第10話 彼女

日住君が汗を拭いて座っていた。膝には唐揚げ弁当が乗っている。

生徒会メンバーと体育祭委員にはお弁当とお茶が支給される。

生徒会用のテントの端では、いつも購買でお会計をしてくれる女性がお弁当を渡していた。

生徒会メンバーと体育祭委員は腕章をつけているから、それが目印だ。

私もお弁当とお茶を受け取って、椅子に座る。

「なんとなくわかってましたけど…空井先輩、完全に両想いなんですね」

日住君が周りを見ながら小声で言う。

私はどう答えればいいかわからず、苦笑する。


日住君の隣に金井さんが座った。

少し身を乗り出して私に顔を向ける。

「空井先輩、さっき答えをハッキリ聞けなかったので、もう一度聞きます」

目が怖いよ、金井さん!

美人な顔立ちなだけに、睨むように見られると背筋がゾワリとする。

「あれはlikeですか?loveですか?」

しかも無駄に発音がいい!なんで!?

続々と生徒会メンバーが集まってきて「私も気になるー!」「あの子けっこうカッコ良かったよね」とかなんとか、3年生の先輩までもが悪ノリする。

タラタラと汗が落ちてくる。

「今まで空井さんの恋愛トークなんて聞いたことなかったもんねえ」

「私達が恋愛の話しても“恋をしたことがないのでわかりません”の一点張りだったもんね」

先輩達がこんなにも生き生きと話しかけてくれるのはいつぶりだろう…と、少し寂しく感じる。


「ま、まあ…みんなも、先輩方も、空井先輩が困ってるじゃないですか」

日住君が助け船を出してくれる。

「いやあ!空井さん、攫われてたね!」と、空気を読まない生徒会長がドッカリ椅子に座って言った。

「あれは盛り上がったね!」

せっかくの助け船が…と思っていたら、生徒会長はそのまま話し続ける。

「今年は点差がほとんどなくて良かったよ。大きな問題も今のところ起きていないし、このまま順調に体育祭を終えよう。みんな気を抜くなよ~!さあ!食べよう!そして午後を乗り切ろう!…いただきます!」

ガツガツとお弁当を食べ始め、豪快にお茶を飲む。

生徒会長の我が道を行くスタイルに救われる。

みんなも生徒会長に続いて「いただきます」と各々口にしてからお弁当を食べ始めた。


ホッとして、私もお弁当を食べる。

こまめに水分補給して、塩飴も舐めるようにしていたけれど、やっぱりご飯を食べると回復する感じがする。

食べながら、永那ちゃんの手のぬくもり、ゴールした時の嬉しさ、抱きしめられた時の恥ずかしさを思い出す。

永那ちゃんは今頃佐藤さん達とご飯を食べているんだろうな。…彼女達に何か言われてないかな?少し心配になる。


昼休憩が終わると、それぞれの組の応援団が応援合戦を始めた。

私達の学校には“応援団”という部活は存在しない。だからダンス部とチアダンス部が主体になって、毎年応援団員を募集する。

毎年校庭の真ん中で凝ったダンスを踊って、両脇で旗を振るのが恒例になっている。

勝っている組から先に披露して、最後はお互いの健闘を祈る。


私は綱引きに参加するので、スタート地点で待機する。

体育の授業中、体育祭の練習をした。綱引き、大縄跳び、リレーだけは練習をさせてもらえて、当日これらの競技に参加しない生徒達も一緒になってやった。

そこで声がけの仕方や、綱を持つ順番も決めた。


綱引きが始まり、クラスメイトからの声援が聞こえた。体育の授業で既に一体感が高まっていたからか、アドバイスするような声も聞こえてくる。

かけ声に合わせて、体ごと倒すように綱を引く。

クラスの待機場所からもかけ声が聞こえてくる。

そして、一気にグググと綱を引けた瞬間がきた。

相手の、1番手前に立っていた人が足を滑らせて体勢を崩したようだった。

そして私達は見事勝ち、赤組に貢献することができた。


その後も体育祭は順調に進んだ。

数人転んだ人もいたけれど、どれも大きな怪我ではなかった。

部活対抗リレーは、各部活を象徴する格好で行われる。例えば野球部であれば、試合のユニフォームを着てグローブを手につけながら走る。そしてそのグローブがリレーバトンの役割を果たす。

運動部と文化部は分けてレースを行った。

アニメ・漫画部はアニメキャラのコスプレをして、漫画をリレーバトンにしていた。

教員リレーでは、かなり年配の先生まで参加していて、生徒ウケも良かった。

最終競技のリレーも、1年生、2年生、3年生の部に分かれて行われ、大いに盛り上がった。


予定終了時間は4時半だった。

全ての競技が終わったのがちょうど4時半だったため、閉会式を含めると若干過ぎてしまった。

結果、優勝したのは白組だった。

接戦だったけど、最終的には30点の差をつけられて赤組は負けた。

勝っても負けても生徒達から不満の声は特に出ず、みんなやり切った表情をしていたのは確かだった。

大成功と言える。


***


体育祭委員と共に、生徒会メンバーは体育祭の後片付けをする。多くのクラスは今日打ち上げを開くらしいけれど、私達は参加できない。

体育祭委員の子達のなかには、途中参加すると言っている人もいる。正直、こんな疲労感のなか、途中からでも参加するなんてすごい体力だなあ…と感心してしまう。

そもそも明日も普通に授業があるのに、打ち上げを開けること自体がすごいと思ってしまう。

私達は今週の土曜日に打ち上げを開く。学校から予算が出て、バーベキューをする予定だ。(正確には生徒会の予算で賄われる)

