第29話 王子様

気づけば翌日、また空井さんに話しかけていた。

空井さんに言いたいことなんてなかった。

言えることなんてなかった。

完全にあたしは負けてる。

自分は永那の特別になれない。

それが嫌というほどわかるから、どうすることもできないとわかってるから、言っても意味のない言葉を彼女に投げつける。

ただの八つ当たりだった。

…なのに、空井さんが言ったのは「第二ボタンを留めてほしい」だった。

サーッと血の気が引いた。

「事件がある」なんて言われて、引いたはずの血が沸騰した。

本当に自分でも自分に引く。

気づけば大声を出していて、永那がそばにきた。

あたしはボタンを留めて、走って教室から出て行った。


校舎裏、人目のつかない場所でしゃがみ込む。

涙がボロボロ溢れ出てくる。

トンと、頭に何かが触れて顔を上げると、永那があたしを見下ろしていた。

それはそれは優しい目で、(ああ、永那は変わったんだな)と認めざるを得なくなる。

涙は止めどなく溢れ出る。

あたしの顔を見て永那が笑った。

だからあたしも泣きながら、笑う。

「なにやってんの?」

同じ言葉なのに、中学のときよりもその声が優しくて。嫌になる。

永那が隣に座る。

涙を指で拭ってくれる。

「永那、あたしがストーカーされたこと言ったの?」

「ん?言ってないよ」

「じゃあ、空井さんが“事件が…”とか言ってたのは…」

「たまたまだよ。穂は単純に、千陽のことが心配になったんでしょ。たぶん“佐藤さんは可愛いから”とか言おうとしてたんだよ」

「そっか。…勝てそうにないなあ」

涙はまだ止まらないのに、笑えてくる。

「勝つ?」

「なんでもない」

「…ふーん」


「あたし、空井さんに、永那がいろんな人とセックスしてたことバラした」

「知ってる」

心臓がドクンと鳴る。

腕で口元を隠しながら、永那を見る。

永那は横目にあたしを見て、目が合う。

「嫌いにならないの?」

「誰が?誰を?」

「永那が、あたしを」

「嫌いになんてならないよ。事実だし」

「じゃあ、空井さんは、永那を嫌いにならなかったの?」

永那の右の口角が上がる。

「ならなかったよ。引かれもしなかった」

胸がズキズキと痛む。

あたしは鼻で目一杯息を吸った。

「そっかあ」

「お前、酷くない?バラすとか」

あたしの前だけでする“お前”呼び。

こんなに負けてるって頭ではわかってるのに、永那に“お前”って言われただけで、キュンキュンする。

他の人だと腹立つのに。

「優里にもバラした」

「はあ?」

肩を小突かれる。


「優里は、なんて?」

「“キャー!”って言ってた」

「なにそれ、可愛い」

「優里に惚れる?」

「は?…んなわけ」

永那は眉間にシワを寄せる。

「じゃあ空井さんのどこが好き?」

あたしが聞くと、永那の目が大きくなった。

何度も瞬きして、視線をそらす。

永那が何度も唾を飲む。

眉間のシワが深くなり、遠くを見る。

「“じゃあ”ってなんだよ」

少し耳が赤くなってる。

そんな姿は初めて見る。…嫌だなあ。…ずるいなあ。あたしも永那に、こんなふうにしてもらいたい。

「教えてよ」

「てか、好きなんて言ってなくない?」

ポリポリと頬を掻く。

「は?体育祭で手繋いでたでしょ?」

永那は顔を引きつらせて、ばつが悪そうにする。


「ハァ」と深くため息をついて、永那があたしを見た。

「まあ、いろんなとこだよ」

「いろんなとこって?」

「…最初は男同士でキスしてるって話題になったとき“どうでもいい”って言い放ったのがかっこいいって思った」

「うん」

あたしにはできないことだね。

「そのあと、まあ…」

そんなに言いにくいこと?

余計に気になって、永那をジーッと見る。

永那がまたため息をつく。

「私が寝てたとき」

「放課後?」

「…そう。…寝てたとき、穂が急に“起きないと、いたずらしちゃいますよ”って言ったんだ」

「は?」

なにそれ?

全く想像できない。

どういうこと?

…っていうか、それで好きになったの?

永那、単純すぎない?


