第2話 好きってなに?

「それにしても、意外でした」

日住君とは帰り道が途中まで一緒だから、生徒会のある日はいつも一緒に帰っている。

「何が?」

「空井先輩が、誰かにいたずらしたりするんですね」

遠慮がちに、彼は私を見る。

「え!?ち、ちがうよ…!あれは、誤解というか…」

両角さんの暴露が、まさか帰り道の話題になるとは思わず、顔から湯気が出そうになる。

「そうなんですか?」

「そうだよ…。うーん…。ほら、私よく教室の掃除をするんだけど、授業が終わっても両角さん起きなくてさ。無理に起こそうとすると、人を殺しそうな目で睨むの」

「人を殺しそうな目って…」

日住君は苦笑する。

もうすぐ夏が来ることを感じさせられるような、生ぬるい湿った風が吹く。

「だから…実験、みたいな」

「実験?」

「どうやったら両角さんを自然に起こせるのかなー?って」

誤魔化すように笑う私を、彼は不思議そうに眺める。


「それで、どんな実験をしてみたんですか?」

まだこの話を続けるのか…!と焦る。が、そんな姿を後輩に晒すわけにもいかず、平静を装う。

「んー、少ないんだけど…机を戻すときにわざと音を立ててみたり、強風の日に窓を全開にしてみたり…」

「ハハハッ」

スポーツ刈りで、まさに好青年といった雰囲気の彼は、屈託なく笑う。

「た、大変なんだよ!寝てる両角さんの机の周りだけホコリがたまっていって…だからなんとか起こそうとしてて」

「そうなんですか」

まだ笑い続ける彼に、少しムッとする。そんなに笑えることかなあ?

私が唇を尖らせていると、それに気づいた彼の眉が垂れる。

「いいなあ」

「え?」

「…いや、楽しそうで。先輩が、楽しそうでいいなって」


いつも別れる十字路で私達は立ち止まる。

「俺も、生徒会で寝たら、先輩にいたずらしてもらえるんですかね?」

私よりも背の高い日住君は、恥ずかしそうに、少し俯きながらも私を見る。

「えぇ!?…いや、生徒会で寝ちゃダメでしょ!…っていうか、いたずらじゃなくて実験!実験だから!そこは、ちゃんと、正しく…」

「はい、すみません」

日住君は笑いながら、押していた自転車に跨る。

「それじゃあ空井先輩、また来週ですね」

「あ、うん。生徒会でね」

彼はペコリと頭を下げて、勢い良くペダルをこいだ。

なんで私は両角さんにあんなことを言ってしまったのだろう?

いくら寝ているからって、何度も何度も呼んだ後に言うべきじゃなかった。せめて、最初の方で言っておくべきだったし、例え彼女が本当に寝ていたのだとしても、クラスメイトが突然教室に入ってきて聞かれる可能性だってあった。

