来ていない。ハリスは、急にジュリアに興味を失ったかのように何の音沙汰もよこさなくなっていた。そうしている間にもう一輪、ジュリアに美しい花が咲いた。
僕はというと、あれから何度か流れ星をコーヒーに溶かすのに失敗していた。しかし心配に反して、魔法は二回試せば二回目には必ず上手くいった。だからジュリアに魂をあげそびれたことは、結局のところ今まで一度もなかった。
そんな数日間を過ごした後にやってきた、ある朝のこと。
オリオと二人、バルコニーで本を読んでいると、一羽のカラスが白い紙をくわえて飛んできた。カラスは手すりに止まって、しばらくこちらの様子を伺った。
僕は初め、カラスが死人リストを届けにきたのだと思ったので、ページをめくる手を止めてその子に伝えた。
「ウィルなら一階だよ」
しかし、カラスはその場を動かなかった。
そこで初めて、僕はカラスが持ってきた紙に注意を向けた。それはよく見ると、死人リストのような細長い紙切れではなく、横長の白い封筒だった。封筒の口には赤い封が付いている。
「もしかして、手紙を持ってきてくれたの?」
そういえば、まだハリスから手紙の返事が来ていなかった。
僕はカラスに向けて右手を差し出した。
カラスは手のひらの上に丁寧に封筒を置くと、何も言わずに飛び立っていった。封筒をひっくり返すと、シャープな文字で差出人と宛名が記されていた。僕はその意外な名前に驚いた。
「この手紙、ハリスじゃなくてティルトからだよ。しかも宛名にはウィルの名前と、オリオの名前が書いてある」
「え、僕?」
急に白羽の矢が立ったオリオは、読んでいた本にしおりを挟むのも忘れて手紙を受け取った。
彼は封筒に自分の名前が書かれているのを確かめて、唖然とした顔をした。それから封筒を開けて、四つ折りにされた便箋を取り出した。
彼はティルトからの手紙の内容を読み上げた。
「『オリオの師匠になれ』と打診された件、先日は勢いで断ったがやはり引き受けることにした。今日にでも、彼をスティクス川のほとりへ連れてきてくれ。以上」
短い文章だった。
短い文章だったけれど、内容を理解するまでしばらく時間がかかった。
バルコニーに静寂が流れる。
「簡潔だね」
僕は率直な感想を述べた。
「簡潔だけど、意味がわからないよ」
オリオはもう一度内容を読み返した。それからさらに、もう一度。
最後に彼は、紙をポンとテーブルに投げ出した。
「ティルトが僕の師匠になる、だって? 意味がわからない。アイツがそんなふうに心変わりするなんて!」
彼は相性最悪の死神が突如として自分の師匠になるという、自身に降りかかった災難を嘆いて、晴れ渡った青空に叫んだ。
「神様、あんまりだよ。一体、僕が何をしたっていうんだ!」
僕たちはウィルにこのことを知らせるため、バルコニーを離れて階段を降りた。道中、オリオは終始ぶつぶつと呟いた。
「あの人間嫌いの死神が、僕の師匠を買ってでるなんて、ありえない。絶対に何か裏があるに決まってる」
「裏って?」
僕が尋ねると、オリオは想像力を総動員した。
「自慢じゃないけど、僕はこの二年間、ティルトに会うたびに散々憎まれ口を叩いてきた。きっと彼は、ついに僕のことが我慢ならなくなったんだ。だとすると、この手紙は果たし状だよ。もし僕が一人でスティクス川に行こうものなら、鎌で首を切られて川に沈められてしまうに違いない」
いくらティルトでも流石にそんなことはしないよ、と僕は楽観的な態度で言いかけたけれど、その言葉は空気をふるわす前に消えた。何せ僕はティルトに一度、首を切られかけている!
「オリオ、役に立つか分からないけど、もし君が行くなら僕も一緒に行くよ」
「ありがとう。目撃者ってのは、犯罪の抑止力になるからね」
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