第19話 靄

永那ちゃんは家に帰るとスマホを全く触らなくなるという。

お母さんのお世話があるから、朝までスマホを見れないこともざらにあると言っていた。

“だから返事が遅くなってごめんね”と謝られたことがあった。

佐藤さん達の話に聞き耳を立てていると、どうやら夜に連絡がないのは共通しているらしく、それがまた“永那ちゃんと早く話したい”と思う中毒性を生み出している。

彼女の連絡はいつも、朝方か、帰宅途中であろう時間だけ。

だからメッセージで長文のやりとりは当然できない。

メッセージで大事なことを話そうとも、元々思っていないけれど。


それでもさすがに今回の件は気になって、メッセージで2人でどんな話をしたのか聞いてみた。

『今度2人で話せるときに話すよ』と返ってきて、心の靄が濃くなる。

『明日会える?』と聞いたけど、返事はなかった。

土曜日の朝になって、ようやく返事がきた。

『ごめん、今日は厳しいや』

朝の4時で、こんな時間まで起きているのかと驚いた。

私がその返事を見たのが8時半。

『わかった』と返事をしても、当然既読はつかなかった。

『ごめんね』と返ってきたのは昼過ぎで、『大丈夫だよ』とすぐに入力しても、また既読がつかなかった。


日曜日も誘ってみようか迷ったけど、先週も無理して会ってもらったから、遠慮した。

誉の友達が遊びに来て、リビングで騒いでいる。

「マンションだからなるべく静かに」と何度か注意するのだけれど、すぐにうるさくなる。

前までは相手に嫌がられるほど諦めずに注意していたけれど、今日はそんな気にならない。

こんなにうるさいのに、お母さんは疲れて部屋で寝ている。

勉強をやろうにも集中できないし、永那ちゃんが佐藤さんに優しくする姿が思い浮かんで、妙にイライラする。

「ハァ」と大きくため息をつく。

勢い良く起き上がり、外に出る。

家にいても鬱々とするだけだから。


永那ちゃんの住んでいる街よりも少し栄えている私の住んでいる街は、住んで10年近くになる。

10年も住めば慣れたもので、大体どこに何があるか、地図を見なくてもわかる。

高校も“家から近いから”という理由で入った。

なんとなく、街で1番大きな公園を目指す。

先週の土曜日、生徒会でバーベキューをした公園だ。前回は直接バーベキュー会場に向かったけれど、今日は遊具近くの入口を目指す。

半袖でも少し汗ばむ気温。

風が吹けば少しは涼しいけれど、もう夏を感じさせる。

今日はポニーテールにして、ラフな格好だ。

遠回りするように、通っていた中学の前を通り過ぎる。

部活動に励む声が聞こえる。

少し覗いてみると、野球部のようだった。


公園につく手前で声をかけられた。

「空井先輩」

まだ歩くのもおぼつかないくらいの年の子と手を繋いでいる、金井さんだった。

「金井さん。…その子は?」

「ああ、姪です。年の離れた姉が出かけると言うので、今日は預かってるんです」

「へえ、可愛い」

しゃがんで「こんにちは」と言うと、金井さんの足の後ろに隠れてしまった。

「すみません、人見知りで」

「いやあ、全然」

金井さんが眼鏡をかけていて、なんだか新鮮だった。

「先輩は何をしているんですか?」

「散歩…かな」

「散歩ですか」

興味のなさそうな相槌。

「暇なら、お話でもしませんか?」

意外なお誘いに、私は頷く。


砂場近くのベンチに腰をかける。

金井さんの姪っ子は、楽しそうに1人で遊び始めた。

「先輩、あれから両角先輩とはどうですか?」

「うぇ!?」

本当に金井さんは恋話が好きだなあ…と苦笑する。

「ま、まあ…順調、かな?」

「へえ」

また興味がなさそうな相槌をうたれる。

「金井さんは、日住君と…どうなの?」

「どう、とは?」

さっき自分で“どうですか?”って聞いたのに。

「進展してないのかなあ?って」

「特にありませんが…来週の土曜日、一緒にテスト勉強することになりました」

「え!良かったね!」

金井さんの口元が少し緩んで、必死に隠そうとしているのか、唇がモゴモゴ動いている。

可愛い。


「金井さんと日住君って、教室でも話したりするの?」

金井さんは一瞬首を傾げて、すぐに答えてくれる。

