第13話 彼女

今まで、誰かに本気で恋をしたことがなかった。

中学のとき、先輩に迫られて、断れなくて流れで女同士でセックスしたのが初めてだった。

ちょうどお母さんがおかしくなり始めたばかりのときで、ストレスも今より凄かったから、セックスは良いストレス発散になった。

何度か先輩とセックスして、でも次第に恋人面されたのがなんだか癪に障って振った。

彼女は泣いていたけど、なんとも思わなかった。自分はなんて冷たい人間なんだろう?と、自分が嫌いになった。

それから、都合よく私は男女関係なくモテて、男ともセックスしてみた。純粋に「女の方がいいな」と思った。

私はどちらかというと、攻められるよりも攻めたいのだとわかった。

男に対してだって攻めることはできるけど、なんというか、“女”という性が強調されるみたいで、単純に男とのセックスに嫌悪感を抱いた。


それから私を好きだと言った後輩の女の子数人ともヤったし、同級生、先輩ともヤった。

ただ、ストレス発散でしかなかった。

不思議と、千陽にはそんな気が起きない。

あいつはやたら誘ってくるような素振りをみせるし、普通に可愛いし、手を出しても問題ないように思えるのに、その気にならない。

“友達”って思ってるからなのかな?

…いや、それもわからない。


そんなことより。

昨日のデートで穂のことをいろいろ知れた。

彼女は今まで誰とも付き合ったことがないという。

あの性格からして、付き合わずにキスやセックスをするとは思えない。

つまり、彼女は純白なのだ。

こんな汚れた自分が、彼女を簡単に汚してはいけない。

やるときは、ちゃんと最高のシチュエーションを考えないと。

“いたずらしちゃいますよ”

脳裏に蘇って、下腹部が疼く。

目を閉じて、フゥーッと息を吐く。

…意外と、私の予想に反して、今までも誰かにあんなことを言っていたりするのだろうか?

だとすれば、私みたいに、付き合ってなくても…なんてことがあったりするのだろうか?

私が告白した後、顔を近づけたら、彼女は目を瞑った。

キスし慣れてる…とも考えられるのか?