永那の顔が真っ赤になって、なおさら驚く。

「いやあ、めっちゃエロくて」

好きな相手だけど、めっちゃ引く。

あたしはため息をつく。

「まあ、それ以外にも、やっぱいろいろすごいなあって思うところ多くて、それも含めて好きなんだけど」

本人も顔が赤いことを自覚してるのか、両手で顔を覆った。

「…でも、エロいから好きになったんだ?」

「いやっ、ちがっ…ちが…うよ?」

「その事実のほうが、空井さんに引かれそう」

「やめっ!違う!違うって!」

慌てふためく姿も、初めて見る。

…ああ、ホント嫌だ。

空井さんってなんなの?イライラしてきた。


***


「穂に言うなよ」

永那に睨まれる。

「どうしよっかな」

「おい」

乱暴な言い方だけど、怖くない。

「ねえ、永那」

「ん?」

少し不機嫌そうな声。

あたしは彼女の唇に視線をやってから、目を見る。

永那が怪訝そうな顔をする。

あたしは第二ボタンを外す。

片膝をついて、永那を壁に押しやった。

あたしは両手を壁につけて、永那が逃げられないようにする。

「えっ?千陽?」

珍しく、あたしが永那よりも上にいる。

永那に見上げられるのも悪くないな。


あたしが顔を近づけると、身動きできない永那は顔だけそらした。

あたしはその姿に少し笑って、彼女の頬にキスする。

「あたしがもっと早くこうしてたら、永那はあたしに惚れたかな?」

目をギュッとつぶっていた永那は、息を止めていたのか、「ハァ」と二酸化炭素を吐き出す。

「おい、お前」

少し顔を赤らめて、あたしを睨むように見る。

「私、穂と」

唇を人差し指で押さえる。

「知らない。…知りたくもない」

永那の目が見開かれる。

ずっとあたしに隠してたくせに。

今更言うなんて卑怯だ。

人差し指を永那の唇から離して、開けた胸元のシャツを広げる。

永那の視線があたしの胸に落ちる。

…あぁ。ゾクゾクする。

もっと早く、こうしておけばよかったんだ。

永那が唾を飲む。

「永那、エロい?」

永那は何度も瞬きをして、ゆっくりあたしを見た。


「エロいけど」

素直すぎて思わず笑っちゃう。

あたしが永那の顎に手を添える。

唇を近づけると、永那があたしの肩を押さえた。

「やめろって」

「なんで?」

永那は眉間にシワを寄せて、考えるように俯く。

「私は、穂が好きなんだよ」

きっとあたしが言った“知りたくもない”を尊重してくれたんだ。

永那、そういうところが甘いんだから。

ハッキリ言えばいいのに。

“穂と付き合ってるからやめろ”って。

そしたらあたし、きっと諦められるのに。

あたし、空井さんと永那が付き合ってること、まだ知らないことになっちゃった。

そしたら、まだ諦める必要なんて、ないよね?

