第100話 先輩

穂がもう1つ食べたそうにモゾモゾ動いてるから、私が適当に取って、穂の前に置いてあげる。

「い、いいの?」

上目遣いに聞くから、頷く。

「べつに、穂にもあげるよ?」

千陽が頬杖をつきながら言う。

「え?ホントに?」

穂の顔に花が咲く。

…私は、こんなふうにしてあげられない。

「パパが大量に買ってるの」

落ち込みかけて、持ち直す。

「急に取引先に行かなきゃいけないときのためにって。ほとんどないんだけどね」

「千陽ちゃんのパパは、何されてるの?」

「IT系の会社を…」

「しゃ、社長さん!?」

「…はい」

「すごーい!」

お母さんが拍手してる。

穂が、私が適当に置いたグミの中から1つ取って、後は箱に戻していた。


穂がご飯の準備をしてくれる。

お母さんと千陽がその横に立つから、キッチンは満員だ。

私はリビングから3人を眺める。

何枚か写真を撮る。

千陽は最初唇を尖らせていたけど、そのうち気にしなくなって、穂とお母さんと話していた。

撮った写真を見返すと、千陽が笑っていて、思わず笑みが溢れる。


…頼れる人、か。

畳に寝転ぶ。

千陽が笑ってる写真を見ながら、先輩のことを思い出す。

お姉ちゃんと仲良くしてたって、言っていた。

私達の事情も、知っているみたいだった。

お姉ちゃんが、私達の事情を話せた相手…?

