第61話 海とか祭りとか

永那の門限があるから、あたしたちは早々に帰る。

さすがに永那も、帰りは更衣室を借りていた。

軽くシャワーを浴びて、服を着る。

あたし達が出る頃には、弟は準備を終えていて、立って待っていた。

「誉、お待たせ」

優里が弟に抱きついている。

「そんな待ってないよ」

重そうにしながら、受け止めようとしている。

「行くかー!」

永那が空井さんの手を掴む。

空井さんもそれを受け入れて、恋人繋ぎをする。

やっぱりまだ、あたしは受け入れられない。

胸がチクリと痛んで、俯く。

それでも、みんなの後ろを歩く。


きっと、永那から離れる選択肢だってある。

きっと、まだ諦めないで永那を奪う選択肢だってある。

もしかしたら2人が別れて、永那が“やっぱり千陽がいい”って言ってくれるときがくるかもしれない。

最後のはわからないけど、少なくともあたしは、最初の2つを選択する気は、ない。

永那は変わらずあたしの王子様だし、でも、彼女にとってあたしはただの友達。

誰よりも永那を見てきたから、奪えるわけがないと、わかってる。

こんなあたしを、空井さんは好きだという。

あたしだったら、あたしを好きになんてなれない。

付き合ってもないのに永那の周りをずっとチョロチョロして、恋人みたいにして…。

浮かれてはなかったと思うけど、あたしは自分でも気付かないうちに彼女面してたのかな。

永那に守ってもらって、守ってもらい続けて、それに甘えて…そんなあたしを、永那が好きになるはずがなかった。

…永那が空井さんを好きだと言うのならなおさら、あたしを好きになるはずがない。

ただ、現実を知る。

まだ受け止められたわけじゃない。

ただ、知っただけ。


帰り際、弟に連絡先を聞かれた。

仕方ないから教えると、永那が嬉しそうにしていた。


日曜日、行くのをやめようと思っていたレズビアンのイベントに参加した。

とある映画好きのオフ会も兼ねていて、わりとこじんまりしていた。

雰囲気も今までで1番落ち着いていて、カフェでの集まりだった。

声をかけてくれた人がよく話す人で、あたしは自分から話すのが苦手だから、居心地が良かった。

連絡先を交換して、また会おうという話にもなった。

…しばらく、永那を好きなままでいるとは思うけど…いつか、誰か、他の人を好きになれたら…とも思う。


月曜日、永那と待ち合わせて空井さんの家に向かう。

初めて見る眼鏡姿に、思わずしゃがみこんだ。

空井さんの家で寝るから、コンタクトじゃなくて眼鏡にしていると…。

羨ましい、彼女は永那のこんな姿を見ていたなんて。

「ねえ」

「ん?」

「あたし、空井さんとのことを邪魔するつもりはないけど…あたしがいるところで、セックスとかしないで。さすがに、耐えられない」

永那の耳が赤くなる。

「わ、わかってるよ」

「前にしてたじゃん」

「いや…まあ、あれは、イライラしてたから。もう、しないから」

「あっそ」

最初に空井さんの家に行った日、すごく緊張したなあ。

でも、もういつの間にか慣れて、慣れたのを通り越して居心地の良さを感じている。

初めて行ったときは永那が騙されてるんじゃないかとか思って、いろいろ疑って空井さんを見ていた。

強引に空井さんのベッドに寝転がって、永那を誘って、でも、突き飛ばされて…。

“傷つくのも承知で”とか思っておきながら、結局傷ついて耐えられなくなって、優里を頼った。


去年、永那があたしの部屋に来たとき、あたしはかなり勇気を出して永那を誘った。