「わかった」

そう言うと、永那が戸惑う。

あたしが泣くとでも思った?悲しむとでも。

痛かったよ。悲しかったよ。たくさん泣いたよ。

もう、永那の知らないところで、たくさん、たくさん泣いた。


「永那?」

「なに?」

あたしはボタンを戻して、しれっと隣に座り直す。

「あたしね、今の、初めてのキスだったんだよ?」

「は?」

あたしは余裕の笑みで、永那を見た。

「え?でも千陽、セックスしたこと」

「あるわけないじゃん」

鳩が豆鉄砲を食ったような顔って、きっとこういう顔のことを言うんだ。

可笑しくて、声を出して笑う。

「え、え?マジで言ってる?」

「てかさ、なんでわかんないの?」

「え?だって散々話してきたじゃん」

「永那に合わせてただけ」

「はあ?ホントに?」

あたしはフフッと笑って、永那の髪を梳く。

永那がビックリして、肩を上げていた。

「そもそもさ、手を繋ぐのも気持ち悪いって言わなかった?」

「…あー」

永那が宙を見る。

「バカすぎるだろ、自分」

そして、俯く。

「てか、じゃあ、なんであんなに話題豊富だったの?」

「…ネットで調べたり」

永那が両眉を上げて、額をさすっている。


「こわー」

「なにが?」

「いや、お前の演技力と、自分のバカさ加減が」

いつの間にか、さっきまでの涙はどこかに消えて、あたしはずっと笑ってる。

「…でも、よかった」

「え?」

「なんとなく、千陽には手出したくないなって思ってたんだ」

急に本音を言われて、胸がズキリと痛む。

「なんで?」

「んー…理由はよくわからなかったんだけど…傷つけたくなかったんだと思う。適当に接して、傷つけたくなかった」

それでも…そんなに大事に思ってくれていても、あたしと本気で付き合おうとは思わなかった…ってことだよね。

厳しいなあ、現実は。

「だからって他の人を傷つけてもいいわけじゃないとは思うけど…」

知ってる。

永那とセックスした人の大半が、永那に振られて泣いていた。

キツいことするな~って、他人事みたいに思ってた。

だってあたしは、永那に大事にされてるから。

「まあ、だから…千陽が、今のが初めてだったって言うなら、なおのこと、私が適当に手出さなくてよかったって思うよ」


***


「永那」

「ん?」

「永那が空井さんに惚れた理由、言わないどいてあげるからさ、ちゃんと今まで通り、あたしと接してよ?」

永那はパチパチと瞬きして、優しく微笑んだ。

「当たり前じゃん」

「当たり前なの?」

「え?なんで?」

永那って生粋のバカなのかな。

「…なんでもない」

「…ふーん」

そうだ。

永那は疑問に思っても“ふーん”で済ませちゃうんだ。

だから気づかない。

あたしが永那のほっぺにキスしたこと、空井さんが知ったらどう思うんだろう?

っていうか、空井さんと付き合ってるのに、あたしは今まで通り永那に抱きついて良いわけ?

…でも、そんなのあたしは知らない。

だって2人が付き合ってるって、知らないんだし。

ただあたしが知ってるのは“永那が空井さんを好き”ってことだけ。

それしか知らないあたしは、どれだけ永那にアタックしても問題ない。

ニヤリと笑う。

そのことにも永那は気づかない。


永那は立ち上がって「もう放課後なんじゃないの?」と言った。

「授業、サボっちゃったね」

2人で笑い合う。

「優里にノート見せてもらうかあ」

永那は伸びをして、あたしに手を差し伸べる。

ああ、あたしの王子様。

いいよ。

いくらでも、他の人とエッチを楽しんだらいい。

永那があたしのところに戻ってくるの、待ってる。

それで“やっぱり千陽がいい”って、そう言ってくれれば良い。

なんて、余裕のあるフリを自分にもする。

「あー、目腫れた~」

永那の腕に抱きつく。

待つだけじゃ今までと同じになっちゃうから、次からはもっと積極的でいよう。

「ねえ、今日クレープ食べに行こ?」

「え?今日?」

「目、腫れたお詫びに付き合って」

「ん?それって私のせいなの?」

「そうだよ~」

「違くない?」


教室に戻ると、ちょうど授業が終わったばかりだったみたいで、まだ優里がいた。

空井さんもいる。

空井さんと永那が目を合わせて笑ってる。

良い気分はしないけど、“少しでも油断したら、あたしが奪っちゃうよ”って気持ちでいると、不思議と冷静でいられた。

優里が「千陽、大丈夫?」と心配してくれるから、「永那に泣かされた~」と言うと、永那が困った顔をしながらも頭を撫でてくれた。

空井さんにあたしと永那のラブラブぶりを見せつけられたみたいで、ちょっと優越感。

空井さんが永那に話しかけたさそうな顔をしていたけど、あたし達を見て帰って行った。


その後、永那は結局クレープに付き合ってくれた。

「デート楽しい」

永那の腕に抱きつく。

永那は興味なさげにクレープにかぶりついていた。

「ねえ、カラオケも付き合ってよ?」

「え!?」

永那が嫌そうな顔をする。

「体育祭の打ち上げのとき、あたしの手、振り払ったの、覚えてる?」

永那は心当たりがあったらしく、ため息をつきながらも付き合ってくれた。

帰る頃には日が暮れていた。

永那はいつも通り家まで送ってくれた。

「永那、今日はありがと」

「いいよ」

そう言って、永那は背を向けて走り出す。

いつかあの背中が、あたしのものになるんだって思いたい。


朝、2人でいられる時間が一番好き。

それは中学のときから変わらない。

永那が寝るようになって、話せることは減ったけど、それでも2人だけの時間が好き。

寝ている永那の髪を撫でて過ごす。

まだ誰も来ない時間は、(寝ている永那にキスしたら、怒られるかな?)なんて考えたりもする。

チラホラ人が入ってきて、わりと早い時間に空井さんが学校に来る。

空井さんの視線も感じる。

あたしが永那の隣にいるのは当たり前だって思わせたい。

永那が「ちょっと穂にノート借りてくる。あれ、けっこうわかりやすくて良いんだよね」と笑って、空井さんの席に向かった。

「私も永那に見せてもらったけど、わかりやすかったな~。ちょっとほしい」

優里もそんなこと言うから、真顔でジーッと見てると、優里は「だめだった?」と泣きそうな顔をした。

それがおもしろくて「ごめんごめん、全然いいよ」と笑った。

永那に視線を戻すと、2人が仲良く笑っていた。

妙に絵になるような美しさを感じて、自分で自分に苛立つ。

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