…でも。クラスの打ち上げには永那ちゃんが参加するんだよね。

当然、体育祭委員でも生徒会でもない永那ちゃんは、土曜日のバーベキューには参加しない。

なるほど。途中参加でも行きたい気持ちがなんとなくわかった気がした。


全ての道具をしまい終える頃には、6時半になっていた。

急いで学校を出る人もいれば、少し休んでから帰ると言っている人もいる。

私はストレッチするように少し伸びて、帰る支度をする。

スマホを見ると『穂、終わったら教えて』とメッセージが入っていた。

「空井先輩、帰りませんか?」

後ろから日住君に話しかけられる。

「ああ、うん。帰ろうか」

スマホを鞄にしまって、私達は帰途につく。


「日住君」

学校が見えなくなった辺りで話し始めた。

「なんですか?」

「私ね、永那ちゃん…両角さんね。…永那ちゃんとお付き合いしてるの」

私が意を決して言うと、日住君が深呼吸する。

「ずっと日住君には言わなきゃって思っていたんだけど、体育祭の準備で忙しかったでしょ?だからなかなか言えなくて。…日住君には相談に乗ってもらったから」

日住君は笑いながら「俺は特に何も…」と小さく言った。

「まさか永那ちゃんが“好きな人”のカードを取って、私を連れて行くなんて予想外だったけど」

「ああ、みんなにすごい食いつかれてましたよね」

「特に金井さんが…。すごい真剣に聞かれてちょっと怖かったよ」

2人で笑い合う。


「ちなみに、空井先輩は両角先輩のどういうところを好きになったんですか?」

「えっ…うーん…。最初は、誰にでも分け隔てなく話せる人で、いつも寝てるのに周りに人がたくさん集まっててすごいなあって思ってただけだったの」

日住君が頷く。

「用事があるときだけ話しかけたことがあったんだけど、みんなは私に敬語を使うのに、永那ちゃんだけは普通に話してくれて、嬉しかった」

「じゃあ、最初から結構好きだったんですね」

日住君が苦笑する。

「うーん…。好き、とは少し違うかな?私もあんなふうになってみたいっていう、憧れに近いのかも。でも絶対なれないこともわかってて。…ああ、そういう意味で言えば、いつも日住君のこともすごいなあって思ってるよ」

私が笑いかけると、日住君は目を大きく開く。すぐに視線をそらされて「そうですか」と相槌をうってくれる。


「5月の頭くらいにね。私が掃除当番のとき、クラスメイトに掃除に関して厳しく言っちゃったことがあって…それからほとんど毎日私が掃除することになって」

「…なるほど。なんだかいつも空井先輩掃除しているなあって思っていたら、そういう経緯があったんですね」

「…うん。まあ、みんなのやり方に不満があったし、掃除は嫌いじゃないからべつによかったんだけど…それでも、寂しさというか、ちょっとしたイライラみたいなのは感じてたの」

「そりゃあ、そうですよね。クラスメイトに何か指摘されたからって、決まってる当番を放り出していい言い訳にはならない」

私は苦笑する。


掃除の時間、手を動かさずにずっと喋っている女子達。箒を野球のバットに見立てて遊ぶ男子達。

彼ら、彼女らを見て苛立った私が「ちゃんと掃除をしないなら邪魔だから出ていって。そんなふうにやるなら、これからはやらなくていい」と言ってしまったのだ。

気づけば、私が当番じゃない日にも、クラスメイトから「掃除苦手だから」とか「部活で忙しいから」とか、何かと理由をつけて、押し付けられるようになった。

“空井さんが掃除を始めるから、放課後に教室に残ってはいけない”というルールが勝手に決められ、いつも1人で掃除をするハメになったのだった。

「でも、永那ちゃんはね。…寝ていて、掃除を手伝ってくれるわけじゃないんだけど、永那ちゃんは、ずっとそばにいてくれたの」

1人で掃除する日々を思い出して、そこにずっと永那ちゃんがいたことを思い出して、胸がきゅぅっと締め付けられる。


「何回起こそうとしても起きないし、起きても殺気をおびた目で睨まれるし、最初はおっかなびっくりだったんだけど…そのうち、なんだか楽しくなってきて」

「なんでそこで“楽しい”になるんですか」

日住君が口元を手で押さえて笑う。

「わからない。…わからないけど、どうすれば自然に起きてもらえるんだろう?って考えるようになって」

「それで“実験”ですか」

「そう。それで、仲良くなって」

「…あっという間に」

うぅ…と、顔が熱くなる。

「付き合ってから、体育祭で忙しくて私が掃除に手が回らないっていうのもあったんだけど、永那ちゃんがみんなに掃除するように言ってくれたんだ」

目を伏せて、鞄の持ち手を握りしめる。


いつも分かれる十字路で、私達は少しの間立ち止まって話していた。

「良かったですね」と日住君は言って、自転車に跨る。

「ご、ごめんね。長話に付き合ってもらっちゃって」

「いえ、聞けて良かったです」

彼が1歩踏み出して、自転車を走らせた。でもすぐに止まって、振り向く。

「そうだ、先輩」

「何?」

「恋人ができたなら、もう俺達一緒に帰らないほうがいいですよね?」

その言葉に衝撃を受ける。

(…そっか、恋人ができたら、そういうこともあるのか)と。

「でも、いきなり一緒に帰るのをやめたら、生徒会のみんなに怪しまれないかな?…永那ちゃんも、他の子と帰ったりしてるし。気にしなくて、大丈夫じゃないかな?」

「…そうですか?」

私が頷くと「わかりました」と笑顔を見せて「じゃあ、また土曜日に」と言って、自転車をこぎ始める。

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