露出の多い服を着て、胸元を強調させて、ベッドに寝転がる。

足をバタバタさせてみたりして、ショーツがチラ見えするような格好をしたり。

永那はチラッと見たけど、すぐに目をそらして、座りながら目を閉じてしまった。

「ベッドで寝たら?」って言ってみたけど「いい」と断られた。

それなら…と、彼女の横に座って肩に頭を預けてみた。

無反応だから、腕に抱きついて、胸を押し付けた。

それでもスゥスゥ寝息を立てて寝るから、悲しくなった。

動画を見ながら永那が起きるのを待つ。

永那が起きたら、ベッドに座って足を少し開いて「永那、あたしはシてもいいけど?」って言ってみた。

でも永那は「なにを?…もう帰るよ?」と平然と言った。

自分で言って恥ずかしくて、あの後何度も思い出して、転げまわった。


家につくと、弟がドアを開けた。

永那が当たり前のように家に入って、空井さんと楽しそうに話す。

「永那ちゃん、佐藤さんがいるからってはしゃいで起きてちゃだめだよ?ちゃんと寝てよ?」

「はーい」

…本当にちゃんと寝てるんだ。

てっきり毎日セックスしてるのかと思ったけど。

少しホッとする。

…でも、永那が寝たらあたし、どうすればいいの?


***


永那は空井さんに手を引かれて、部屋に入っていった。

ドアを閉めることはなく、空井さんは当たり前のように永那をベッドに寝かせる。

あたしはこっそり後を追って2人を見ていたけど、空井さんが寝る前の永那にキスをしていて、なぜかあたしは赤面した。

その所作があまりにも自然だったからか、窓から射し込む光に照らされて、つい綺麗だと思ってしまったからなのか…理由はわからない。

海で見たときは、あんなに嫌な気持ちになったのに。

あたしが見ていたことに気づくと、空井さんは目を見開いて、耳を真っ赤に染めていた。

「ご、ごめんなさい」と謝られ、前髪を指で何度も梳いていた。

空井さんが恥ずかしそうに部屋から出て、キッチンに行く。

あたしはそれをジッと目で追った。


「千陽、なんかゲームする?」

弟が不思議そうな顔をしながら声をかけてくる。

「ゲームって、なんのゲーム?」

「いろいろあるよ?」

そう言って、テレビ台の棚の中からいくつか引っ張りだす。

ゲーム機が2つと、トランプやボードゲームもある。

トランプは、前にみんなでやったな。

「これ、テレビに繋げれば、2人で遊べるよ?」

ゲーム機を手に取る。

「あたし、こういうのやったことない」

「簡単なやつもあるし、永那もやったことなかったけどできるようになってたから、大丈夫だよ」

弟がテレビに繋げる準備をする。

空井さんが飲み物とお菓子をテーブルに置いてくれた。

まだ恥ずかしそうに前髪を指で梳いている。


弟がゲームの説明を始めて、一緒にやる。

楽しいのかは、よくわからない。

しばらくやって、だいぶ慣れてきて、すんなり操作できるようになった。

その頃には、空井さんは1人で本を読んで座っていた。

「ねえ、いつもこんな感じなの?」

「こんな感じって?」

「永那が寝てて、2人が普通に過ごしてる」

「そうだね。まあ、おばあちゃん家行ったり、姉ちゃんは生徒会の合宿があったり、永那が熱出したりで、そんなに多くはないけど」

…永那、本当にただ寝に来てるだけなの?

意外すぎて、信じられない。

あたしの想像では、毎日のように空井さんを求めて、四六時中イチャイチャしてる姿があったけど。

“あれは、イライラしてたから”

