第26話 王子様
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中学のときのいじめは陰湿だった。
でも、そのおかげで
あたしは勉強もそこそこ出来たし、ママがお洒落だから、その影響であたしもお洒落が好きになった。
小学4年生くらいまでは、大人からも同級生からも「可愛い」ともてはやされて生きてきた。
でも高学年になって、みんなが恋をするようになって、変わった。
興味もない、名前も知らない、顔も知らない、そんな人達に「好き」「彼女になってほしい」「付き合ってほしい」と言われた。
最初は悪い気はしなかった。
でも友達に無視され始めて、最初は理解できなくて、そのうち悪口を言われて、気づいた。
強がれるのも、1年くらいだった。
学校に行けなくなって、お洒落も嫌いになった。
「お腹痛い」という言葉をママが信じてくれたのは1週間くらいだった。
「早く学校行けよ」
そんな言葉を投げつけられて、あたしは家を出る。
でも学校には行けないから、公園で時間を潰した。
公園で1人で遊んでいたら、大人の男に話しかけられた。
寂しかったから話し相手をしていたら、体を触られた。
気持ち悪かったけど、どうすればいいかわからなくて、逃げられなかった。
あたしは泣いて帰った。
ママは彼氏と電話していて、あたしが帰ったことにも気づかなかった。
パパにも彼女がいるみたいだった。
2人ともあたしじゃなくて、スマホに夢中だった。
たまにママがあたしの写真を撮って「かわいい~」と褒めてくれた。
それがあたしにとっての日常だった。
あの男に会わないように、別の公園に行くようになった。
そこそこ大きな公園で、たくさん人がいたから、しばらくは安心できた。
でもあるとき「
その男はヒョロッとしていて、優しそうな笑顔を浮かべていた。
「誰?」
「お兄さんね、君のママのお友達なんだよ」
「…もしかして、ママの彼氏?」
男の目が見開いて、ニマッと笑った。
「そうそう、ママの彼氏」
ママの彼氏にしては地味だなあと思ったけど、そのときのあたしは自分の名前を知られていたことで、信じてしまった。
「ママに頼まれて、千陽ちゃんのお迎えに来たんだよ?」
そう言われてついていくと、見たこともないアパートだった。
「さあ、行こう」
怖くなって、男に引かれた手を振り払った。
また捕まりそうになったけど、必死に走った。
男に掴まれた手がジンジン痛んだ。
怖くて怖くて仕方なかった。
帰ってママに彼氏の写真を見せてもらったら、顔が全然違った。
ママは呑気に「パパには内緒だよ」と言った。
手が震えた。
震えが止まらなくて、そのときばかりはママも心配してくれたけど、理由は話せなかった。
中学生になってスマホを買ってもらって知った。
ママはSNSであたしのことを晒していた。
SNS上では「優しいママ」とか「育児頑張っててえらい!」とかママに対する賞賛のコメントと共に「千陽ちゃん可愛すぎ」「芸能界入れるんじゃない?」とか、勝手にあたしのことが書かれていて、吐き気がした。
あの男はきっと、ママのSNSからあたしを特定したのだろう。
もう公園は怖くて、仕方なく学校に行った。
相変わらず無視されていたけど、気にしないように努めた。
ふと、むしろ男子に好かれて守ってもらったほうがいいんじゃない?と閃いた。
それからあたしはまたお洒落を始めて、ママが彼氏に甘えるみたいに男子に甘えた。
そうしたらすぐに彼氏ができた。簡単だった。
手を繋ぐのは気持ち悪かったけど、我慢した。
中学生になってもあたしは同じようにした。
でも、小学生のときの無視や悪口とは違って、机やノートに落書きされ始めて、物が隠されたり捨てられたりするようにもなった。
どうせ付き合うならイケメンがいいと思って声をかけた男子には彼女がいたらしく、その女から執拗にいじめを受けるようにもなった。
今時こんないじめあるの?って笑っちゃうくらい。
トイレの便器の中に顔を突っ込まれたときは、さすがに泣いた。
中学生にもなると、みんなセックスに興味を持ち始める。
イケメン彼氏も例外ではなく、そういう雰囲気になって、あたしは逃げ出した。
何度か曖昧に濁していたら、避けていると振られた。
そしてその後はだいたい、悪口の嵐。男からも女からも。
これ幸いと言い寄ってくる男もいた。
最初はそいつらと付き合ったけど、やっぱりみんな体目当てで、あたしは何度も1人で吐いた。
クラスのグループメッセージで、授業中にあたしの悪口が飛び交う。
あたしの成績はどんどん下がっていき、自分の存在意義がわからなくなった。
そんなときだった。
まだ肩くらいまで髪があった永那が声をかけてくれたのは。
永那を見た瞬間、綺麗な人だと思った。
冷めたような目で、吐くあたしを見下ろして「なにやってんの?」と聞いてきた。
「大丈夫?」
背中をさすってくれる手が優しくて。
でも最初は信じられなくて、少し怖かった。
その恐怖心は、彼女の笑顔で全てかき消えたけど。
***
いじめられていることを全部話した。
「噂では聞いてたけど、相当やばいね」
なぜか永那は楽しそうに笑った。
彼女が笑うから、なぜかあたしも笑った。
「そんな男好きなの?」
そう聞かれて、あたしは即答した。
