第53話 噂

「先輩、いますか?」

日住君の声で意識が戻る。

「いるよー。ちょっと待って」

私は目覚めたばかりの重たい体をなんとか立ち上がらせて、テントを開けた。

時計を見ると、目を閉じてから5分くらいしか経っていなかった。

「すみません、休んでましたよね?」

「ああ、うん。大丈夫。…どうしたの?」

「あの、さっきの…山での話の続きがしたいと思って」

私は何度か瞬きをして、一気に目が冴えた。

日住君を中に入れて、向かい合って椅子に座る。

「…先輩」

「ん?」

「俺、先輩が好きです」

まっすぐ見つめられる。

あれ?告白しない予定だったのでは?と、目を白黒させる。

「先輩、気づいてましたよね?」

思わず顔が引きつる。

私って、そんな分かりやすいのかなあ?

「…まあ、気づかないほうがおかしいか。“綺麗”なんて言っちゃって…金井に言われて、自分でもあの後反省しました」

…ああ。そのときは…まだ気づいてなかったな。

心の中で苦笑する。

「さっきも、焦って、先輩をまたお祭りに誘ったりして…迷惑でしたよね、すみませんでした」

「迷惑なんかじゃ、ないよ」

鼓動が少しずつ速くなっていく。

沈黙がおりて、どうすればいいのかわからない。


「俺、先輩達の仲を壊したいわけじゃないんです。先輩に何かを求めてるわけでも…ありません」

「うん」

「ただ、俺…ずっと、本当に、先輩が好きで」

日住君は俯いて、膝の上で両手を握りしめていた。

「なんで、俺もっと早く言わなかったんだろう?とか、すごい、後悔して」

そのうち手が震え始めて、彼の手の甲に雫が落ちる。

「すみません」

私は唾を飲むことしかできなくて、ただ彼を見つめる。

「元々、生徒会入ったときから、先輩のことかっこいいなって思ってて。でもたまに見せる、楽しそうに笑う姿が、綺麗だなって思うようになって」

彼が鼻を啜る。

「先輩が話しかけてくれるのが嬉しくて…俺、全然真面目なんかじゃなかったんですけど、生徒会、すげー頑張ったんです。目立ちたくて入ってみただけだったんですけど。気づいたら、真面目で良い人みたいになってて…そういう、成長?みたいなのできたのも、先輩のおかげだなって思ってるんです」

そんなふうに思ってくれていたなんて、全く知らなかった。

「でも先輩が恋愛に興味ないのわかってたし、俺なんかが告白してもどうせダメだろうって思って、何もしなかった…。恋愛に興味ない姿もかっこいいって思ってたから、余計何もしなかった」

Tシャツの袖で、涙を拭く。

「でも、めっちゃ後悔した…。両角先輩見た瞬間から、なんか嫌な予感して、すげー後悔した」

そうだ。彼は私に言っていた。

“嫌な予感がした”と。


「中ニの夏、先輩が浴衣姿で歩いてるの見て…ドキドキしたんです」

…え?

「ドキドキしすぎて、話しかけられなくて」

彼が鼻を啜りながら、ヘヘッと笑う。

「そのときから“ああ、これが恋なんだな”ってハッキリわかりました。去年も、お祭りのときに先輩を探したんですけど、見つからなくて…。もう一回見たいなって、思ったんです。そしたら、諦められるかなって思って」

「そうなんだ…。去年はお祭り行かなかったから…」

「そりゃあ、見つからないわけですね」

涙で濡れる長いまつ毛が上向く。

彼が私を見て、笑う。

「でも昨日…見れた」

はにかむ彼は、いつもの彼だった。

「やっぱ、綺麗でした」

彼が伏し目がちになる。

…昨日の浴衣姿が?

浴衣は民宿のロゴが入ったもので、髪も適当に結っただけだったのに。

「昨日見れたんだし、欲張っちゃダメだよなって…さっき思って、振られに来ました」

へへへと笑ってから、彼は深呼吸する。

まっすぐ私を見て、「先輩、できれば、ハッキリ言ってほしいです」と言った。

「…じゃないと、たぶん諦めつかないんで。お願いします!」


「えっと…」

ハッキリ?…どうやって?

“ごめんなさい”って言えばいいの?

