第3話 好きってなに?
「あれ?先輩、奇遇ですね」
爽やかな笑顔に少しホッとする。
「お、なんか表情が柔らかくなった」
そんなにわかりやすかった?と、少し恥ずかしくなり、俯く。
校舎裏にあるゴミ集積所は、燃えるゴミと燃えないゴミ、カン、ペットボトルで分別しなければならない。
日住君はちょうど分別し終えたところだったらしく、私の持っていた袋を半分持ってくれた。
「ありがとう」
「いえ。…なんか、ありました?」
「え?あ、いや…特にはないよ」
「そう…ですか」
彼は私の顔をジーッと見て、すぐに袋の分別を始めた。
「なんかあったら、言ってください。俺、聞くことくらいしかできないかもしれないけど、先輩の力になりたいんで」
「ありがとう」
日住君は優しいな、と素直に思う。こんな私でも普通に接してくれる。怖がられるわけでもなく、変に尊敬するわけでもなく、自然体で…すごい。私にはできっこないことだ。
1年生と2年生では階が違う。2年生の教室に続く階段下で私達は別れた。
「ハァ」
私は気を張っているのか、1人になるとため息をつくのが癖になっている。ちょっと嫌な癖だな…と思いながらも、そうすると少し落ち着くからやめられない。
教室に戻ると、私の席に座っている人がいた。
その人は扉の開く音で、振り向く。
「空井さん」
「なんで?」
「忘れ物したから、先行っててもらったんだ」
スマホを人差し指と親指で挟んで揺らしている。
「そうなんだ」
両角さんの薄茶色の瞳が私をジッと見つめて、私を捕らえて離さない。
「本当、ごめんね」
「何が?」
「さっき…私が空井さんにいたずらしたせいでさ、空井さんが悪者みたいになっちゃって」
かすかに触れた両角さんの唇の感触が、まだ耳に残っている。
暗い感情で忘れていたけれど、鮮明に蘇った。
思い出すと一気に恥ずかしさが込み上げてきて、顔に熱をおびる。
「べつに…押したのは私だし…バカって言ったのだって…大人げなかったなって、思う」
両角さんは優しい笑みを浮かべて、私のそばに寄る。
「でも、いきなりあんな、耳元で…言わなくても…」
「へえ」
ほんの少し私よりも背の高い彼女が、顎を上げて私を見下ろす。好戦的な視線…背中がゾワリとする。
「最初に耳元で囁いたのは誰だったかな?」
彼女の顔が少しずつ近づいてきて、後ずさる。
「仕返し」
ニヤリと笑う。
「で、でも…私のときは2人だった…!」
彼女の好戦的な視線に負けじと、私は唇を尖らせた。少し睨んでみせて、対抗する。
でも彼女の足は止まらない。ゴンと後頭部から鳴った鈍い音で、この先にあるのは壁だけだと知る。
彼女は片手をロッカーについて、あいている手で耳に触れた。
私の抵抗はほとんど意味がなく、あっけなく私は俯いた。
自分の鼓動が大きな音を立てていて、彼女に聞こえてしまうのではないかと、汗が出る。
彼女は私の髪を指で梳いて、耳にかける。
「お詫びに、今度2人でクレープ食べに行かない?」
その言葉で、鼓動の速さとは違う、胸の締付けを感じた。
「私は空井さんと、もっと仲良くなりたいな」
恐る恐る彼女を見ると、ほんのりと頬が赤く染まっていた。
少し潤んだような瞳と、目が合う。
「嫌…かな?」
垂れた眉が、あまりに頼りなさげで、その姿が可愛くて、唾を飲む。
「嫌」
彼女の目が見開いて、口をすぼめた。
ため息混じりの笑みを作って、私から離れようとする。
だから、耳に触れていた手を取って「じゃない」と、したり顔で言った。
見開いた目がさらに大きくなって、口角が上がる。
「仕返しの…仕返し」
「ハハハッ」と彼女は屈託なく笑って、私の髪をクシャクシャにする。
「ちょ、やめて」
「可愛いなあ、もう」
トクトクトクと、鼓動は少し落ち着き始めたけど、比例するように嬉しさが込み上げて来る。
ブー ブー ブーと、両角さんのブレザーのポケットが振動する。
