第14話 靄
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体育祭の翌日はみんな疲れている様子だった。
かなり遅くまで打ち上げを開いていたらしく、クラスの半分くらいが授業中に寝ていて、さすがに先生もため息をついていた。
毎年のことだから先生も慣れているみたいだけれど、私はオセロみたいになっている授業中の光景に苦笑してしまう。(オセロは白黒反転させるだけだけど)
当然
休み時間中、黒板上にある時計を見ていたら、ふと私の目の前が遮られた。
見上げると、
予想外の人物が仁王立ちしていて、私はただまばたきすることしかできないでいた。
彼女がしゃがんで、私よりも視線が低くなる。
「ねえ、
女の子らしい、可愛い声。大きな瞳に、くるんと上向いた長いまつ毛。
薄化粧しているのか、目元にラメがついている。唇はほんのりピンク色で、少し艶がある。
髪は肩くらいの長さまであるショートで、毛先がふわっと巻かれている。
胸元のボタンが第二ボタンまで外されていて、姿勢を低くされると、目のやり場に困る。
「ねえ」
思わずじっくり彼女を見てしまった。
「は、はい」
「永那といつの間に仲良くなったの?」
可愛らしい笑顔を浮かべているけれど、圧を感じるのは気のせい?
「あの…」
いつも彼女が私と話すとき、彼女は敬語だった気がする。
突然のことに頭が真っ白になる。
「先週の火曜日…だったかな。急に永那がみんなに掃除するように頼んで、あなたの腕を掴んでどこかに消えたの。あの後追いかけたんだけど、見つからなくて」
彼女が机の端に頬杖をついた。
…追いかけられていたことにびっくりだ。見つからなくてよかった。あんなところを見られていたら、恥ずかしくて学校に来られなかったかもしれない。
「その後は体育祭。“好きな人”のカードであなたを連れて行く意味がわからなかった。…永那は誤魔化してたけど」
もう彼女の目が笑っていない。
「それで、決定的だったのは打ち上げのとき」
私はゴクリと唾を飲む。
「永那が電話をかけたの。二次会でカラオケに行ったんだけど…珍しく、真ん中じゃなくてドアの近くに座るなあと思っていたら、すぐに出て行っちゃってね。帰ってこなかった」
佐藤さんの大きな瞳がまるで蜘蛛の巣みたいで、私はそれにかかった虫みたいな気持ちになった。
「気のせいかもしれない。…でも、あたし確かに“
そう言って彼女は私の胸元を指さした。
「ねえ、そんなに怯えないで」
気づけば私は、膝の上で手を握りしめていた。
「あたしね、中学のときいじめられてたの」
そっと顔が近づいて、小声で言われる。
「そのとき永那が助けてくれて、それからずっと、永那が好き。永那だけが好き」
香水の香りがふわりと鼻をつく。
「永那が誰とセックスしてもよかった。…そりゃあ、あたしも相手にされたかったし、今でも、いつでもウェルカムだけど…永那はなんでか、あたしを相手にしてくれない。それだけ大切にされてるから?って、昨日までは呑気に過ごしてた。でも…」
可愛いはずなのに、声のトーンが少し低くなって、圧が強まる。
「あたしの手を振り払ったことなんてなかったの。今まで、一度も。なのに、あなたの名前を呼んで、私の手を振り払って、永那は帰ってこなかった」
…ああ、違う。これは…この感じは、必死に涙を堪える声だ。
胸が痛む。恋をするって、辛い。こんなにも辛いものなんだ。
自分事じゃないのに、もし私がそれを永那ちゃんにされたら…と考えただけで、胸が張り裂けそうだ。
そう思っていたら、チャイムが鳴った。
彼女は俯いて顔を見せないまま、席に戻る。
先生が入ってきて、授業が始まっても、私の体は動かなかった。
授業が半分くらい進んだところで、ようやく私は顔を動かして、佐藤さんを見た。
彼女は机に突っ伏していたけれど、肩が震えていた。
私はなんとかシャープペンを手に持って、今更ながら、黒板に書いてある内容をノートに書き写す。
恋をするだけで、こんなにも世界が変わる。知らなかった。
本当に私は、知らないことばかりだ。
***
もう私が、当番の日以外に掃除をすることはない。
