第52話 噂
私はようやく深呼吸して、頭が冷静になる。
「私が彼を振ったところで、金井さんが彼と付き合えるとは限らないでしょう?」
「はい。それはわかっています。でも、可能性は生まれます」
「…可能性」
「はい、ほんの少しの可能性でいいんです。今のままだと成功率は0%。先輩に振られたら…3%くらいには上がるんじゃないですか?」
たった3%でも、彼女は可能性を上げたい。
…そんな必死な感情…執拗な感情、私にはわからない。
とても共感できるような話じゃなかったし、協力したいとも思えない。
私はため息をつく。
「私は、彼が本当に私を好きでいてくれて、彼が告白したいと思ったなら、そのときは真剣に向き合う。…でも今は、彼から直接何か言われたわけじゃないし、私から何かをするということは、ない」
「そうですよね」
金井さんは、分かりきっていたかのような落ち着きようで、拍子抜けする。
「ハァ」と彼女は息を吐く。
パンッと手を叩いて、金井さんが笑顔を作る。
「先輩、話を聞いていただき、ありがとうございました」
思わず眉間にシワを寄せる。
彼女の顔が近づいて、耳元で言われる。
「先輩があまりに鈍感だから、ただ、気づいてほしかっただけです。…だって、日住君が必死にアプローチしてるのに何も気づかれないなんて、あまりに日住君が可哀想じゃないですか?」
フフッと笑って、私から距離を取る。
タイミングを見計らったかのように、日住君達が階段をおりてきた。
「あれ?金井と空井先輩。売店見てたんですか?」
「うん」
「良いものあった?」
「特には」
金井さんが平然と答える。
…本当に、恐ろしい子。
本当、人って何を考えているのか、見た目じゃわからないものなんだね。
「空井先輩?」
日住君の大きな瞳が私に向く。
「どうしました?…具合とか、悪いですか?」
「いや、全然。元気だよ」
作った笑顔がぎこちないのは、自分でもわかる。
売店の前で話していたら、同級生の2人も合流した。
みんなで夕飯を食べて、日住君が「この後みんなでトランプでもしません?」と提案した。
とりあえず各自お風呂に入ってから、男子部屋に集合することになった。
私はなんだか、心も体も重い。
金井さんが、夕食が意外にもおいしかったと横で話しかけてくるけれど、私は相槌を打ってぎこちない笑みを浮かべることしかできない。
このメンツでお風呂…。
これなら1人のほうが百倍マシだ。
同級生の2人はコソコソ話している。
もう、あの2人は放置でいい。
たぶん話しかけてくることはないだろう。
私が重い体で一生懸命服を脱いでいると、視線を感じた。
ジッと金井さんに見られている。
「な、なに?」
「いえ…なんでも」
唇をペロリと舐める仕草が、なんでもないようには全く思えない。
彼女の目がそれたうちに、いそいそと浴場に向かう。
体を洗っていたら、隣に彼女が座るから、自然と顔が彼女とは反対側に向く。
「そんなに警戒しないでくださいよ」
そう言われて、彼女を見る。
フッと笑って「先輩って、本当に可愛いですね」と言われた。
なんでここで“可愛い”になるの!?
わけわかんないよ!
「さっきの話、全部本心ですけど、最後に言ったのが、本当に先輩に伝えたかったことですよ」
“日住君が必死にアプローチしてるのに何も気づかれないなんて、あまりに日住君が可哀想”
彼女の言葉を思い出す。
「見てて、ただ辛かったんです」
彼女も体を洗い始める。
…金井さんが、わからない。
怖かったり、優しかったり、フラフラとどちらにでも傾くような…その感じが。
「いっそ先輩が振ってあげれば、辛い時間も短くなるのにって」
でも今は、彼女の言葉を信じようと思う。
好きな人にアプローチしているのに気づかれない。…それは、辛いよねって思う。
たしかに、そうだよねって。
「ありがとう、教えてくれて」
フゥッと息を吐いて、シャワーで体を流す。
彼女を見ると、首を傾げていた。
私は笑う。
「私、絶対気づかなかったと思うから。知れてよかったよ。…まあ、だからってどうすればいいのかわからないけど」
「…やっぱり先輩は、すごいですね」
「え?」
「私だったら、こんなこと他人から言われても、ただ迷惑だと思うので」
…自分で言ったのに。
思わず苦笑する。
ほんの少しだけ心が軽くなって、お湯に浸かる。
「はあ~」と声が出て、体の疲れも癒やされていく。
お風呂から出て、浴衣を着る。
暑いけど、ドライヤーで髪を乾かす。
金井さんが隣に座って、私を見た。
「なに?」
ドライヤーを止めて声をかけると「待ってるだけです」と言われた。
「金井さんはドライヤー、かけないの?」
「暑いので、後にします。部屋にもあったみたいなので」
私は頷いて、ドライヤーを再開する。
こうもジッと見られていると、やりにくい。
少し湿っているけど、ササッと終わらせて、髪を結ってお団子にした。
***
男子部屋をノックする。
「はいはーい」と日住君の声が聞こえて、ドアが開く。
「空井先…輩…どうぞ」
彼の目が大きく見開かれて、全身を見られた後、俯かれた。
頬がピンク色に染まって、頭をポリポリと掻いている。
…ああ、なんか気まずい。
“綺麗”なんて言われた後だし、余計に気まずい。
彼の後に続いて、私達は部屋にお邪魔した。
既にトランプとUNOが並んでいて、生徒会長が1年生とスピードをしていた。
「お茶飲みます?…あ、さっきジュースも売店で買いましたけど、どれがいいですか?」
日住君が聞いてくれる。
「私、ジュース」
金井さんが口元を緩めながら答える。
「オッケー、先輩方は?」
2人もジュースと答えて、私はお茶をお願いする。
…今からジュースを飲んだら、虫歯になりそうだから。
夜のゲームは、けっこう盛り上がった。
私の飲み物がなくなると、すかさず日住君が話しかけてくれるから、なんだかその優しさにいたたまれなくなる。
何度か彼と目が合って、私は曖昧に笑うことしかできなかった。
10時にお開きになって、私達は部屋に戻った。
次の日が山登りだから、私達は歯磨きをして、すぐに寝た。
大きな荷物は駅近くのロッカーに預けた。
私はボストンバッグから折り畳めるリュックを出して、最低限の荷物を移した。
思っていたよりも山道は険しくて、何度か滑りそうになるたびに、日住君が支えてくれた。
…前だったら、“後輩に迷惑をかけて申し訳ない”とか“先輩の威厳が”とか呑気に思ってたんだろうなあ。
日住君は、私だけを特別扱いするわけでもなく、女子全員に優しかった。
こんなアプローチじゃ、わからないよ!と、怒りたくなる。
…っていうかこれ、アプローチなの?
