第101話 先輩
「でもさ、私達からお母さんにちゃんと何度も説明して、その人がお姉さんにも話してくれたら、大丈夫じゃない?」
「そう…だと、いいな」
「頑張ったんだね、永那ちゃん」
頭を撫でてくれる、その姿が、愛おしい。
「穂と千陽がいてくれたから…話せたんだよ」
彼女が、透き通るような、綺麗な笑顔を浮かべた。
つい、私も笑みが溢れる。
「それで…もし、その人に、会うってなったら…穂は、嫌かな?」
「どうして?」
「え…いや、だって…そういう関係だった相手だよ?嫌じゃない?」
「でも、永那ちゃんを助けてくれた人なんでしょ?」
純粋に言われると、なんだか胸の辺りがむず痒くなるような感覚に襲われる。
「んー…まあ、でも…」
息を吐き出す。
「永那ちゃんは、あんまり、会いたくないの?」
「…わからない」
「私、一緒に行こうか?」
フッと笑ってしまう。
「それは、大丈夫」
「そっか」
会わずにすむなら、会いたくない。
思い出したくない、過去だから。
でも、彼女がお姉ちゃんに私のことを話してくれるなら、会ってお礼を言うのが筋だと思う。
心音先輩が“会いたくない”と言うなら、それはそれで良いけど…私が“会いたくない”と言うのは、我がままに思えた。
「穂、キスしたい」
「え!?」
「だめ?」
「いい…よ…」
チラチラ千陽を見てから、彼女の頬がピンク色に染まる。
可愛い。
彼女の顎を寄せて、そっと唇を重ねる。
何度も、何度も。
「いつまでやってんの。…人、来るよ。もうすぐ来る時間でしょ」
千陽がそばに立って言う。
私はもっとしていたかったけど、穂はその言葉で慌てて私から離れた。
前髪を指で梳く。
穂は…照れるといつもそうする。
「永那の家初めてー!楽しみー!」
優里のいつもの調子が、安心する。
とりあえず、私の事情は優里には話さないことにした。
優里のことだから、あからさまに心配して、それが思いっきり顔に出かねないと判断した。
何かあればその都度説明することにして、とりあえず放置。
今のお母さんの感じなら、たぶん大丈夫。
そう、信じたい。
次の週の、火曜日。
3人が家に来た。
優里は鈍くさいところもあるけど、基本的に礼儀正しい。
愛嬌もあるし、素直だし、お母さんとも上手くやってくれた。
…というか、一番お母さんと友達っぽく話していた。
「永那のお母さん可愛いー!綺麗!美人!」
「え~!!嬉し~!!!」
2人で抱き合っていた。
穂も千陽もそんなことしないから、なんか、新鮮だった。
私は今まで、勝手に恥ずかしいと思って、誰も家に呼ばなかった。
今となっては、その考えが馬鹿馬鹿しいとすら思う。
友達を呼ぶようになってから、お母さんは鼻歌を歌いながらお風呂に入るようになった。
穂が来た最初の日はまだ無理だったけど、たった1ヶ月でこんなにも変われるのかと、驚いている。
思えば、高1のときに優里が話しかけてきたときも、こんな感じだったような。
千陽の前に立って、目を輝かせながら「ねえ、なんでそんなに綺麗なの?お人形さんなの?」と聞いてきた。
千陽は首を傾げてから「知らない」と答えた。
「かーっ!完璧とはこのことか!神は二物も三物も与えるのだ!なぜ!なぜ!私には何一つ与えなかったのかー!神よー!」
そう叫んで両手を上げていた。
「ちょっとさわらせて?」
舌をペロリと出しながら、千陽の胸を指差す。
「やだ」
「えー!お願いお願いお願いします!」
千陽の眉間にシワが寄る。
「ちょっとだけ~!」
千陽は大きくため息をついて、無視した。
優里が盛大に転んでスカートが捲れてショーツが丸見えになったとき、筆箱を散乱させて転がる消しゴムを追いかけていたとき、ゴミと教科書を両方持っていて教科書をゴミ箱に入れたとき…他にもいろいろあるけど、そういうことをしでかしたとき、千陽がいつも面倒そうに手伝っていた。
面倒そうだけど…楽しそうに。
それから千陽と優里は仲良くなっていって、気づけば私達の間に優里がいた。
体育のとき、更衣室で千陽の胸をさわっている優里を見た。
(さわれて良かったね)と心の中で言っておいた。
優里は「破壊力!」と叫んで、自分の胸と比べていた。
そんな落ち込むならさわらなきゃいいのに…と思う。
「永那ちゃん」
「ん?」
「あのさ…4ヶ月記念日のことなんだけど」
「うん?」
「デート、したい」
畳に正座して、俯きがちに、上目遣いに私を見る。
「デート?」
「うん。家じゃなくて…どこか、2人で出かけたいんだけど…どうかな?…私達、あんまり、そういう、ちゃんとしたデート、してない気がして…」
…たしかに。
4人で出かけたり、公園に行ったりはしたけど…デートらしいデートと言えば、私が告白した、海に行った日以来、ないんじゃないの?
