第28話 王子様
学校で、2人がよく目を合わせて微笑むようになった。
ズキズキと胸が痛んで、叫びたくなる。
2人の間に会話はほとんどないのに、あたしの知らないところで2人が繋がってる。
永那は何も話してくれない。
中学のときは、あんなに、全部話してくれたのに。
空井さんの視線を感じたとき、あたしは永那にくっつくように意識した。
永那はあんたのじゃない。
永那はあたしの王子様だ。
体育祭。
永那との二人三脚が終わったら、後はつまらない。
せいぜい、永那の障害物競争を応援するくらいで、自分が出場する綱引きには興味がない。
でもまさか、永那が障害物競争で“好きな人”のカードを引いて、空井さんのところに走っていくとは思わなかった。
クラスメイトも少しザワついた。
「え?なんで空井さん?」
みんながそう言った。
カードの内容が発表される前は「“クラス委員長”のカードだったのかな?」とみんな予想していたけど、全然違ったから理解が追いつかなかった。
カードの内容が発表されなくとも、あたしは空井さんが永那の服の汚れを落としたり、髪を整えたり、顔を拭いてあげている様子を見て、歯を食いしばった。
「空井さんってけっこう優しいよね」
隣に立っていた優里が言った。
「は?…そう?べつに優しくなくない?」
優里のタレ目があたしを見る。
「いやあ、なんていうかさあ…面倒見がいいっていうか」
2人の姿に視線を戻して「ほら」と優里が言う。
「永那がみんなに言って、結局掃除は当番の人がやるようになったけど、それまで空井さんって何も言わずに1人で掃除してたじゃん?」
優里が優しく笑う。
「ロッカーに花が飾ってあったりしてさ、いつも教室がピカピカだったし、なんか、心地良いなあって思ってたんだよね」
たしかに、空井さんが掃除するときはいつもそうな気がする。
「なんだろう?家庭的って言うのかな…女の子らしいっていうか。今時いなくない?ちょっと、アニメに出てくるような、理想のお母さんみたいな」
優里が口元を押さえて笑う。
「頭も良いし、自分の意見もハッキリ言えるし、大人っぽいし、ちょっと憧れちゃうなー、私。そのうえ、クラス委員長も副生徒会長もやってるんだよ?すごくない?」
優里はちょっとどん臭い。でもそこに可愛げがある。
部活はバドミントンをしていて、一度試合を見に行ったこともある。
教室での姿とは違って、真剣な姿は、なかなかかっこよかった。
そんな優里に空井さんの良さを説かれると、思わず「そうだね」と言ってしまいたくなるような感覚に陥る。
永那が歩いてこちらに向かってくる。
満足げな顔。
永那に不満を垂れると、永那が少し冷たい目を向けてくる。
中学のときから変わらない目。
その目を向けられた状態で、適当に頭を撫でられて、あたしはドキドキした。
やっぱりこれが永那だよ。
こうやって、裏では冷たいのが、あたしの王子様だ。
ファミレスで打ち上げをする。
他にもうちの学校の生徒が何グループもいて、ファミレスはうるさいくらいだった。
いつもなら永那も盛り上げる側に立つのに、何度もスマホを見てソワソワしていた。
2次会のカラオケでも、いつもなら真ん中を陣取るのに「どうぞ、どうぞ」なんて言って、一番端に座った。
あたしが何度も「永那、そろそろ曲入れたら?」と言っても「いや、まだいいよ」と返される。
そろそろあたしの入れた曲が流れるなあと思っていたら、永那が電話をかけ始めた。
ドアが閉まる前「
穂?…何?いや、誰?
永那はすぐ戻ってきて、鞄を取った。
永那の手を掴む。
「永那、どこ行くの?」
「あー、ごめん。帰る、かも」
「なんで?まだ来たばっかじゃん」
永那の眉間にシワが寄る。
永那はいつもすぐ帰っちゃうから、永那が遅くまで残っているのが珍しくて、あたしは嬉しかった。
もっと一緒にいたかった。
「ごめん、急いでるから」
「じゃあせめて、あたしの曲が終わってからでも」
「ごめん」
永那の手を強く握ったけど、バッと振り払われた。
「…え?」
そのまま永那は出ていく。
放置されて宙に浮いたままのあたしの手が、震えていた。
ふと視界に入った体育祭のしおり。
副生徒会長の名前に「空井 穂」と書かれていて、視界がボヤけた。
「永那帰ったの?」
優里があたしの耳に口を近づけて聞く。
みんなが騒いでいて、音がうるさくて、隣にいても普通に話したら聞き取りにくい。
なのに、不思議と永那の声だけはハッキリ聞こえた。
聞きたくなかった。
…聞きたくなかった。
やめてよ、永那。そんな、恋してるみたいな顔で。
あたしはなんとか首を縦に振った。
「珍しい」と優里が言って、マイクを渡してくれる。
あたしは曲を飛ばしてもらって、優里に帰ると告げた。
もう日は落ちていて、外は暗かった。
涙が頬を伝って落ちていく。
ねえ、永那。
ここ駅前だよ?
