第30話 王子様

永那が珍しく、宿題をやってこなかったと言っていたから、これ幸いと2人の間に割って入る。

空井さんを見ると、目が合った。

ジッと見つめられて、逃げるようにあたしは永那を見た。

なんか空井さん、少し雰囲気変わった?

生まれた不安をかき消すように永那の腕に抱きついて、「期末終わったらどっかデートしよ?」と誘った。

永那はハッキリ断らないで、「どうしよっかなあ」なんて呑気に言った。

あーあ。空井さん、怒らせちゃったんじゃない?

あたしは1人、ほくそ笑んだ。

永那はいつもテスト期間中楽しそうにしてる。

「門限が厳しい」と言っていたから、少しでも長く友達といられるのが楽しいのだと言っていた。

最終日以外は2人で過ごして、最終日に複数人のクラスメイトと遊ぶのが定番になってる。

空井さんは真面目だから、勉強するのかなあ?

永那はきっと空井さんを誘うだろうけど、彼女が断ってくれることを期待する。

…もし永那と空井さんが2人で過ごす、なんてことになったらどうしよう?

2人のなかに割り込むしかないかあ。


次の日、永那がやたら上の空だった。

朝も寝ないし、「どうしたの?」って聞いても、「なんでもない」しか答えてくれない。

空井さんが教室に入ってくるとソワソワし始めて、あたしが話してるのに空井さんのところに行く。

コソコソ話し始めたと思ったら、急に永那が顔を真っ赤にして、しゃがみ込んだ。

あたしはビックリして、永那のそばに行く。

「どういうこと?」と聞くと、空井さんが落ち着いた表情で「佐藤さんには関係ないよね?」なんて言った。

なに?

やっぱり空井さんの雰囲気が変わってる。

前までは少し自信なさげだったのに、それこそ優里が言ったように“大人っぽく”て。

2人の間にあたしが入れる隙なんてないみたいで。

何も言えないことが悔しい。

空井さんは、あたしの目の前で、しゃがみ込んでる永那の髪を梳いた。

完全に喧嘩を売られた。

彼女が勉強を始めて、永那を放置してることに腹が立つ。

“大人の余裕”みたいなのを見せつけられてるみたいで、いちいち苛つく。


永那にキスしたこと、言ってやろうか?と思った瞬間、永那が立ち上がった。

永那に「何があったの?」と聞いたら、見たことない笑顔で「秘密」と言われた。

あたしが迫ったら、あんなにあたしの胸に釘付けだったくせに…!

またあたしに秘密にするの?

しかも今度は堂々と言っちゃって…。

敵わないという絶望感と、絶対奪ってやるという闘争心がゴチャ混ぜになる。

席について空井さんを見ると、首を擦りながらノートに目を通していた。

その仕草が、どこかで見覚えがあるように感じた。

そして彼女が手を机に戻した瞬間、首筋にあるシミみたいなものが、強調されるように見えた。

席は離れているはずなのに、そこだけやけによく見える。

目に涙が溜まっていくのを、必死に奥歯を噛みしめて堪える。

キスマーク。

永那が“恋人面されて腹が立つ”と言ったことを…“わかりやすいところにつけられて”嫌がっていたことを、永那が彼女にした?

鼓動が速くなって、息苦しくなった。


でも、永那が先輩につけられたキスマークは、次の日には消えていた。

痕にも残っていなかった。

どうやったらあんなふうになるの?

本当にあれはキスマークなのかな?と自分の直感を疑って、すぐにその疑念を払拭するように頭を横にぶんぶん振った。

あれは絶対キスマークだ。

そう確信する理由はわからないけど、なんとなくそうだと思う。

永那が手を出すのが早いのはわかっていたはずなのに。

…もう?

っていうか、空井さんって…実はやり手なの?

真面目でに興味なさそうなフリして、すんなり受け入れたってこと?


あたしの予想が正しければ、永那が空井さんの手を掴んで教室から出て行ったあの日から、まだ3週間くらいしか経ってない。

あの日に付き合い始めたのだとすれば…いつそんな暇あった?

空井さんって体育祭の準備で忙しかったはずだよね?

それとも、もっと前から付き合ってたってこと?

いや、でも…永那が名前呼びしたのがあの日近辺ってことは、あたしの予想は当たってる確率のほうが高い。

…そうだ。

そもそも永那が空井さんを好きになったのだって、彼女が寝ている永那に“いたずらする”なんて言ったからだった。

空井さんって、実はビッチ?

だとすれば、あたしの取ってつけたような知識なんて、絶対敵わないんじゃない?

