第98話 先輩

「ねえ、あなた、瑠那るな先輩の妹だよね?」

学校で、先輩に話しかけられた。

「はい…」

その人はニコリと笑って「ちょっと話したいこと、あるんだけど」と言った。

空き教室に2人で入る。

「私のことは、心音ここねって呼んでね、永那えな

馴れ馴れしい言い方に、少しイラッとした。

「先輩から聞いた」

「何を、ですか?」

「お母さん、大変なんだってね。…仕事もしないで、寝てばかりで…お金がないって、先輩、困ってた」

…そんなこと、他人に軽々しく言うなよ。

「ねえ…バイトしない?」

眉間にシワが寄る。

「私の言うこと聞いてくれたら、1万円、あげる」

「何、すればいいんですか?」

「キスして」

「…は?」

「キスしてくれたら、1万円、あげる」

言っている意味が、わからなかった。

「できない?」

ポケットから1万円を出して、人差し指と中指で挟んだ。

心臓がドクドクとうるさく鳴る。

「私、瑠那先輩が好きなの。でも、先輩にはこんなこと言えないし…普通には受け取ってくれないし…これなら、先輩の助けになるかなって。どう?」


1万円なんて、私は手にしたこともなかった。

ゴクリと唾を飲んで「どうすれば、いいんですか?」と聞いた。

自分の声が、震えていた。

先輩は自分の唇を指差して「つけるだけ」と微笑む。

私は彼女に近づいて、唇と唇を重ねた。

離れて、俯くと「可愛い」と言われた。

「じゃあ、これ…」

1万円を差し出されて、受け取った。

「瑠那先輩によろしくね」

しばらく1万円を眺めて、チャイムが鳴ったから、ポケットに突っ込んで、走って教室に戻った。


それから、先輩の要求はエスカレートしていった。

私は何も考えず、要求に応えた。

いつもの教室に入って、先輩を壁に押し付ける。

彼女のシャツのボタンを片手で外していく。

太ももを撫でて、ショーツに触れる。

先輩に教え込まれたこと…半年も経てば、いろんなことが自分でできるようになった。

唇を重ねて、舌を絡ませる。

「永那、上手」

頭を撫でられても、特に感情は動かなかった。

「ねえ、今度、うちでシない?」

そう言われれば、頷いた。

「今、塾終わったんだけど、来てよ」

そう連絡があれば、駆けつけた。

先輩に初めて私のをさわられたり舐められたりしたときは、さすがに鳥肌が立ったけど、すぐに慣れた。


「あんた、何してんの?」

お姉ちゃんが言った。

「何って?」

「夜、どっか行ったり…お母さんに、プレゼント買ってあげたり…どこからそんな金…」

「お姉ちゃんには、関係ないじゃん」

「ふざけんなっ」

胸ぐらを掴まれた。

「私がどんだけ苦労してると思ってんの。そんな金あるなら生活費出せよ」

「お母さん放置してるのは誰だよ…自分で離婚届書かせたくせに」

頬を引っ叩かれる。

「…携帯代くらいは、自分で出すから」

「あっそ」

お姉ちゃんは部屋の襖を勢いよく閉めた。


いつも通り、先輩から呼び出されたある日。

いつものように彼女に偽りの愛をあげた。

「永那…ごめん…今日、お金、持ってくるの忘れた」

眉間にシワを寄せた。

「は?…じゃあ、なんで今日ヤらせたんだよ」

「ごめんて。次、持ってくるから」

「絶対だからな?」

先輩が俯く。


次に呼び出されたとき、彼女がお金をわたしてくれて、ホッとした。

「永那」

「なに?」

「私の名前、呼んで」

「心音」

「ちゃんと、私の名前呼びながら、セックスして」

意味がわからなかったけど、言う通りにした。

彼女がいつもより感じていて、不思議と私も興奮した。

その後、彼女がお金を忘れる日が増えた。


千陽ちよは学校中で良くも悪くも有名だった。

“便器に顔を突っ込まれていたのを見た”とクラスメイトから聞いたときは、引いた。

先輩から呼び出されて、事を終えた後、吐いている千陽を見つけた。

だからなんとなく、声をかけた。

ストーカーが怖いと言うから、朝と帰りの送り迎えをした。

学年が上がって、先輩は卒業したし、学校での自由度は増した。

早朝、先輩に呼び出されて朝からセックスした。

千陽にキスマークを指摘されて、お金のこともあって、私の我慢は限界に達した。

お姉ちゃんの高校に走って向かいながら、スマホで先輩に連絡する。


校門で先輩が立って待っていたから、見た瞬間に怒鳴った。

「お前、ふざけんなよ!」

胸ぐらを掴むと、彼女が怯えた瞳を私に向けた。

「お、おい…どうした…」

教師が声をかけてきた。

先輩に手を掴まれて、人の少ないところに連れて行かれる。

「なに?」

「“なに?”じゃねえよ。これ、何?どういうこと?こういうのは嫌だって言っただろ?」

彼女が俯く。

「金だって、最近何度も忘れてるよね?わざと?なんなの?」

「…好きなの」

「は?」

「永那が、好きなの」

怒りが沸騰しそうになる。

「意味わかんねえよ」

「本当の彼女に、なりたい」

「…あり得ない。金、払えよ」

彼女の瞳から涙が零れ落ちる。


***


「永那…私…私、頑張ってる永那が好き」

「お姉ちゃんが好きだったんでしょ?」

「瑠那先輩は、憧れだった。でも、永那は…私が呼んだらいつも来てくれて、そばにいてくれて…嬉しかった。エッチも、だんだん上手になって、私、それも嬉しくて…私がシてあげると、気持ちよさそうにする姿も…全部、好き」

