第5話 好きってなに?

電車に揺られる帰り道は、2人とも疲れきっていて寝てしまった。

気づけば私は彼女の肩を借りていて、彼女は私の頭に頭を重ねていた。

起きた瞬間は、もう降りる駅だと慌てて何も思わなかったけど、改札を通る時には少し気恥ずかしさを感じた。

永那ちゃんは、マンションの前まで送ってくれた。

「また月曜ね」

外灯に照らされた彼女の笑顔は、なんだか少し濃艶に見えた。


ふわふわした気持ちのまま、玄関を開ける。

「ただいまー!」

私が言うと、誉が走って寄ってくる。

「おかえり!楽しかった?」

目をキラキラさせながら聞いてくるから、少しだけ気持ちが現実に引き戻される。

「楽しかったんだ~!楽しかったんだね、姉ちゃん!ニヤニヤしちゃってるもん」

ぷくく…と猫背になって笑う誉の頭をチョップする。

「いって!なんだよー!」

「いちいちお姉ちゃんをからかわないの」

サンダルを脱いで、フンと顔をそらして誉の横を通り過ぎていく。

「ねえ、彼氏?本当は彼氏?」

私の口元の辺りまで身長が伸びた誉が、ひょこっと背後から顔を出す。


「え!お姉ちゃん、彼氏できたの!?」

リビングから顔を出すお母さん。

「違うよ、友達。誉が勝手に言ってるだけ」

「えー、でも姉ちゃんがこんなお洒落して行くなんて初めてだよ?」

誉がそう言って、お母さんが私の服装をまじまじと見る。

「確かに」

顎に手を当て、頷いている。

「いや、本当に…相手、女の子だよ!」

そう自分で大声を出して、胸がズキリと痛む。

女の子じゃダメなの?…恋人って“彼氏”じゃなきゃ、ダメなの?

「なんだー、つまんねー」

誉は床に転がって、漫画を読み始める。

「いやあ!でも!!穂、かわいい~!やっぱりお母さんの選んだ服、よく似合うわあ」

頬に手を当て、お母さんは蕩けそうな笑みを浮かべる。


「ん?姉ちゃん、なんか買ったの?」

「服…友達が選んでくれたの」

袋を開けて、服を取り出す。

薄いベージュの丸襟のシャツ。丸襟の端の部分にはレースがあしらわれている。シャツはアクセントにくるみボタンが施されている。半袖の袖部分がクシュッとしていて可愛い。セットで、足首丈のスカートも買った。

誉はすぐに興味が失せたようで、また漫画に視線を戻した。

「わあ、可愛いじゃない」

お母さんが微笑む。

「穂は服にほとんど興味ないもんねえ。良いお友達ができて良かったね」

そう言って、夕飯を机に並べてくれる。

「誉、食器くらい並べなさい」

私が言うと、誉はわざとらしく「ハァ」とため息をついて立ち上がる。

人の振り見てなんとやら…。誉が私のため息を真似している。この癖は本当に良くないな。なんて思ったのに、私は誉のため息を聞いて自分でも「ハァ」とため息をついてしまった。


首をぶんぶん振って「手洗ってくる」と告げた。

荷物を部屋に置いて、洗面台に立つ。

鏡に映った自分の顔を見る。

目に入るのが嫌で、瞼よりも上で切り揃えられた前髪。美容院が苦手で、いつも自分で切っている。だから髪が長いのも、単純に放置しているだけ。

幸いくせ毛じゃないから、そんなに手入れをしなくてもなんとかなっている。

運動部でもないし、休日も家にこもってることが多いから日焼けする機会もない。

は、そんな私なんかを好きだと言ってくれた。

お洒落でもなんでもない、同級生と楽しくコミュニケーションを取ることもままならない…そんな私を。

ボッと頭から湯気が出そうな勢いで、顔が熱くなる。


(なんで?なんであのが、私を?意味わかんない。もしかして騙されてる?他にもっと可愛い子いるし、両角さんが仲良くしてる子たちの方がよっぽど一緒にいて楽しいんじゃ…)


