2.変化

第20話 初めて

目が覚めると、6時半頃にメッセージが届いていた。

『行きたい!!!土曜日でもいいかな?』

誘ってよかった。

カーテンを開けて、目一杯日光を浴びる。

安心感と喜びと、楽しみな気持ちで、心が躍る。

『大丈夫だよ』

返事をすると『夕方には帰らなきゃいけないんだけど…また午前中に集合でもいい?』

『うん、9時頃なら大丈夫だよ』

『わかった、楽しみにしてるね』

学校ではなかなか話せないけど、こうして休日だけでも2人きりの時間がつくれるのが嬉しい。

朝ご飯を食べて、学校に向かった。


永那ちゃんと佐藤さんが学校につくのは早い。

永那ちゃんが夜寝ていないから、きっと待ち合わせも早いのだろう。

私が学校につく時間には既に永那ちゃんは寝ている。

そう考えると、最初の海のデートのときも、この前の公園のデートも、相当無理をさせてしまっていたのかもしれないと思う。

体育祭のときもずっと起きていたし、彼女の体が心配になる。

今度2人になれたとき、ちゃんとお母さんのことを聞かなきゃ。

そう決意をしながら、寝ている永那ちゃんの髪を撫でている佐藤さんを見て、モヤっとする。

“私の穂”と永那ちゃんは言ってくれた。

でも、それなら、“私の永那ちゃん”でもある。

佐藤さんは、永那ちゃんの隣の席に座っている友達と話している。

当たり前のように永那ちゃんの机に座って、足を組んでいる。

机は座る物じゃないし、あんなにスカートを短くしていたら下着が見えてしまいそうだし、そういうところも注意したくなってしまう。


「ハァ」と大きくため息をつく。

教室を眺めると、何人かは期末テストに向けて勉強をしていた。

前までの私なら、彼ら彼女らと同じように勉強をしていただろう。

ついチラリと佐藤さんに目を遣って、机に突っ伏した。

またため息が溢れる。

朝“休日だけでも2人きりの時間がつくれるのが嬉しい”と思っていたのに、その気持ちが薄れていく。

どうして私が永那ちゃんのそばにいられないんだろう?

永那ちゃんにつけられた首筋の痕をさする。

我慢ならなくなって、立ち上がろうと足に力が入る。

でも、金曜日の二の舞いになって、永那ちゃんの睡眠時間を削ることになるのも嫌だと思い、力が抜ける。

結局、チャイムだけが私の味方で、佐藤さんと永那ちゃんを引き離してくれるのだった。


水曜日、窓際の自席で勉強をしていたら、ふいに視線を感じた。

顔を上げると、目の前に永那ちゃんが座っていた。

どういうことかわからず瞬きすると、椅子の背もたれに頬杖をつく永那ちゃん。

「穂、ノート貸して」

「え?」

手元にあるルーズリーフを見つめて、差し出そうとすると、止められる。

「私のためにまとめてくれたやつ。続きがほしいんだけど」

「…ああ。あれから、作ってないや。でも、すぐ作るね」

「迷惑じゃない?」

「全然。自分のためにもなるし」

「よかった。ありがと」

優しく微笑まれる。

外の空気が吸いたくて、窓を少し開けていた。窓のすき間から風が吹いて、私の髪がなびく。

なびいた髪のすき間から彼女の微笑みが見えて、胸がギュゥッと締め付けられた。

永那ちゃんの手が伸びてきて、耳に髪をかけてくれる。

「ありがとう」


「永那~」

幸せな時間を裂くように、佐藤さんがそばに来る。

「次の英語の宿題やってないんでしょ?早く写しちゃって」

佐藤さんと目が合う。

酷く冷たい視線に目をそらしそうになるけど、グッと堪えて見つめ返す。

佐藤さんが永那ちゃんに視線を戻して、ホッとする。

「おー、そうだった。…じゃあ、穂。待ってるね」

「うん」

佐藤さんが永那ちゃんの腕に絡む。

「期末終わったらどっかデートしよ?」

その言葉に胸がズキズキと痛む。

睨むように2人の後ろ姿を見た。

永那ちゃんは「えー、どうしよっかなー」と呑気に答えていて、私は下唇を噛んだ。

(ハッキリ断ってよ)

