第66話 夏が終わる
家に入ると、お母さんがいた。
「お、お邪魔します」
他人の母親なんて、優里の母親以外会ったこともない。
彼女はビールを飲んでいた。
…なんか、イメージしていた空井さんのお母さんと全然違う。
もっと…女性らしいというか…そういうイメージだったけど、どちらかと言うとサバサバしてて、好感を抱いた。
「こんばんはー!…あらー!可愛いー!2人とも、すんごい可愛い!!」
少し酔っている。
「もう、お母さん…。ごめんね」
空井さんが眉をハの字にして、あたしを見る。
2人で部屋に行って、着替える。
浴衣は、脱ぐのは簡単だった。
荷物を持って部屋を出る。
「あら?もう帰るの?」
「はい、お邪魔しました」
「えー!全然!全然邪魔じゃないよー!…っていうか、もう9時!…こんな夜に…こんな可愛い子が1人で帰るなんて、心配」
お母さんは立ち上がって、あたしを見る。
「泊まってったら?…そうだよ、そうしなよ!」
笑いながら肩を叩かれてびっくりする。
「お母さん、友達に絡まないで」
空井さんに“友達”と呼ばれて、少し心臓が跳ねる。
「飲みすぎ」
「いいじゃーん、今日お祭りなんだしー。お母さん仕事頑張ったんだよー?帰りすんごい混んでて疲れたー、褒めてー」
「えらいえらい」
…永那への扱いが上手いのは、このお母さんがいるからなのかな。
テーブルの上には、帰りに買ったのか、たこ焼きの残骸があった。
「ねー、穂ー…こんな可愛い子…ひっく…可愛い、子…1人で帰しちゃだめでしょー?」
「千陽、泊まってったら?」
弟が言う。
「いい、の?」
「うん!お母さんも言ってるし」
空井さんを見ると、困ったように笑っていた。
「服は…私のでいいかな?」
友達の家に、お泊まり…?
初めてのことにドキドキする。
っていうか、これってもしかして、永那もしたことないんじゃないの?
口元が綻ぶから、手で隠す。
永那に勝った気分。
あたしはママに連絡して、了承を得る。
先にお風呂に入らせてもらう。
ルームウェアは、空井さんのを借りる。
空井さんはあたしよりほんの少し身長が高いけど、一般的なMサイズだから同じ服が着れる。
ショーツと歯ブラシは、空井さんと2人で近所のコンビニに行って買った。
「本当、お母さん酔っ払っててごめんね」
空井さんがまた謝るから「べつに」と返した。
「永那と、何してたの?」
「結局、ずっとあのままで…焼きそばを2つだけ買って帰ったよ」
「ふーん」
なにそれ。
あたしには全くお構いなしですか。
寂しさが膨らんでいく。
そんな会話をして帰った。
湯船に浸かると、足の浮腫が和らぐ気がした。
フゥッと息を吐く。
人の家のお風呂なんて、ちょっと緊張するけど、楽しさもある。
空井さんの使っている石鹸類をしっかり確認。
ドライヤーを借りてから、リビングに戻る。
あたしと入れ替わりで、弟が入った。
「あの、佐藤さん」
「なに?」
「家に予備の布団がなくて…その、あたしと同じベッドで寝るのでも、大丈夫かな?…もしあれだったら、私、誉と寝るけど」
「楽しみ」
「え!?」
あたしが笑うと、空井さんは気まずそうに目をそらした。
お母さんに名前やら住んでいるところやらを聞かれて答えたけど、2周目の同じ質問が始まって、空井さんがお母さんを引っ張って部屋に連れて行った。
「本当、ごめんね。なんか、今日は酷いな」
「いつもじゃないんだ」
空井さんが苦笑いを浮かべる。
「いつもではないよ。仕事が一段落したり、疲れ過ぎたりすると、ああなっちゃうんだよね」
空井さんがあたしのお茶を用意してくれる。
冷たい麦茶が喉を通って、疲れが解けていく。
弟がお風呂から出て、空井さんが入る。
「ゲームする?」
「今から?」
時計を見ると、もう10時を過ぎていた。
「…姉ちゃんに怒られるか」
弟は肩を落として、テレビをつける。
あたしはいつも0時過ぎに寝てるから、べつにやっても良かったけど。
「あんた、いつも何時に寝てんの?」
「11時」
…じゃあ、絶対できないじゃん。
はしゃいで疲れたのか、弟は口を大きく開けてあくびをした。
空井さんがお風呂から出た。
「誉、歯磨きしちゃって」
まだ髪が濡れている。
…永那は、こんな姿、見たことあるのかな?
白地に赤い小花柄のガーゼ生地のルームウェア。
あたしはサテン生地のブルーグレーのルームウェアを借りている。
全体的に良い物を持っているような気がするけど、お母さんの仕事ってなんなんだろう?
前に難しそうな本が山積みになっていた。
医療系…なのかな?
