第31話 王子様

ローテーブルに3人で並ぶ。

やっぱり少し狭い。

永那ちゃんが真ん中に座って、私が玄関側、佐藤さんが窓側に座る。

気まずい中お昼を食べて、勉強を始めた。

勉強を開始して30分で永那ちゃんは船を漕ぎ始め、1時間で完全に突っ伏して寝てしまった。

スゥスゥと寝息を立てている。

永那ちゃんが倒れたことによって、佐藤さんの横顔がよく見えるようになった。

彼女もチラリと私を見る。

目が合って、私は苦笑した。

彼女はそれも無視して、机に視線を戻した。


「あたしと永那、毎回テスト期間中は2人で過ごしてたんだよね」

「そう、なんだ」

「今回は空井さんの家に行くって言うからビックリしちゃった」

私は「アハハ」と苦笑する。

寝ている永那ちゃんを少し睨む。

(なんで誘ってくれたときにそれを教えてくれないの!?)

「永那、勉強しないで毎日寝るから、勉強会なんて意味ないと思うんだけど」

佐藤さんの言い方に物凄く棘を感じる。

すごく敵対心を持たれているんだなあ…。

まあ、私も人のことは言えないけれど。

「…いつもは、どこで過ごしてたの?」

佐藤さんが私をチラリと見る。

何かを探るような視線。

負けじと目をそらさずにいると、彼女がそらした。

「学校が多かったかな。…居残る人が多いときは、公園」

永那ちゃんの家はともかく、佐藤さんの家に2人で行くこともなかったことが新鮮だ。


「公園でも、え…両角もろずみさん、寝てるの?」

佐藤さんがシャープペンを机に置く。

私の部屋のほうを眺めながら、話し始める。

「うん。ずっと寝てる。…なんでそんなに眠いのか聞いたことがあったけど、“夜眠れないから”としか答えてくれなかった」

「そうなんだ。…公園で寝たら風邪引いちゃいそう」

私が笑うと、佐藤さんが私を見た。

「べつに、隠さなくていいよ」

「え?」

落ち着いたその表情からは、私は何も読み取れない。

「“永那ちゃん”って呼んでるんでしょ?」

私はゴクリと唾を飲んで、視線を永那ちゃんに向けた。

「永那があなたのこと名前で呼んでいて、あなたに名字で呼ばせるわけないし」

佐藤さんがため息をつく。

「そっか。…わかった」

私のその一言で、しばらくの沈黙がおりた。

永那ちゃんの寝息と、紙を捲る音、遠くで聞こえるセミの鳴き声だけが部屋に響いた。


4時になって、誉が帰ってきた。

「たっだいまー!」

テテテと走ってくる音を立てながら「姉ちゃーん」と呼ぶ。

「ああ、ごめん。弟帰ってきた」

佐藤さんに言うと、彼女は頷いた。

私は立ち上がって、廊下のドアの前に立つ。

「誉、今日友達と勉強するって言ったでしょ?」

「知ってるよー、靴いっぱいあったもん」

誉はテーブルのほうを覗き見た。

「こんにちは」

佐藤さんが可愛らしい笑顔を作る。

誉の頬が少しピンク色になって、私は苦笑する。

「こ、こんにちは」

誉が背伸びして、私の耳元に口を近づける。

「姉ちゃん、誰あの人!めっちゃ美人!!」

私は「ハァ」とため息をついて、誉の頭を撫でた。


「佐藤さん、弟の誉です」

誉はニコニコしながら、佐藤さんのそばに行く。

「あれ?」

永那ちゃんを見て、立ち止まる。

「この人…」

ギクッとして、私は「ほら、誉。手洗っておいで」と慌てて言った。

誉は元気よく返事して、廊下の洗面台に向かう。

私も誉の後を追う。

「誉、部屋に入っててよ」

「えー?なんで?」

「集中できないから」

「いつも一緒に勉強してるじゃん」

誉が不貞腐れる。

「お姉ちゃん、誉が友達と遊んでるとき、一緒に遊ばないでしょ?…同じこと。あと30分くらいで帰ると思うし」

「わかったよ」

誉が大きくため息をついて、項垂れる。

…そんなに佐藤さんが気に入ったのか。美人って怖いなあ。


私は誉と一緒にリビングに戻って、誉を部屋に追いやる。

「部屋に行っちゃうんだ」

佐藤さんがどことなく不敵な笑みを浮かべている気がする。

私は曖昧に笑って誤魔化す。

「…永那ちゃんは4時半頃に帰るって言ってたけど、佐藤さんはいつもどんなふうに起こしてるの?」

佐藤さんは目を細めて、永那ちゃんを見る。

「あたしは起こさない」

「え?」

「起こしたこと、一度もないよ。“起こさないで”って言われてるから」

…となると、永那ちゃんは自力で起きて帰ってるってこと?