わがままな自分が顔を出す。

前の席の子がトイレから戻ってきて、席についた。

その子の背を睨むように見て、俯いた。


放課後、まとめたルーズリーフを、寝ている永那ちゃんの机に置いた。

彼女の髪を撫でたくなって、手を空中で彷徨わせ、結局触れることもしないで手をおろした。

掃除当番のクラスメイト達が、永那ちゃんの机を避けて掃除する。

足元を見ると、彼女の机の足がホコリを噛んでいた。

「ハァ」とため息をつくと、永那ちゃんが目を覚ました。

私はびっくりして、一歩引いた。

「穂?」

寝ぼけ眼で見つめられて、心臓が跳ねた。

ニコッと笑う彼女が愛しい。

「どうした?」

そう聞いて、彼女は机に乗っている紙に気づく。

「あ!…早いね。ありがとう」

彼女はパラパラと紙をめくって、鞄にしまう。


「ねえ、一緒に帰る?」

上目遣いにそう言われて、鼓動が速まる。

私が頷くと、彼女は椅子をひっくり返して机に乗せ、教室の端に寄せた。

最初に彼女と話したときと同じ。私の足元にはホコリが残った。

でも今日、私がそれを箒で掃くことはない。

ふいに手にぬくもりを感じる。

彼女の手が重なっていた。

教室には掃除をしているクラスメイトがいる。

恥ずかしくなって、一気に顔に熱をおびた。

でも嬉しくて、握り返す。

彼女が微笑んで、歩き出す。


***


校門で私が手を離すと、彼女が驚く。

「じゃあ、また明日」

「え?なんで?」

「え?…だって、方向違うでしょ?」

永那ちゃんはふくれっ面になって、私の手を握り直す。

「家まで送る」

「だ、だめだよ」

「なんで?」

眉間にシワを寄せて、強く手を握られた。

指が絡まり、息を呑む。

「だって永那ちゃん、忙しいでしょ?」

必死に声を出す。

彼女は少し考えるように視線を下げる。

「ハァ」とため息をつく。

まっすぐ私を見て「そんなこと言ってたら、一生一緒にいられないじゃん」と言い放った。

金井さんの言葉を思い出す。彼女にも同じことを言われた。

「行こ」

強引に私の手を引いて、歩き出す。

それにつられるように、私の足も動き出す。

“期末終わったらどっかデートしよ”

佐藤さんが言った言葉を思い出す。

“そんなこと言ってたら、一緒にいられない”って永那ちゃんは言ってくれるけど、なんだかんだと佐藤さんを優先するんじゃないの?

