第45話 夏休み

優里と千陽はまたスライダーをすると言って、いなくなった。

穂が少し寂しそうに2人の背中を見送る。

「穂、流れるプールでも行く?」

少し考えてから、彼女は頷いた。

今度はちゃんと浮き輪を支えて、彼女を乗せる。

「本当は、永那ちゃんもスライダーに行きたかったよね?」

穂の声が不安げだから、彼女の手を握る。

「全然。私は穂と一緒にいたい」

「本当?」

「本当だよ。2人きりになれると思ってなかったから、嬉しい」

そう言うと、彼女は安心したように笑った。

「私も、永那ちゃんといられて嬉しい」

…あぁ、キスしたい。

普通にキスしているカップルが羨ましい。

日本人は道端でカップルがキスすることは少ないけど、プールになると開放的になるのか、キスしているカップルをよく見かける。

やっぱ水着だと露出が多くなるもんね。


「永那ちゃん?」

「ん?」

「私ね、何か、永那ちゃんと共通の趣味?みたいのを作りたい」

突然の提案に目を白黒させる。

「趣味?」

「うん、何かないかなあ?…永那ちゃん、前に漫画読むって言っていたけど、どんな漫画読むの?」

「あー…読むって言っても、友達に借りたり図書館にあるやつを読むって感じだから、趣味とまでは言えないかも」

「そっか」

私の趣味ってなんだ?

強いて言うならエロいこと…だけど…そんな趣味おかしすぎるだろ!恥ずかしくて人に言えないわ!

「穂は、本を読むのが好きだよね?」

「うーん…私も、なんていうか…暇潰しみたいな。もちろん嫌いじゃないけど、趣味とまでは言えない気がする」

「そっか」

趣味って難しいな。

「2人でできることなら、料理とか?」

「料理かー」

「私、この前穂が生姜焼き作ってくれたの思い出して、家でも作ったよ」

「そーなの?」

「うん。でもやっぱ、穂が作ったやつのほうがおいしかった」

「じゃあ、明日は一緒に作ってみる?」

「うん、いいよ。…あ、一緒にスーパー行きたい」


私達はしばらく水の流れに身を任せて、ぷかぷか浮いていた。

時計の針が3時半を指し示す。

事前にみんなには、この時間に帰ることを伝えてあったから、千陽も優里もレジャーシートに来てくれた。

べつに私1人で帰っても良かったんだけど、3人とも一緒に帰ってくれるみたいだった。

シャワーを浴びて、服に着替える。

この時間に帰る人は少なくて、朝は混み合っていた更衣室が、すいている。

穂の着替えているところを見たかったけど、キッと睨まれたから、おずおずと外に出る。


「あー、楽しかった」

壁に寄りかかって待っていたら、優里が出てきた。

優里が空を見上げて言う。

「だね。…そうだ、誉がみんなで海に行きたいって言ってたんだけど、優里、あいてる日ある?」

「えー!誉君が!?行きたい行きたい!ちょっと待って」

優里がスマホを出す。

「ん?っていうか“言ってた”って…?」

「ああ、一昨日から穂の家に遊びに行ってて」

「ひゃー、ラブラブだねえ」

優里の視線がスマホに戻る。

「優里はさ、私と穂が付き合ってるって、知ってるんだよね?」

「え?今更?」

「確認してなかったし」

「穂ちゃんから聞いたよ」

そっか。いつの間に…。

「18日なら平気そうだけど、どうかな?」

「私は大丈夫。たぶん穂も誉も。…千陽には一応確認しなきゃだね」

そういえば、毎年千陽と夏休みを過ごしていたけど、今年はあいつ、どう過ごすんだろう?