ううう、わからん。

枕に顔をうずめて、足をバタバタさせる。

…嫌だな。

もし彼女が、いろんな人に対してあんなふうに接しているのなら。

私だけがいい。

彼女が好きなのは、私だけがいい。

「ハァ」と大きなため息が出る。

恋ってこんなに辛いんだな。初めて知った。

振ったとき、先輩が泣いた気持ちが、今更になってわかるような気がした。


翌日、起きても教室には誰もいなかった。

穂の机を見ると、鞄が机に乗っていてホッとする。

外は真っ暗で、窓に雨が打ち付けられていた。

伸びをしていたら、扉が開く音がする。

振り向くと穂と目が合って、嬉しくなる。

…でも、隣にはいつか見たことのある男が立っていた。

地響きを鳴らして雷が落ちた。

彼女が…穂が、男の腕に抱きついた。

沸騰しそうな頭と、ズキズキと抉るような痛みが心に走る。

男が、怯えた穂の背中に手を回す。

ガリッと奥歯を強く噛む。

穂に「家まで送る」と言っても、男が返事をしてくる。

怒りが最高潮に達して、男に殴りかかりたくなる気持ちを必死に抑える。

暴力を振るうなんてありえない。父親と同じだなんて、思いたくもないから。

ふと視界に入った穂が、怯えているように見えた。

その表情に、心がズキリと痛む。

冷静さを少し取り戻して、私はフゥーッと息を吐く。

なんとか気持ちと顔を取り繕う。

は、得意なんだ。

「んじゃ穂、また明日ね」

明日、絶対に2人きりで話そうね。


シトシトと雨が降る。

昨日みたいに雷でも鳴っていたら、今度は私が穂に抱きつかれるのに…と、空を睨む。

放課後になって、千陽が近づいてくる気配がする。

でも今はそんなのにかまってる場合じゃない。

昼休みに、今日の掃除当番は確認済みだ。

私は彼ら彼女らにちゃんと掃除をするように伝えて、すぐに穂の腕を掴んだ。

穂が何か言っているけど、聞こえない。

教室から逃げるように、あの男に見つからないように、私は穂を引っ張りながらあてもなく歩く。

とにかく人気ひとけのない場所を…と思うのだけど、雨が降ってるから屋内に限られるのがもどかしい。

視界に、渡り廊下に続く扉が見えた。

渡り廊下の先には体育館しかない。体育館から生徒の声が聞こえる。

だから途中の自販機の前で立ち止まって、彼女を押しつけた。


***


私達の学校の制服は、学年ごとに色がある。

今は、1年生が緑、2年生が赤、3年生が青だ。3年生が卒業すると、1年生が青、2年生が緑、3年生が赤となる。

だから、あの男が1年生であることはわかっていた。

昨日の“用事”というのは、2人でカフェに行くことだったらしい。

立派なデートじゃないか!…腹立たしい。

あの後、雷が鳴るたびに、穂が男に抱きついたのを思い出して、今もそうしているのではないかと考え、苛立った。

あの男の目が、完全に彼女を好いている色をしていた。

彼女に抱きつかれて、鼻の下を伸ばしていたし。

だから、一体どういう関係なのか、私は知らなければならない。

あの後何をしたのか、知らなければならない。

彼女の目が彷徨って、私の質問にすぐに答えない。

やましいことでもあるのか?

ジクジクと胸が痛みをおびてきて、つい彼女に顔を近づける。

この唇を奪ってしまえば、あの男よりも…なんて考えた。

彼女の両腕を自販機に押し付けて、絶対に逃してやらないと強く握る。


なのに「私も永那ちゃんが好きだよ」と耳元で言われ、一瞬で力が抜けた。

彼女の唇の感触が耳にふわふわと残る。

彼女が子供をあやすように話してくるから、ドキドキして、なんだか恥ずかしくてなって、でも嬉しくて、彼女に抱きついた。

晴れて、私達はれっきとした恋人同士になった。

今日は一緒に帰りたかったのに、生徒会のある日だった。

やっぱり教室…校内から逃げてきて正解だったと思う。

ちょうど1週間後に体育祭が控えていて、穂は忙しいらしい。

そしてその1週間、穂と全然話せなかった。

でも穂が頻繁に私に視線を向けてくれるようになって、あまりに可愛くて、頬が緩む。

そしたら彼女も微笑んでくれるから、くすぐったいような気持ちになる。

毎日メッセージは送り合っていた。

物足りなかったけど、ほとんど話したこともなかった状態から考えれば、恋人らしいと思える。

でもこの間にも穂があの後輩の男と一緒に過ごしていると考えると、それだけは不満だった。…どうしようもないことなんだけど。

それなら私も生徒会に…それは無理でもせめて体育祭委員になればよかったと一瞬思って、首を横に振った。

毎日そんな遅くまで学校に残るなんて、私にはできない。

…そういえば穂が好きと言ってくれて曖昧になったけど、結局後輩にどんな恋の相談をしたんだろう?


体育祭当日、生徒会用テントの最前列に穂は座っていた。

こちらは地面に直に座っているけど、生徒会の人達はパイプ椅子に座っているからよく見える。

どこか緊張した面持ちの穂を見て、癒やされる。

こっち見ないかなあ?なんて思っていたら、あの憎き後輩が穂の手を握った。

ふざけんな!私の彼女だぞ!さわんな、変態!

…もしかして、あの男に、私が穂に告白したってことを相談したのか?どう返事をすればいいのか…みたいな相談をあいつに持ちかけたのだろうか?

だからあいつは私に穂を取られまいと、こうして全校生徒の前で見せつけるように穂の手を握っているのか?

ふざけんな!!もう穂は私の彼女だ!バーカバーカ!!