起きそうにない永那ちゃんを見て考える。

「逆に、空井さんは永那のこと、どう起こしてるの?」

「え!?…っと、普通に名前を呼んで」

恐らく彼女は、永那ちゃんが私の家に遊びに来たことがあると知っている。

誉の反応からも明らかになっちゃっただろうし、“起こしたことはない”とは言えない。


***


佐藤さんが首を傾げる。

「永那は普通に呼んで起こすと、怒るけど?…いつもそんなふうに起こしてるの?」

「いつもって…そんな…」

そんなに多くない。

…そう言おうとして、それでも何度も起こしているという事実がバレてしまうことに気づく。

ん?バレても平気なのかな?…わからない。

今日は、佐藤さんにいろんなことを探られているような目で見られることが多い。

それが変な緊張に繋がる。

「私もムッとされることはあったよ」

「へえ、そうなんだ」

「永那ちゃんは、佐藤さんに起こされなくても自力で起きるの?」

「うん。…遅くに起きたときは、いつも血相を変えて慌てて帰っていく感じかな」

私は苦笑する。

時計を見て「あと10分くらいしたら起こそうか」と言った。


「永那ちゃん」

佐藤さんにジッと見つめられながら永那ちゃんを起こす。

…気まずい!

「永那ちゃん」

肩を優しく叩く。

(お願い、起きて)

心の底から願いつつ、永那ちゃんの寝顔を見て幸せな気持ちになる。

2人きりだったら、本当なら、きっといろんな話をして、楽しく過ごせたんだろうな。

例え永那ちゃんが寝ていたのだとしても、その姿を見ながら勉強なんて、素敵な時間だと思う。

「永那ちゃん、起きて」

チラリと佐藤さんを見ると、全く視線をそらさずに、見続けられているようだった。

右手を肩に置いて、左手を永那ちゃんの太ももに触れるように床につく。

この位置なら、佐藤さんからは触っているようには見えないはず。

親指でそっと太ももを撫でる。

「永那ちゃん」

永那ちゃんの体がピクッと反応して、ムニャムニャしながら目を覚ます。


「本当だ。普通に呼ぶだけなんだね」

佐藤さんは頬杖をついて、私を見る。

永那ちゃんは目を擦りながら、私達を交互に見た。

「あれ?寝てた?」

「うん、ずーっと」

佐藤さんが永那ちゃんに顔を近づけて言う。

「ごめん、穂」

肩が下がって、俯いている。

「ちゃんと勉強するって約束したのに」

「いいよ。30分はちゃんとやってたんじゃないかな?」

私が微笑むと、永那ちゃんがへへへと笑った。

「永那、そんな約束してたの?」

「ん?うん。穂の家に来る条件」

「他にもあったの?その、条件」

私はドキッとしたけど、永那ちゃんはなんてことないみたいに返事する。

「穂の言うことを聞く」

佐藤さんが「言うことを、聞く」とオウム返しする。

何を考えてるのかよくわからない。


「永那ちゃん、そろそろ帰らなきゃいけないんじゃない?」

永那ちゃんが時計を見て、机の上に両手を投げた。

「やだー。全然穂と話せなかったじゃん」

思わず佐藤さんを見る。

彼女の表情は至って冷静そうで、怒りはなさそうだった。

「また明日もあるんだし。ね?」

ふいに永那ちゃんに抱きしめられた。

すぐに佐藤さんを見るけど、興味なさげに片付けを始めている。

永那ちゃんは私の胸に顔を押し付けて、左右に首を振っている。

「穂の匂い、好き」

鼓動が速くなっていく。

胸元にいる永那ちゃんにバレてるであろうことを想像すると、落ち着きたい思いとは反対に、どんどん鼓動が速くなった。

永那ちゃんの頭を撫でる。

永那ちゃんが上目遣いに私を見て、胸元にスッポリ顔がおさまっているから、を思い出す。

下腹部がキュゥッと締め付けられて、正座している足に力が入る。


「ねえ、空井さん」

佐藤さんの声が私の意識を現実に引き戻す。

「な、なに?」

佐藤さんはスマホを見ている。

「明日、優里ゆりも一緒に勉強したいって言うんだけど、だめかな?」

篠田しのださん?