「話しますよ。同じ漫画が好き…というか、日住君が好きな物は全部目を通してるので、私が後から好きになったのですが、同じ漫画が好きなので、その話をよくします」

バーベキューのときにも思ったけど、金井さんって日住君に対してだと躊躇いが全くない。

日住君の好きな人に自分を似せて、日住君が生徒会に入ると言うから自分も入って、日住君の好きな物は網羅して…私にはとても真似できそうにない。

真似する気もないけれど。

「最近新刊が出たばかりなので、ここ数日は毎日のように話してます」

「そっかあ…共通の趣味があるって、そういうときいいよね」

「先輩はないんですか?」

「あんまりないね。…永那ちゃんも漫画とか好きって言ってたから、私も読んでみようかな」

「良いと思いますよ。話が尽きなくなりますし」

「なるほど」

金井さんの存在がありがたい。

日住君も相談に乗ってくれるだろうけど、なんとなく、金井さんの良い意味での興味なさげな対応が心地よく感じる。

日住君はすごく真面目に相談に乗ってくれて、真面目に相談に乗ってほしいときには嬉しいけれど、ただなんとなくダラダラと話したいときには申し訳なく思えてきそうだ。


「先輩は、両角先輩とテスト勉強したりしないんですか?」

「んー…どうだろう?永那ちゃん、頭良いからなあ」

「先輩も成績良いでしょう?」

「まあ、悪くはないと思うけど」

金井さんがフッと笑う。

「先輩はどこまでも正直ですね」

「え、それ良い意味?」

「はい、もちろん」

なんか嘘っぽい。

「べつに成績が良かろうがなんだろうが、いいんじゃないですか?2人で過ごすということが大事なんですから」

核心を突かれたようでドキッとする。


***


「それが、ちょっと誘いにくくてね」

「え?付き合ってるんですよね?」

「うーん、そうなんだけど、忙しいみたいで」

「それは…大変ですね」

本当にそう思ってくれてるのかなあ?と疑ってしまうほどに棒読みだ。

「それで、学校でも話せていない…という状況なんですか?」

察しが良いようで…。

私が俯くと、金井さんが大きくため息をついた。

「両角先輩、モテるんですよね?」

「え、う、うん」

「先輩、そんなんでいいんですか?誰かに取られちゃいますよ?」

一瞬で佐藤さんが脳裏に過る。

「でも、私は選ばれたって…前に金井さんが」

また大きくため息をつかれる。

先輩相手でも、本当に容赦ないなあ…。

「そこに胡座をかいてどうするんですか。ちゃんと先輩も積極的にならないと」

「積極的!?」

「そうですよ。付き合ってるんですから、堂々としてないと」

授業をまとめたノートを持っていったのは、けっこう自分でも頑張ったと思うのだけれど…それが裏目に出たような、望まない形になったような…だから少し臆病になっているのは事実かもしれない。


「私、身近で知ってますよ」

金井さんはなぜかニヤリと笑いながら、私を見る。

「誰よりもチャンスがあったのに、ビビって何もできず、見事に他人ひとに好きな人を奪われた人」

全然笑えない。なんで金井さんは笑ってるの!?…怖い。

「諦められてないのに、必死に諦めたフリして、強がってる人」

金井さんから一瞬笑みが消える。

でも姪に話しかけられて、すぐに笑顔を作る。

「あっという間に奪われたんですよ。…奪われるときは一瞬です。付き合ってるからって、そこに胡座かいてると、後悔しますよ」

それは、本当にその通りだと思えた。

「相手が忙しいからってなんですか。だからって遠慮してたら、いつまで経っても一緒になんていられません」

「…なんか、金井さんって恋愛のエキスパートみたいだね」

「なにふざけたこと言ってるんですか?」

真顔で言われて、つい顔が引きつる。

べつにふざけて言ったわけじゃないんだけどな…。


「私は人生で誰とも付き合ったことがありません。先輩は少なくとも今恋人がいるんですから、先輩のほうが…先輩のはずです」

少しふくれっ面になっている。

…そうか、そう言われてみればそうなのかもしれない。

「でも私はこれまで恋について全く考えてこなかったから、恋愛初心者も初心者だよ。金井さんはこれまでずっと考えてきたから、こうして適切なアドバイスをしてくれるんでしょう?」