イライラしていなければ、無闇に迫るわけでもないんだ。


11時半頃、空井さんが部屋に入っていった。

「ちょっと見てくる」

弟に耳打ちして、あたしはまた2人を覗きに行く。

寝る前は1回だったのに、今度は何度も何度も口付けしていた。

その姿に、なぜかあたしの下腹部が疼いて、ドア枠をギュッと握る。

そのうち永那が幸せそうな顔をしながら目を覚ます。

「おはよう、穂」と、彼女を抱きしめて、永那からキスをする。

あたしが見ていることに気づいたのか、空井さんが急に顔をこちらに向けた。

さっきよりも顔が赤くなって、隠れるように永那の胸に顔をうずめた。

…見られたくないならドア閉めればいいのに。

「おー、千陽」

「おはよう」

弟があたしの背後から顔を出す。

「起きた?…姉ちゃん、何やってんの?」

「…うるさい」


その後、3人が料理をした。

あたしは椅子に座って、ただそれを眺める。

空井さんが「あ!」と言って、あたしのそばに来た。

「ごめんね、これ片付けちゃうね」

あたしが座っていた席の隣には、紙や本が山積みになっていた。

空井さんが片付けている間にも、永那と弟が楽しそうに料理してる。

あたしの家では、ママもパパも、料理してるところなんて見たこともない。

だから、不思議な光景。

ああ…でも。おばあちゃんの家に行ったとき、料理しているのを見たかな。

あたしはフゥッと息を吐いた。

…前に食べた生姜焼きは、すごくおいしかった。

ママは買ってきたもののほうがおいしいって言ってたけど、あたしは、手作りのほうが好きかも。


「ねえ!千陽!千陽も、やってみなよ!」

弟に呼ばれて、眉間にシワを寄せながら、キッチンに行ってみる。

「タネをね、皮の真ん中に置いて、水をつけて、ヒダを作る…ほら!餃子」

「千陽?どうしたー?」

ジッと見ていたら、永那に顔を覗きこまれて、ドキッとする。

手を洗って、弟が作っているのを真似る。

「そうそう!千陽、うまい!」

弟が言う。

永那を見ると、優しく微笑まれた。

…こんな表情、あたしに見せたことなんてほとんどないのに。

「佐藤さんは、カラシいる?」

空井さんに聞かれる。

「いらない」

「酢醤油と、普通の醤油、どっちがいい?」

…酢醤油?なにそれ。

「普通の」

「俺酢醤油ね!!」

「わかってるよ」

「永那ちゃんは?」

「カラシと酢醤油!」

酢醤油、大人気。

あたしも、それにすれば良かったかな?


初めて手作りの餃子を食べた。

ニンニク臭くなくて、おいしい。

…買ったものは、ニンニクがたくさん入っているのだとわかる。

ご飯とお味噌汁もついてる。

家では、味噌汁なんてほとんど飲まない。

「おいしい?」

向かいに座る弟が聞いてくる。

あたしが頷くと、嬉しそうに笑った。

横を見ると、永那もおいしそうにご飯を食べている。

…なんか、良いな。こういうの。


***


「そういえば、千陽?」

弟に目を向ける。

「お祭りさ、浴衣着る?」

「浴衣なんて、持ってない」

「お祭り行くの?」

永那が聞く。

「うん!千陽と2人で行くんだー!」

「ふーん」

永那がニヤニヤしながらあたしを見るから、ため息をついてご飯を食べる。

「俺さ、昨日甚平買ってもらったから着ていくんだけど、千陽も一緒に着ようよ?」

「誉、浴衣ってけっこう高いんだよ?持ってないって言ってるんだから、そんな気軽に誘っちゃだめ」

「えー」

空井さんが叱るように言って、弟が唇を尖らせる。

「いくらなの?」

「えーっと…1番安くても7千円くらいかなあ?…前に5千円くらいのも見た気がするけど、それだと種類がすごく少なかったんだよね」

…7千円って、高いの?普通じゃない?