「男は嫌い」
永那が驚く。
「じゃあ、なんで男に媚売ってんの?」
“男に媚売りまくってて気持ち悪い”
女から言われる悪口ナンバーワン。
でも永那に言われるとなぜか嫌な気はしなくて、それが不思議だった。
「昔、ストーカーされたことあって、怖くて、守ってもらうため。…彼氏がいれば、一時的にでも学校でも1人じゃなくなるし」
「ふーん」
永那は、まるでなんでもないことのように頷く。
「変なの」
その言葉には少し苛ついた。
仕方ないじゃん、それしか自分を守る方法がわからなかったんだから。
「それでいじめられて吐いてるなら、本末転倒じゃん」
そう言った彼女の笑顔が、今でも忘れられない。
校舎裏で2人で並んでしゃがんでいた。
陰になっていたのに、ちょうど太陽が顔を出して、彼女を照らした。
それがあまりに綺麗で、あたしは見ていられなくなって、俯いた。
「…でも、どうすればいいかわからない」
「んじゃあ、私を好きってことにすれば?」
「え?」
「男嫌いなんでしょ?でも向こうが勝手に言い寄ってくる。それでいじめられる。ストーカーといじめが怖いから彼氏作ったけど、彼氏と手を繋ぐのも気持ち悪くて、結局振られて、みんなの人間関係ぶち壊して、もっと酷いいじめを受けてる…そうでしょ?」
まるで簡単なことみたいに完結にまとめられて、私はただ呆然とした。
「言い寄ってくる男に言ってやれよ。“私は
彼女がケタケタ笑った。
あたしの王子様だと思った。
ちょうど学年が変わるときで、すぐにクラス替えがあって、永那と同じクラスになった。
奇跡に思えた。運命の人だとも思った。
あたしは永那に言われた通り、みんなに言ってやった。
「お前の彼氏なんか興味ない。あたしは永那が好きなんだ」って。
「あんた誰?…あたし、永那が好きだから、ごめんね」って。
そしたら、みんなのあたしを見る目が変わった。
最初は好奇の目で見られていた。
でも永那は人気者だったし、そのうち当たり前みたいになった。
あるとき、永那の首筋に痣みたいなのができていた。
「永那、これ、どうしたの?」
聞いたら、彼女はスマホのカメラで確認して、舌打ちした。
あたしだけに見せる姿。
普段の彼女はいつもニコニコしていて、ノリも良くて、優しい。
でも、あたしの前では違う。
よく怒っていて、イライラすると舌打ちする。
永那は首筋の痣を擦る。
「もう我慢の限界だわ、ちょっと行ってくる」
そう言ってどこかに走り去って行った。
あたしは校舎裏で、そのまま彼女が帰ってくるのを待った。
しばらくボーッと空を見ていたら、永那は帰ってきた。
「どこ行ってたの?」
「先輩のとこ」
「長かったね。なんだったの?」
永那の眉間にシワが寄る。
「振ってきた」
振ってきた?
意味がわからなかった。
「どういうこと?」
永那の冷たい視線があたしに降り注ぐ。
「先輩が“好き”って言うから、振ってきた」
それが、痣とどういう関係があるんだろう?
「私、ずっとその人とセックスしてたんだ」
永那がニヤリと笑った。
キーンと耳鳴りがして、頭が真っ白になった。
「これ」
永那が痣を指さす。
「キスマーク」
目の錯覚なのか、痣だけが浮き出るみたいに強調された。
「永那は、よくセックスするの?」
なんとか放った言葉はそれだった。
「まあ、たまにねー」
予鈴が鳴ったから、永那は立ち上がる。
あたしが立ち上がらないでいるから、手が差し伸べられた。
そっと手を重ねると、そのまま引き上げてくれる。
あたしはよろめいて、そのまま彼女の胸に寄りかかった。
見上げると、彼女が薄く笑っていて、ドキドキした。
永那は毎日家まで来てくれたし、帰りは送ってくれた。
毎日それが嬉しくてたまらなかった。
先輩の話を聞いたとき(浮かれちゃだめなんだ)って思った。
永那は、断れなくて先輩とセックスしていたと言っていた。
でもそのうち調子に乗られて、恋人面されて、わかりやすいところにキスマークまでつけられたから、腹が立って振ったのだと。
だからその話を聞いて、永那は私を守るように振る舞ってくれるけど、それで浮かれちゃだめなんだって。
浮かれたら、永那に嫌われちゃう。
それだけは絶対に嫌だった。
ずっとそばにいられれば良い。そう思ってた。
「昨日、初めて男とセックスしたんだけどさ」
いつも通り校舎裏で2人で話す。
朝なのに、永那はおかまいなしに、普通に話す。
ここで初めて、あたしは永那の初めての相手が女だったのだと知る。
「なんか、ちょっと嫌だったわ」
いきなりいろんなことを知って、正直パニックになりかけた。
でも“浮かれちゃだめ”と思っていたあたしは、必死に冷静を装った。
これは“浮かれる”じゃなくて、“驚いた”だけだったんだけど、そのときのあたしは常に普通にしていることが大事だと思いこんでいたから、必死に普通のことみたいに話を聞いた。
「そうなんだ」
「千陽ってセックスしたことある?」
その質問にどう答えるのが正解なのか、あたしにはわからなかった。
でも、これだけ永那がセックスの話をするのだから、あたしが話についていけないと思われるのはだめだと思った。
だから「あるよ」と嘘をついた。
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