第65話 海とか祭りとか

4時頃マンションを出ると、浴衣姿の人がチラホラいた。

空井さんは簪を器用にさして、髪を上げている。

「誉、はぐれないでよ?」

「わかってるよー」

会場近くになると人がごった返していて、たまにぶつかってくる人なんかもいて、それだけで疲れる。

あたしは慌てて弟の腕を掴んだ。

弟が目を見開いてあたしを見る。

睨むと、少し頬を赤らめながら、そっぽを向いた。

人に寄りかかると、少しだけ疲れも癒える気がする。

弟の腕に抱きつくようにしながら歩く。

弟が持つハンディファンから風が吹いているけど、生ぬるい風がくるだけで、全然涼しいと思えない。


「千陽、何か食べたい物とか、やりたいこととかある?」

「べつに」

「そっかあ、じゃあ俺、ヨーヨー釣りやりたい!…姉ちゃん、いい?」

空井さんが頷く。

屋台がたくさん並んでいる。

ヨーヨー釣りの屋台について、あたし達は3人でやる。

弟は器用に1つ、オレンジ色の水風船を取っていた。

まだ紐が切れなくて、もう1つ取る。

今度は紫色。

そこで、こよりが切れてしまう。

空井さんも1つ、透明の水風船を取っていた。

あたしも集中して挑戦してみたけど、ようやく輪ゴムに引っ掛けられたと思ったら、水に浸かり過ぎたのか、持ち上がらずに切れてしまった。

「俺のあげる!どっちがいい?」

あたしは紫色の水風船を受け取る。


その後も、弟が行きたいと言うところについていく。

チョコバナナ、綿あめ、りんご飴(あたしはぶどう飴)、唐揚げ、じゃがバター、きゅうりの1本漬け、フランクフルト…たくさん食べた。

土日両日とも、小さな打ち上げ花火がある。

祭りの終わり際にあるから、それを楽しみに来る人もいる。

夜になるにつれ、どんどん人が増えていく。

「空井先輩」

弟が射的をしているのを眺めていたら、声をかけられた。

「あ、日住ひずみ君と金井かねいさん」

2人とも浴衣を着ていた。

…カップル?

でも、男のほうが空井さんを見て顔を赤らめている。

チラチラ空井さんを見るけど、真っ直ぐ見れない…みたいな感じ。

「佐藤さん、生徒会の後輩の日住君と、金井さん」

空井さんがわざわざあたしに紹介してくれる。

2人ともあたしをジッと見て、ペコリと頭を下げた。

「こちら、佐藤さん…と、今射的してるのが弟」

「…先輩方、綺麗ですね」

男が言う。

やっぱり、こいつかな。空井さんに告白した奴は。

顔もそこそこ整っていて、モテそう。

空井さんは、なに?モテる人にモテるタイプ?


