第11話 彼女

彼の背中を見送った後、私はスマホを取り出して『終わったよ』と永那ちゃんに連絡する。

すると、すぐに電話がかかってきて、びっくりしてスマホを落としそうになった。

「も、もしもし」

「穂、おつかれさま」

「ありがとう。永那ちゃんも、おつかれさま」

この一言だけで、なぜか疲れが少し癒やされる。

「会いたいな」

「え?」

「今すぐ会いたい」

「今から?…でも、もう」

“こんな時間”と、腕時計が7時近くを示しているのを見て言おうとしたら、永那ちゃんに遮られる。

「会いたいよ」

電話の向こう側から賑やかな声が聞こえる。

「今、打ち上げ中?」

「うん、でも抜け出せるよ。どこにいる?学校?」

「あ、いや、帰り道の途中」

「じゃあ、穂の家の前で待ち合わせしよう?」

「…いいの?」

「うん。ゆーっくり歩いてね!ちょっと待たせちゃうかもしれないから」


永那ちゃんに言われた通り、意識してゆっくり歩く。

それでも当然、私の方が先にマンションの前についた。

壁に寄りかかって、外灯を頼りに本を読んでいると、10分後に永那ちゃんが走ってきた。

私が本を閉じる前に、抱きしめられる。

心臓がぴょんと跳ねて、少し息が苦しくなる。

永那ちゃんは私の鎖骨の辺りに顔をうずめてる。

彼女のあたたかい息が首にかかってくすぐったい。

「いい匂い」

「そんな…今日はけっこう汗かいたよ」

一応汗拭きシートで拭いたけど、私は恥ずかしくて身動ぐ。

「今日さ…」

その先の言葉が続かないから、「永那ちゃん?」と呼んでみる。

彼女の背に回した、本を持っていない左手で、背中をトントンと優しく叩く。

「ハァ」と彼女は息を吐いて、私の肩に頭を乗せたまま、こちらを見る。

顔が近くて、私は彼女の方を見れないけれど、視界に入った彼女の瞳が潤んでいるように見えた。


「今日さ、後輩君とイチャイチャしてたでしょ?」

ドキッとする。

「え?…し、してないよ?」

「してたよ。ずっと見てたんだから。…2人で手を握ってた」

見られてたなんて、全然気づかなかった。

不機嫌そうな永那ちゃんの声。

「あれは、私が緊張してたから」

「穂が緊張してたら、なんで手を握ることになるわけ?」

「手のひらに“人”って書いて飲むと緊張がやわらぐって教えてくれたんだよ」

「ふーん」


首筋に何かが這う。

全身に鳥肌が立って、思わず持っていた本を落とした。

そのまま、かぶりつかれる。

突然のことに対処しきれなくて、息の仕方もわからなくなる。

痛みが走って、わざと音を立てるように、チュパッと唇が離れる。

両手で頬を包まれて、顎が上がる。

「あんな、全校生徒の目の前で見せつけられてさ」

「だから、違うって…」

「後輩君に喧嘩売られてるのかと思った」

唇と唇が重なる。

下唇を甘噛みされ、彼女の舌が口の中に入ってくる。

「んん…っ」

必死に抵抗を試みるも、力がうまく入らない。

舌と舌が絡まる。

待って…。待って…。

必死に彼女の背を掴むけど、彼女は止まらない。


少し唇が離れたと思ったら「それとも穂は、後輩君とイチャイチャしたいのかな?」と睨みつけられ、また唇が重なる。

全く私に話させる気はないみたいだった。

彼女が唾液を私の口内に含ませる。

飲み込まなければ咽てしまいそうで、ゴクリと飲み込むと、彼女の口端が上がった。

また少し唇を離して「穂は、後輩君が好きなの?」と聞く。

「本当は、女じゃなくて男がいいの?」

その瞳が不安げに揺らいで、私が答える前に、また唇が重なった。

男とか女とかじゃなくて、私は…永那ちゃんが好きなんだよ。

そう答えたいのに、彼女の舌が私の舌に絡んで離れない。

もう私は抵抗を諦めて、彼女に身を任す。


***


唇が離れ、トンと彼女の額が私の額にぶつかる。

ようやく解放の時間だ。

息も絶え絶えになって、私は彼女に寄りかかる。