「べつに、いいよ」

「マジ!?やったー!やっぱ、祭りと言えば浴衣だよね!俺だけ甚平で千陽が服ってのも、微妙だと思ったんだよ」

「無理しないでね?」

空井さんが言うけど、あたしはご飯を口に運んで無視する。


食後、また永那は寝た。

「さ、佐藤さん…そんなに、見ないで」

キスするところを眺めてたら、空井さんが頬を赤らめて言った。

「なんで?」

「恥ずかしい…から…」

「でも、いつもやってることなんでしょ?」

彼女が俯く。

…その姿に、なんかイラついて、気づけばあたしは、俯く彼女の唇に唇を重ねていた。

やわらかい。

すぐに離れて、唇をペロリと舐める。

空井さんが火を吹きそうなほど顔を赤らめて、目を見開いて固まっている。

…なんか、癖になりそう。


「ち、千陽…?」

「なに?」

リビングに戻って、ゲームのコントローラーを持つ。

「え、あれ?…いや、え?…姉ちゃん、動かないよ?」

2人で空井さんを見る。

おかしくて笑えてくる。

「誉」

初めて、彼の名を呼ぶ。

弟の顔も赤くなる。

「キスって、気持ちいいんだね」

もう一度、唇を舐めた。

口元を綻ばせると、弟が俯く。

照れるときの反応が姉弟揃って全く一緒。

「ほら、やろうよ?ゲーム」

「え?…でも」

「早く」

弟は空井さんをチラチラ見ながら、ゲームの電源を入れる。

しばらくして、空井さんは両手を顔で覆って、しゃがみこんでいた。


「ねえ、明日も来ていい?」

弟に聞くと、「うん!もちろん!」と目を輝かせた。

空井さんはずっと部屋の入り口でしゃがんで俯いている。

…何度も永那としてるなら、あたしと1回くらいしても、平気でしょ?

あたしなんて、永那の頬にキスしたことはあるけど、口は初めてなんだから。

そっか。言っちゃえば、これが本当のファーストキスなのか。

空井さんが永那とキスした後に、あたしと空井さんがキスしたんだから、永那との間接キスとも言える。

そう考えたら、ニヤけずにはいられない。

「姉ちゃん、そろそろ、永那を起こさなきゃいけないんじゃないの?」

時計の針は、4時半近くになっていた。

「姉ちゃん?」

弟が、空井さんの肩を揺らす。

あたしはため息をついて、部屋に入る。

永那のほっぺをグイッと引っ張る。

目が開く。

あたしと目が合って、睨まれる。

手を離すと、「いってーよ」と頬をさすった。


「穂は?」

永那はキョロキョロして、すぐそばでしゃがんでいるのを見つけた。

「え!?穂?どうした?」

弟があたしを見る。

あたしはあの感触を思い出して、またニヤけてしまう。

永那が空井さんと弟とあたしを順々に見て、眉間にシワを寄せる。

「え?なに?…何があったの?」

「千陽が…」

永那があたしを睨む。

「なに?…何したの?」

「キスした」

何度か瞬きを繰り返して、「は?」と、全く理解できないみたいな声で言う。

「誰が?誰に?」

「あたしが、空井さんに」

眉間のシワが深くなる。

首を90度近く曲げるから、痛くないのかな?なんて呑気に思う。

「キスって、あんなに気持ちいいんだね」

唇をペロリと舐めると、永那の顔が引きつる。


「お前…!」

「なに?」

「“なに?”じゃないだろ!おかしいだろ!…は?なにやってんの?マジで」

「だって空井さん、あたしのこと、好きなんでしょ?」

「その好きは、友達としての好きだろ!なに…なにキスしてんだよ!え?ほっぺだよね?」

「そんなわけないじゃん」

永那の目の下がピクピクと痙攣して、過去にないほど怒ってるのがわかる。

「永那が呑気に寝てるから悪いんだよ?」

「はあ?意味わかんねえよ!」


「…あ、2人とも…あの、もう…」

空井さんが顔を上げる。

また彼女は前髪を指で梳いて、立ち上がる。

俯きがちに、あたし達を見た。

「あの、事故ということで…」

「事故?…違うけど」

空井さんの顔がまた真っ赤になる。

「ふざけんなよ」

永那に、胸元の服を掴まれる。…乱暴。

「もう、あたしのこと、嫌い?」

手を握りしめる。

「は?…そんな話、してないじゃん」

「じゃあ、どんな話?」

永那の奥歯がギリリと鳴る。

「なにやってんだって言ってんの」

「だからキスだってば」

「だから、なんでだよ!なんで穂にキスする流れになるわけ?」

「…なんとなく」

「なんとなく!?なんとなくキスすんの!?お前」

あたしは笑う。

永那は大きくため息をついて、項垂れた。

服を掴んでいた手はダラリと垂れて、力なくベッドに座り込む。



/* 61話以降、話が王道から逸れていきます。王道のラブストーリーを期待している方は読み進めることをオススメしません。また、理解し難いであろう展開については、都度近況ノートに解説を書く予定です。興味があれば是非お読みください */

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