あの経験豊富な永那が、たかだか“エロい”だけで落ちるなんて、信じられなかったもん。


涙がスーッと引いていく。

良い意味で吹っ切れる。

ちょっと自信なさげだったのも演技?

え、永那騙されてない?


***


次の日の朝、永那に聞く。

「ねえ、空井さんってけっこうモテるの?」

「え?なんで?」

「…永那がそんなに好きになるなら、そうなのかな?って」

永那は少し考えて、頷いた。

「詳しくはわかんないけど、モテるんじゃない?」

わりと適当に答えられる。

、興味ないんだと思ってたけど」

永那はケラケラ笑う。

「そうだね、興味は全然なかったみたい」

まるで彼女のことならなんでも知ってるみたいな態度で、胸に痛みが走る。

彼女とヤッたのかヤッてないのか、聞きたい気持ちと知りたくない気持ちが入り交じる。

迷って、それを聞けば2人が付き合ってると認めるみたいになると思い、やめた。


「そういえば、テスト期間中、どうする?」

永那が“忘れてた”みたいな顔をした。

いつもあんなに楽しみにしてるのに。

「いつも通り、月から木は2人で過ごして、金曜だけみんなで集まる?」

「んー…ごめん、予定は未定で!」

「は?」

「月曜に決めるんじゃ、だめ?」

そんな聞き方されて“だめ”と言える人は少数派なんじゃないかと思う。

どうせ空井さんだろう。

今あたしが聞くまで忘れてて、あたしに聞かれて思い出して、空井さんの予定を聞いてみよう…と思った感じだろうな。


月曜日の朝。

「それで永那、どうするの?」

あたしはわざとらしく笑顔を作る。

永那は首を傾げて、全く覚えていないらしい。

こんな適当にされて、あたしって本当に大事にされてるのかな?と、少し苛立った。

あたし健気すぎない?

「テスト期間中の予定」

永那は何度も瞬きをして、口角をギュッとあげる。

あからさまな作り笑いだ。

「全部埋まった」

「は?」

へへへと笑う永那にイラつく。

「どんな予定か、詳しく」

あたしも笑顔で対抗して、絶対に聞き出すことを決意した。

「えーっと…」

「詳しく、ちゃんと言ってくれないと泣くよ?…あたし、ちゃんと今日まで待ったんだから。覚えてるよね?約束したの」

永那はあたしの“泣く”に弱い。

よっぽどあたしに泣いてほしくないらしい。


永那は顔を引きつらせて、ブツブツ呟く。

「なに?」

耳を口元に近づけると「穂の家で勉強会」と繰り返し言っていた。

「つまり月から金まで、ずっと空井さんの家ってこと?」

…ああ、胸糞悪い。

え、なに?

もしかして月から金までセックス三昧とか?

絶対嫌だ。

「それって、あたしも参加していいよね?」

永那の顔がバッと上がる。

「うぇ?」

「“勉強会”なんでしょ?べつにあたしがいてもいいよね?」

「…あ、あぁ、穂に聞いてみないと。穂の家なんだし…急にお邪魔するってなっても、ほら?家の人も困るかもしれないじゃん?」

どうせ永那だって直前に聞いたくせに。

「わかった、じゃあ聞いといて」


放課後、予定自体がなくなりそうだったけど、空井さんが行ってもいいと言ってくれた。

これで少なくとも、1週間のセックス三昧は回避。

もはや自分で自分が何をしたいのかわからなくなってる。

3人で空井さんの家に向かう。

そういえば、あたしが誰かの家にお邪魔するのって、小学生ぶりじゃない?

…なんか、少し緊張してきた。

緊張を紛らわすように、なるべく2人を2人にしないように、あたしは永那に引っ付いた。


家についてすぐ、永那が「トイレ借りていい?」と聞いた。

空井さんが頷いて、なんの迷いもなく、永那は左の扉を開いて中に入った。

…来たことあるのね。

思ったよりも、辛い1週間になるかもしれない。

いざとなったら優里を召喚しよう。

「あ、佐藤さん。どうぞ」

あたしは空井さんに案内されるまま、リビングに進んだ。

「えーっと、私の部屋は狭いから、リビングでいいかな?そのうち弟が帰ってきちゃうと思うけど…」

私は家のなかをじっくり見た。

どこでセックスしたんだろう?

…やっぱり空井さんの部屋?

