第51話 噂
「ハァ」とため息をつかれる。
「まあ、いいです」
そう言って、金井さんが窓辺から離れる。
彼女がいなくなってしまったから、私も離れる。
「空井さん」
同級生に話しかけられて、ビクッとする。
「な、なに?」
「やっぱり両角さんと佐藤さんは、空井さん…引いては全員に内緒でこっそり付き合ってるってことは、ないですかね?…そういう、怪しいなって雰囲気ありませんでした?」
「え?どうして?」
わけがわからない。
「いや、あの…私達の情報によれば、2人がキスしていたっていう情報があってですね…」
私は眉頭に力が入る。
首を傾げる。
「いつの話?」
「1ヶ月くらい前ですかね?」
1ヶ月前?
「どこで?」
「校舎裏です。佐藤さんが両角さんに迫っていたという情報が…。私達は、やっぱりかっこいい両角さんが攻めで、可愛い佐藤さんが受けだと思っていたのですが、実は逆だったのかもしれない…と、大興奮したものです」
心の中にモヤモヤが生まれる。
1ヶ月前、校舎裏?
「授業中だったようで、見た人は1人だけなので、作り話かもしれないのですが」
胸にズキリと痛みが走る。
授業中、校内で、なんて、一度しかない。
「トイレに行ったときに見たって言ってたから、見間違いの可能性もあるよね」
「そうだね。でも、私はやっぱり、信じたい!」
“いいなあ、私も学校でしてみたいなあ。絶対ドキドキするよね”
男同士でキスしていたという噂で盛り上がったとき、永那ちゃんはそう言ったって言ってた。
だから、佐藤さんと、校内で、キスした?
私とはできないから?
…でもあれは、“ゲイ”ってことから話題をそらしたくて言ったことだとも言っていた。
永那ちゃんを、信じたい。
「そんなこと、どうでもいいじゃないですか」
金井さんの冷たい声が後ろから聞こえてくる。
「いい加減、そういう噂話、やめてもらえませんか?不愉快です」
「え?」
同級生の2人が顔を見合わせて、引きつらせた。
「相当暇ですね?人のことじゃなくて、自分のことに集中したらどうですか?」
「か、金井さん、それは…ちょっと、言い過ぎだよ」
私のために言ってくれている。
それでも、まだ初日なのだから、空気を悪くしないように…という思いが私の脳内でかけ巡る。
「なんでですか?空井先輩も不愉快でしょう?友達がそんなふうに、勝手に噂されて。嫌じゃないんですか?」
友達。
金井さんの気遣いが、伝わってくる。
友達が、そんなふうに噂されていたら…私も、嫌だ。
“ハッキリ言っていい”
永那ちゃんが、そう言ってくれた。
…そうだった。また私は、我慢していた。
「…嫌だ。…うん、嫌だ。友達のこと、勝手に言って、勝手に妄想しないで。いや、妄想は自由かもしれないけど、せめて私を巻き込まないで。知りたいなら、本人に聞いたらいいんじゃない?」
同級生の2人が目を見開く。
「ご、ごめんなさい」
2人が俯いて、正座した。
「空井先輩、少し宿の中を見て回りませんか?小さな売店もあったようですし」
「うん、そうだね」
「先輩方、私達はそのまま食堂に行くので、部屋の鍵は閉めてもらってかまいませんので」
「わ、わかったー」
2つ鍵をもらったから、そのうちの1つを手に取って、2人で部屋から出ていく。
「金井さん、ありがとう」
「いえ、私はただ、本当に不愉快だったから言っただけです」
「そっか。…でも、ありがとう」
金井さんが私をジッと見る。
「先輩、両角先輩と付き合ってから、変わりましたよね、本当。良くも悪くも」
「悪くも?」
「はい、全然自分の意見を言わなくなったじゃないですか。…ハッキリ言う姿、かっこいいなって思っていたのに」
それは、永那ちゃんにも言われたことに似てる。
永那ちゃんの言い方は愛があって、優しかったけれど、こうハッキリ言われると、嫌でも実感させられる。
「それは、自覚してるよ。…なんか、友達ができてね。ああ、今までいなかったんだけど…友達ができて、楽しくて、また昔みたいに、1人になるのが怖くなっちゃったみたいで。最近よく、空気を悪くしないようにって、我慢することが増えたなあって、思うよ」
「友達がいなかったって…そんなサラリと言われても困ります」
本当に哀れな人を見る表情を浮かべられて、そっちのほうが辛い。
「ちなみに、変わった良いところは…?」
辛くなった気持ちを紛らわしたい。
「話しやすくなりました。…丸くなったって言えばいいんですかね?」
「…その両立って難しくない?」
ハッキリ意見を言うけど、話しかけやすい人?
