第25話 初めて
私達は2人で食器を片付けて、部屋に戻る。
さっきはどうすればいいかわからなくて、ついベッドに座ってもらっちゃったけど…(それであんなことになったし)、今回は2人で床に座る。
教材をローテーブルに広げて、私は前日の授業の復習をする。
「永那ちゃんはなにするの?」
「んー、英語かな?単語覚えきれてないから」
そう言って単語帳を出す。
時計は2時半をさしていた。
「そういえば永那ちゃん、何時に帰る?」
「4時半くらいかなあ?」
そう言って一緒に時計を見た。
彼女が「ハァ」と大きくため息を吐く。
「もうこんな時間?あっという間過ぎない?おかしくない?時計の進み方。壊れてない?あれ」
矢継ぎ早に言うから、頬が緩む。
「このままずっと一緒にいたい…」
机に頬をつけて不貞腐れている。
頭を撫でてあげると、彼女は嬉しそうに目を閉じた。
「勉強しよ?ね?…また来週から一緒に過ごせるかもしれないんだし」
「“かも”でしょ?まだ確約できてないもん」
「それはそうだけど…」
彼女の上目遣いにドキドキする。
…可愛い。
「ハァ」と、またため息をついて、彼女は起き上がる。
「しょうがないからやるかー」
そう言って、単語帳に視線を落とす。
私は念のためスマホのアラームをつけて、勉強を始める。
音楽が鳴る。
アラームを止めて永那ちゃんを見ると、涎を垂らして寝ていた。
視界の端にチラチラ船を漕いでいる姿が映っていたけれど、知らないフリをした。
いつもの彼女であれば、きっとこの時間は寝てる時間だ。
本当ならきっと、今勉強する必要もないんだと思う。
だから、寝かせてあげられるなら、寝かせてあげたかった。
「永那ちゃん」
肩を揺する。
「永那ちゃーん」
ふと、掃除のときに殺気を向けられていたことを思い出す。
彼女は窓を全開にした日も、私が耳元で囁いた日も起きていたと言っていた。
…それなら。
私は彼女の背後に回る。
そっと抱きしめて、唇を耳に触れさせる。
「永那ちゃん、起きて」
そう囁いて、彼女の背中に顔を寄せた。
「永那ちゃん、起きないといたずらしちゃいますよ」
彼女の背中に口をつける。
あぐらをかいている彼女の太ももに触れる。
膝の辺りから付け根までをゆっくり撫でる。
「永那ちゃん、起きないの?」
そっと優しく撫でる。何度も、何度も、ゆっくりと。
「永那ちゃん、起きて」
しばらくそうしていると、彼女が「ハァ」と息を吐いた。
彼女が起き上がって、顔だけこちらに向ける。
少し頬がピンク色に染まっている。
「そんな、ずっと優しくされてたら、襲いたくなっちゃうんだけど?」
「だめ」
彼女が見下ろすように目を細めて、私を見る。
「これは私のいたずらだから」
彼女は眉をピクピクと動かして、唇を噛む。
「起きたなら、おしまい」
「これでおしまいはなしでしょ」
永那ちゃんの体が私に向き合って、私を押す。
「永那ちゃん、帰る時間だよ?」
「帰りたくない」
「だーめ」
彼女の眉間にシワが寄る。
「でも、テスト期間中もしちゃだめなんでしょ?…我慢できないよ」
下腹部がキュゥッと締まる。
私だって…。
でも。
「テスト終わってからの、楽しみにしよ?」
彼女の目が大きくなる。
私はそっと彼女の手を取って離す。
彼女の口端に涎がついている。
私はフフッと笑って、それを舐めた。
彼女の耳元に口を近づける。
