第17話 靄
彼女から何の返事もないから、上目遣いに彼女を見ると、訝しげな表情をしている。
「なんでそう思うの?」
「えっと…。そう、聞いたから」
「ふーん」
膝に頬杖をついて、目を細くする。
「私がいろんな人とそういうことしてたって知って、どう思った?」
声のトーンが低くなって、不安の色が滲む。
「永那ちゃんはモテるだろうし、そういうものなのかなって」
「嫌じゃなかった?」
「うーん…もちろん、快い気持ちにはならないけど、私とは違う人生を歩んでるんだし、本当に、単純にそういうものなのかなって思ったよ」
フッと少し悲しげに笑って、永那ちゃんはまっすぐ私を見る。
「穂に嫌われなくてよかった」
心底ホッとしてるような、でもまだ不安が残っているような、そんな表情。
「でも、やっぱり嫌われちゃうかなあ?」
彼女の悲しそうな笑顔に胸が痛む。
「私の初恋は、本当に穂だよ。…今まで、私は誰のことも好きじゃなかったんだなって心の底から思うほどに、穂が好き」
それのどこが、嫌う理由になるのだろう?
「初恋があればよかったのかもしれない。その人のことが好きだったから体の関係を持ったんだって言えたら、よかった」
私には未知の世界の話。
「現実は、違う」
彼女が俯いて、前髪が垂れ下がるから、表情が見えなくなる。
「ただ、ストレス発散だったんだ。…そういうことをするのが、楽しかった」
首筋をボリボリと掻いて、「ハァ」とため息をつく。
「いっぱい、いろんな人を傷つけたと思う。それでも、その関係が、私にとって都合がよかった」
自嘲するように笑って「キモいよね」と呟いた。
また彼女はため息をつく。
「知られたくなかったな、穂には」
笑うところじゃない。
今、笑うところじゃないのはわかってるけど、思わず笑ってしまう。
永那ちゃんが驚いて、こちらを見る。
「最初に刺激的なキスをしてきたのは誰かなあ?」
「えっ!?」
「あんなふうにされたらさ…ああ、上手だなあって誰でも思うと思う。上手だなあって思ったら、きっと経験豊富なんだろうなあって考えるのは自然なことじゃない?」
永那ちゃんが引きつった笑みを浮かべてる。
「だから永那ちゃんがそういうこと、たくさんしてたって聞いても、べつに不思議じゃなかったよ」
「そっか。穂は、すごいな」
「そうかな?」
「すごいよ。普通は引くと思う」
「引きはしなかったよ。…でも」
一瞬で永那ちゃんの顔に不安の色が浮かぶ。
つい、笑みが溢れてしまう。
それくらい、私のことを好きだと思ってくれているのだとわかるから。
「でも、不安だった」
「不安?」
「永那ちゃんのこと、まだまだ知らないことばかりで。…もし、永那ちゃんが、今までエッチしてきた全員のことを好きだったなら、私もそのうち飽きられて捨てられちゃうのかなって」
彼女の目が大きく見開かれてる。
「そ、そっか。…じゃあ、穂が初恋で、よかったのか」
「私にとっては、ね」
笑みを見せると、彼女も照れくさそうに笑ってくれる。
それに、こんな話までちゃんと真剣にしてくれる彼女に引くわけがない。
「私がいろんな人としてきたって穂に言ったの、
永那ちゃんは膝に両腕をついて、気だるげにしている。
「えっ…」
私は隠すのが相当下手らしく、「やっぱり」と言われてしまった。
「想像できるんだよ、あいつがそういうの言ってるとこ」
また彼女は首筋をボリボリ掻く。
なんか、音からして痛そうだけど、痛くないのかな?