「キモいよ」

彼女の目が大きく見開かれる。

ポタポタと涙が流れ落ちて、呼吸が荒くなる。

私はギリッと奥歯を噛みしめた。

「もう、金はいらない。…お前とも関わらない。もう、連絡してこないで」

そう言って、走って学校に戻った。

もういないかと思ったけど、千陽はまだ校舎裏にいた。

千陽に話すと、気が紛れた。

でも、肝心なことは何も、話せなかった。

それから、いろんな人に告白されるたび「付き合うって、どういうことかわかってる?」と、相手に迫った。

自分の汚さを消すように、どんどん汚れていった。


穂は、綺麗だった。

清廉潔白。

彼女に触れたくて、でも、汚したくなかった。

なのに、暴走して、初めてのキスが乱暴になってしまった。

後悔した。

今でも、後悔してる。

でも、彼女は“エッチなことも…こんなに良いものだなんて、一生知れなかったかも”なんて言って、私のことを、全部、受け止めてくれる。

先輩との過去も、他の人とヤりまくっていたことも、彼女は…。

だから、私も、彼女のことを受け止めたい。


先輩とのことが、お姉ちゃんにバレた。

お姉ちゃんは泣きながら「何やってるの」と頭を抱えた。

先輩は最初、お小遣いと貯金を私に渡してくれていたらしい。

でも、そのうち底を尽きて、親のお金を盗むようになった。

高校に入ってすぐだったこともあって、イジメられているのではないかと、親が高校に連絡したらしい。

お姉ちゃんが心配して先輩に声をかけたら、私とのことを打ち明けられたと、言っていた。

「心音には、私がお金返すから」

「なんで!?」

キッと睨まれて、何も言えなくなる。

「二度とこんなことしないで」


お母さんが死にかけたのは、その直後だった。

私のせいだったのか、関係ないのか、わからない。

とにかく、薬を大量に服用して、風呂場で手首を切った。

なかなかお風呂から出てこないから見に行ったら、血の海が広がっていた。

声が出なかった。

尻もちをついて、壁に頭をぶつけた。

お姉ちゃんがその音に気づいて、こっちに来た。

「な、なに…」

お姉ちゃんは私の足に躓きながら「お母さん!お母さん!」と叫んだ。

「なにやってるの!早く!救急車!」

そう言われて、四つん這いになりながら、なんとか走ってスマホを手に取った。

あれ…?何番だっけ?

手が震える。

「早く!」

「な、何番だっけ?」

「は!?119でしょ!」


その後救急車が来て、じいちゃんや、まだ施設に入る前の曾祖母が来た。

私はただお母さんのそばにいて、3人は医者や他の大人達といろいろ話していた。

お母さんが入院することになって、私達はじいちゃんの家に預けられることになったはずなんだけど…直前になってお姉ちゃんが拒否した。

「私達は、私達で生活できるので、お金の援助だけ…お願いします」

そう、頭を下げていた。

そのまま、お姉ちゃんと2人の生活が3ヶ月近く続いた。

「私、高校卒業したら働くから。あんたもちゃんと高校行きなよ」

「わかった」

「…せっかく、成績良いんだから」

お姉ちゃんから褒められたのは、久々だった。


中2が終わって、中3になる前の春休み。

お姉ちゃんは高校を卒業して、宣言通り働き始めた。

まさか、家を出て行くとは思っていなかったけど。

お母さんが暴れるのは、慣れた。

母の日にお姉ちゃんがお母さんにプレゼントした服をビリビリに破って、お母さんは泣いた。

数日後に料理をしていたお母さんが、包丁を胸に突き刺そうとしているのを見て、慌てて止めた。

「殺してえ!殺してよー!」

お母さんの叫びが、胸をズキズキと刺す。

最初は病院に行っていたけど「先生、嫌い」と言って、行かなくなった。

無理に行かせようとすれば暴れてしまうから、私も何も言わなくなった。

刃物は全部棚に入れて、鍵をつけた。

鍵をつけられるところには、全部つけた。


私が調理実習で習ったカレーを作ってあげると、お母さんが喜んだ。

それから、私がご飯を作るようになった。

「永那~永那~」とお母さんが私に甘えるのが普通になった。

先輩のお金でプレゼントを買えていたときは、お母さんも落ち着いていたように思えたから、そうすればいいのだと思った。

お母さんの彼氏みたいに振る舞う。

「可愛いね」

そう言うと、お母さんは喜んだ。

お母さんの前でスマホを見ていると「彼氏?嫌だ」と言われる。

「ただニュース見てただけだよ」と言っても信じてもらえないから、お母さんの前ではスマホをさわらなくなった。

遊んで、少し帰りが遅くなると、お母さんは食器を割って、その破片で手首を切った。

帰ると、いつも泣きながら、玄関でしゃがみ込んでいた。

だから、食器は全部プラスチックにした。

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