第56話 噂
羞恥心に押しつぶされそうになる。
…お願い、誰も気づかないで。
鼻で目一杯呼吸をするから、息が荒くなる。
その息さえも、音が大きく聞こえて、誰かに聞こえてしまうのではないかと、不安になる。
なのに体は、ところ構わず“早くちょうだい”と訴える。
全身に快楽が訪れる。
(…もうだめ)と思ったのに、パタリと全ての動きが止まる。
彼女を見ると、薄っすら笑みを浮かべながらも、私をジッと見ていた。
「思い出した?」
…こんな状態で…思い出せるわけ…ない、じゃん。
私が黙っているからか、スーッと笑みが引いていく。
彼女は「ハァ」とため息をついて、指を動かす。
“待ってました”と言わんばかりに体は反応する。
でも、果てようとする直前に、彼女の動きは止まる。
意地悪。
…わかんないよ。全然思い出せないよ。
思い出すまでこれが続くの?
…無理だよ。
「ヒント…ちょうだい?」
震える声で言う。
彼女は大きくため息をついて、不機嫌そうにする。
「お願い」
見つめると、彼女は目をそらして、少しニヤけた。
永那ちゃんは肩で口元を拭く。
「日曜日」
そう言って、唇が塞がる。
…日曜日?
私が、おばあちゃんの家に行っていた日?
何か約束してたっけ?
思い出せない。
合わさった唇が離れると、私は声を出さないように自分の腕に噛みついた。
「気持ちいいの?」
そう言われて、恥ずかしいのに、止めてほしくなくて、頷く。
「真面目な空井さんが、外でこんなことやってるってみんなが知ったら、どうなるんだろうね?」
…なんで、そういうこと言うの。
「で、わかった?」
…ああ、そうだった。
えっと…日曜日…。なんだっけ…?
ああ…もう…。
日曜日…日曜日…えっと、あの日は…。
訪れる快楽に抗えない。
全身に力が入って、つま先立ちになる。
目をギュッと瞑って、猫背になる。
すぐに優しく撫でられて、普通に立てるようになるけど、足が
腕を外して、口で何度も呼吸する。
えーっと…日曜日は、何日だっけ?
たまにピクッと体が反応するけど、なんとか思考することはできる。
呼吸に集中して、一点を見つめる。
「あ」
自然と腕が口からこぼれ落ちた。
***
フッと永那ちゃんが笑って、強烈な刺激が全身を走った。
口が塞げなくて、声が出る。
「穂、静かに」
…そんなこと、言われても。
やっと欲していた快楽を与えられて、またつま先立ちになる。
永那ちゃんの肩に必死に縋って、俯く。
「だめっ」
全身がガクガクと震え、脱力して、全身を彼女に委ねた。
彼女の手が服のなかから出ていく。
彼女は私を片手で支えながら、中指をしゃぶった。
「思い出した?」
なんとか頷いてから、息を整えようとする。
「なんだった?」
「…記念日」
「酷くない?穂。こんなに言っても思い出せないなんてさ」
「…ごめん」
汗がタラタラと流れ落ちていく。
私はそっと目を閉じた。
「穂は、記念日なんてどうでもいいの?」
不安そうな声音に変わる。
「ううん、大事だよ」
「じゃあ、なんで?」
「いろいろ、考えてて…忘れちゃって…ごめんね」
「今回は、2人で過ごせると思ってた」
「ごめんね」
「べつに…お母さんが急遽予定を立てたことだし…仕方ないけどさ」
しばらく立ったまま休んで、私が歩けるようになってから、茂みから出た。
思わず周りをキョロキョロしたけど、誰も私達に注目していないみたいで安心した。
「痒い…」
「私も」
私は、笑う永那ちゃんを睨む。
ザッと、4ヶ所は虫に刺された。
「ハァ」とため息をついて「着替えたい」と本音が漏れる。
もう服が汗でぐしょぐしょだ。
永那ちゃんもそうらしく、服が濡れて色が濃くなっている。
トイレの手洗い場で、顔を洗う。
永那ちゃんが自販機で飲み物を買ってくれた。
ベンチに座って、ゴクゴク飲む。
「穂」
「ん?」
「“いろいろ考えてた”って、なに考えてたの?」
私はハンカチで、流れ出る汗を拭く。
…何から話したものか。
「永那ちゃんと佐藤さんの噂のこととか」
永那ちゃんが左眉を上げる。
「あれは…見間違いだって…」
「うん…わかってる。でも」
ジッと見つめられて、私は俯く。
「噂になるくらいなんだよねって、思って」
「どういうこと?」
「2人は噂になるくらい、深い絆があるんだなって思うんだよ」
永那ちゃんは眉間にシワを寄せて、考え込む。
「プールのときも、永那ちゃんがどれだけ佐藤さんを守ってきたか、思い知った」
「…それは、中学のときからの腐れ縁みたいなもので」
「うん。…2人の関係に何か不満があるとかじゃないの。永那ちゃんが私のことも大事にしてくれてるのは、十分わかってるし」