「楽しみにしてるね」
そう言って距離を取ると、彼女が硬直していた。
髪を耳にかけて笑いかけると、ゆっくり視線をこちらに向ける。
「穂、そんなにエロいなんて反則じゃない?」
真顔で言うから、笑みを漏らす。
「誰かさんが真面目な副生徒会長を煽るからでしょ?…真面目は、なんでも真面目にこなすんだよ」
そう言うと、永那ちゃんの顔も綻ぶ。
「穂は委員長じゃなくて副生徒会長がいいんだね」
「べつに、どっちでもいいけど」
***
その後「しょうがないから帰るかー」と言って、永那ちゃんは帰り支度をした。
駅まで送ろうとしたけど、「可愛い彼女がちゃんと帰れるか心配になるから大丈夫」と断られた。
家から駅までの道なんて、何度も1人で往復しているのに…その少し大袈裟な優しさも好きだと思った。
手を繋いでマンションの下までおりる。
エレベーターの中で、彼女の唇が私のに重なった。
頬を両手で包まれて、名残惜しそうに長く触れ合った。
彼女の背中が見えなくなるまでずっと立っていた。
彼女は何度も振り向いて手を振ってくれる。
それがどうしようもなく愛しくて、絶対に手放したくないと強く思った。
部屋に戻った私は、すぐにベッドに寝転んだ。
彼女の匂いがする。
ドキドキして、息苦しい。
布団をギュッと握りしめて、彼女の存在を確かめるように目一杯空気を吸い込む。
まるで夢みたいだった。
彼女の濃艶な表情も、匂いも、体も、手つきも、全部、全部、まるで夢を見ていたみたいな。
でも確かに体に残る彼女の指の感覚が、夢じゃなかったのだと教えてくれる。
疲れきっているはずの体が、まだ彼女を求めている。
私は自分の手を太ももの間に挟む。
「永那ちゃん…」
もう会いたい。
気づけば私は眠っていて、目が覚めたのはお母さん達が帰ってきてからだった。
誉が「姉ちゃん寝てるー!」と大声を出すから、目が覚めた。
お母さんがお弁当をテーブルに置く。
「お姉ちゃん、どっちがいい?」
「俺はね、唐揚げ弁当にしたんだー!」
「へえ、良かったね」
私は並べられた焼き鮭の弁当といろんな惣菜が少しずつ入っている弁当を眺めた。
「お母さんは?」
「私はどっちでもいいから、選んじゃって」
焼き鮭の弁当を選んで、椅子に座る。
「いっただっきまーっす!」
誉がご飯をかき込む。
「誉、よく噛んで」
永那ちゃんを思い出す。
眠りから覚めても、私の下腹部の感覚は残ったままだった。
こんなにも感覚が鮮明に残ったままなのは、家族の前ではかなり気恥ずかしい。
誉が遊園地でのことを楽しげに話す。
お母さんとお出かけなんてほとんどないから、よっぽど楽しかったのだと伝わってくる。
お母さんも、そんな誉の様子を嬉しそうに眺めている。
今日は3人にとって良い日になったんだなあ、と思うと、私も嬉しくなる。
「姉ちゃんは?」
ふいに話を振られて驚く。
「友達と何したの?」
一瞬ドキッとして、すぐに冷静になる。
「勉強だよ、テスト前だからね。お昼に一緒にご飯も作ったけど」
「なんだー。姉ちゃんが友達連れてくるなんて初めてだったから、何して遊ぶんだろう?って思ったけど。やっぱ姉ちゃんは姉ちゃんだな」
「なにそれ」
お母さんが笑ってる。
「ああ、そうだ」
お母さんと誉の視線がこちらに向く。
「その…来週1週間、一緒に勉強しないか?って話になったんだけど…さすがに毎日家に呼ぶのは無理だよね?」