私が体育祭の準備で忙しくて、永那ちゃんがそう取り計らってくれたから。
だから私が永那ちゃんの寝顔を1人で眺める時間もなくなった。
永那ちゃんが起きている間はやっぱり私が割り込む隙がなくて、前に戻ったみたいな気分になる。
佐藤さんが言った言葉を思い出す。
“永那が誰とセックスしてもよかった。…なんでか、あたしを相手にしてくれない”
永那ちゃんがモテることはわかっていた。
初めてのキスがあんなに濃密なものになるとは思ってもみなかったけれど、力が抜けるほど、心地よかったのは確かだった。
だから、きっと経験豊富なんだろうなって、想像はしていた。
でも実際言葉にして聞くと、複雑な気持ちになる。
おはよう、好き、2人で話したい…その3つの言葉は欠かさず送られてくる。
私も、永那ちゃんが好き。…好きな、はず。
彼女の寝顔が好きで、彼女の笑顔も好きで、私がいたずらすると照れるところも好き。
まっすぐ「好き」と伝えてくれるところも、好き。
でも、佐藤さんの話を聞いて自信が揺らぐ。
私には決定的に“何か”あったわけじゃないから。
佐藤さんは、永那ちゃんに助けてもらったという、ある種絶対的な絆みたいなものがあるように思える。
でも、私は…ただなんとなく彼女を好きだと思っているような気がしている。
そんなのでいいのかな?って、不安になる。
この“好き”の気持ちを、揺らぎないものにしたい。
でも彼女と話せる時間はあまりに短くて、焦りが生まれる。
悶々と過ごしていたら、あっという間に土曜日がきた。
今日は体育祭の打ち上げ。
週が明けて月曜日になったら、期末テスト2週間前になる。1週間前には全ての部活動が休みになる。生徒会も例外ではない。
だから今日打ち上げをして、次の火曜日の生徒会で体育祭の反省点などを話し合って、夏休み前の活動は終了だ。
夏休みにも活動する予定だけど、去年と同じであれば2泊3日の合宿(もとい旅行)と2回ほどのボランティア活動だけで、他は何もない。
しかもこれはあくまで自由参加、自費参加なので、生徒会メンバー全員が参加するわけでもない。
今度の生徒会の集まりで、夏休みの予定についても話し合われるはず。
今日のバーベキューは、学校から20分ほど歩いたところにある公園で行う。
事前に予約しておけば設備も食事もその場で準備してもらえる、お手軽なバーベキュー。
生徒会の予算から出ているので、体育祭委員含めて、ほとんどの人が参加している。
生徒会長が取り仕切って、みんながワイワイと楽しそうに話している。
私は飲み物を持って、木陰に座った。
みんなが楽しむのを邪魔しないようにと、こうするのが癖になっている。
しばらくみんなの様子を眺めていると、
「どうぞ」
紙皿にはお肉と焼きそばが乗っていた。
「ありがとう」
日住君が覗き込むように私を見る。
首を傾げると「先輩、ちょっと疲れてるんじゃないですか?」と聞かれた。
「そう…かな?わからないや」
「…珍しい」
日住君を見ると、口をポカーンと開けていた。
思わず笑ってしまう。
「あ、笑った」
彼は自分のお皿に乗っているお肉を食べる。
そうしたら、珍しく
彼女もコップとお皿を手にしている。
「先輩、本当に大丈夫ですか?」
「え、なんで?」
「いや、先輩が疲れてるかわからないって答えるの、けっこう重症に思えて」
「恋の悩み…とかですか?」
金井さんが睨むようにこちらを見る。
しかも図星で、思わず肩をビクッとさせてしまう。
「やっぱり」
彼女がニヤリと笑う。
「日住君、私焼きおにぎりが食べたい」
「え?」
金井さんの唐突の要求に困惑する日住君。
「会長に言ってきてくれない?…焼きおにぎりは最後じゃなくて、今食べたいって。私じゃ、言っても耳に届かないみたいだから」
確かに金井さんの声は通るほうではないし、大きいか小さいかで言えば小さい。
生徒会長自身の声が大きいから、彼女の話が耳に入らない…というのは想像できる。
「わかった」
日住君が立ち上がって、盛り上がっている中心に向かう。
***
「先輩」
彼女は日住君の後ろ姿を見ながら言う。