永那ちゃんの視線を感じながら、私は遠くを見る。
「でも、どうしても思っちゃう。“私でいいのかな”って。…じゃあ、佐藤さんと永那ちゃんが付き合ってもいいのかって言ったら、全然、全然喜べないんだけど」
私は作り笑いをする。
永那ちゃんは何も言わずに、ずっと私を見ている。
「…私、言ってほしかった」
「なにを?」
「佐藤さんに迫られたんだって…永那ちゃんから、聞きたかった」
手を握りしめる。
「永那ちゃんが言わなかったのは、佐藤さんを、大事にしてるから?佐藤さんとの関係を、私に言いたくなかったから?」
「違うよ。そりゃあ、千陽のことは大事にしてるけど…だから言わなかったわけじゃない」
「じゃあ、なんで言ってくれなかったの?」
永那ちゃんの喉が上下に動く。
眉間にシワが寄って、フゥッと息を吐く。
「そんなに、重要なことだとは思わなかった」
「…そう、なんだ」
「あいつが抱きついてくるのはいつものことで…なんていうか、誘ってくる?のも、いつものことで、あれも、いつものことだと思った」
胸がズキズキと痛む。
「誘われてたんだ…」
チラリと永那ちゃんを見ると、物凄く不安げな表情を浮かべていた。
でも、佐藤さんは私に言っていた。
“永那はなんでか、あたしを相手にしてくれない”
つまり、佐藤さんは今までずっと永那ちゃんを誘い続けてきたってことだよね。
だからあのときだって…いつもみたいにやった。
…それは仕方ない。仕方ないこと。
でも、やっぱり人から聞くんじゃなくて、永那ちゃんから“こんなことがあったんだ”って、言ってほしかった。
人から聞いたときに“ああ、そんなのもう知ってるよ”って、思いたかった。
「ごめんね…」
永那ちゃんが俯く。
「ねえ」
揺れる瞳がこちらを向く。
「どんなふうに、迫られたの?」
永那ちゃんは少し考えて、立ち上がった。
私は彼女が立ち上がったことに驚きながらも、目で追う。
彼女はシャツのボタンを2つ外して、私を挟むようにベンチの背もたれに両手をついた。
彼女が私に覆いかぶさるみたいになって、影が落ちる。
シャツの襟に指を引っ掛けて、胸元を見せる。
「“エロい?”…って」
心臓がバクバクと大きな音を立てている。
気づけば息を止めていて、私は一気に二酸化炭素を吐き出した。
…なにそれ。
永那ちゃんに再現されて、胸がキュウキュウ締め付けられて、ドキドキしている自分が恥ずかしい。
こんなの、好きな人にやられたら、反則も反則だよ。
私を見下ろす表情がまた濃艶で、さっきシたばかりだというのに、私の下腹部が疼く。
***
永那ちゃんがベンチに座る。
私は恥ずかしさで、両手で顔を覆った。
「穂?」
彼女がボリボリと皮膚を掻く。
「永那ちゃんは…それで、“やめろ”って、言ったんだよね?」
「そうだよ」
「…そっかあ」
あの佐藤さんにこんなことされても、永那ちゃんって揺るがないんだ…。すごいな。
永那ちゃんって、物凄く変態だと思っていたし、今だってそう思ってるけど、そこでは揺らがないのか…。
かっこいいな。
「穂?…ごめんね。嫌だったよね」
私は両手をおろして、ため息をつく。
頬を膨らませて、唇を尖らせて、永那ちゃんを睨む。
「もういい」
「え!?」
「もう、いいよ」
「そう、なの?」
私は頷く。
「怒ってるんでしょ?…その、嫌な思いして、傷ついたんでしょ?」
「まあ…でも、これからちゃんと言ってくれればいいよ」
ギュッと抱きしめられる。
「ごめんね」
「永那ちゃん、お腹すいた」
抱きしめたまま永那ちゃんが動かないから、私は口を開く。
バッと手を離して、永那ちゃんが立ち上がる。
「ご飯、食べに行こう」
手を差し出されたから、重ねる。
「穂」
「なに?」
「大好きだよ」
「私も、永那ちゃん、大好き」
2人で笑い合って、歩き出す。
「ねえ、あんなに長い時間、他に何話してたの?」
「ん?んー…私が穂を好きになった理由とか」
「…じゃあ、佐藤さんはあのときから、私達が付き合ってるって知ってたってこと?」
「んー…言おうとしたら“知りたくない”って言われたんだよね。だから、私は言ってないよ?」
…ってことは、やっぱり知ってたってことなんだ。
怖いなあ。
気づいてても、知りたくない…と。
それでテスト期間中に私達と一緒に過ごすんだから、本当に怖い。
「ハァ」と思わず、ため息が出る。
…でも、あれなのかな。
日住君が“諦めるために、最後に浴衣姿を見たかった”と言ったように、佐藤さんもそういうところがあったのかな?