穂と過ごせることにばかり意識が向いて、全然考えられてなかった。


穂と千陽が出てきたから、私達は歩き出す。

2人に海に行く日を確認すると、大丈夫そうで安心した。

私と千陽が先に電車をおりる。

千陽がすぐに駅で別れようとするから、引き止めた。

「千陽、夏休み、どう過ごす予定なの?」

「珍しい…なに?急に」

「いや、いつも一緒に過ごしてたし…今年は私、穂と過ごす予定だから、どうするのか気になって」

千陽の目がスーッと細くなって、でもすぐに笑みを浮かべた。

久しぶりに見る笑顔な気がした。

ピョンピョンとジャンプして、私の腕に抱きつく。

「“1人ぼっちで寂しい。毎日泣いてる”って言ったら、またあたしと一緒にいてくれる?」

腕に胸を押し付けて、彼女は上目遣いに言う。

「本当に、泣いてるの?」

「さあ?…質問に答えてよ」

「…考える」

「じゃあ、もういい」

千陽がパッと手を離して、歩き始める。

「ちょっと待ってよ」

彼女の手を掴んで振り返らせると、唇を尖らせていた。

「泣いてるなら、一緒にいる」

胸がチクリと痛む。

本心は、穂と一緒にいたいと願ってる。

でも、千陽を泣かせたいとも思わない。


「べつに、泣いてないよ」

掴んだ手を、離された。

「あたし、今年はいろいろ計画立ててるから」

「計画?」

「永那には、関係ないこと」

「…そっか」

「…少しは、寂しい?」

「うん」

「嘘」

「本当だよ」

「ふーん」

千陽とジッと見つめ合う。

少しして「じゃあ、また」と手を振られた。

彼女の背中を、見えなくなるまで見続けた。

そして私も歩き出す。

少し寂しい。本当だよ。

でも私は、千陽を選べない。

千陽の好意に甘えている自分がいるのはわかってる。

…それでも私は、穂が良い。


***

■■■


しっかり日焼け止めを塗っていたはずなのに、キャミソールの紐の部分とショートパンツで隠れていた部分が、白くなっている。

家に帰って、温かいシャワーを浴びると、肌が少しピリついた。

初めてのウォータースライダー、怖すぎて、永那えなちゃんに甘えてしまった。

…でも優しく受け止めてもらえて、嬉しさもあった。

いつかは、ああいうのにも乗れるようになりたい。

将来的に、もし遊園地とかでデートするってなったら、ジェットコースターにも乗るんだよね?

だから、乗れるようになりたい。

私はそういう、みんなが簡単に乗れてしまうような物に乗った経験がほとんどない。

まだお父さんがいた頃、一度だけ遊園地に連れて行ってもらったと思うけれど、まだ小さかったから、危険な乗り物には乗らなかった。


「永那ちゃん、かっこよかったな」

“楽しい雰囲気は壊れないし、壊れさせない”

私は友達ができたことが嬉しくて、最近は、何か思うところがあってもグッと堪えて言わないように心掛けていた。

私が何か言うことで、クラスの楽しい雰囲気を壊したくなかったから。

一度味わってしまった楽しさを、失いたくないと強く願って。

テスト返却期間中ほとんどの人が、寝ているか、お喋りをしているかだった。

復習は大事だし、せっかく先生が授業をしてくれているのだから、ちゃんと授業を受けるべきだと思っている。

寝ているのは人の邪魔になるわけでもないから良いとしても、喋っているのは正直迷惑だった。

前の私なら「先生の話が聞こえないから静かにしてくれない?」と言っていたと思う。

掃除だって、夏休み前ということもあってか、みんなまた適当にしていた。

本当はそれも、言いたかった。

夏休み前だからこそ、しっかりやるべきなのでは?と。

永那ちゃんには、私が言わずに我慢していたことを見抜かれていたのかな。


次の日、駅前で待ち合わせ。

やっぱり永那ちゃんはもう、ついていた。

いつものように時計台に寄りかかっている。

「永那ちゃん」

すい、おはよ」

「おはよう」

永那ちゃんが頭を撫でてくれる。

普段は行かないけど、少し離れたところに朝8時から開いているスーパーがある。

近所のスーパーは10時からだから、散歩がてら2人で歩く。

たかがね、海をすごい楽しみにしているみたいで、カレンダーに“海!”って赤字で大きく書いてたの。笑っちゃったよ」

「誉、可愛いなあ。でも気持ちはわかるよ。…また穂の水着姿が見られるの、すっごい楽しみだし」

「もう、また永那ちゃんはそういうこと言って」

頬を膨らませると、指でつつかれた。


スーパーに到着して、何を作ろうか考える。

永那ちゃんが、チャプチェみたいに珍しい物が食べたいと言うから、事前にいろいろ調べてみたけど、“珍しい物”がよくわからない。

私はスマホを出して、永那ちゃんに見せる。

永那ちゃんがスマホを覗き込むから、顔の距離が近くて少しドキドキした。

「普段、よくこのサイトのレシピを使ってて」

「へえ」

お気に入りに登録してあるレシピをスライドして見せていく。

「何か、気になるものある?」

「ビビンバ食べたい」

フフッと笑う。

ビビンバって珍しいものなのかな?

「じゃあ、今日はビビンバにしよう」

食材をカゴに入れていく。


お財布を出そうとしたら、サッと永那ちゃんが払ってくれる。

「後で払うね」と言うと「私に買わせて?」と頭を撫でられる。

「でも」

「ほら、前に優里ゆりが言ってたでしょ?家にお邪魔させてもらってるし、火も調味料とかも使わせてもらってるんだからって。それに、これからもお昼をご馳走してもらい続けるのは、申し訳ないからさ」

「…わかった。ありがとう」

買い物袋も持ってくれて、なんだか、同棲してるカップルみたいな気分になる。


「誉は?」

家について、買った物を冷蔵庫にしまっていく。

「友達に誘われたって、遊びに行ったよ」

「そっか。じゃあまた2人でいられるんだ」

背中にぬくもりを感じた後、腰から手が伸びてきて、抱きしめられる。

首筋に彼女の顔が触れて、少しくすぐったい。

チュッと音がする。

1回、2回、3回と、唇が触れるたびに私の顔に、永那ちゃんの顔が近づいてくる。

4回目、頬にキスされて、私は彼女の腕の中で振り向く。

冷蔵庫を片手で閉めると、見計らったように彼女の唇が私のに重なる。

やわらかい感触。

触れ合うだけで、気持ちいい。

何度も彼女を求めるように、彼女も私を求めるように、離れてはくっつき、くっつきは離れるのを繰り返す。

少しずつ、彼女の息が荒くなる。

同時に私は押されていって、冷蔵庫に寄りかかった。

両手で頬を包まれる。

少し見つめてから、また重なった。

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