…ちょっと想像できない。
「まあ、難しいでしょうね。…でも、先輩ならできるんじゃないですか?」
予想外の、期待をかけられている言葉に、心がぴょんと跳ねた。
「“知りたいなら本人に聞けばいい”…すごくいい答えだと思いました。相手の知りたいという気持ちを否定せず、でも自分に害が及ぶことも回避する。…私は、思い浮かびませんでした」
金井さんに褒められると、なんだかすごく嬉しい。
普段から厳しく接せられているからかな?
「…やっぱり、私は先輩みたいにはなれませんね」
その言葉に、なぜかドキッとした。
どこかで…どこかで、聞いたような。
***
金井さんがジッと私を見る。
私は逃げるように、視線をそらした。
「あー、売店だ」
我ながら、わざとらしい。
…ちょっと待って。
私の脳みそが、そろそろ限界を迎えようとしている。
日住君の“綺麗です”発言。
(なんか、変だなあ)って思ったよ?
今日は珍しく苛ついていて、それも(どうしたんだろう?)って、思ったよ?
その前にも、清掃活動の日、一緒にお祭りに行こうと誘われたり…。
今まで一度も、プライベートで遊ぼうなんて言われたこともなかった。
もっと遡れば、体育祭の日…日住君に手を握られた。
永那ちゃんが“後輩君に喧嘩売られてるのかと思った”と言っていた。
金井さんは、日住君の好きな人みたいになれるように努力したと言っていた。
日住君の好きな人みたいになれないから、私の恋を応援すると。
それで…?
“やっぱり、私は先輩みたいになれませんね”
…私みたいに?
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
待って、待って。
だって、日住君とは中学のときからの仲で、あの頃から、私達はただ生徒会の日に一緒に帰るだけの仲だった。
プライベートで一緒に遊んだこともなかったし、誘われたこともなかったし、もちろん日住君から“好き”と言われたこともない。
それがどうして急に?
カフェで初めて恋愛相談したとき、彼は“好きな人がいる”と言った。
あのときから?
…それとも、もっと前?
なんで急に?
「先輩、このお饅頭おいしそうですよ」
そう声をかけられて、現実に引き戻される。
「え、ああ、本当だ」
私はお饅頭の箱を撫でる。
ただ撫でるだけで、頭は真っ白で、何も考えられない。
「私、早く日住君には当たって砕けてほしいんですよね」
私が金井さんを見ると、彼女は薄っすら笑みを浮かべていた。
「そうしたら、私が慰めてあげられるじゃないですか?…諦めたフリして強がって、いつまでも諦めきれないままでいられても困るというか」
私は彼女の意図をようやく理解する。
いつだったか“幸せになってください”と言われたけれど、あれは、日住君に私を諦めさせるため?
…こ、怖い。
「ようやくチャンスが巡ってきたんです、私にも」
昔読んだ童話に出てきたメデューサ。
それと目が合うと、石にされてしまう。
あくまでフィクションで、ファンタジーで、存在しない者。
でも、今私は石にされたような気分だ。
固まって、動けない。
「先輩が、日住君以外の人に恋をしてよかった」
棚を挟んで向こう側にいるのに、視線だけはずっとそらせない。
「いつまでもいつまでも、ビビってなんのアプローチもせず、ただ好きな人を見ているだけ。…そんな状態じゃ、私に勝ち目なんて少しもないじゃないですか?」
小さな売店の中を、金井さんはゆっくり見て回る。
彼女がフフッと笑う。
「日住君って優しいし、かっこいいし、たいていの女子は惚れると思うんですよ。私もたかだかその女のうちの1人。…でもみんなとは違う。みんなは猪突猛進に彼に告白するけど、私は彼と本当に恋仲になりたいからこそ、ジッとチャンスが来るのを待ち続けた」
一周して、彼女は私の元に戻ってくる。
「先輩が恋をして、その人と両思いになって、幸せそうにして、今更焦ってアプローチして、何になるんでしょうね?…しかも相手は女性。どこからどう見ても、圧倒的な敗北じゃないですか?」
金井さんの笑顔が、怖い。
でも、心に芽生えた違和感を、私は見逃せない。
「私はべつに、女性だから好きになったわけじゃない」
金井さんの笑顔がスッと消えて、真顔になる。
「はい。だから、先輩はそういう人なのに…1番チャンスがあったのに、彼はそれを活かさなかった。そっちのほうが、惨めです」
彼女の容赦ない言葉に、なぜかズキリと胸が痛んだ。
「“先輩の恋愛対象が女性”というのが彼を好きにならない理由なら、わりと簡単に諦めもつくでしょう。でも彼が諦められないのは、そうじゃないとわかっているから。…自分も必死にアプローチすれば、先輩は自分を見てくれるかもしれない。そんな淡い期待が残っているから。自分には誰よりもチャンスがあったのに、それを活かせなかったと後悔しているから、いつまで経っても諦めがつかない」
彼女の顔が近づいて、私は一歩後ずさる。
「だから先輩、早く彼の抱いている淡い期待を、粉々にしてくれません?…じゃないと私、彼に告白できないんです」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます