第44話 夏休み

お昼の時間帯だと売店が混むだろうからと、私達は早めにプールから出て、お昼を買いに行く。

私は焼きそばと唐揚げという、最高の組み合わせを選択。

優里も焼きそば、千陽はホットドッグ、穂はたこ焼きを買っていた。

レジャーシートに戻って、体をさっと拭く。

「穂ちゃん、たこ焼き1個ちょーだい?」

優里が言う。

たこ焼きって8個しかないから、その1個って大きくない?…私だったら絶対あげたくない。

穂は気にしてないみたいで、1つあげている。

優里が「お返し」と言いながら、焼きそばを穂の口に運ぶ。

…ん?…え?今の、普通に“あーん”だよね?

「待て待て。なにしてんの?」

優里も穂もキョトンとしている。

優里が二口目を穂の口に運ぼうとしていた。

箸に乗っていた焼きそばが落ちそうになって、穂がパクッと口に入れる。

しかもそれ、優里の箸だよね?

おかしくない?

そういうことは私とするはずじゃない?

「私も!私もやる!それ!」

「…でももう、焼きそばはたくさんもらったよ?」

穂が言う。

泣きたくなる。


…唐揚げ!私には唐揚げがある!

勢いよく食べ過ぎて、1つしか残ってないけど。

ゆっくり食べればよかった…。

泣く泣く唐揚げを取って、穂の口に運ぶ。

「いいの?…永那ちゃん、食べたいんじゃない?」

「いい…!ほら、あーん」

「え!?」

急に穂の顔が赤くなる。

この子無自覚?…罪な子。可愛い。

穂は大きく口を開けて、唐揚げにかぶりつく。

肉の油が唇について、艶めく。

…ああ、舐めたい。

「おいしいね」

口元を手で隠しながら、上目遣いに言われる。

私の手元には半分唐揚げが残っていて、穂を見ると、彼女が笑った。

「永那ちゃん、食べていいよ」

…はぁ。トキメキが過ぎる。

私は彼女の食べかけを口の中に放り込む。

穂がたこ焼きを1つ取って、フゥフゥと息を吹きかけてから、私の口元に近づける。

「これも、あげる」

った…っはぁ…好き。

まだ湯気が出て、熱そうなそれを一口で食べる。

「あ、熱くない?」

口の中でホフホフしながら、たこ焼きを噛みながら転がす。

「うまーい!」

「大袈裟だよ」

穂が苦笑する。

「永那、ホント穂ちゃんにデレデレだね」


スマホを持って、カメラを起動する。

「はい、みんなこっち見てー」

穂と優里は肩を寄せ合って笑顔を作る。

「千陽」

相変わらず、カメラを向けてもニコリともしない。

挙げ句の果てに、優里の影に隠れようとする。

昔のことがあるから撮られたくないのはわかるけど…!わかるけども…!

…まあいいや。

私もそうやって諦めるから、いつも千陽は隅っこにちょこっと写るか、仏頂面でしか写真に載っていない。

学校でのイベントでも、カメラマンが彼女を撮ろうとするけど、すぐに気づいて顔を隠してしまう。

しつこく撮ろうとする人には「撮らないでください」とハッキリ言う。

普段、知らない誰かに自分から話しかけることはほとんどないのに、そのときだけは語気が強まる。

「穂、2人でも撮ろう?」

私が言うと、頷いて近寄ってくれる。

肩を抱くと、ピクッと反応する。

連写すると「もういいよー」と離れられてしまった。

撮った写真を確認する。

…ん?