…考えたくもない暗い感情が心を支配する。

まだ2人で学校で話す案もまともに出ていなくて、佐藤さんばかり永那ちゃんのそばにいられて、テスト終わりにも佐藤さんに取られてしまうなんて…嫌だ。

永那ちゃんと握った手に力が込もる。


学校が見えなくなって、道は人が疎らだ。

「穂」

永那ちゃんの眉がハの字になって、薄茶色の瞳が私を捕らえる。

「私に遠慮しないで。…ちゃんと思ってること、言って」

私は俯いて、握った手を見る。

「…どうすればいいか、わからない」

私達は立ち止まる。

「永那ちゃんと話したいけど、邪魔にもなりたくない」

胸がズキズキと痛み出して、胸を押さえる。

「佐藤さんが…羨ましい」

永那ちゃんが力強く手を握ってくれる。

「私も永那ちゃんと一緒にいたい。…佐藤さんに取られたくない。永那ちゃんは、私のなのに」

気づけば涙が溢れていて、ポタポタと地面に跡をつけた。

こんなに感情が揺さぶられる。

…嫌だ。こんな自分、嫌だ。


そっと抱きしめられて、永那ちゃんの香りに包まれる。

「ごめんね」

永那ちゃんの鼓動が伝ってくる。

「穂は一生懸命話しかけてくれたのに、私は何もしないで。不安にさせて、ごめんね」

その優しい声で、泣きたくないのに、もっと涙が溢れ出て止まらなくなる。

そのうち声も出て、彼女の肩で子供みたいに泣いた。

こんなに泣いたのはいつぶりだろう?

頭を撫でられる。


少し落ち着いて離れると、鼻水が垂れていた。

「ご、ごめん」

永那ちゃんは楽しげに笑って、ハンカチを出してくれる。

「いいよ、いいよ」

そう言うのに、彼女が私の鼻を拭いてくれる。

「穂、我慢しないでね。私に変に気遣わなくていいから」

俯く私を覗き込むように言う。

「でも、穂が私を大切にしてくれようとするのは嬉しいよ。ありがとう」

どうしたらこんな人になれるんだろう?

彼女の瞳を見つめても、わからない。

私の気持ちにこんなにも気づいてくれて、言葉をくれて、抱きしめてもくれて…どうしようもなく優しくて。


「永那ちゃん」

「ん?」

「お母さんのこと、教えて」

彼女が左眉を上げる。

「教えてって?」

「どんな病気なのかとか、そういうの…」

「ああ。…鬱だよ」

鬱?

てっきり身体的な病気だと思っていたから、頭が真っ白になる。

「私の帰りが遅くなったりするとパニック起こしちゃうんだけど」

彼女はため息をついて、困ったように笑う。

「私だって普通にみんなと同じように学生生活楽しみたいよ。…べつに帰りが遅くなったっていいじゃん。ね?」

彼女の顔から笑みが消える。

ギリッと歯ぎしりする音が聞こえて、目の下のクマが浮くように目を細めた。

「正確には“鬱”じゃないんだと思う。他にも精神疾患があるんだろうけど…お母さん、病院に行きたがらないから、わからない」

今度は私が彼女の手を強く握った。

一瞬目が見開いて、少し落ち着いた表情になる。


「1回死にかけて入院したんだけど、そのときはお姉ちゃんが対応してくれたから、病名まではわからなかった。3ヶ月くらい入院して…そのときは正直、ホッとしたな」

永那ちゃんが歩き始めるから、私も横に並ぶ。

「遅く帰る日があると不安定になりやすくてさ」

首の辺りをボリボリ掻いて、彼女は遠くを見る。

「だからこの前の土曜日、外に出られなかったんだ。ごめんね、せっかく誘ってくれたのに」

「いや、全然。全然大丈夫だよ」

永那ちゃんは悲しげに微笑んで、頷く。


「今度の土曜日、すごい楽しみにしてる」

永那ちゃんがニッコリ笑う。

“無理しないで”と言いたくなって、飲み込む。

“無理しないで”なんて言うのは簡単で、きっと、言ったところで何の気休めにもならない。

お父さんと離婚したばかりのお母さんは憔悴しきっていて、誤魔化すように仕事に明け暮れていた。

だから私は必死に誉の世話をして、慣れないながらも家事もやった。

あのときはしょっちゅう指に怪我をしていた。

でもお母さんに心配かけまいと、お母さんの前では笑顔を作るようにしていた。

よくおばあちゃんが手伝いに来てくれて、私に出来たことなんて大したことじゃなかったかもしれないけど、それでも…。

たぶん、当時の私は無理してた。

今はだいぶ慣れたけど、辛くないと言えば嘘になる。

でも、無理せずにはいられない。そういう状況じゃない。

無理しないと生きていけない。…そんな、焦燥感がある。

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