明後日数学のテストがあるからかな?

「大丈夫だよ」

佐藤さんはチラリと私を見て、薄っすら笑みを作る。

「じゃあ優里に言っとくね」

永那ちゃんは私の胸元からずり落ちて、正座している私の足を枕にして、うずくまっている。

彼女の呼吸と共に、あたたかさと冷たさが交互にくる。

佐藤さんの前なのに、こんなことしていいのかな?

私はまた永那ちゃんの頭を撫でる。


***


「いつも2人でこんなことしてるの?」

パッと永那ちゃんの頭に乗っていた手を離す。

私はなんて答えればいいかわからず、目を彷徨わせた。

なんか、佐藤さんとは少し関わり難いな…。

「いつもって…穂と2人になれる時間なんて少なすぎて、なかなかできないから。いつもも何もないわ」

足と足の間、お腹に近いところに顔を押し付けて永那ちゃんが話すから、振動と息が伝ってくる。

…永那ちゃん、なにやってるの?

「あたしが邪魔って言いたいの?」

「んなこと言ってないけどさ」

永那ちゃんが顔を上げる。

…あぁ、なんか、また喧嘩になりそうな雰囲気。

2人って仲いいんだよね?

「けど?」

「…お前ばっかかまってらんないって言ってんの」

佐藤さんの眉間にシワが寄る。

目が少し潤む。

なんでこうなるの。

いつもより永那ちゃんも刺々しいし。


「ま、まあ…2人とも…」

佐藤さんは大きくため息をつく。

「帰るんじゃないの?…帰らないの?」

立ち上がって、永那ちゃんのことを冷たい目で見下ろす。

今度は永那ちゃんが大きくため息をつく。

「帰るよ」

バサバサと適当に教材を鞄にしまってから、私に手を差し伸べてくれる。

私はその手に手を重ねる。

永那ちゃんが力強く引っ張ってくれて、私は立ち上がる。

「誉、お姉ちゃん、ちょっと2人送ってくるね!」

「はーい」

「いいよ、大丈夫だよ。玄関までで」

永那ちゃんが優しく頭を撫でてくれる。

「誉君とも、ちょっと話したかったなあ」

永那ちゃんが笑う。

「焦らなくても大丈夫だよ。時間はたくさんあるんだし、いつかそういう機会もあるでしょ」

私が笑うと、永那ちゃんは目を細めて、少し顔を赤らめた。

「そう、だね」


結局私は玄関ではなく、マンションの下まで2人を送った。

永那ちゃんは何度も振り向いて手を振ってくれる。

そのたびに佐藤さんも立ち止まって、最初は私達を交互に見ていたけど、そのうち振り向くことはなくなった。

家に戻ると、もう誉がリビングに出てきていた。

誉は基本的に部屋にいることが少ない。

ずっとリビングにいて、まるで自室のように使っている。

「姉ちゃん、あの人めっちゃ美人だったね!姉ちゃんの友達すげー!」

…友達?佐藤さんは友達、なのかな?違う気がする。

「この前家に来た…永那ちゃん?も、美人だし」

「そうだね」

「あの人はかっこいいよね!」

誉の友達はみんな、私が注意したりすると反抗的になったりするけど、誉はいつも素直だなあと感心する。

こうやって人のことも普通に褒められて、えらいえらい。

頭を撫でてあげると、誉は嬉しそうに笑う。

「今日寝てたね、永那ちゃん」

「そうだね、永那ちゃんは学校でもずっと寝てるよ」

「そーなの?テスト平気なの?」

「それが成績良いんだよね」

「えー、すご。なんで?」

「さあ?今度聞いてみたら?」

誉の顔がパッと明るくなって「うん!」と頷いた。


「俺も宿題やる!…姉ちゃんも勉強するでしょ?」

「うん」

勉強をしている間は、他に何も考えずに済むからいい。

永那ちゃんと2人で過ごせると思っていたのが、3人になって、永那ちゃんと佐藤さんの間に入れなくて少し暗い気持ちにもなった。

でもすぐに2人の空気が悪くなって、どうすればいいかわからず、ただ戸惑うことしかできなかった。

佐藤さんと2人の時間は緊張しっぱなしで、一息つく間もなかった。

永那ちゃんが起きたら、予想外に触れ合える時間があって嬉しかったけど、また2人の雰囲気が悪くなって焦った。

…これが1週間も続くとなると、心も体も保つか不安だ。

でも明日は篠田さんが一緒なら、佐藤さんと2人の時間はなくなるのかな?…そうだといいなあ。

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