「わかった。どこ行きたい?」
「水族館とか…」
「水族館?いいよ」
穂が子供みたいに笑う。
…可愛い。
「私ね、いろいろ調べたの」
誉と海に行ったとき、誉も似たようなこと言ってたな。性格の似た姉弟。
…っていうか穂、テスト勉強はいいのかな。
私が言えることでもないけど。
***
穂がノートを出す。
いくつか水族館の名前が書かれていて、横にペンギンっぽい物やクマっぽい物、魚やクラゲも描かれていた。
「これ、穂が書いたの?」
「うん」
…なんだ、それ…可愛すぎか。
絵が絶妙に下手くそなのが、また可愛い。
「ここはね、シロクマがいるんだって。ここは、ペンギンが」
穂の横顔を見る。
真っ白な肌に、綺麗な黒髪。
耳にかかる髪が、好き。
舐めたらおいしい、彼女の首。
耳の後ろから肩にかけてが、すごくセクシー。
耳の後ろにホクロがあって、それが魅力を増している。
「永那ちゃん、聞いてる?」
「…あ、聞いてなかった」
「えー」
彼女が頬を膨らませる。
「ごめんね。もう一回教えて?」
「もー…」
彼女の調べた水族館の話を聞いて、候補を絞る。
千陽は隣でお菓子を食べていた。
優里とお母さんが楽しそうに話す。
…こんなふうに、楽しく過ごせる日がくるなんて、想像したこともなかった。
みんなは8時くらいまで家にいた。
千陽が心配になったけど、この前も穂が家まで送ったらしい…。
2人、キスしてそう。
ずるい。
…というか、穂も女の子なんだから、それはそれで心配でもある。
穂は「大丈夫」と防犯ブザーを自慢気に見せてきたけど、そういう問題じゃない。
朝、お母さんが寝た後、スマホを見た。
『瑠那先輩に話したよ。…少し、怒られちゃった。やっぱり私じゃ上手く説得できなかった。ごめんね』
心音先輩からだった。
昨日の夜にメッセージがきていた。
『いえ、ありがとうございます。…先輩、会えますか?』
送ったけど、すぐに既読はつかなかった。
返事がきたのは昼だった。
『会ってくれるの?』
『お礼も、言いたいですし。いつ、あいてますか?』
『今週の土曜日ならあいてるけど…急すぎるかな?』
『何時ですか?』
『何時でも』
『じゃあ、朝10時頃はどうですか?』
『いいよ。どこで会う?』
『先輩は、今も実家に住んでるんですか?』
『ううん、ひとり暮らししてるよ』
『じゃあ、その近くまで行きますよ』
先輩は、電車で1時間弱のところに住んでいた。
当然かもしれないけど、全然、何も知らなかった。
土曜日はあっという間にきた。
その少し前に、穂の突拍子もない爆弾発言によって脳内でパニックを起こしたけど…その話はまた別の機会に。
先輩の住む最寄り駅に、約束より1時間早くついた。
駅前にはスーパーやらお弁当屋さんやらが並んでいて、いかにもベッドタウンという感じだった。
ベンチって最高。
座って目を閉じていたら、すぐに意識がなくなる。
ハッと目を覚まして、飛び起きた。
「おはよう」
声をかけられて、横を向く。
大人びた、先輩がいた。
心臓が急に音を立て始める。
呼吸が荒くなって、何も話せない。
「永那、かっこよくなったね」
先輩はメイクをしていて、昔のイメージとは全然違うように思えた。
それでも、もちろん彼女の面影はちゃんとあって。
お店の時計が目に入った。
約束の時間から30分も経っていた。
「す、すみません…寝てて…」
「ううん。疲れてるんだろうなあって思って見てたよ。…すぐ、永那だってわかった」
私はフゥッと息を吐いて、俯いた。
「外じゃ、話しづらい内容だし、家…来る?」
心臓の音がうるさい。
私が頷くと、先輩が立ち上がる。
私は先輩の一歩後ろを歩いた。
「私、今大学通ってるんだよ。心理の勉強しててね。授業受けてると、ためになることが多くてびっくり」
先輩が私を見るから「そうなんですか」と答える。
先輩は寂しげに笑う。
「バイトもしてるんだ。カフェのバイト。…今度、彼女さんと来てよ」
私は曖昧に頷く。
彼女がフッと笑って「連れて来られるわけ、ないよね」と呟く。
彼女の家は10分くらいでついたけど、私にとっては1時間くらいにも感じられた。
細長いマンションの、4階。
「どうぞ」
「お邪魔します」
ワンルームだった。
シンプルだけど、あたたかみのある部屋だった。
二人掛けのソファがあって、そこに座る。
先輩がお茶を用意してくれて、隣に座った。
ほんの少し、距離を取る。
私はリュックからお菓子を出して「これ…あの…お姉ちゃんに言ってくれて、ありがとうございました」先輩が受け取ってくれる。
「ありがとう」
「いえ…本当、こちらこそ…ありがとうございます」
先輩はお菓子の箱をテーブルに置く。
しばらくの沈黙がおりてから、先輩が口を開いた。
「瑠那先輩、“まだ連絡取ってるの?”って、怒ってた。ちゃんと、説明はしたけど…」
彼女がため息をつく。
「怒っちゃってて、全然話を聞いてくれるような感じではなかったかも。一応、最後まで聞いてくれたけど」
「そうですか」
…やっぱり、修学旅行のとき、お姉ちゃんは帰ってきてくれないのか。
「ごめんね、何もしてあげられなくて」
「そんなこと、ないです。…言ってくれただけで、ありがたいです」
私はずっと、自分の手元を見ていた。
先輩を、直視できない。
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