第15話 靄

「好き…だよ。友達としてじゃなくて」

チラリと彼女を見ると、みるからにさっきよりも顔が輝いている。

本当に私は、人のことを何も見ていなかったんだと思い知らされる。

金井さんは自分と同類だと勝手に思っていた。実際、生徒会メンバーが恋愛の話をしても、彼女は興味なさげに振る舞っていた。

だから恋愛の話に、こんなに食いついてくるとは想像したこともなかった。

クラスで女の子達が楽しそうに恋の話をしていた。私は横目でそれを見て“楽しそうだな”とは思っても、まるで違う世界の人を見ているみたいな気持ちでいた。

私には理解できない世界。

だから、

今の金井さんは、彼女達と同じ顔をしている。

ああ、女の子らしくて可愛いなあと思った。

きっと彼女は、本当はもっと穏やかで、恋の話もたくさんしたくて、女の子同士でお洒落の話とかもして過ごすような女の子なのかもしれない。

ただ、日住君の好みになるために、その全てを捨てたのかもしれない。

日住君は、なんでこんなにがんばっている子、こんなに自分を好きになってくれる子じゃなくて、他の人が好きなんだろう?


「でも、今まで恋愛に全く興味がなくて、誰の話も聞いてこなかった…聞こうとしてこなかったツケが回ってきたんだよね」

金井さんが首を傾げる。

「好きが…よくわからなくて」

「よくわからない?…好きじゃなくなったってことですか?」

「あー、うーん…好きなんだけど、それは確かなんだけど。なんて言えばいいのかな」

金井さんはジッと私の言葉を待ってくれる。

バーベキュー会場から、こちらに走って向かってくる日住君が視界に入る。

「…ごめん、説得するのにすごい時間かかった。今焼いてくれてるよ」

日住君が膝に手をついて息を切らしている。

すると金井さんが片手を上げて、日住君を見た。

「日住君、今ガールズトークの良いところだから、まだもう少しあっちに行ってて」

「え?」

彼は私と金井さんの顔を交互に見て、苦笑した。

「失礼しました。また焼けたら持ってくるね」

そう言って、トボトボ帰っていく。

金井さん、好きな人にもクールだなあ。


「それで?」

金井さんはすぐに私に顔を向ける。

「ああ…。永那ちゃん…両角さんね。知ってるかもしれないけど、モテるんだよね」

「そうでしょうね」

「ずっと両角さんの」

「“永那ちゃん”で、かまいません」

そう言われて、アハハと苦笑する。

「ずっと永那ちゃんのことを好きだって言ってる子がいて」

彼女は頷く。

「その子が永那ちゃんを好きになった理由も聞いて。なんか、私が好きな理由って…なんか…ショボいというかくだらないというか」

「はあ」

彼女はパチパチとまばたきしながら、眉間にシワを寄せている。

「私でいいのかな?って」

地面に円を描いて、恥ずかしくなってきたのを紛らわす。

「私が永那ちゃんみたいな人の相手でいいのかな?って、わからなくなって」

「つまり、まず前提として先輩と両角先輩はもうお付き合いされているという理解で正しいですか?」

そうだ、“付き合ってる”なんて言っていなかったんだ!…とき既に遅し。顔が急に熱くなる。

私は前髪を指で梳いて、恥ずかしさを誤魔化す。


彼女を見ると、優しく微笑まれていた。

それが逆に恥ずかしさを加速させる。

心臓が急に速く動き始める。ドッドッドッと音を立てている。

プッと彼女は口元を押さえながら笑い始める。

「先輩って、可愛いんですね」

頭から湯気が出てもおかしくないと思う。

「ちょ、ちょっと…違くて」

「違う?お二人は恋人ではないんですか?」

「え!?…いや…うーん…いや」

「付き合ってるんですよね?」

私は恥ずかしさのあまり俯くけど、同時に頷いてもいて…穴があったら入りたい。

金井さんが優しく笑う。

「先輩を好きになっちゃう理由、私ちょっとわかりました」

「え?」

彼女は遠くの日住君を見た。

彼と目が合ったのか、ニコリと笑う。

「だって、可愛いですもん」

「え、え?いや、そんな、私なんて」

「今、すっごく可愛いです」

そして、まっすぐ私を見る。


***


「きっと両角先輩も、先輩のそういうところを好きになったんじゃないですか?」

「そういうところ?」

どういうところ?