バシャバシャと勢い良く水で顔を洗う。

タオルで拭いて、もう一度自分の顔を見る。

「永那…ちゃん」

彼女の優しい笑顔、照れた姿、消えてしまいそうな横顔…今日見た彼女を思い出して、胸がギュゥッと締めつけられた。

「姉ちゃーん、まだー?」

「ハァ」とため息をついて、タオルを洗濯機に投げ入れた。


***


次の日、撮った写真が送られてきた。

私がこっそり撮った彼女の写真はどれも少しブレていて、見返してガッカリだった。

きっと頼めば…頼まなくても、普通に撮らせてくれたんだろうけど、どう言えばいいかわからず、盗撮するような形になってしまったのだ。

だから、彼女が撮ってくれたツーショットを見て、一気に胸が高鳴った。

「かっこいい…」

スマホを抱えて、ベッドに飛び込む。

「かっこいいっていうか、綺麗っていうか、可愛げもあって、それでいて大人っぽくて、優しくて…全部兼ね備えてるって…」

胸の高鳴りが止まない。


“穂も私を好きになってくれたら嬉しい”

「好き…か」

彼女の言葉を思い出す。

「私、もう永那ちゃんのこと、好き…だよ」

小さく呟いて、うずくまった。

胸元で、もう一度写真を見る。

心臓がキュッとする。

「私、楽しそう」

生徒会の懇親会の時にもみんなで写真を撮る。でも、そこに写る自分の表情は、いつもどことなく硬い。

「昨日、楽しかったな」

好きのその先ってなんなんだろう?

そもそも好きってなんなんだろう?

永那ちゃんは、どう考えているんだろう?

永那ちゃんが言ってくれた“好き”は、友達の“好き”とは違うんだよね?…そう彼女も言っていた。

…でも自信が、あんまりない。


お互いに好きだったら、やっぱり恋人になるのかな?

女の子同士で付き合う…同性愛。

日本ではまだ結婚できない関係。

ダメなことなの…かな?

でも、他のクラスにゲイだってカミングアウトしていた子がいた。みんなすんなり受け入れていて、普通に過ごしているようだった。

なんなら誰かと付き合ってるなんて噂もあって、「青春してるなあ…」と他人事みたいに思っていた。

私は恋をしたことがなかったし、誰かと付き合えるとも思っていなかったから。

でもいざ、こういう状況に置かれて、もっと関心を持っておくべきだったと反省している。

同性愛とか異性愛とか関係なく、恋愛について、もっと関心を持っておくべきだった。

相談できるような友達もいないから困る。


“俺、聞くことくらいしかできないかもしれないけど、先輩の力になりたいんで”

「…そうだ!」

日住君がいた!私には相談できる相手がいた!

日住君も気になる子がいるようだったし(?)、私も日住君の相談に乗るという形ならいけるかもしれない…!