「穂ちゃーん!千陽ー!」

聞き覚えのある声。

人混みをかき分けて、優里が走ってくる。

「わー!!2人とも似合ってるねー!」

優里は部活帰りらしく、制服を着ていた。

少し離れたところに制服を着ているグループがいるから、あれがバドミントン部の人達なのだろう。

射的を終えた弟があたし達の輪に入る。

「ねえ!写真撮ろー!」

優里が言う。

「SNSにあげたいから、千陽はダメだったらちょっと待ってて」

そう言われてあたしは少し距離を取る。

「あ、じゃあ先輩、俺達はこれで…」

そう言って、日住とやらが頭を下げる。

空井さんが頷いたのを確認して彼は歩き出すけど、少し名残惜しそうに空井さんを見ていた。

「撮るよー!」

優里が言って、弟がピースする。

カシャッと音が鳴る。

「SNSにあげるね?」

空井さんが頷く。

空井さんはSNSをやっていないらしく、優里のアカウントを興味深げに眺めていた。

「優里、俺もSNSにあげたいから送ってー!」

「いいよー!」

「じゃあ、今度は千陽も一緒に!」

あたしは小さくため息をついて、3人の輪に入る。

笑顔は作らない。

カシャッと音が鳴って、すぐにあたしはそっぽを向く。


「私、部活のみんなのところに戻るね!会えてよかったー!またねー!」

写真だけ撮って優里は去って行った。

「誉、ちょっと疲れちゃった。どこかで休も?」

空井さんが言う。

あたしもちょうど休みたかった。

どこもかしこも人だらけ。

かき氷を買って、会場から抜けた。

チラホラ人はいるけど、飲食店の裏側に回って、3人でしゃがむ。

弟が「姉ちゃん達、ちょっと、ヨーヨー近づけて」と言いながら、スマホのカメラを起動する。

弟が持つ水風船に、自分達のを近づける。

それを撮って、弟は楽しげにしていた。

「佐藤さん、足、痛くない?」

空井さんがポーチから絆創膏を出す。

あたしは下駄を脱いで、足の親指の付け根が赤くなっているのを見る。

「はい」

空井さんが絆創膏をわたしてくれる。

彼女も痛かったらしく、絆創膏を貼っていた。


あたしのかごバッグが振動する。

スマホを取り出すと、珍しく永那からの電話だった。

「なに?」

「今どこ?」

弟と空井さんがあたしを見る。

「どこって言われても…お祭り会場の近くで休んでる」

「今から行くから!」

少しイラついているような声でそう言われて、あたしの胸はキュゥッと締めつけられる。

…かっこいい。

「電話、出られるようにしといて」

「わかった」

そう言うと、すぐに切れる。

「なに?」

弟が聞く。

「永那、来るんだって」

「え?そうなの?」

空井さんが驚く。

「どっか、わかりやすい場所にいたほうがいいかも」

あたしが言うと、2人は頷いて立ち上がる。


***


お祭り会場の入り口付近に立つ。

入り口はいくつかあるけど、1番駅に近いところを選んだ。

たくさんの提灯が飾られていて、夜なのに眩しいくらい。

人は溢れ返っているけど、これなら少しはわかりやすいはず。

さっき買ったかき氷を食べ終えてしまって、弟は退屈そうに水風船で遊んでいる。

「永那、遅い」

弟が言う。

「まあ、この時間だと電車も混んでるだろうし…仕方ないよ」

空井さんが苦笑する。

「あれ?先輩、また会いましたね」

さっきの後輩が声をかけてきた。

「日住君、金井さん…2人とも、中にいたんじゃないの?」

「いやあ…俺初めて下駄履いたんですけど、けっこう痛いんですね…コンビニ行って絆創膏買ってました」

彼はあたし達のそばに来てから、柵に寄りかかる。

「ほら、金井も」

絆創膏をわたして、2人とも親指に貼る。


空井さんが2人と話していて暇だから、あたしはスマホを出す。

『駅側の、会場の入り口らへんにいるから』

永那にメッセージを送る。

すぐに既読がついて『もうすぐ駅つく』と返事がきた。

ボーッと画面を眺めていたら、着信があって、すぐに出る。

「ついた、今行く。駅出たらまっすぐでいいの?」

「そう。人の流れについていけばつくんじゃない?」

「わかった」

またすぐに切れてしまう。

「千陽、永那から?」

「うん、もうつくって」

「そっか」

弟が頷いて、あたしの指についている、水風船のゴムを取る。

「ちょっと貸して」

彼は中指と人差し指に水風船をつけて、ポンポン音を立ててバウンドさせる。

それをしばらく眺めていたら、視界の端に永那が映った。


永那と目が合ったけど、彼女はすぐにあたしの隣に視線を移す。

永那の眉間にシワが寄っていて、(あーあ、完全に怒ってるじゃん。どんなタイミング?)と思ってしまう。

永那は走ってきて、それに気づいていない空井さんの腕を掴んで振り向かせる。

「あ、永那ちゃ」

“ん”を言う前に、唇を塞がれる。

空井さんの顔が赤いのは、提灯の光のせいか、それとも恥ずかしいからか。

「なんで出ないの?」

「え?」

もう一度永那は唇を重ねて…それは今まで見た中で一番長いキスで、あたしは見ていられなくなる。

空井さんの横に立つ日住はあたしと同じように目をそらし、金井は興味深げに見ていた。

弟は頭をポリポリ掻いて、あたしと目が合うと照れくさそうに、どこか申し訳なさそうに、笑った。

なんとなく、あたしは弟の頭を撫でる。

弟は今度こそ照れたようで、口元を綻ばせていた。


「なんで、電話に出ないの?」

「ご、ごめん。気づかなかった」

「ハァ」と永那がため息をつく。

「永那ちゃん、大丈夫なの?来て」

「大丈夫じゃない。…でも、もっと大丈夫じゃなかったから」

空井さんが首を傾げる。

「優里のSNS、見た」

永那は彼女を強く抱きしめて、首筋に顔をうずめた。

あたしは優里のアカウントを見る。

写真を見て、気づく。

後ろに日住が写っていた。

しかも、明らかに空井さんを見ている。

「永那、射的とかあったけど、やる?」

弟が2人のそばに行って聞く。

「やらない」

永那が無表情に弟を見て、答える。

「先輩、私達、行きますね」

金井が空井さんに言う。

空井さんは永那に抱きしめられたままで身動きが取れないらしく「う、うん。またね」と答えていた。


永那が全く空井さんを離す気がないから、弟と顔を見合わさる。

「え、永那ちゃん…」

「まだ、もう少し」

「ねえ、あたし達、先行ってていい?」

「うん」

永那が言う。

あたしと弟は歩き出す。

振り向くと、まだ2人は抱きしめ合っていた。


「あ、姉ちゃんだ。…もしもし?そーなんだ。今、神社の近くにいるよ。…うん、待ってるねー」

弟が電話を切って、あたしを見る。

「永那、帰ったって」

胸がチクリと痛む。

ろくに話せなかったじゃん。

弟とフラフラ屋台を見て回って、もう2人ともお腹いっぱいだったから特に何も買わずにいた。

あと30分ほどで花火の時間になったから、神社に来た。

人混みで、とてもじゃないけど座れない。

少しして、もう一度弟に電話がかかってきて、空井さんと合流する。


花火が打ち上がると歓声が起きる。

打ち上げ花火なんて、いつぶりだろう?

小学生のとき、ママとパパと3人で見たかな。

花火が終わると、雪崩れるように人が動く。

「帰ろっか」

空井さんが言う。

あたし達は空井さんの家に帰った。

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