だとするなら、絶対見ておきたいよね。

あたしは永那から、セックスした話は何度も聞いたことがあるけど、具体的にどこでしたかとかは聞いたことがほとんどなかった。

具体的に聞いても、その場所を見る勇気なんて、前のあたしにはなかった。

でも今は、永那に積極的になるって決めた。

永那の好きなシチュエーションを知りたい。

そうすれば今からでも、もしかしたら永那は、あたしを見てくれるかもしれない。

だから、傷つくのも承知で、あたしは言う。


***

■■■


佐藤さとうさんから返事がなくて、戸惑う。

すごい家中見られてて少し恥ずかしい。

「あたし、空井そらいさんの部屋見てみたい」

「え?」

「だめ?」

モテる人のテクニックなのかな?

この“だめ?”って聞くの。

まあ、永那えなちゃんと一緒にいる時間が長ければ、そのうち言動も似てきたりするものなのかな?

…いつか、私も。

「いいけど」

私が自室に案内すると、佐藤さんは「わあっ」と声を出した。

そのままスポッとベッドに座る。

「ベッド広いねえ!」

「…あ、うん。セミダブルだからね。1人にしては広いよね」

佐藤さんは布団を撫でてから、部屋中を舐め回すように見る。

きっと相手が佐藤さんでなければ…例え相手が佐藤さんだったとしても、前の私であれば、私は「人の家に初めて来て、勝手にベッドに座るのはどうかと思う。まずは相手に確認を取るのが筋でしょ?」とか言ってしまいそうだ。


「あれ?すいの部屋で勉強するの?」

永那ちゃんが顔を出す。

「あたしが見たいって言ったの」

佐藤さんが答える。

「ふーん。…えっと、それで、どこで勉強する?」

「3人だし、リビングがいいかなって」

「そうだね」

永那ちゃんがリビングのローテーブルの横に鞄を置いて、床に座る。

部屋にあるローテーブルよりは広いけど、私はダイニングテーブルで勉強するつもりだったから、その姿に笑ってしまう。

視線を佐藤さんに戻すと、完全に寝転がってて驚愕する。

…すごい堂々としてるなあ。

「ねー、永那ー!」

「んー?」

「ベッドめっちゃ広いよー!」

「知ってるー」

私はギョッとして永那ちゃんを見る。

…待って。

永那ちゃん普通にトイレに入ったし、私の部屋も把握していたし、ベッドの広さも知ってるって…前に来たことあるって言ってるようなものじゃない?

ゴクリと唾を飲む。


「永那ー」

「なんだよー」

「来てよー」

佐藤さんは何も気にしてないみたいに、気づいてないみたいに振る舞う。

でも、絶対わかってるよね?

…大丈夫なのかなあ?

「なんだよ」

永那ちゃんが眉間にシワを寄せながら顔を出した。

「一緒に寝ようよー」

「はあ?勉強しにきたんでしょ?」

「ちょっとくらいいいじゃん。ねえ?」

佐藤さんに見られて、ビクッとする。

「え?…あぁ」

こういうとき、なんて答えればいいのかわからない。

人と話すときは、たかに叱るみたいに言うのが常だったから。

千陽ちよ勉強しないなら帰れよ、マジで」

永那ちゃんの口調が荒い。

「ちょっとだけー、ねー?」

永那ちゃんがため息をついて「ごめんね」と私に言う。


「てかさ、人のベッドに勝手に寝るとか、どんな神経してんの?お前」

佐藤さんの目が薄くなる。

「空井さん、何も言ってないんだからいいじゃん」

「確認したの?」

佐藤さんの目の下がピクピク痙攣していて、本気で怒ってしまいそうだ。

「あ、あぁ、大丈夫だから」

佐藤さんの視線が私に向く。

冷めきった視線に気まずさを感じる。

「ほら、だから一緒に寝よ?」

永那ちゃんがため息をつきながら私のベッドに寝る。

その瞬間、土曜日が思い出される。

日曜日、シーツも布団も洗濯したけど、景色は変わらないから一瞬で思い出せるのが怖い。

下腹部が疼いて、目を瞑った。

へへへという幸せそうな笑い声で、私は目を開ける。

佐藤さんが永那ちゃんを抱き枕にするように寝転がっている。

眉頭に力が込もる。


「やめろよ!」

永那ちゃんが佐藤さんを突き飛ばす。

その勢いで佐藤さんが壁に頭をぶつけた。

「あ、ごめん」

佐藤さんの目に涙が浮かぶ。

「だ、大丈夫?何か冷やす物でも持ってこようか?」

佐藤さんは無反応で、ポタポタと涙を溢した。

「ごめんて」

永那ちゃんが佐藤さんの頭を撫でる。

佐藤さんは頷いて、指で涙を拭っている。

私はどうすればいいのかわからなくて、頬を掻いた。

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