「私、キス…初めてなのに」

そう言うと、彼女はフッと笑って「初めてが刺激的で良かったね」と皮肉った。

ベシッと叩いてやりたいのに、そんな体力も残っていない。


彼女の横顔に、悲しみが混じる。

「私は、永那ちゃんが好きだよ」

彼女が無反応だからもう一度言う。

「私は、永那ちゃんが好きなんだよ」

永那ちゃんの瞳からひとすじの涙が落ちる。

「初めて、好きになった人だよ」

彼女は下唇を噛んで、上を向いた。

「男とか女とか、私には違いがよくわからなくて…でも、永那ちゃんを好きになったよ」

彼女の肩が大きく上下する。

「ごめん」

「何が?」

「初めてのキス…こんなんで」

思わず笑ってしまう。

「まあ…良かったよ、刺激的で」

そう言うと、彼女は苦笑した。


「本当はもっと、いろいろ考えてたんだ」

「そうなの?」

「穂、“今まで誰とも付き合ったことない”って言ってたからさ。もっと、ちゃんと…優しくって」

私が吹き出したように笑うと、永那ちゃんが不貞腐れる。

「寂しかった」

永那ちゃんがフゥッと息を吐く。

落ちた本を拾ってくれて、2人で壁に寄りかかる。

「私も生徒会に入ればよかったって、ちょっと思ったよ」

「え?永那ちゃんが?」

「なに?私にはできないって?」

笑みを溢しながら、彼女が私を睨む。

「そういうわけじゃないけど…ちょっと想像できなくて。でも、いつでも募集してるよ」

彼女はフッと笑う。

「いや、まあ…できないよ。できないけど、それくらい寂しかったってこと」

永那ちゃんは少し項垂れて、上目遣いに私を見た。

「せっかく恋人になったのに、話す時間全然なくてさ」

「そうだね、ごめんね」

「穂が謝ることじゃないよ。タイミングの問題でしょ」

永那ちゃんの優しさに心があたたまる。


「私、気になってたんだけどさ」

忙しくてずっと聞けなかったこと。

永那ちゃんは両眉を上げて、こちらを見る。

「永那ちゃんって、なんで学校であんなに寝てるの?」

彼女は目をまん丸くして、すぐに真剣な顔になった。

「実は…穂に嘘ついてて」

「嘘?」

彼女は視線を彷徨わせてから、まっすぐ私を見る。

「私のお母さん、病気なんだよね」

初めてのデートのとき“お母さんはバリバリ働いてる”と言っていた。

それで、同じだねって話したんだ。

「昔は、本当にバリバリ働いてたんだよ?でも、今はずっと家にいる。…みんなにも言ってない」

なんて言えばいいかわからず、彼女を見つめることしかできない。

「その、お母さんの世話があるから、夜は起きてなきゃいけなくて。…まあ、世話の合間に勉強できるからいいんだけど」

私は、まだまだ知らないことばかり。

当たり前なんだけど、なんだか呑気に過ごしていた自分が恥ずかしくて、悔しくて、どう表現すればいいかわからない。


「本当は、今日も、打ち上げに参加してる場合じゃないし、穂と会ってる場合じゃないのかも…しれない」

彼女は俯いて、床に置かれていた鞄を取った。

「でも、どうしても会いたかった。確かめたかった。本当に穂が私を好きでいてくれてるのか…」

鞄を肩にかけて、彼女は悲しげに笑う。

「じゃあ、そろそろ帰るよ」

そう言って歩き始めるから「永那ちゃん」つい呼び止める。

「なにか、私にできること…」

永那ちゃんは優しく笑う。

「いつも通りの穂でいて」

「え?」

「好きだよ、穂」

胸が痛い。ズキズキと痛んで、でもどうすることもできなくて、ただ彼女の後ろ姿を見つめる。

彼女は一度振り向いて、いつもの笑顔で手を振った。

「また明日ねー!穂」


***

■■■


「そんなこと、どうでもいい」

クラスがざわめくなか、彼女は冷たい目を向けて、そう言い放った。

その一言でみんなの空気が一瞬にして変わった。

みんなが口々に「そ、そうだね」と言って、熱は一気に冷めていった。