「
さっきいた3人の内の1人。掃除を終えて、廊下で分かれたとき、両角さんの背中に引っ付いていた子だ。
「ああ、見つかったよ。ちょっと友達と話してたら遅くなっちゃった。…うん、もう行くよ」
私から顔をそらして、天井を見ながら会話する様子を見ていると、なんだか嫌な感情が渦巻く。
恨めしく彼女をジッと見つめても、彼女はチラリともこちらを見ない。
だから、撫でるように彼女の首すじに触れた。
「ひゃっ!?」
彼女が肩をピクリと上げて、こちらを見る。
「…うぇ!?いや、なんでもない。…ダイジョーブ、ダイジョーブ。んじゃ、すぐ行くから。うん、待ってて」
スマホをポケットに戻して、彼女はジッと私を見る。
「なにしてんのさ」
「私と…話してる最中だった、はず…なのに」
視線を床に落として、お腹の辺りで指を交差させた。親指をクルクル回して、まるで言い訳をする子供みたいな態度を取る。
「それって…ヤキモチ?」
「え!?ち、ちが…」
「意外。空井さんってもっとクールなのかと思ってた。ここ数日は意外な空井さんばっかり見られて嬉しいなあ」
クシャクシャになった髪を、彼女が撫でて戻してくれる。
「時間が惜しいけど…呼ばれちゃったから、そろそろ行かないと」
ポンポンと頭を撫でて、髪が整えられたことが告げられる。もうこの時間が終わってしまうのか。
ふいに彼女の顔が近づく。
「デート、楽しみにしてるね」
また少し耳に唇が触れている。
顔が熱くなって、彼女を抱きしめたくなる気持ちを必死に堪える。
何故こんなにも彼女といると感情が抑えられないのか。
何故こんなにも彼女に翻弄されているのか。
自分でもまだハッキリとわからない。
でも、もし…もしも、これが恋だと言うのなら、このまま溺れてしまいたいとも思ってしまう。
***
彼女と私に接点なんてものはほとんどなかった。2年生になって、クラス替えがあって、初めて彼女の存在を知ったくらいだ。掃除を押し付けられるようになってから、起こそうとしたら殺気を向けられる…たかだかそんな関係だった。
一方的に「いつも寝ているな」という認識はあったし、彼女が起きているとクラスの空気が和むのは感じていた。いつも彼女を中心に輪ができていて、羨ましいと思っていたのも事実。
単純に、容姿も端麗だと思っていた。
用事があって話しかけると、彼女だけは敬語じゃなかった。それこそ日住君のように、自然体で、みんなと同じように接してくれたのは嬉しかった。
でもそれ以外で話したことはなかったし、これからも話すことはないだろうと思っていた。
彼女が起きている時間は短く、人気者だから、その短い時間はあっという間に誰かに取られていく。
私が積極的ではなかった…というのもあるかもしれないけれど、とてもじゃないけど、彼女の争奪戦に参加できるような資格が私にあるとは思えなかった。
だから意識的に、必要な時以外は話さないようにしていた…というのが正しいのかもしれない。
「ただいま」
「あ!おかえり、姉ちゃん!」
小学6年生の弟、
「宿題は?」
「今日はないよー」
ブーッという声が聞こえそうな不貞腐れ顔になって、逃げるようにリビングに走っていった。
弟は父親のことを覚えていない。彼がまだ1歳の時、両親が離婚したから。両親が離婚した理由は、私にもよくわからない。母が言うには、価値観の違い…らしい。
私にとって父はとても優しかった。いつも一緒に遊んでくれて、たまに2人で悪ふざけをして、母にこっぴどく叱られた。それも私にとっては良い思い出。
父に会えなくなると知った時、私の世界は彩りを失った。でも母のことも大切だったから、彼女に知られないように、ベッドで1人泣いていた。
母のようにしっかりしなければ、と思った。…あの時からだったと思う。あの時から、私は“真面目”になったんだ。