誉が眉間にシワを寄せる。
「なんで無理なの?」
誉が答えを求めるようにお母さんを見る。
お母さんも首を傾げながら「お母さんは全然平気だけど?そんなに夜遅くまでいるわけじゃないんでしょ?」と聞く。
「うん、まあ…たぶん4時半くらいには帰ると思う…」
予想外に2人とも呆気なく了承してくれて、拍子抜けする。
「早っ!俺の友達でも5時半に帰るよ」
誉が楽しげに笑ってる。
「テスト期間中は午前中に終わる日が多いから」
体育や美術などテストがない科目もあって、テスト期間中はそれらの授業が行われないから、学校が早く終わる。
だから帰るのが4時半だったとしても、昼過ぎからずっと一緒にいられると思うと、かなり長く一緒にいられる。
ご飯を食べ終えて、お風呂に入る。
永那ちゃんがつけた発疹は、まだほんのり赤い。
永那ちゃんが体を洗ってくれたことも思い出すし、あの行為も同時に思い出して、「うわああ」と声が漏れ出る。
家のどこもかしこも、永那ちゃんが思い出されて、今更パニックになる。
私は壁に手をついた。
シャワーから出るお湯が頭上から降り注がれて、少しもったいないと思いつつも、水に打たれていたい。
部屋に戻ったら、よりリアルに思い出しちゃうんだろうな…と想像すると、背筋がゾワリとする。
いつになったら消えるのかもわからない彼女の指の感触を、お腹を撫でて紛らわす。
でも目を閉じると、自分の手が永那ちゃんの手に重なって思えて、慌てて離した。
「ハァ」
自分で“だめ”と言っておきながら、お風呂での中途半端に終わった触れ合いを思い出して、ため息をつく。
「自分が怖い…」
今まで、そういうことに全く興味がなかったと言えば嘘になる。
でも、そもそも恋愛そのものが未知のものだったし、わからなかったから意識的に遠ざけていた。
ダメなこととすら思っていた節もある。
汚らわしい…とまではいかないけれど、不設楽なこととは思っていた。
とにかく、私にとって恋愛に関する全てが未知のもので、不設楽なことで、縁のないものだと思っていた。
それがいざこうなると、歯止めが効かなくなったみたいに、どんどん欲が溢れてくる。
帰り際の“いたずら”だって、本当はお風呂で中途半端にされた仕返しで。
でも自分で仕返ししておきながら、永那ちゃんに“襲いたくなっちゃう”と言われて、満更でもなくて。
本当はそうしてほしくてたまらない気持ちを必死に理性で抑えた。
足りない。
あんなにしたのに、こんなに体は疲れているのに、永那ちゃんが、もっとほしい。
まるで今まで抑え込んできた全てが爆発しているみたいな気分だ。
こんなんじゃ、永那ちゃんに引かれるかも。なんて。
いつか日住君と話した。
“好きな人と付き合えたら、寂しさが埋まる”
むしろ逆のようにも思えた。
好きな人ともっと一緒にいたくて、時間が惜しくて、絶対に手放したくなくなって、私だけを見ていてほしくて、余裕がなくなって。
こうやって後になって、永那ちゃんに引かれるかもなんて考えて、怖くなる。
…だから、きっと、日住君は“束縛したくなる”と言ったのかもしれない。
***
寝ようとベッドに寝転んでも、ふわりと彼女の香りに包まれて目が冴える。
結局今日1日、ほとんど勉強ができなかった。
明日はちゃんとやらないと…と思うのに、全然眠れなくて焦る。
焦れば焦るほど目が冴えてくるのはなぜだろう?