相談に乗れるような経験はないから、それこそ本当に話を聞くだけになってしまうだろうけど。

バッと体を起こす。

さっそく日住君に連絡する。

『日住君、教えてほしいことがあるんだけど、いつか時間あいてないかな?』

日住君は、いかにもモテそうだ。

よく気が利くし、優しいし、話上手に聞き上手。正直その能力が羨ましい。

当然私よりも遥かに友達も多くて、廊下ですれ違った時に声をかけられないほどだった。


『明日の放課後はどうですか?』

『わかった。たぶん、私また掃除あるから、少し待たせちゃうかもしれないけど』

『りょーかいです。いくらでも時間はあるので、気にしないでください。とりあえず、授業終わったら先輩の教室に行けばいいですか?』

『お願いします』

『わかりました』

『ありがとう!』


私はスマホのホーム画面を、遠くから隠し撮りした永那ちゃんの写真にした。

海を撮ってるようにみせかけた写真だから、写っているのは海と永那ちゃんの後ろ姿だけで、顔は写っていない。

でもそれでいい。それくらいがいい。

彼女の顔写真をホーム画面にして、もし誰かに見られでもしたら、恥ずかしくて私の存在ごと消し去りたくなると思うから。


***


教室の半分を掃除し終えて、机を反対側に寄せようとしたところで日住君はやって来た。

永那ちゃんは相変わらず寝ている。

「手伝います」

「悪いよ」

「大丈夫です」

「ありがとう…」

日住君は私の倍のペースで机を運んでいく。床掃除も手伝ってくれて、ゴミ袋の取り替えもしてくれた。なんとも手際が良い。

ゴミ袋を校舎裏に持っていく。

こうして、誰かとちゃんと最後まで掃除ができたのはいつぶりだろう?5月の頭くらいから1人でやっていた気がするから、1ヶ月ぶりくらい?


「今日はすごい土砂降りですね」

「そうだね、土日は晴れてたのに」

傘を差しながら、日住君が手伝ってくれて本当に良かったと心底思う。1人で校舎裏までゴミ袋を運ぶのは、きっと大変だっただろうから。

1人なら、屋根のあるところに1度半分のゴミ袋を置いてから集積所に行かなければならない。往復する手間を考えると、2人でやったほうが早いし楽だ。

集積所に入ってゴミの仕分けをしていると「どこでお話します?」と聞かれた。

「うーん…駅前のカフェとかはどうかな?」

「カフェですか」

「あ、嫌だった?」

「いえ、むしろ嬉しいです」

カフェ、好きなのかな?

「それなら、良かった」


教室に戻ると、永那ちゃんが伸びをしていた。

「お!おかえり」

まだ眠そうな顔をしながら、ニコッと笑ってくれる。

それだけのことなのに、胸をギュッと捕まれた感覚に陥る。

「ども」

日住君が軽く会釈する。

窓の外がピカッと光り、すぐにドーンと轟音が鳴った。

「いやっ!」

思わず横にいた日住君の腕にすがる。

私は小さい頃から雷が大の苦手だった。雷雨の時だけは、いつも誉がいてくれて良かったと安心したものだった。


「先輩…っ!大丈夫ですか?」

「だ、ダイジョブ。ごめんね」

恥ずかしくなって、前髪を指で梳く。

「きっと近くに落ちましたね」

日住君が優しく背中をトントンと叩いてくれた。それに少し驚いて、肩がピクリと上がる。

「ところで、なんで後輩君が教室にいるの?」

いつもより声のトーンが低い永那ちゃんは、頬杖をついてこちらを眺めていた。

「ああ、それは」

日住君が言いかけて、私は遮るように「私が掃除の手伝いをお願いしたの」と言った。

「ふーん」

日住君は頷いて、私の机に置いていた鞄を取りに行く。私もその後を追うけれど、永那ちゃんの視線がなんだか痛い。


「穂」

学校でその名前を呼ばれるのは小学生ぶりで、ドキッとする。

「今日は私が家まで送るよ」

永那ちゃんから目が離せなくて、なんだか背筋がゾワゾワする。

「すみません、先輩。この後、空井先輩と用事があるので」

「じゃあ、待ってる」

なんだか険悪な雰囲気。

日住君の声も、いつもより低くなっている。喧嘩でも始まりそうで、少し怖い。遠くでゴロゴロと雷も鳴っているし、私は固まることしかできないでいる。

「いや、待たれても…。2人で外に出るんで」

永那ちゃんの目がどんどん細くなっていき、深く息を吸いながら顎を上げる。

彼女は座っているから私達よりも視線が下なはずなのに、見下ろされているような圧を感じる。


チラリと私に目を遣ると、彼女はフゥーッと息を吐いて立ち上がった。

俯いて、前髪が垂れ下がり、永那ちゃんの表情は見えない。

緊張でドクドクと鼓動が速くなる。

日住君も永那ちゃんも、いつものやわらかい雰囲気が全くない。

なぜこんなことになってるのか、まるで検討もつかなくて、意味もなく手をグーパーグーパーさせる。

パッと顔を上げた永那ちゃんは、いつもの笑顔で「そっか」と言った。

その笑顔にホッとする。

「んじゃ穂、また明日ね」

「うん、また明日」

ヒヤリと汗がひとすじ垂れる。

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