「佐藤さんってすごく可愛いけど、なんで永那ちゃんは…その…手を出さないの?」
「そんなことまで言ったの?恥ずかしくないのかよ」
永那ちゃん、少し口調が悪くなってる。苛立ってるのがありありとわかる。
「…自分でも、わからない。わからないけど、なんか、そういう気分にならなくて。なんなんだろう?」
宙を見て、考える。
しばらくの沈黙がおりて、でも彼女は答えが見つからないみたいだった。
「佐藤さん、泣いてた」
彼女が眉間にシワを寄せながらこちらを見る。
「佐藤さん、本当に永那ちゃんが好きなんだなって、思うよ」
「私達が付き合ってるって言ったの?」
「ううん、言ってない。言ってないけど、体育祭の打ち上げのとき、初めて手を振り払われたって言って泣いてた」
「ああ」
彼女は思い出すように、口元をさする。
「…そうだな」
何か考えがまとまったようで、彼女は2度頷いて、私を見た。
「千陽が私を本気で好きだってわかるから、手を出さなかったのかも。…私だって、自分を本気で大切に思ってくれる人を傷つけたいわけじゃない。絶対傷つけちゃうってわかるから、できなかったのかもしれない」
「そっか」
「ただ見た目がタイプとか、ただ優しくされたからとか、そういう理由で近づいてくる人と関係を持つのに躊躇いはあんまりなかった…と、思う」
彼女の耳が少し赤くなる。
口元を手で隠して、目をそらされる。
「なんか、自分で言っててめっちゃ恥ずかしくなってきた」
「え?なんで?」
「えー…なんでって…こんな話、あんましないでしょ。普通に恥ずかしいって」
「そうなんだ」
私は未知の世界の話を聞いているようで、けっこう興味深かったけど、普通はこういう話はしないんだ…。
恋話ってよくわからない。
***
日住君と金井さんには付き合ってることを言ったと、永那ちゃんに教えた。
「あの後輩君に?」
永那ちゃんは驚いた後、ニヤニヤ笑いながら「ふーん」と言っていた。
なんでニヤニヤしてるのか聞いたけど「なんでもない」と言われて、それでも私がしつこく聞こうとしたら、唇で口を塞がれてしまったから、それ以上聞けなくなった。
そのまま手を引かれて、すべり台に移動する。
すべり台の降り口に2人で縦になって座る。
永那ちゃんが後ろで、私が前。
なぜ金井さんに教えたのか聞かれたから、体育祭の一件で詰め寄られて、答えずにはいられなかったと答えた。
永那ちゃんは大爆笑して、「穂らしい」と言った。
そういうふうにバレちゃった場合は仕方ないけど、自ら宣伝するように付き合ってることを言うのはやめておこう…ということになった。
だからもちろん、佐藤さん達にも言わない。
というか、主に佐藤さんがややこしくなりそうだから…というのが言わない理由の1つでもある。
「でも、どうするかな?」
「何が?」
「私達、今のところ、学校で話す機会が全然ないじゃん?」
「そう…だね」
それは私も悩みの種だった。
「こうして休日しか会えないっていうのも、なんか寂しいよね」
私が頷くのを確認して、彼女はすべり台に寝転ぶ。
「私は遅くまで残ってられないし、朝は方向が全然違うから待ち合わせるわけにもいかないし…」
「起きてる間は佐藤さん達が永那ちゃんの周りにいるしね」
2人で苦笑する。
彼女は起き上がって、後ろから抱きしめてくれる。
首に顔をうずめる。
首筋が一瞬ひやりとして、鳥肌が立つ。
「永那ちゃん!?」
少し離れると、彼女が舌をペロリと出していた。
「もう」
私はわざと目を細めて、睨んでいるようにみせる。
「あ、そういえば」
永那ちゃんがニヤニヤしながら首を傾げる。
「体育祭の後、会ったとき、ここに痕残したでしょ?」
あのとき噛まれたところが、今でもシミみたいに残っている。
家に帰った後お母さんに赤くなっていることを指摘されて、慌てて汗疹ということにしたのは、我ながら機転が利いたと自負してる。
「マーキングだよ」
「なにそれ」
「“私の穂”ってこと」
「わ、わかってるよ!」
永那ちゃんの胸の辺りをベシベシ叩く。
彼女は「“なにそれ”って言うからー」と笑いながら受け止めている。
「まあ、普段どう2人で話すかは、また考えておくよ。穂も考えといて、何か良い案がないか」
後ろを向いていた私を前に向かせ、また後ろから抱きしめられる。
「わかった」
「ねえ、穂?」
耳元で彼女の声が聞こえてくる。
私が最初に彼女の耳元で囁いてから、彼女は何度もこうして耳元で囁くようになった。
耳に息がかかって少しくすぐったいけど、何度もあのときのことを思い出して、恥ずかしい気持ちにもなる。
でもあれがあったから、今の2人があるのだと思うと、過去の自分に拍手を送りたくもなる。
こうして彼女の声が近くで聞けることに、安心感を抱きはじめてる。
「いつかさ、穂の家に遊びに行きたい」
予想外の言葉に目を見開く。
少し後ろを向くと、キスできそうな距離に彼女がいて、心臓がぴょんと跳ねた。
「ダメ?」
顔を戻そうとすると、手で頬を包まれる。
潤んだ瞳を向けられて、胸がきゅぅっと締めつけられる。
「いい…よ」
「やったー」
そう小さく喜ぶ。
彼女が笑うから、私も笑みが溢れる。
唇にぬくもりを感じた。
じっくりと、ぬくもりを確かめるように、長いキスをした。
離れると、自然と笑い合った。
彼女がペロリと自分の唇を舐める。
「穂、随分キスに慣れたんじゃない?」
そう言われて、顔がボッと熱くなる。
「誰かさんがたくさんするからでしょ」
「誰でしょう?」
唇を尖らせて目を細めると、彼女が笑う。
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