みんなは怖がったけど、私の心は撃ち抜かれて、それから彼女のことが気になって気になって仕方なかった。


今日も千陽ちよが鬱陶しいくらいにくっついてくる。

中学のとき、千陽はいじめられていた。

無駄に可愛い容姿と振る舞いで、学年中の男子の心を射止めたせいだ。

そこで「私のことを好きってことにすればいいんじゃない?」と言ってあげたら、千陽のいじめはパタリと止んだのだ。

中学のときから私は女子にモテていたし、隠れ蓑にするには私はちょうどよかった。

でもそれからというもの、千陽が抱きついてきたり、無駄に距離を近くしてくるから、付き合っているんじゃないかとすら噂されて、正直迷惑だった。


女子同士だからって、いじめられることはない。

今どき、同性愛を否定する人のほうがマイノリティだと思う。

でもやっぱり、みんなに興味津々で、男女間の噂よりも、同性間の噂のほうが早く広まった。

異性愛でも同性愛でも関係なく共通して行われるのは“からかい”だ。

私も何度も男子に妬まれてか、からかわれたことがある。

そのたびに惚れさせて対処してきた。

ちょっとギャップを見せて、少し攻めれば、大抵のは落ちる。

正直、めんどくさい。

でも問題を起こさず事を収めるには、1番手っ取り早かった。

変に反論したり無視したりすれば後々厄介になる。そんなのは一度経験すれば十分だろう。


だから。

だからこそ、他のクラスの男子が、男同士でキスしていたという噂が流れたとき。

そして仕方なく彼が同性愛者だとカミングアウトしたとき。

それで学年中で…当然うちのクラスでも、話題になって、みんなが盛り上がっていたとき。

彼女、空井そらい すいが「そんなこと、どうでもいい」と言い放ったのは、衝撃だった。

きっと彼女はずっとんだと思う。

でも4月でクラス替えがあって、彼女の性格を知っている人が少数派で、つい盛り上がったノリで誰かが彼女にも話題を振ったんだと思う。

思わず私は笑った。

そうだよね!どうでもいいよね!

他人の恋愛なんかどうでもいい。

異性愛だろうが同性愛だろうが、学校でキスしてようがなかろうが、どうでもいい!

その潔さに、私は落ちた。


空井節は掃除の時間にも炸裂した。

遊んでいたクラスメイトが叱られる。

誰かが“空井先生”と言っていて、つい笑ってしまう。

でもきっと、彼女はそんなんじゃない。

ずっと彼女を見ていた。

ずっとって言っても、私は寝てる時間のほうが長いからなんとも言えないけど。

でも、ずっと見ていた。

彼女は厳しく言った後に、毎回後悔の色を滲ませていた。

きっと正義感が強くて、正しいことを言わずにはいられなくて、でもすごく優しい。

大人が子供を指導するような感じではない。ただ、自分が正しいと思うことを実行しているんだと思う。


気づけば、彼女は1人きりで掃除をするようになっていた。

私はいつも寝ていて、彼女は一生懸命起こそうとしてくれる。

でも夜眠れない私は眠くて眠くて仕方ない。

今しか寝られる時間がないのだからそっとしておいてくれ…と思ってしまう。

恋は眠気に勝てないのだ。


それでも彼女は諦めない。

机をガタガタ音を立てながら運んでいたときは、何事かと少し苛立った。

強風で目が覚めたときには、教室中に葉っぱやらゴミやらが散らばっていて驚いた。

腕のなかで彼女を眺めていたら、どうやら私を起こそうとして、わざわざ窓を全開にしたことがわかった。

「これでも起きないの」と項垂れていたから。

強風に吹かれて長い綺麗な髪がボサボサになり、「なんでこんなことになるの!?」と、2度目の掃除をしていたから、私は笑いを堪えるのに必死だった。

本末転倒じゃん。

おかげで起きるタイミングがいつもより遅くなった。当然、帰るのも遅くなった。

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