私には違いが全然わからない。
金井さんに教えてもらってもわからないんだから、教えてもらわなければわかるはずがない。
山頂につくと、ちょうどお昼の時間だった。
コンビニのおにぎりでも、自然の中で食べると不思議とおいしい。
たまにはこういうのも良いよね。
家で作るおにぎりは、海苔がしにゃっとしているけど、コンビニのはパリパリで。
景色を眺めながらご飯を食べていると(永那ちゃんは、何してるかなあ?)なんて考える。
相変わらず、おはようのメッセージは送り合っているけれど、それ以外には何もないから、彼女がどんなふうに過ごしているのかはわからない。
そして、佐藤さんとの噂を思い出す。
ぶんぶん首を横に振って、永那ちゃんの笑顔を思い浮かべる。
でもすぐに(あの日のこと、メッセージで聞いたときは“今度話す”って言われたけど、結局言われてないな)…なんて、またネガティブなことを思う。
「先輩」
日住君が隣に座る。
驚いて、肩が上がる。
「あ、すみません。驚かせちゃいました?」
「いや、大丈夫…ごめん、なに?」
「あー…特に用事はないんですけど…先輩が1人で食べてたので、来ちゃいました」
日住君の手には、食べかけのおにぎりが握られていた。
金井さんのほうを見ると、他の1年生と話していた。
「先輩、最近金井と仲良いですよね」
日住君が笑う。
「そう、かな?…日住君も、金井さんと仲良いんじゃない?」
「どうなんですかね?たしかに最近、一緒に遊んだり話すことは増えましたけど。正直、金井って何考えてるのかよくわからなくて」
一緒に苦笑する。
「でも、夏祭りも一緒に行くんでしょ?」
「…はい、まあ。他の人も誘おうと思ったんですけど、2人がいいって」
「へえ、青春だねえ」
私は膝に頬杖をついて、景色を眺める。
「俺は…先輩とも一緒に、行きたかったです。2人で」
横目に彼を見る。
「2人で…」
「あの、お祭りって土日両方あるじゃないですか?土曜は金井と行きますけど、日曜一緒にどうですか?」
私は笑みを作る。
「んー…2人だと、永那ちゃんに怒られるかも」
そう自分で言って、彼に酷なことを言っていることを認識しているからか、胸が痛む。
「あ、そうですよね。すみません」
彼はへへへと笑う。
「ねえ、日住君」
「はい」
「日住君の好きな人って、どんな人?」
「えっ…どうしたんですか?急に」
「いやあ…日住君に相談に乗ってもらっておきながら、私は日住君の話、何も聞いてあげられてなかったなって思ってさ」
「俺の話は…いいですよ」
頬杖をついたまま、顔を彼に向ける。
「したくない?」
「そういうわけでは…ないですけど」
「…じゃあ、いつから好きなの?」
日住君は耳を赤くしながら、目を彷徨わせた。
「中二のときからです」
驚きを隠せない。
…そんなに前から?
「告白しないの?」
大きく目が見開かれる。
すぐに俯いて、ポリポリと頭を掻く。
「告白しても、叶いそうにないので」
「そうなんだ」
「はい」
しばらくの沈黙がおりた後「でも」と小さく聞こえる。
「いい加減、諦めなきゃですよね」
私は、何も言えない。
自分から話を振っておきながら。
お互いに無言で時間が過ぎていき、そのうち生徒会長が「そろそろ下山するかー!」と言った。
「行きますか」と日住君が笑うから、私は頷いて立ち上がる。
キャンプ場で宿泊するのは初めてのことで、少しドキドキした。
テントが設置されていて、1つのテントにつき4人眠れるようになっていた。
民宿と同じように男女で分かれる。
大きなキャンプ場で、キャンプ場内にレストランと温泉があった。
今夜はレストランで食事をして、明日はバーベキューだ。
アクティビティもできて、早めに到着した私達は荷物を置いて遊んだ。
私はかなりの疲労感があったから、早々にテントに戻ったけれど。
「ハァ」と大きなため息をついて、椅子にドカッと座る。
「疲れたなー」
腕を目元に置いて、目を瞑る。
意識が遠のいていく。
テントなのにエアコンがついていて、テント内は涼しい。
巷では、こういうものを、グランピングと言うらしい。よくわからないけど。
「ハァ~」
汗が引いていく。
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