内心で悪態をついても、物理的な距離が、私を地の底に突き落とす。

選手宣誓が終わって、体育祭が始まっても、私の気分は晴れなかった。

二人三脚で千陽が危なっかしいから、それを支えるのに集中したら、多少は気が紛れた。

その後のみのむし競争で、誰かが顔面から転んだ。

すぐに穂が駆け寄って、対処する。

その姿がかっこよくて、見惚れた。


障害物競争は、個人的に1番楽しい競技だと思ってる。

みんながハードルに頭やお尻をぶつけて痛がってるのは見てて楽しいし、最後のカード次第で勝敗が大きく分かれるのがまた良い。

最終地点まで1位でも、引いたカードが最悪だと、簡単に追い越される。

最後まで勝敗がわからないのが良い。

私の番になって、スタートの合図と共に猛ダッシュ。

最終地点まで1位をキープして、カードを引く。

“好きな人”…ああ、神は私を見捨てなかった。

でも、穂のところに行ったら迷惑だろうか?と一瞬頭を過ぎって、彼女を見る。

彼女の顔が見えなくて焦った。

すぐにひょこっと机の下から顔が出る。…ちゃんと私のこと見ときなさいよ。

目が合って、彼女がきょとんとしてる。

あまりに可愛くて、笑ってしまう。

彼女を実況ブースから攫ったら、生徒会長までもがそれを盛り上げてくれた。


***


ゴール前に立っていたのは、あの憎き後輩だった。

私は握っている穂の手に、そっと指を絡ませた。

彼女は全校生徒から突然注目されて緊張しているのか、絡ませた指に気づいていないみたいだった。

気づいてたら、きっと離されていただろうな。

後輩君が、カードと穂を交互に見る。

穂は私の好きな人、穂も私が好きなんだ。認めろ!そして諦めろ!

彼はニコリと笑顔を作って「OKです」と言った。

そのまま私達はゴールテープを切って、1位でゴール。

彼女がなんのカードだったのか聞いてくるから正直に答えたら、叩かれた。

ボサボサになった髪を指で梳いてくれ、鼻の汚れも拭ってくれる。

そのときの表情がどことなく嬉しそうで、可愛くて堪らなくなる。


クラスの待機場所に戻ると、千陽が引っ付いてきた。

「ねえ、“好きな人”で空井さん連れてくってどういうこと~?」

唇を尖らせて、お得意の上目遣いで私を見る。

「めっちゃ意外な選択だったよね」と周りの人達も言う。

「んー…」

まだみんなに彼女と付き合ってることは言っていない。

今のところ、言うつもりもない。

穂が公表したいと言うなら、それはそれでかまわないけど、まだ確認してないし、下手なことは言わないほうがいいだろう。

「なんであたしじゃないの~?」

千陽が少し不機嫌そうにする。面倒だな。

「まあ…ここ、最終地点のとこからめっちゃ遠いし?」

そう言うと「確かに」と言う笑い声が聞こえてくる。

「だからって…」

千陽が俯く。本当、面倒くさすぎる。

「まあまあ、そう怒るなって」

頭をポンポンと撫でてあげると、千陽の頬がピンク色に染まる。


体育祭は無事終わる。

穂が汗を流しながら真剣に綱を引く姿が愛しくて、大声を出して応援した。

全競技が終了して、最終的に、赤組は負けてしまったけど、正直そんな勝敗はどうでもいい。

みんな盛り上がれればそれでいいんだし、この後の打ち上げを1番の楽しみにしてる人もいるくらいだ。

穂は片付けがあるから参加できない。生徒会と体育祭委員は土曜日に打ち上げをするようだ。

…と、そこで憎き後輩のことを思い出す。

土曜日ということは、たぶん私服で参加することになるんだろう。

穂の私服…。デートのときの彼女を思い出す。

そんな…。地面に膝をつきたくなる。絶対に変な目で見られるからグッと堪えるけど。

そういえば生徒会の活動で、たまに土曜日もあるって言っていた。

だとするなら、あの可愛い姿を、あの憎き後輩のほうが先に見ていたということか…。

なんか、悔しい。何が悔しいのかわからないけど、なんか悔しい。


そして必然的に、後輩が穂の手を握っていたことを思い出して、怒りが再燃する。

あいつ、絶対わざと、あえて、全校生徒の前で穂の手を握っただろ!?

私が穂に告白したと知って、慌てて彼女をものにしようとしたんだ。

…穂は、私だけだよね?

奥歯を強く噛む。

そういえば、穂はなんで私を好きになってくれたんだろう?

1週間も夜遅くまで体育祭の準備して、例えばあいつが帰り道とかで穂の手を握ったりして、そしたら穂がポッと照れて…なんてことになってないよね!?…なってないよね?

私に言ってくれた“好き”が、たかだか1週間でなくなるわけないよね?

自分でも自分が面倒な性格してるってわかってる。恋をするとこんなふうになるなんて、今まで知らなかったけど。


でも一度考え始めたら止まらなくて、気づいたら彼女に電話していた。

打ち上げは二次会に移行したばかりで、カラオケはこれから盛り上がる…というところだった。

千陽が引き止めようとしたけど、思わず手を振り払ってしまった。

適当に謝って、走って出ていく。

会いたい。

早く君に会いたい。

1週間も我慢したんだ。

このくらいのわがまま、いいよね?

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