大きく目が見開かれる。

唇を尖らせて、ぷいとそっぽを向いてしまった。

「…まあ、そうですね」

耳がピンク色に染まっている。

「でも例えば…キス、とか…そういうことをするときになったら、先輩、アドバイスしてくださいよ」

「え!?」

予想外の話の展開に驚いて、思わず砂場で遊ぶ子供達を見る。

子供達は各々自分の世界に浸っているようで、楽しそうに、でも真剣に遊んでいる。

ホッと胸を撫で下ろす。

「こ、子供の前で…!」

小声で言うと、勢い良く顔が戻ってきてびっくりする。

「べつに、恥ずかしいことでもなんでもないじゃないですか」

うぅ…。顔が熱くなる。


「それで、先輩はどこまでやったんですか?」

少し目が輝いて見えるのは気のせいだよね?

…前にも同じことを聞かれたなあ。

金井さんは、気になったらどこまでも追求する人なんだね。

絶対に逃してくれない…そんな感じがする。

顔の熱は冷めないまま、チラチラと彼女を見て“逃してくれないかなあ?”なんて期待するけど、ジーッと見られたまま、時だけが過ぎていく。

私は「ハァ」とため息をついて観念する。

なるべく子供達に聞かれないようにと、彼女の耳元に口を近づける。

彼女も察してか、体を少し傾けてくれる。

「キ、キス」

「へえ、まだそこまでですか」

「…まだって!」

金井さんが楽しそうに笑う。

「付き合って1ヶ月も経ってないんだよ?」

「まあ、そうですね。あんまり進展が速すぎても引きますし」


彼女は、うーんと何かを考えるようにして、私に向き合った。

だからつい私も姿勢を正して、彼女に向き合う。

「ちなみに、どんな感じでした?」

たぶん、飲み物が口に入っていたら吹き出していたと思う。

「いや、それ聞く!?」

「気になります。教えてください」

「えー…」

答えたくないけど、でも絶対次会ったときにまた同じことを聞かれるのだと思うと、今話すべきなのかを迷う。

でもこんな、子供達の前では言いにくいにもほどがある。

「…まあ、よかったよ」

「へえ」

聞いといてその反応!?

「具体的にどうぞ」

「いやいや、無理だよ。さすがに…ねえ?」

子供達のほうをチラチラ見る。

「なんだ、つまんない」

心底つまらなさそうな顔をする。


私達は金井さんの姪っ子の元に行き、一緒に砂で遊んだ。

一緒に遊ぶ内に打ち解けて、私に対しても普通に話してくれるようになった。

拙いながらも、一生懸命伝えようとしてくれる姿が愛らしい。

こんなに小さな子と遊ぶのはいつぶりだろう?

小さかった誉とよく遊んだことを思い出す。

その後、滑り台にも行き、紐でできたジャングルジムでも遊んだ。

ブランコにも乗せて、彼女が何度も「もう1回」と言うので、気づけば夕暮れになっていた。

遊び疲れてプッツリ電池が切れたように眠ってしまって、金井さんは彼女を抱っこして家に帰った。


帰り道、私はスマホを見ていた。

なんだかデジャブ。

永那ちゃんとのメッセージのやり取りを眺める。

誰かと…日住君と金井さんしかいないけど…2人と話すと、いつも刺激を受ける。

どれだけ今まで自分が人の話に関心を持ってこなかったか、どれだけ考えてこなかったかが何度も思い知らされて、恥ずかしくなる。

でも過去を嘆いていても仕方ない。

積極的に!

フゥーッと深呼吸して『来週の土日のどちらか、よければ私の家でテスト勉強しない?』とメッセージを送る。

『忙しければ無理しないでね』と付け加える。

返事はいつも通り、すぐにはこない。

きっとくるのは朝。

私はスマホをしまって、家に帰る。


帰ると、誉の友達は既にいなかった。

お母さんも起きていて、ご飯の支度をしてくれていた。

「2人で勉強、できたらいいなあ」と願いを口にして、その日、私は眠りについた。

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