あのときは、私達のことを他人に軽々しく言うなよって思ったけど、それだけ仲が良かったってことだよね。

先輩の連絡先は消していない。

…あれから、本当に彼女から一度も連絡はない。

彼女とのメッセージ画面を開く。

最後は、私が彼女を呼び出したときに送ったメッセージで終わってる。

もう、3年も前。

私のこと、嫌いになってるよね。

話したくもないよね。

“キモい”なんて最低な言葉を吐いた私のことなんて、忘れたいよね。

今更頼られても、困るよね。

「ハァ」

目を閉じて、大きくため息をつく。


「永那~!」

「わっ!」

お母さんが私の上にダイブしてくる。

「今日ね、今日ね」

スマホの画面を見て、慌てる。

通話ボタンを押してしまっていた。

「ちょ、ちょ、待って、待って、お母さん」

すぐに切ったけど、汗がタラタラ流れ落ちていく。

心臓がバクバク鳴り始める。

「なに~?彼氏?」

「違うよ…」

『どうしたの?』

すぐにメッセージが来て、口から心臓が吐き出そうになる。

「ちょっと…外出てくる…」

「永那ちゃん?」

私は穂と千陽がいるのに甘えて、外に出た。

アパートの階段の一番下に座る。


なんて返せばいいかわからず、画面をジッと眺める。

心臓の音がうるさい。

『元気?』

画面を開きっぱなしだから、既読してることはバレてる…。

ああ、どうしよう。

『元気です。すみません、突然』

とりあえず、送る。

『良かった。全然平気だよ』

少しして『連絡くれるなんて思わなかったから、嬉しい』と続く。

胸が、ズキズキと痛む。

痛くて、シャツの胸の辺りをギュッと握る。

『何かあった?』

しゃがみ込んで、頭を抱える。

「ハァ」と息を吐き出して、スマホの画面を見る。

『お姉ちゃんに、会いたくて。先輩は、最近お姉ちゃんと会ってますか?』

『半年くらい前に、1回会ったかな。瑠那先輩と連絡つかないの?』

『連絡はできると思うんですけど、勇気がなくて。話しても、いつも、まともな話にならなくて』

『通話、してもいい?』

手汗がひどい。

何度も唾を飲むのに、肝心の唾がない。

『はい』

送ると、すぐにかかってくる。


「も、もしもし」

「永那、久しぶり」

「お久しぶりです…」

「余所余所しいなあ」

電話越しに、彼女が笑う。

「敬語じゃなくていいのに」

「いや…あの…。あの…すみませんでした。昔、ひどいこと言って」

「…ひどいことしてたのは、私だから」

奥歯を強く噛む。

良い方法ではなかったかもしれないけど、少なからず私は、あれに救われていた。

「そんなこと、ないです」

しばらくの沈黙がおりて「ごめんね」と先輩が小さく言った。

「それで…瑠那先輩と話したいって…」

「あ、はい。…あの、もうすぐ修学旅行があって、その間だけ、お姉ちゃんに帰ってきてほしくて。でも前に、違うことで頼んだときは、無理って言われて…」

「修学旅行かあ…それは、行きたいよね」

「…はい」

「お母さん、まだ…その…病気なの?」

「はい」

「そっか。…わかった。私から、話してみればいいのかな?」

「え!?いや、そんな…そこまでは…。ただ、どう話せば、お姉ちゃんに伝わるのか、アドバイスが、ほしくて」

「アドバイス…」

困ったように笑う声が聞こえる。

「瑠那先輩、頑固だからなあ…私にアドバイスできるようなこと…今は、思いつかないや。ごめんね」

「…いえ、ありがとうございます」


「永那ちゃん?」

穂の声が上から降ってくる。

「あ、穂…ごめん、すぐ行くから」

穂は首を傾げながらも頷いて、家に戻った。

「すみません」

「誰?」

「えっ…と…」

「彼女、だったりして…」

もうかなり涼しくなったというのに、額から流れ出る汗が止まらない。

「そうなんだ?」

フフッと彼女が笑う。

「…はい」

「…そっか。幸せ?」

ゴクリと唾を飲む。

今度はちゃんと、喉を通っていく。

「はい」


***


「そっか。良かった…本当に」

「先輩の、おかげです」

「え?」

「先輩が、いろいろ教えてくれたから」

彼女が吹き出すように笑う。

「先輩は、今…」

「ほら、彼女待たせちゃダメでしょ?…とりあえず瑠那先輩には私からも連絡してみるから」

「あ…ありがとうございます」

「じゃあ、またね」

「はい」

通話が切れる。

「ハァ」

やっとまともに息ができた気がした。

手すりに掴まって立ち上がる。


家に入ると「永那どこ行ってたの~!遅いー!」とお母さんに怒られた。

「ごめんごめん」

もうテーブルにはご飯が並べられていた。

穂が心配そうに私を見る。

千陽はご飯を眺めて止まってる。

「親子丼!すご~い!いっただっきま~す!」

穂と千陽がそれに続いて、私も「いただきます」と呟いた。

「あ、お母さん、さっき何か言おうとしてたよね?何?」

お母さんはブーッと膨れっ面になる。

「今日穂ちゃんが親子丼作ってくれるんだってって言おうとしただけだもん」

「そっか…ごめんね」

眉根を下げて、笑みを作る。


「お母さん、穂にガーデニングのこと言った?」

「あ!忘れてた!」

「ガーデニング?」

「そ~!ベランダでお花育ててるんでしょ?私もやってみたいな~って!」

「まあ、うちはベランダ小さいから、ちょっとしかできないかもだけど…良ければ教えてほしいなって」

穂が目をまん丸くさせてから、弧を描く。

「わかった。…ああ、でも、テスト終わってからでもいいかな?」

「テスト?」

お母さんが首を傾げる。

「もうすぐテストがあるんだよ」

「へ~!みんなえらいね~」

「勉強会も、するんです」

千陽が親子丼を両頬に詰めながら言う。

…どんだけ穂のご飯好きなんだよ。

「勉強会!楽しそ~!…あ!みんなうちで勉強会したらいいんじゃない?」

「い、いいんですか!?」

穂が珍しく乗り出し気味に言う。

「うん!だって~楽しそうだし~。みんなが来てくれたら嬉しいし~!」

穂がキラキラした顔をこちらに向ける。

可愛い。

「あ、あの…もう一人いても大丈夫ですか?」

「もう一人?」

「いいよ~!すごい!賑やかになりそう」

お母さんが楽しそうに笑う。


週の2日間は家に来ることになって、3日は穂の家と決まった。

自分が我慢しなければいけないと思っていたこと…自分にはできないのだと諦めていたこと…どんどん穂が、叶えてくれる。

「穂」

穂と千陽が玄関で靴を履く。

「ん?」

「明日、朝、早く来れない?」

「いいけど…なんで?」

「話したい」

穂が笑みを浮かべて「わかった」と答えてくれる。

2人の背中が見えなくなるまで、お母さんと2人で玄関前の通路に立った。

「風が気持ちいいねえ」

「そうだね」

もう秋が感じられる風。

暑くもなく、寒くもない、心地いい季節。

お母さんのことは、好きだ。

でも、私は、自分のしたいことも、したい。

穂がそばにいてくれる。…千陽も。

頑張ってみよう。


いつも通り千陽を迎えに行って、朝一番に学校につく。

ほんの少し後に、穂が来た。

「あたし、どっか行くね」

「千陽…いいから」

千陽が目を大きく開く。

「いても、大丈夫だから」

千陽は伏し目がちに、頷いた。

穂と向き合う。

「穂…私、穂に言ってなかったことがあって」

「なに?」

ゴクリと唾を飲む。

「ハァ」と息を吐いて、視線を落とす。

「私の…初めての相手…初めて、セックスした相手の話…聞きたく、ない、かも、しれないけど…」

首を掻く。

「聞かせて」

穂を見ると、まっすぐ私を見てくれていた。


「中1のとき…両親が離婚して、お母さんがおかしくなって…お母さんが、働けなくなって」

深呼吸する。

「お姉ちゃんがバイトして、なんとかもってたんだけど、それでもお金が足りなくなって…そのことを、お姉ちゃんが、ある人に相談したんだ」

穂が頷く。

「そしたら、その人に話しかけられて。その人と、セックスした。すごく、助けてもらった。でも、あのときの私には、それがよくわかっていなくて。ただ、都合のいい道具みたいに扱われているような気さえした」

穂の眉間にシワが寄る。

曖昧に濁してるから、どういうことか、わからないよね。

…でも、話したくない。

“セックスする代わりにお金をもらってた”なんて、言えない。

千陽は…理解できているのかも、しれないけど。

「半年ちょっと、そういう関係が続いて…“本当の彼女になりたい”って言われて、振ったんだ。それから、連絡を取ってなかった」

穂は黙って聞いてくれる。


「で…昨日、頑固でプライドが高いお姉ちゃんが、私達の事情を話せる相手だったんだよなって、ふと思って。私からお姉ちゃんに直接言っても、どうせ意味がないから…その人に、相談した」

「電話の、相手?」

「そう」

フゥッと息を吐く。

「そしたら、その人が、お姉ちゃんに言ってくれるって」

穂は目を見開く。

「良かったね!」

すぐに彼女は笑った。

「そっか…じゃあ、永那ちゃん、修学旅行に行けるかもしれないんだ!」

「わからないよ。その人が言っても、ダメかもしれないし」

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