頭の中が大混乱だ。

「…少なくとも、先輩が相手の方を好きな理由がショボかろうがくだらなかろうが、相手が先輩を好いてくれているならそれでいいじゃないですか」

「そ、そうなのかな?…私じゃなくて、他の人のほうがちゃんと永那ちゃんを好きなら、その人のほうが相応しいんじゃないかって」

「先輩」

彼女の顔が近づく。

「それは、全員に対して失礼です」

思わぬ言葉に唖然とする。

失礼?私が?

「先輩は選ばれたんです。他の人がどれだけその人を想っていようが、関係ありません。どんなに想っていても、それが相手の望む形じゃなかったら、届かないんです。届かないのは、先輩のせいでも、その相手の方のせいでもないんです。ただ、ただ…届かなかったという現実がそこにあるだけで…」

金井さんはどんどん顔を俯かせていって、両手を握りしめていた。


「やっぱり私、先輩が嫌いです」

「え!?」

なんで!?私ってそんなに失礼な考え方をしていたのかな。

後輩に嫌われるなんて…まあ、原因は思い浮かばないわけではないけれど。

あげればキリがない。私はスイッチが入るとつい口調が厳しくなって、怖がられるのだから。

そう原因を考えていて、ふと彼女を見ると、彼女は微笑んでいた。

悲しげな微笑み。

ゴクリと唾を飲む。

「先輩」

「はい」

彼女は深呼吸する。

「ちゃんと、両角先輩と幸せになってください」

綺麗な笑顔を浮かべていた。

そこにもう悲しみは滲んでいなくて、心からそう言われているようで、心がふわふわと浮いてしまいそうな気分になる。

「はい」


「ガールズトークは随分と盛り上がっているみたいですね」

日住君は器用に3皿手に持って、その上には焼きおにぎりとお肉が乗せられている。

「そろそろお邪魔してもよろしいですか?」

ニコッと爽やかな笑顔を向けられて、金井さんも微笑む。

「タイミングがよろしいことで」

「おお!それはよかった」

日住君は大袈裟に喜んでみせる。

私と金井さんにお皿をわたしてくれる。

私が真ん中になるように座って、ご飯を食べ始める。

「ところで先輩、そのとはどこまで進んだんですか?」

私は思わず口に入っていたものを吹き出しそうになる。

もうこの話終わったんじゃないの!?

「そうだ。先輩、恋の悩みがあったんでしたね」

日住君が苦笑しながら、思い出すように宙を見る。

「いいなあ、ちょっと俺も参加したかったのに」

「日住君はダメ」

「え~、なんでー」

金井さんが日住君を好きと知ると、途端に2人の会話が微笑ましく感じる。


「それで、先輩。私が悩み相談に乗ってあげたんですから、どこまで進展したか白状してください」

「逆に俺、こっちの話のほうが聞きづらいんだけど」

金井さんは優雅に焼きおにぎりを頬張る。

「ま、まだ付き合って1週間ちょっとだよ?…そ、そんな…べつに…特に…」

目を彷徨わせていると、金井さんが私と日住君を交互に見た。

「っていうか日住君、先輩に恋人いるの、知ってたの?」

「えっ!?ああ、うん…前にね」

日住君がチラリと私を見て、答えても大丈夫か確認してくる。

私が頷くと、ホッとした顔になる。

「じゃあ、誰かも?」

金井さんの目が細くなる。

これ、タイミング的にも、やっぱりちょっと睨んでるよね?