繁華街だよ?
あたしがナンパされて、強引に連れて行かれたら、後悔しない?
ほら、誰かが話しかけてくる。
腕を掴まれて、それを振り払う力も出ない。
体が震える。
肩を抱かれる。
怖い。助けて。永那…なんで…?
「千陽!…ちょっと!どいてください!警察呼びますよ!」
ボヤけた視界に映ったのは、優里だった。
「千陽?大丈夫?…どうしたの?」
「優里」
***
優里が自販機で水を買ってくれた。
公園のベンチに2人で座る。
「永那となんかあった?」
優里が心配そうに見つめてくれる。
「べつに…なにも」
「なにもって…そんなわけないでしょ?」
優里があたしの手を握ってくれる。
涙が溢れ出てくる。
「あぁ…」
優里があたしの頭を抱いてくれる。
あたしは彼女の背に腕を回して、大声で泣いた。
「本当に、なにもないの」
彼女の制服を汚してしまっていることも気づかずに、あたしは泣きながら言う。
「なにも、ない…!」
「わかった、わかったよ」
「なにもないのが、悲しい」
優里があたしの体を起こす。
「どういうこと?」
「あたしがどんなに永那を好きでも、永那はあたしを好きになってくれない」
「え?永那は千陽のこと大事にしてるじゃん!」
ギリリと奥歯が鳴る。
「大事にしてくれてる。…でも、あたしのことが好きだから大事にしてくれてるわけじゃない」
優里が困った顔をする。
「永那、空井さんが好きなんだと思う。…友達としてじゃないよ?…恋愛として」
震える手を握りしめる。
「えぇ!?そうなの!?」
「…わからない。聞いたわけじゃないから。でも、なんとなく」
優里はもっと困ったようで、眉間にシワを寄せてしまっている。
「えーっと…でも、ほら、永那の一方通行の可能性のほうが高くない?空井さんって、恋愛とかするイメージないし!」
必死に励まそうとしてくれるけど、例え一方通行だったとしてもあたしが悲しいことに変わりないんだけどなあ…と、ちょっと笑えてくる。
それに、あの雰囲気は…。
深呼吸する。
「千陽がもっと永那にアタックして…永那、こんな可愛い千陽が永那のこと大好きなんだぞ~!って、やって…さ…」
あたしが笑うと、優里がへへへと笑う。
「ご、ごめん…なんか、違うよね」
「うん。でも、ありがとう」
少しの沈黙がおりる。
「私、2人がなにも言わないから聞けなかったけど、てっきり付き合ってるのかと思ってたよ」
「あたしと、永那が?」
「そう。お似合いだし」
胸がギュッと締め付けられる。
「そうなれたら、よかったなあ」
つい本音が溢れる。
「永那は、なんであたしに手を出さないんだろう?」
「えっ?」
優里の純粋な反応が面白い。
「ここだけの話、永那ってめっちゃチャラいからね」
「うぇっ!?そうなの!?…モテるのは知ってたけど」
もう、こうなったら仕返しだ。
“秘密”とは言われていないし、言っちゃうもんね。
心の中で舌を出す。
「下手したら、優里も手出されてたかもね?」
そうおちょくると、優里がパタパタと顔の前で手を振った。
「いやいやいやいや、ないないない」
その姿があまりに可笑しくて、声を出して笑った。
「うー…なんか、永那がチャラいって、うーん、なんか」
「想像できない?」
「いや、できなくはないけど…私、そういうの全然わからないから…今まで誰とも付き合ったこともないし」
優里が恥ずかしそうに俯く。
「千陽は、経験豊富なんでしょ?」
純粋な瞳でまっすぐ見られると、自分の存在が恥ずかしく感じる。
「そう見える?」
「え?…うん」
あたしは含み笑う。
「えぇ?」
優里が首を傾げる。
横目で優里を見て、彼女に耳打ちする。
「あたし、今まで誰とも付き合ったこともないし、誰ともキスしたことないし、その先も…ないよ」
優里は目を見開いて、口を大きく開けて、あたしを見た。
「うっそー」
「ほんと」
「えー!でも前に彼氏いたことあるって…」
「うん、まあ。実際にはいたんだけどね」
「え!?どっち!?」
あたしが笑うと、優里がポカポカ肩を叩いてくる。
「でも、付き合ったうちにいれたくないの」
「どゆこと?」
「うーん、あたしストーカーされたことがあって」
「え!?待って…ちょっと追いつかない」
フフッと笑って、あたしはかまわず続ける。
「1人で帰るのが怖くて、適当に見繕った相手だったんだよね。結局、あたしの体目当ての相手ばっかり…顔で好きになられて、中身なんか見てもらえてない…そんな相手ばっかりだった。あたしも相手を好きじゃなかったし、相手もあたしを好きじゃなかったなら、付き合ったうちに入らなくない?恋人らしいこと…キスとかもしてないしね」
「な、なるほどー…難しい」
いじめられていたことは、言えない。
まだ、言えるほど傷が癒えていない。