諦めるために、私達の間に割って入った…。
だってその後の、プールのときも、家でみんなで遊んだときも、永那ちゃんにくっついたりしていなかった。
だとすれば、私は…恵まれてるなあ。
本来なら、横から私が永那ちゃんを奪ったような形になってしまったわけで、佐藤さんに怒られてもおかしくない状況だと思う。
嫌味を言われたり、罵倒されたりしても不思議じゃない。
なのに、一緒に遊んでくれてさえいる。
もちろん、私と佐藤さんが2人で遊ぶことは今後もないだろうけど…それでも…楽しく過ごさせてもらっているのが、ありがたい。
私達は公園にある売店の前に立った。
「おだんごある」
「おいしそうだね」
「焼きそば、サンドイッチ、アメリカンドッグ、ポテト、唐揚げ、オニオンリング…んー…どれもいいね」
「たこ焼き、ないね。…あ、永那ちゃん、カレーもあるよ」
「カレーなんぞいらんわ」
おかしくて、フフッと笑う。
「私、カレーにしようかな」
「えー」
「だめ?」
「んー…だめ」
さすが“だめ”を使ってる張本人なだけある。
嫌なときはちゃんと“だめ”って言うんだ。面白い。
「“あーん”できなくなるでしょ?」
「そんなにしたい?」
「うん」
腕を組んで、仁王立ちしている姿も面白い。
仁王立ちしてるのに、話してる内容は“あーん”についてだよ?
私達はおだんご2本、アメリカンドッグとオニオンリングを頼んで、椅子に座った。
「後でかき氷も食べたいな~」
「そうだね」
一緒にお祭りに行けたら、きっとすごく楽しいんだろうなあ…なんて思う。
3時半頃、帰途につく。
「明日、どうする?」
「たぶん、明日もお母さんいると思うんだよね…。お母さんがいてもよければ、家でも大丈夫だけど」
「んー…うん、大丈夫」
「本当?」
「うん」
「エッチはしないよ?」
耳元で囁くと、彼女がニヤニヤする。
「わかってるよ。…本当は穂がしたいんじゃないの?」
私はピョンとジャンプして距離を取る。
…そうだよ。
笑って誤魔化す。
永那ちゃんは察したようで、嬉しそうに笑った。
「…あ、でも。もう今日みたいなのは、しばらくだめ」
「しばらく?…しばらく経ったらヤってもいいんだ」
彼女がニヤリと笑う。
「だ、だめ!やっぱりだめ!」
グッと手を引っ張られて、抱きしめられる。
「楽しみにしてるね」
顎を上げられて、唇が重なる。
すぐに離れてしまうのが名残惜しくて、私からもう一度キスをした。
永那ちゃんはまた嬉しそうに笑って、頭を撫でてくれる。
もうすぐ駅につくというときになって、永那ちゃんが「そういえば」と口を開いた。
「なに?」
「あの、千陽と2人で話したときさ」
「うん?」
「ほっぺにチューされたんだけど」
時が止まる。
「あいつ、それが初めてのキスだったんだって。今までさ、あいつのこと普通に経験豊富だと思ってたから、めっちゃビビったよ」
私が、繋いでいた手を離す。
「なんで気づかなかったんだろー?って、我ながらバカだなーって思ってさ」
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