私がプッと吹き出して笑うと、みんなの視線がこちらに向く。

「どうしたの?」

「私達、めっちゃ口に青のりついてるんだけど」

お互いに顔を見合わせて笑い合う。

「千陽だけついてない!」

「あたしはわかってたからホットドッグにしたもん」

「うっわ!なんで言わないんだよ」

私達の会話に、穂が笑う。

優里が売店に走って、紙を取ってきてくれる。

みんなで口を拭いて、確かめ合う。


優里がビーチボールを膨らませて「遊ぼー」と言うから、近くの浅瀬でボールを飛ばし合う。

その後、浮き輪を1つ借りて、流れるプールにも行った。

交代で浮き輪に乗って、3人は浮き輪に掴まって流れる。

穂は初めてだったようで、浮き輪に乗るのに苦戦した。

浮き輪がひっくり返って、穂が盛大に落ちて、水しぶきが飛ぶ。

優里は心配そうにしたけど、私と千陽は笑った。

穂に睨まれ、叩かれ、仕方ないから彼女をちゃんと支えて浮き輪に乗せてあげた。

私はさりげなく彼女の両足の間を確保して、下からの眺めを楽しむ。

最後にバレて、足で顔を挟まれた。

…それはそれで良い。

流れるプールに飽きて、スライダーに移動する。

穂が怖いと言うから、2人乗りできるやつにする。

それが1番人気で、すごい列だったけど、みんなで話していればあっという間だ。


穂を前に座らせる。

「後ろがいい」と言われたけど、そこは譲らない。

彼女に密着する。

伸ばした足が彼女の脇に触れる。

足首を動かして、両足を内側に向けると、微かに彼女の胸にさわれる。

普通の状態なら怒られただろうけど、緊張している彼女は気づいてすらいない。

…こんなことしてたら、マジでそのうち嫌われるかも。

「穂、そんな緊張しなくても大丈夫だよ。いざとなったらこうやって落ちないようにしてあげるから」

足に力を入れて、彼女の体を挟む。

不安そうに振り向かれて「ホント?」と聞かれる。

…可愛い。

私が頷くと「絶対だよ?」と念押しされた。

「それではいきますねー」

スタッフの人が浮き輪を押してくれる。


***


本当に怖いとき、人は叫び声が出ないとよく聞くけど、真実なのかもしれない。

穂は全く声を発さず、ずっと持ち手を握りしめて俯いていた。

私の足は、自分で力を入れるまでもなく、彼女の脇にしっかり固定された。

…ちょっと痛い。

スライダーが終わり、プールに浮き輪が浮かんでも、彼女の体は硬直したままだった。

「穂?…穂、おりないと」

少し強引に足を引っこ抜いて、私が先におりる。

前に移動して、彼女の顔を覗きこんだ。

「穂?」

ようやく少し顔が動いて、私を見た。

あまりに怯えたその表情を見て、少し可哀想になる。

頭を撫でると、少しだけ表情がやわらかくなる。

左手で浮き輪を固定して、右手を差し出す。

「おいで」

ようやく彼女は動き出す。

両手を私の首の後ろに回して、抱きつくように浮き輪からおりる。

その仕草があまりに可愛くて、心臓がトクンと音を鳴らす。

「怖かったね」

左手で浮き輪を引っ張って、右手を彼女の背に回す。

水の抵抗を受けながら、なんとかプールから出た。


まだ私に抱きつく彼女があまりに可愛い。

可愛いしか語彙力がないのかと思えるくらいに、可愛いしか出てこない。

浮き輪を戻しに行く。

浮き輪が重いから、彼女を私の左側に移動させ、浮き輪を左手から右手に持ち替える。

自分の背丈くらいある浮き輪を立たせた。

通路の左側には看板が立っていて、私達は浮き輪と看板に挟まれるような形になった。

後ろを振り返ると、偶然にも誰もいない。

そんなチャンスを、私が見逃すわけがない。

腰に添えていた左手を、彼女の顎に移動させる。

潤んだ瞳で見つめられる。

彼女の濡れた唇に、そっと唇を重ねる。

すぐに人の声が聞こえてきて、私達は離れる。

「がんばったね」

ポンポンと頭を撫でてあげる。

浮き輪を戻して、手を繋いでスライダーの出口に向かう。


ちょうど千陽と優里が浮き輪を戻しに来たところだった。

「穂ちゃん、どうしたの!?」

「怖かったみたい」

私が笑うと、優里の顔が蕩ける。

「そっか~!よしよし。もう大丈夫だよ」

優里が持っていた浮き輪を離して、穂に抱きついて、頭を撫でる。

千陽は浮き輪を1人で持つことになったけど、なんてことないみたいな顔をして戻しに行った。


みんなでレジャーシートに戻る。

私は穂の飲み物を売店で買って、わたしてあげる。

ストローをチューッと吸って、「ハァ」とため息をついた。

「こんなに速いなんて、知らなかった」

「けっこうあれ、速いよね」

「みんなあれを楽しめるなんて、すごい」

穂は項垂れて、肩にかけたタオルをギュッと握った。

私は彼女の肩を抱いて、頭を寄せる。

「慣れたら楽しめるよ」

「慣れるかなあ?」

「子供も滑れるやつがあるから、それを試してみたら?」

「今日は、無理…かも」

「うん、いいよ。無理しなくて」


優里と千陽が売店でアイスを買ってきた。

「クラスのみんなで行くときは、穂ちゃんを守らないとね」

優里が座りながら言う。

「絶対、調子乗ってスライダーに乗ろうって言ってくる人が出てくるからねえ」

穂がまたため息をつく。

「みんなの楽しい雰囲気を壊してしまいそうで申し訳ないな」

「…そんな!穂ちゃん、全然そんなことないよ!」

「穂」

私が声をかけると、目が合う。

不安げに瞳が揺れている。

「私が絶対穂のそばにいるから。大丈夫だから。ね?」

穂が俯きながらも、笑顔で頷く。

「誰かが何か言っても、穂がやりたくないならしなくていい。ハッキリ“やりたくない”って言っていいんだよ?」

穂は最近、何かを思っても、注意したりハッキリ言ったりしなくなった。

それが良いことなのか良くないことなのか、私にはわからない。

でも我慢しているなら、それは良くないと思う。

穂に我慢してほしいなんて、少しも思わないから。

「そう、なの?」

「うん。そんなことで楽しい雰囲気は壊れないし、壊れさせないし…私は、穂が自分の考えをちゃんと言えるところが好きなんだから」

穂が何度か瞬きして、目を伏せる。

彼女の目尻が下がって、唇が弧を描いた。

「ありがとう」


「ハァ」と千陽がため息をつく。

「永那、かっこいい」

優里が口元を手で隠す。

「…ぇ?え、そうかなあ?かっこよかった?うへへへ。やっぱ、かっこよかったかなあ?」

ニヤニヤして頭をポリポリ掻くと「やっぱ今のなし」と言われて、イラッとする。

「かっこいいよ」

まっすぐ彼女に見られる。

一気に顔が熱くなっていく。

…そんな…こんなやり取り、冗談でしょ?

そんなまっすぐ言われたら、なんて返せばいいかわからないって。

恥ずかしくなって、膝で顔を隠す。

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