***
「あたしはね、中学のときからずっと永那だけが好きだったの」
空を見上げる。
「永那ってホントエロいから、何度も誘ってみたりするんだけど、全然ノッてくれなくてねー」
水を飲んでいた優里が咽る。
「ちょ…そんな、いきなりの暴露やめてよ!」
優里の反応がいちいち面白い。
「暴露っていきなりするものでしょ?」
「いや!でもさ!もうちょっと…少しずつ、さ!」
「えー?少しずつ言ったつもりだけど?」
優里が唇を尖らせて、ペットボトルの口に突っ込んでる。
「永那って、そんななの…?」
伺うようにあたしを見る仕草が好奇心旺盛な子供みたい。
「そんなだよ」
「キャー!」
両足を上げて、手で顔を覆う。
「ああ、でも。誰彼かまわず手を出すわけじゃないよ?もちろん」
「え?うん、わかってるよ」
少し永那のことを悪く言い過ぎたと思って焦ったけど、優里は勘違いしていなさそうで安心した。
「誰にでも手を出すなら、もう千陽と…そういう関係になってるでしょ?」
「そりゃそーだ!」
2人で笑う。
「あたし、もう少し頑張ってみようかな」
「え?」
「永那のこと」
優里の顔がパッと明るくなる。
「うん!私、応援するよ!」
「…振られたら、慰めてくれる?」
そう言うと、あからさまに悲しそうな顔をする。
「私にできることなら、なんでもするよ」
困ったように笑う優里。
「ありがと」
宣言した通り、あたしはちょっと頑張ってみることにした。
翌日、空井さんに声をかけた。
空井さんは心底驚いた顔をして、呆けてる。
まずは、2人の関係を確認する。
でも返事がないから、あたしは彼女を揺さぶることにした。
彼女の瞳が揺れる。
…ああ、嫌だ。…こんな
自分で話して、昨日の胸の痛みが蘇ってくる。
彼女から言葉を聞けたわけではなかったけど、確信できるだけの反応を見せられてしまった。
2人は両想いで、きっともう、付き合ってる。
きっとあたしに勝ち目はほとんどない。
そもそもこれだけ長い時間永那と一緒にいて何もないんだから、今後も可能性が低いって、嫌でも思い知らされる。
…それでも。
永那の過去を話したら、この、大真面目で正義感の強い人なら、“自分じゃ不釣り合いだ”って思ってくれるかもしれない。
そんな期待を込めて、永那の過去を話した。
なんてあたしは性格が悪いんだろう?って思う。
こんなんで、永那に好きになってもらえるわけない…って、わかってる。
永那に嫌われるかも。
こんなことバラして、永那に嫌われるかも。
嫌だ、嫌われたくない。
…そう思うと、視界がボヤけてきて。
もうだめだと思ったときに、チャイムが鳴った。
あたしは机に突っ伏して、必死に鼻をすすらないように泣いた。
永那にいつバレて嫌われるのかと不安だった。
でも、何日経っても永那はいつも通りだった。
木曜日になって、あたし達の輪に空井さんが入ってきた。
どういう心境の変化なのか、永那にノートを渡す。
永那には、あたしがノートを書いてあげてる。
毎日、前日の授業のノートを全部永那のノートに書き写して渡している。
だからわざわざテスト用にまとめたノートなんて必要ない。
永那はそれで今までちゃんと良い成績を取ってるし、空井さんだってそれをわかってるはずなのに…。
そうだ、喧嘩を売られてるんだ。
前にあたしが空井さんを挑発したから。
喧嘩を買われた…という言い方のほうが正しいのかな。
ふいに永那が頭を上げた。
あたしは永那の真後ろに立っていたから、ちょうど胸元の辺りに頭が当たる。
ドキドキしないわけがない。
こういう、不意をつく、全く悪意のない、全く下心のない行動で、何回あたしが永那にドキドキさせられたか。
…でも、永那が普通に「穂」と空井さんの名前を呼んで、気持ちが冷めていく。
優里が「“穂”って、空井さんの名前?」と聞く。
永那はニヤニヤしながら「そうだよー、綺麗な名前だよね」なんて言った。
周りの女子も話に参加してくる。
永那と空井さんが名前を呼ぶようになったのは2週間前で、掃除のときに仲良くなったと。
…なるほど、あたしが知らないわけだ。
その頃から付き合い始めたとすると、2人が話すようになったのはもっと前か。
付き合ったのは…永那がみんなに掃除をするように言った日…?
突然空井さんの腕を掴んで出て行って、教室に戻ってきたとき、今まで見たこともない顔をしていた。
ああ、だめだ。
グサグサと胸が抉られていく感覚。
認めたくない。
知りたくない。
あたしが知らない永那を見せつけないで。
あたしが見たこともない永那を見ないで。
永那は、あたしの王子様なのに。
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