「私、日住君が好きなんです」
「え!?」
突然の告白に驚愕する。
「日住君とは中学も一緒で、あのときはほとんど話したこともなかったんですけど。高校生になって、日住君が生徒会に入るって言うから私も入ったし、日住君に好きになってもらえるように努力もしました」
「そうなんだ」
「私、普段は眼鏡をかけてるんです。本当はコンタクトにしたいんですけど、どうしても怖くて目に入れられなくて」
目つきの悪さはそのせいだったことを今知った。…よかった、睨まれてるわけじゃなかったんだ。
私は視力が良くて、眼鏡やコンタクトの大変さはあまりよくわからない。
「中学のときまではずっと眼鏡をかけていて、いつもオドオドしていて、みんなにいろんなことを押し付けられるのもしょっちゅうでした。ヘラヘラ笑って、本当は嫌なのに“いいよ”って言って」
私が見ている生徒会での彼女の姿は、先輩にも臆せずハッキリ意見を言ってテキパキと仕事をこなすところだ。
「今の姿からは全然想像つかないよ…金井さん、がんばったんだね」
金井さんがゆっくりこちらを向き、目が見開かれる。
「先輩」
「なに?」
「日住君に好きな人がいるって知っていますか?」
「ん?…ああ、聞いたよ」
彼女の目が細くなる。
一瞬、また睨まれてるのかと勘違いしてしまいそうになったけど、そうじゃないのだと思い直す。
「私、その人に近づけるようにがんばったんです」
「え、日住君の好きな人知ってるの?」
金井さんが視線を日住君に戻す。
日住君は、どこまでもマイペースな生徒会長に振り回されているようだった。
「見てればわかりますよ」
「…そっか。金井さん、同じクラスだもんね」
金井さんが「ハァ」とため息をつく。
“オドオドしてた”なんて全く想像ができないくらい、やっぱり圧がすごい。
「でも、ダメでした」
まっすぐ私の目を見て、彼女は言う。
「その人みたいには、なれませんでした」
「まあ、全く同じ人になるなんて、土台無理な話だしね」
「…そうですね」
彼女は俯いて、憂いをおびた目をする。
私はまた言葉がキツくなってしまったかもしれない…と、内省する。
「だから、先輩」
湿った生ぬるい風が吹いて、木を揺らす。
「私、先輩が…あの、
“とやら”って…。内心苦笑する。
しかも“だから”は一体どこに繋がってるの?
日住君との恋が叶いそうにないから、私の恋を応援するってこと?…ちょっと理解が追いつかない。
彼女はお皿に乗っていたものを食べ終えて、芝生に置く。
四つん這いになるように、座りながら両手を地面につけて、私に体を向けた。
「それとも先輩は両角先輩には興味はなくて、一方的に好かれているだけ?もしくは、2人は単純に友達として仲が良いだけなのでしょうか?恋の悩みというのは…他の人とのことについて?」
質問攻めされて、私の頭はパンクしそうだ。
「私、なんでもいいですけど…先輩が日住君以外のことで悩んでいるなら、話くらいなら、聞いてもいいですよ」
彼女は思案するように目を伏せて「いや」と小さく呟く。
「むしろ私が聞きたいです、先輩の恋話」
「…なんか、私って本当に知らないことばかりだね」
「え?」
「金井さんって、私と同じで、そういうのに興味がないと思ってた。でも、ずっと日住君が好きだったんでしょ?全然わからなかった」
彼女は体勢を戻して、体育座りする。
彼女は黒のジャンパースカートに青ストライプの薄手のシャツを羽織っている。
スカートは足首丈まであるけど、体育座りする姿に少し不安になる。…見えたりしないよね?なんて。
私はデニムにミント色のTシャツだけ。とにかく動きやすさを優先した自分と比較すると、彼女が極力動きやすくも可愛らしさを出せる服装にしてきてるのがわかる。
「青春だなあ」なんて呟いたら、キッと睨まれた。
これは、絶対に睨んでる。
「それで、いい加減答えてくださいよ」
「ん?」
「とぼけないでください。私、体育祭のときからずっと同じ質問をしているんですけど」
うっ…と、つい顔を引きつらせる。
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