よくニュースなんかでは、シングルマザーは貧困だって言われていると思うんだけど、空井さんの家は違いそう。
空井さんがあたしの横に座って、髪をタオルで拭いている。
たまに、お母さんの部屋から唸り声が聞こえてくる。
空井さんは苦笑しながら「気にしないで」と言う。
弟が歯磨きを終えて「佐藤さんも歯磨きする?」と聞いてくれる。
あたしが頷いて、一緒に廊下に出る。
…こんな家あるんだって思ったけど、空井さんの家は廊下に洗面台がある。
洗面台を隠すように袖壁があって、その奥には収納スペースがある。
浴室の脱衣場にはドラム式洗濯機と全身鏡があるだけで、洗面台はない。
広めの洗面台だから、2人で並んでも問題ない。
空井さんがドライヤーをかける。
あたしは横で歯を磨く。
あたしが先に歯を磨き終えると、まだドライヤーをしていた空井さんが「先行ってていいよ」と言ってくれた。
リビングに戻ると、弟がテレビを見ながら船を漕いでいた。
あたしはその横に座って「寝てきたら?」と言った。
ムニャムニャ口を動かしながら、彼は目を擦る。
頷いて「おやすみ」と言われたから、返す。
ボーッとテレビを見ていたら、空井さんが戻ってきた。
「誉は?」
「寝た」
「そっか、今日楽しそうにしてたもんね。私もちょっと疲れちゃった」
そう笑うから「じゃあ、もうベッド行く?」と聞くと「そうだね」と返された。
***
あたしが壁側(窓側)に寝転んで、空井さんがドア側。
普通に並んで寝られるのがすごい。
やっぱり広いなあ。
「佐藤さん、今日はありがとう。楽しかった」
空井さんが微笑む。
「あたしも、楽しかった」
あたしと目が合うと、空井さんは前髪を指で梳く。
「よかった。…じゃあ、おやすみなさい」
そう言って、あたしに背を向けてしまう。
「ねえ、もう寝ちゃうの?」
「え?」
あたしは空井さんの背中にくっついた。
右手を彼女のお腹に回す。
「空井さん」
「な、なに?」
「どうしてあたしのこと、好きなの?」
しばらくの沈黙がおりる。
彼女の鼓動の速さが、背中から伝ってくる。
「あたし、空井さんが嫌がること、永那にたくさんしたでしょ?…あたしだったら、あたしを好きになれない」
「…私が、佐藤さんから永那ちゃんを盗るみたいになってしまったのは事実で…本来なら、佐藤さんはもっと怒ってもいいと思うし、まして一緒に遊んでくれるなんて、ありがたいなって」
「へえ」
あたしは彼女の背中に額を押し付ける。
「永那ちゃんがずっと佐藤さんを守ってきたこと…大切にしてきたこと…すごく伝わってくる。そんなに大切にされたら…好きになっちゃうよね。私も永那ちゃんに大切にされて、今、誰にも盗られたくないって思う。だから佐藤さんが、どれだけ辛い思いをしたのか想像すると…なんで私と一緒に遊んでくれるんだろう?って思う」
あたしは、永那から離れられなかっただけで、空井さんと一緒にいたかったわけじゃない。
むしろ見たくなかったし、たくさんイライラしてた。
「私、みんなのおかげで、楽しく過ごさせてもらってる。だから私、佐藤さんが好きだよ」
…あたしってこんな単純だったっけ?
空井さんに“好き”と言われただけで、胸がギュッと締め付けられて、嬉しさが込み上げてくる。
空井さんがあたしの辛さを想像してくれていたなんて知らなくて、いつか優里の胸で泣いたことを思い出す。
彼女の服を握りしめる。
涙を必死に堪らえようとして、歯を強く噛みしめるけど、どんどん溢れ出てくる。
「佐藤さん?」
彼女が振り向く。
体を反転させて、あたしに向き合う。
そっと抱きしめられて、止まってほしいのに、見られたくないのに、鼻水まで垂れてくる。
頭を撫でられる。
あたしは彼女の服に縋りつくみたいに手を握りしめた。
あたし、寂しくて、たまらないみたい。
彼女がティッシュで顔を拭いてくれる。
永那が泣いたときみたいに。
暗がりの中で微笑む彼女が綺麗で、あたしは彼女の唇に唇を重ねた。
すぐに彼女が離れる。
「さ、佐藤さん、だめだよ」
「やだ」
「え!?…で、でも」
「空井さんがあたしから永那を盗ったなら、空井さんが埋めてよ。永那を盗った分、埋めてよ」
そう言って、また重ねる。
「寂しい。…寂しいの」
彼女に覆いかぶさるようにして、何度も、何度も。
彼女が永那にやっていたみたいに。
「佐藤さん…!」
彼女に肩を押される。
それだけでまた、涙が溢れてくる。
彼女の頬にあたしの涙が落ちていく。
「あ…佐藤…さん…」
彼女が困ってる。
それでも指で目元を拭ってくれる。
「今だけ…今だけ“千陽”って呼んで?…明日からは、また“佐藤さん”でいいから」
彼女の瞳が揺れる。
「…千陽」
あべこべな気持ち。
永那を盗った相手なのに。
あたしは永那が好きなのに。
本当は、空井さんなんて、嫌いなのに。
なんで、嬉しいの?
彼女に口付けする。
彼女がギュッと目を瞑る。
彼女の唇を舌でなぞる。
永那が、彼女にやっていたみたいに。
ずっと舐めていた。
ふいに彼女が笑う。
「くすぐったいよ…千陽…」
ああ…。
永那に感じていたドキドキが嘘だったみたいに、胸が締め付けられるほどに苦しい。
あたし、これ以上どうすればいいか、わからないよ。
…自分が、わからない。
「穂、好き」
彼女の目が見開かれる。
彼女がゴクリと唾を飲む。
「私は…」
あたしは彼女の唇に人差し指を置く。
「知らない。…知りたくない」
永那は空井さんが好き。
空井さんは永那が好き。
そんなの知ってるし。
「ダメだよ」
あたしの人差し指が、唇の動きと共に動く。
「私は、永那ちゃんが好き。千陽のことは好きだけど、友達でしょ?」
さすが、空井さん。
永那みたいには、甘くない。
…でも、どうかな。
あたしのキスを完全に拒絶していない時点で、甘々かも。
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