体を起こして、スタンドライトをつけた。
ローテーブルに教材を広げて、勉強を始める。
そうして始めてしまえば、5分もすれば集中できた。
寝たのは3時近くになってからだった。
不思議と集中が続いて、気づけばそんな時間になっていた。
お茶を飲んで、トイレに行って、ベッドに寝転がるとすぐに意識がなくなった。
日曜日、起きた瞬間から全身が筋肉痛で起き上がれなかった。
なんとなく…なんとなくだけれど、昨日から体が少し痛かった。
寝れば治るだろうと思っていたら、次の日のほうが痛みが酷かった。
なんとか痛みを堪えながら起き上がると、もう11時で、ため息をつく。
お母さんは土曜日に仕事をしなかったからと、リビングでパソコンを開いていた。
私は顔を洗ってから、キッチンに立つ。
簡単な野菜炒めを作ると、匂いにつられて誉が部屋から出てきた。
体の痛み以外は、いつもの日常で少しホッとする。
永那ちゃんに連絡する。
『お母さん達に確認したら、テスト期間中、家に来ても大丈夫だって』
返事はたぶん、明日の朝だ。
永那ちゃんの喜ぶ姿が想像できて顔が綻ぶ。
ふとした瞬間に昨日のことを思い出して悶えては、頬をペチペチ叩いて勉強をした。
普段から予習復習しておいてよかったと心底思う。
いつもは念には念を入れて、教科書の隅々まで確認するように勉強していた。
教科書の隅々まで確認したところで、そんなところがテストに出るのは稀で、出るのはほとんどが復習した内容だ。
たまに引っ掛けみたいな、絶対に満点を取らせないぞという先生の意地の悪さから出題されることもある。
それがわかると、いつも私は勝ったような気持ちになって嬉しかった。
…今回は、土曜日が教科書を確認する時間に当てられなかったから、科目を絞って勉強することにした。
月曜日の朝、案の定永那ちゃんが喜んだ。
『やったーーー!!!めっちゃ楽しみ!テスト期間最高!』
一般的には、テスト期間って嫌がられるものだと思うけれど…。
永那ちゃんの家の事情から考えれば、自由時間ができるというだけで喜ばしいことなのかもしれない。
どちらにしても、永那ちゃんが私と一緒にいたがってくれることが嬉しい。
永那ちゃんが“最高”と言うのなら、私にとっても最高だ。
教室について席に座ると、スマホの通知がきた。
『ごめん、千陽にバレた』
永那ちゃんを見ると、あからさまにションボリした顔と目が合う。
『それで?』
『千陽も穂の家に行きたいとか言い始めた…』
思わず目を白黒させる。
どうすればいいかわからず、永那ちゃんを見る。
顔を机に突っ伏してしまっている。
その姿に苦笑して、佐藤さんを見た。
彼女は状況を察しているかのように、私と目が合って笑みを浮かべた。
そっと目をそらす。
とりあえず保留にすることにして、私はバインダーを開く。
テストは12時に終わった。
「ねえ、永那から聞いたでしょ?」
片付けをしていたら、そう話しかけられた。
声のするほうに顔を向けると、佐藤さんが立っていた。
「ああ…家に来たいって」
「そう。…あたしはだめ、なんてことはないよね?」
その断れない聞き方に、少し胸がザワつく。
「穂、無理だったら全然いいよ」
佐藤さんの後ろから永那ちゃんが顔を出す。
「え?あたし、ハブられるの?」
佐藤さんの声が、不安そうに震える。
「違うよ。そもそも私も行くのやめるって話」
永那ちゃんの急な提案に、私は唖然とする。
想像以上に、私は永那ちゃんと過ごすことを楽しみにしていたのだと知る。
佐藤さんがいてもかまわない。…それでも一緒にいたい。
「あ、いや…大丈夫だよ」
2人の視線が同時に私に向く。
片方は笑顔を作って、片方は困ったようにハの字眉になった。
結局3人で私の家に向かう。
本当だったら永那ちゃんと手を繋いで帰れたのだろうけれど、佐藤さんがいる手前、それは叶わない。
佐藤さんが永那ちゃんの腕に抱きつく。
彼女の豊かなそれが、なんだか妬ましい。
途中コンビニに寄ってお昼を買う。
…そういえば、前に佐藤さんが教室を出て行って永那ちゃんが追いかけたときの話、まだ聞いていないな。
2人でどんな話をしていたんだろう?
モヤモヤした気持ちを抱えたまま、私は無言で歩く。
2人の会話についていけないから。
永那ちゃんが何度か話題を振ってくれるけれど、つい素っ気なくしてしまう。
そのうち私だけが1人で前を歩いて、2人がついてくるような形になった。
永那ちゃんが隣を歩こうとするけれど、佐藤さんがそれを阻む。
永那ちゃんは私のなのに。
暗い渦がグルグルと脳内を巡る。
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