初めての展開で、頭が真っ白になる。

ジッと彼に見つめられる。

私が悩んでいるのがわかったのか、日住君が笑う。

「先輩、好きです。俺と付き合ってください」

優しく微笑まれて、胸がチクチクと痛む。

「…ごめんなさい。私、好きな人がいるから」

気づけば、私の瞳から雫が溢れ落ちていた。

「せ、先輩?…なんで?」

日住君が両手を宙に彷徨わせる。

「あ、ごめん。なんでだろう?」

私は笑みを作りながら、指で涙を拭う。

「あの、すみません。俺…俺のせいで…」

「違う違う。…自分でも、よくわからなくて。日住君のせいじゃないよ」


涙が止まって、ホッとする。

パタパタと手で顔を扇ぐ。

「あの…私、今年はお祭り行くよ」

「え?」

「一緒には行けないけど。もし見かけたら、今度は話しかけてね?」

私が笑うと、彼の顔がピンク色に染まった。

「ああ、でも…ちゃんと、金井さんのことも見てあげてね」

そう言うと、彼は何度か瞬きして、眉を下げた。

「はい」


***


昨日の旅行を振り返って2人で話していたら、みんなが帰ってきた。

金井さんが私と日住君を交互に見た。

私のことをジッと見つめてから、「2人で何してたの?」と日住君に聞いた。

「べつに、休んでただけだよ。…みんな帰ってきたからあっちに戻るかな」

そう言って、彼は自分のテントに帰った。

「30分休んだらレストランに行こうって、生徒会長が言ってましたよ」

日住君が座っていた椅子に金井さんが座る。

「わかった」

「先輩、泣きました?」

まさかバレると思わなくて、顔を両手で隠した。

「何話してたんですか?」

「秘密」

「だめです、教えてください」

「教えない」

寝るまでに、何度か問答を繰り返したけど、私は秘密を貫き通した。

金井さんの迫り方が怖い…!よく頑張ったよ、私。


次の日、川で釣りをして、そのままバーベキューを楽しんだ。

なぜ私が泣いたのかは、わからない。

でも日住君との関係は変わることはなく、今までと同じように話せたのは嬉しかった。

2時には帰途についた。

最寄り駅に3時半について、私は小走りに帰った。

この時間なら、まだ永那ちゃんがいるかもしれないと思って。


ドアを開けて、玄関に靴があるのを確認する。

「永那ちゃん!」

「…穂?」

リビングからひょこっと顔を出した永那ちゃんを見た瞬間、抱きついた。

「穂、おかえり」

ギュッと抱きしめてくれる。

緊張していた体から力が抜けていく。

「ただいま」

「姉ちゃん」

永那ちゃんの後ろに誉が立っていた。

「誉、具合は?」

「もう平気」

「そうなの?今回は早かったんだね」

永那ちゃんを抱きしめながら、誉の額に手を当てる。

「本当だ」

熱は下がっているみたいだった。

「姉ちゃん…どんだけ永那とくっついてんだよ」

そう言われて、カーッと顔が熱くなる。

パッと離れると、永那ちゃんが笑った。


私は笑った彼女の頬を両手で包んだ。

ジッと彼女の目を見る。

「あんあよー、ふい」(なんだよー、穂)

包むというより、ぶちゅーっと顔を潰していて、手を離す。

「永那ちゃん、寝てないよね?」

睨むと、永那ちゃんが目をそらす。

「酷いクマだよ!何やってるの!」

そして彼女が咳をする。

「風邪引いたの!?」

「…熱は、ないよ?」

眉頭に力が入る。

…よく、風邪を人にうつすと、うつした側の治りが早いなんて聞くけど…本当なのかな?

絶対違うと思うけど、それを信じてしまいそうになるほどに誉の治りが早くて、頭痛がする。

「もう…今日は家まで送る」

「え!?いいよ!」

「だめ」

私は強引に永那ちゃんに帰り支度をさせる。

「誉、また月曜なー」と言って、永那ちゃんは渋々出ていく。


私達は手を繋いで、駅に向かう。

「穂、どうだった?」

「んー…楽しかったけど、疲れた」

「そっか。おつかれさま」

「ありがとう。…ああ、永那ちゃんも、誉の世話ありがとう。おつかれさまでした」

「いえいえ。楽しく過ごせたよ」

「それならよかった」

誉と何をしていたのか聞いたら、誉の熱は次の日(昨日)には平熱に戻っていて、2人でずっとゲームをしていたという。

念のため外には出なかったと自慢気に言っているけど、(安静にしててよ…)と思ってしまう。

お母さんがお礼のお菓子をテーブルに置いといてくれて、それが嬉しかったらしい。

でも結局2人で食べたと…。後で誉を叱らなければ。

「ねえ、穂。旅行の写真ないの?」

もうグループのメッセージにはみんなが撮った写真が追加されていた。

私も今初めて見るから、どんな写真があるのか知らない。

「あ、永那ちゃんにお土産買ったのに、わたすの忘れた」

普段誰にもお土産なんて買ってこないから、わたす習慣がなかった…ショック…。

「いいよ、月曜日ちょうだい」

永那ちゃんが楽しそうに笑って、私のスマホを奪った。


彼女がスクロールするスマホを、私が覗き込む。

「わ!穂、浴衣だ!」

「あー、うん」

「いいなあ、私も見たかった」

みんな、そんなに浴衣姿って見たいものなの?

「…永那ちゃんは、お祭り行けないよね?」

永那ちゃんが心底悲しそうな表情を浮かべる。

「うん…ごめん」

「いいよ、いいよ。私、去年も行かなかったし。すごい楽しみにしてるわけでもないから」

「そっか…。いつか一緒に行けたらいいな」

「そうだね」

私は笑うけど、永那ちゃんの顔は浮かなくて、髪を撫でた。

少し笑みを作ってくれるけど、またすぐに悲しげな目をする。


電車に乗ると、涼しい風に晒される。

私達は隣に座って、指を絡める。

「そういえば、永那ちゃん?」

「ん?」

「あのね…永那ちゃんと佐藤さんが付き合ってるんじゃないかって噂があるんだって」

「ああ…そんなの、昔からだよ」

「そうなの?」

「うん、千陽が抱きついてくるからねー。…誰かから聞いたの?」

「…うん。キスしてたって」

永那ちゃんが私の肩に頭を乗せていたけど、バッと起き上がった。

「は?…誰、そんなこと言ったの」

「誰が言ったかはわからないけど、生徒会の子が聞いたって言ってた」

永那ちゃんの眉間に深いシワが刻まれる。

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