日住君が頷くと「なーんだ」と、金井さんは少しつまらなさそうに言った。


***


あれから、どういう経緯で付き合ったのかとか、どんな告白だったのかとか、根掘り葉掘り聞かれた。

答え難いところは、なんとなくはぐらかしつつ、それなりに話は盛り上がった。

生徒会長がみんなを集めて挨拶をしたから、午後4時に解散になった。


私はなんだかドッと疲れて、トボトボ歩いていた。

帰り際、金井さんが「先輩、楽しかったです。ありがとうございました」と、それはそれは綺麗な笑顔で言ってくれた。

後輩が楽しんでくれたという事実だけが、この疲労感を労ってくれる。

…疲れたのも後輩の話に付き合ったからなんだけど、そこには目を瞑る。

でも彼女のくれた言葉は、今の私に必要なものだったとも思う。

“先輩は選ばれた”

私は、永那ちゃんに選ばれたんだ。

ずっとそばにいた佐藤さんじゃなくて、永那ちゃんは、私を選んでくれたんだ。

まだ付き合って、たった1週間ちょっと。

付き合ったのにほとんど直接会話することがなくて、彼女の寝顔を見ることすら叶わなくなって、誰もそばにいなかった前に戻ったみたいな気持ちになって、私は寂しかったんだと思う。


スマホを見る。

『穂の写真あったら送ってー、見たい!』とメッセージがあって、笑ってしまう。

既に生徒会用のグループメッセージには、集合写真が送られていたから、それを送る。

「明日会いたいって言ったら、会ってくれるかな?」

電柱に寄りかかる。

お母さんが病気で、その世話をしなければならないと言っていた。

未だ、どんな病気かも聞けずにいる。

「ハァ」とため息が出る。

会いたい、でも迷惑にもなりたくない。

『穂、可愛い。今日はラフなんだね』

『いつもこんな感じだよ』

『え!じゃあデートのときのワンピースは特別だったの???』

ハテナマークが多いことで、彼女のテンションが高めなのがわかる。

『あれ、初めて着たんだよ』

既読はついたけど、返事がない。


電柱に寄りかかりながら、ズルズルとしゃがみ込む。

「会いたいなあ」

ジッとスマホの画面を眺める。

『好き』

唐突だなあ。

でも、その言葉がなにより嬉しい。

ゴクリと唾を飲む。姿勢を正して、フゥッと息を吐く。

『永那ちゃん、明日会えないかな?』

また既読はつくけど、返事がない。

私は立ち上がって、家に向かって歩き出す。

さっきよりも速く歩けているのは、緊張しているからだと思う。

ギュッとスマホを握りしめて、チラチラ画面を見るけど、返事がない。

返事がないのは、会えないから?

心臓がドクドクと速まるのと比例して、私の足も速くなる。

『穂って、朝何時に起きてる?』

ようやく返事がきて、ピタリと足を止めた。

朝…?


次の文が送られてくる。

『朝早くでよければ、会えるんだけど』

『いつも8時くらいには起きてるかな?』

『そっかあ。7時くらいに私の家の最寄り駅は厳しいよね?』

7時に永那ちゃんの家の最寄り駅となると、6時過ぎには家を出るのか…。早いなあ。

…でも『大丈夫。永那ちゃんに早く会いたいから』

『本当?無理してない?』

永那ちゃんの、こういうふうに人に気遣えるところも好き。

『大丈夫』

『わかった!じゃあ、楽しみにしてるね。朝早くてどこもあいてないだろうから、散歩するだけになっちゃうと思うけど。明日は、気をつけて来てね』

私は嬉しさを噛みしめながら、ちょっとスキップして家に向かった。

明日は、永那ちゃんが選んでくれた服で行こう。


家につくと、リビングでお母さんが仕事をしていた。

「お母さん、明日朝ちょっと早くに出て、散歩してこようと思うんだけど、いいかな?」

「何時?」

「6時過ぎには出ようかなって思ってる」

「え、早い!なんで急に!?」

「友達と、散歩しようって」

お母さんはパソコンから目を離して、目をパチクリさせている。

「へえ…ああ、この間一緒に遊んだ子?」

私は頷く。

「そう、気をつけてね」

そう言って、お母さんは視線をパソコンに移す。

部屋に入って、部屋着に着替える。

ベッドに寝転ぶとだんだんウトウトしてきて、気づけば眠っていた。

たかが慌ただしく起こしに来てため息をついたのは、言うまでもない。

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