母は仕事が大好きで、今も昔もずっと忙しそうにしている。家に帰るのは毎日10時過ぎだし、帰ってからもパソコンを広げて仕事をしていることもしょっちゅう。
だから家事全般、弟の世話も私が引き受けている。母がバリバリ仕事をしてくれるおかげで私達が生活できているのだから、これくらいは…と思っている。
誉が散らかしたカードゲームや漫画を拾っていく。
「誉、少しは自分でも片付けなさいよ」
「今やろうと思ってたんだよ」
床に寝転がりながら、漫画を読んでいる。どう見てもやる気はなさそうだった。
「ハァ」とため息をつくと、誉が「姉ちゃん、ため息つきすぎー」と文句を言う。
「そんなんじゃモテないよ」
漫画の上から覗くように私を見ている。目が細くなって、ニヤニヤしてるのがわかる。
私は手に持っていた漫画を誉に落とした。
「いってー!何すんだよ、姉ちゃん!」
「あんたが余計なこと言うからでしょ」
私は自分の部屋に入って、部屋着に着替える。
鞄の中から教科書類を出して、明日の準備をする。この流れは習慣になっている。
「姉ちゃーん」
ドアの向こうから気だるげな声がする。
「何?」
「今日の夕飯なにー?」
「生姜焼き」
「えー!またー?」
「文句言うなら食べなくていい」
「ちぇっ」という声が聞こえた後、部屋は静まり返った。
スマホの通知が響く。
通知と言えば、母か広告からしかほとんどこない。生徒会の連絡もたまにくるけど、何か行事がなければくることはない。
見慣れない名前が表示されていて、一気に鼓動が速まった。
ごくりと唾を飲んで、フゥッと息を吐く。
『空井さん、もう家帰った?』
両角さんが教室を出る前「あ、そうだ」と、連絡先を聞かれた。ひらひらと手を振って、小走りに去っていく彼女の後ろ姿を、見えなくなっても見つめていた。
ボーッと突っ立っていたからか、先生に声をかけられ、慌てて帰ってきたのだった。
『帰ったよ』
返事をすると、すぐに読まれる。うぅ…。こういう、早いやり取りはなれていなくて、なんだかモゾモゾする。
『早いね。私は今帰宅途中!デートの件なんだけど、いつ行く?』
少し息が荒くなる。誰かと普通に遊ぶのなんて、いつぶりだろう?
彼女がわざわざ“デート”と言うのは、意識的に無視するようにしている。
「姉ちゃーん!」
ドクッと心臓が跳ね上がった。
「バカ誉!何!!」
「えー、なんで怒られるの?俺」
フゥーッと深呼吸して「ごめん、何?」と聞く。
「お腹すいたー」
「ちょっと待ってて」
スマホを見ると『土日のどっちかあいてる?』と、次の文が送られてきていた。
リビングに戻って、カレンダーを確認する。
誉はクラスの人気者らしく、お友達が家に遊びに来ることも多い。なぜ姉弟でこんなにも差がつくのか…不思議でならない。
「誉」
「ん?」
「今週の土日って何もないよね?」
「うん、たぶん?…なんで?」
「…友達と遊んでこようかなって」
「えぇっ!?姉ちゃんが?友達と?」
「何」
ジーッと誉を見ると、目をわざとらしく大きく開いていた。
何かを閃いたように、これまたわざとらしく、ポンと手を叩く。
「あ、生徒会?」
「違う」
「えーーーー!姉ちゃん、友達なんてできたの?」
ため息をついて誉を睨むと「ごめんなさい、ごめんなさい」とヘラヘラ笑いながら漫画に視線を戻した。
スマホの画面を見る。ワクワクしてきて、思わず笑みが溢れてしまう。
『どっちもあいてるよ』
「姉ちゃんがニヤニヤしてる」
誉を睨むと、また漫画の陰に隠れた。
口元に手を当てて、ニヤニヤなんてしてない…と必死に装う。
『じゃあ土曜日にしよう。クレープだけじゃなんだから、海にでも行かない?最近暑くなってきたし。まだ泳げないとは思うけど』
口元に手を当てたまま、目をギュッと瞑って、喜びを必死に抑える。
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