今さらになって、後悔が押し寄せてくる。

彼の背中が見えなくなったのを確認してから、自分の行いの恥ずかしさを隠したくて、両手で顔を覆った。


ふいにまた風が吹いて、伸びた髪が耳をかすめる。

両角さんの声が、かかる息が思い出されて、背筋がゾワッとした。

頭をぶんぶん振って、鞄を肩にかけ直す。

私は日住君の走っていった方とは逆の方に歩きだして、家に向かった。


***


「珍しい」

ジーッと彼女を見つめて言う。でもすぐに、少し嫌味っぽくなってしまったかな?と、自分の言動に自信がなくなって俯いた。

みんなが教室の片側に机を寄せ終えて、各々出ていった後、両角さんはいそいそと一人で自分の机を運んだ。

そして、箒を持って掃除を始めようとしていた私の前に仁王立ちしている。

「昨日を反省して、お手伝いしようかと思いまして」

執事みたいに片手をお腹の辺りに当て、ペコリと頭を下げた。チラリと上目遣いして私を見るその表情に、全く反省の色などない。

すぐに体を起こして、満面の笑みを浮かべる。

私は彼女の笑顔から逃げるように視線をそらして、「ハァ」とため息をついた。

「じゃあ、箒持ってきて」

「りょーかい!」

キラリンと星が出そうな見事なウインクをして、彼女は小走りでロッカーに向かう。

彼女が起きたことが珍しいからか、教室内にはチラホラまだ人が残っている。ロッカーに向かった彼女を見逃すまいと、パタパタと走って、数人の女子が彼女を囲んだ。

キャッキャ、キャッキャとはしゃぐ女子たちに囲まれて笑顔を振りまく彼女は、箒を手にしたまま、その場から動けなくなった。


「ねえ、掃除をしたいのだけど。教室に残るなら、あなたたちも手伝ってくれないかな」

そう声をかけると、シンと静まり返る。

「…あ、ああ。ごめんなさい、空井さん」

「そうだね、今日は私達も掃除しようよ」

「そうしよう、そうしよう」と両角さんを囲んでいた3人の女子が慌ててロッカーから箒を取り出した。

私から逃げるように、またパタパタと走って、床のゴミを集める。

「ハァ」とため息をつくと、肩に手が置かれた。

ふわっと良い香りが漂って、何かがそっと耳に触れる。

「空井さん、かっこいい」

あたたかい息が耳にかかって、心臓が跳ねる。

「バカ…!」

つい、後ろにいた彼女を強く押した。

ガンッと教室中に響く鈍い音がした後「いったー」という笑い声が聞こえてきた。

「え!?永那、大丈夫!?」

3人の女子は目を丸くして、こちらに来ようとした。でも隣に私がいたからか、来るのを躊躇ったようだった。

「ご、ごめんなさい」

ロッカーの角に頭をぶつけたのか、両角さんはしゃがみこんで、頭をさすっている。

どうすればいいかわからず、空中で手を彷徨わせていると、彼女は私を見上げてニコニコ笑った。

「大丈夫だよ」


私は3人の女子から刺々しい視線を感じつつ、掃除に集中するようにした。

両角さんはなんだか機嫌が良さそうで、鼻歌を歌ってる。

早くこの場から消え去りたい。

「ねえ、永那」

「なに?」

「この後みんなでクレープ食べに行かない?」

「ああ、駅前に新しいお店ができたんだっけ?」

「そうそう、めっちゃ美味しいらしいよ」

5人でやったからか、いつもの何倍も早く掃除が終わる。私は最後に、ゴミ箱の袋を取り替えていた。

女の子たちが予定を楽しそうに立てている様子を見ると、いつも私の心はジクジクと何かに蝕まれる感覚になる。その輪に、私は入れないとわかっているから。

「空井さんは?」

不意に聞かれて、私は振り向く。

両角さんがなんの躊躇いもなく聞くから、私の胸は期待に膨らんだ。

でも、他の3人の目を見たとき、私の頭は酷く冷静になって、口角を必死に上げた。

「私は、遠慮しとく。誘ってくれてありがとう」

「あー、そっかー!じゃあ4人で行こ」

すかさず1人の女子がそう言って、2人が賛同する。

袋を握る手が震える。

自分のせいだ。わかってる。仕方ない。


袋を取り替えて、ゴミの入った袋を縛る。

彼女たちは既に鞄を持って、両角さんの腕に寄りかかるようにしながら教室を出ようとしていた。

同じタイミングで私も教室を出た。でも歩く方向は違う。

私は学校の裏へ、彼女たちは校門へ。

「ねえ“バカ”ってなんだったの~?いきなり~。酷すぎない?」

「いや、あれは私が空井さんをくすぐっちゃってさ」

「だからって“バカ”はないよね~、しかも危うく怪我させそうになってさ」

「そーだよー!永那、怪我ない?痛くない?大丈夫?」

1人が両角さんの頭部を触る。片手を肩に置き、もう片方の手で髪を撫でるようにして、彼女の背中に引っ付いている。

モヤモヤと心の中に暗い渦が生まれるような感覚。

私は足早に校舎裏に向かった。

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