第60話 海とか祭りとか

「じゃあ私がやってあげるから!」

優里にゴシゴシ拭かれる。

「破壊力!」

わけわかんないことを叫んで、落ち込んでいた。

ご飯を食べ終えて、優里が「もう一回海行こー!」と言った。

弟が「行かない?」と聞いてくるから「行かない」と答える。

あたしはサングラスをして、鞄を枕にしてシートに寝転んだ。

「ハァ」と大きなため息が出る。

目を閉じたら、バサッと何かが胸元にかかった。

目を開けると、永那が立っていた。

「寝るなら、ちゃんとそれ、かけとけよ?」

やっぱり、永那に見下ろされるの、好き。

「誉、行こう?」

空井さんが弟を誘う。

弟があたしのほうをチラリと見るけど「いいよいいよ、行っといで」と永那が言った。

…え?永那が残るの?

サングラスを額に上げて見てたら、目が合う。

もう、今日も2人きりにはなれないのだと諦めていたのに。

「お前、ホント濡れるの嫌いだよね」

笑いながら、隣に座る。


あたしは起き上がって、永那がくれたパーカーを膝にかける。

「寝ないの?」

「永那がいるなら、寝ない」

「ふーん」

肩に寄りかかりたい。

抱きつきたい。

触れたい。

「空井さんと、喧嘩したの?」

腕で口元を隠しながら、彼女を見る。

「なんで…って、誉か。うん、まあ」

「どうしてか、聞いちゃだめ?」

永那の冷めた視線がこちらを向く。

目が合って、すぐに遠くを見てしまう。

「お前にほっぺにキスされたこと、言わなかったから」

心臓が跳ねる。

「バレたんだ?」

永那の左眉が上がって、少し不機嫌になる。

「どっかの誰かが見てたんだと」

「へえ。もうあたしと関わらないでって言われなかったの?」

…良い子ちゃんの空井さんは、そんなこと言わないかな?

本当は、我慢してるんじゃないの?


「言われなかった。ってか、私が言わなかったことを怒られたんだよ」

眉間にシワが寄る。

「どういうこと?」

「穂は、お前のこと好きなんだって」

余計、意味がわからない。

「お前が私にキスしたことを怒ったというよりも、私がお前にキスされたのを穂に言わなかったことがダメだったんだって」

じゃあ、あたしには全く怒ってないってこと?

どういうこと?

奥歯がギリリと鳴る。

「あたしが今キスしても、怒られないってこと?」

「したら、私が怒る」

永那があたしを睨む。

「ハグは?」

「…だめ」

胸がチクチク痛む。

…そんなハッキリ言わなくても。

「寄りかかりたい」

「だめだって」

永那がイライラする。


「永那が“私を好きってことにすれば?”って言ったんじゃん」

あたしはパーカーに顔をうずめる。

「永那が言ったから、あたし、好きになったのに」

ギュッと布を握りしめる。

「責任取ってよ。…どうすればいいの」

「本当に好きになれなんて、言ってないよ」

「でも、好きになっちゃったの。本当に、好きになっちゃったの。どうすればいいの!」

気づけば大声が出ていて、布に雫が跡をつけた。

「…ごめん」

「謝られても、わからないよ」

一度溢れた涙はとどまることを知らないみたいに、どんどん流れ出てくる。

「あたしには、永那しかいないのに…」

長い沈黙がおりる。

周りの楽しげな声がうるさい。

もう、消えていなくなりたい。

もう…もう…嫌だ。


ふいに、肩を抱かれた。

「だめなんじゃ、ないの?」

口ではそう言っても、嬉しくて嬉しくてたまらない。

「少しだけ、だよ。…だから、泣かないで」

本当、永那は甘いんだから。

彼女のぬくもりを感じれば泣き止むと思ったのに、全然涙が止まる気配はなくて、そのうち声が漏れ出た。

肩を優しく叩かれて、もっと泣く。

やっと触れられた。

やっと、心が満たされていく。


落ち着いてきて、頭をポンポンと撫でられる。

顔を上げると、永那は困ったように笑っていた。

「千陽さ、なんで誉に日焼け止め塗らせてたの?」

額まで上げていたサングラスをおろされる。

泣き腫らした目が、隠される。

…そういう気遣いをサラッとできてしまうところに相手がドキドキするってわかってないから嫌になる。

「胸までさわらせようとしてさ」

「…べつに。意味なんてない。からかってやろうと思っただけ」

「ふーん。…けっこう気に入ってんだ?」

「は?なんでそうなるの?」

「だってお前、私か優里にしかさわらせないじゃん、自分のこと。…日焼け止めなんて、誉から塗るって言うとは思えないし。お前が言ったんでしょ?“塗って”って」

あたしは顎を膝につけて、ボーッと砂を見た。


「千陽ー!」

びしょ濡れの弟が1人で走ってきた。

ジッと見ていたら、目の前でしゃがまれる。

「見て、シーグラス?って言うんだって。綺麗だったから、千陽のも取ってきた。あげる」

…なにそれ。そんな子供っぽいもの、全然いらないし。

「こんな、割れてない貝殻もあったよ」

小さな巻貝。

「はい」

そう差し出されると、手を出すしかなくて。

海水で濡れて、太陽光に照らされるそれが、少し綺麗に見えた。

「誉、ここいて」

「ん?」

「私、穂とイチャイチャしてくるから」

「ああ、わかった」

永那の背中を睨む。

振り向かれて、ニヤリと笑われた。

そんな姿もかっこよくて、ドキドキするから、自分が嫌になる。


***


びしょ濡れのまま、弟が隣に座る。

地面が少し斜めっているから、水がこっちに流れてくる。

ポケットから、いくつかの貝殻とシーグラスを取り出す。

「いっぱい取ってきたんだけど、千陽にあげたやつが1番綺麗だよね?」

彼の手元がキラキラと輝く。

サングラス越しだから、全部同じような色に見えるけど。

あたしは欠けているシーグラスを取る。

「これが1番綺麗」

「これ?そう?…じゃあ、これあげる」

髪から水が滴り落ちている。

あたしはため息をついて、鞄からタオルを出した。

髪を拭いてあげると「ありがとう」と、はにかまれる。

その笑顔が空井さんに似ていて、あたしは目をそらした。

“穂は、お前のこと好きなんだって”

なんで?

あたし、空井さんに嫌なことばっかりしてたと思うんだけど。


「ねえ」

「なに?」

「あたし、さっき背中、塗ってもらってないんだけど?」

「え?」

素っ頓狂な声を出す。

「優里のは塗れて、あたしのは嫌?」

「あ、いや、いいよ。ちょっと待って」

鞄に無造作にシーグラスと貝殻を入れて、タオルで手を拭く。

日焼け止めを振って、手に出すから、あたしは背を向ける。

「紐の内側も?」

あたしは頷く。

少し伸びた髪を前に持っていく。

あたしは目を閉じて、じっとする。

「あのさ、さっき結局お金払ってもらっちゃったから、俺、なんか買ってくるよ?」

「いらない」

「え、でもさっき」

「あれは冗談」

「そ、そーなの?」

永那は塗り方が雑だったけど、弟は丁寧で、優しい。

永那がそうしてくれていると想像すると萌えるけど、全然現実的じゃない。

…少なくとも、あたしには。


「はい、できた」

あたしは振り向いて、弟をジッと見る。

「な、なに?」

「まだ、できてない」

「え?どこ?」

あたしは手を背中に回して、ビキニのボトムのゴムに指を引っ掛ける。

「布の下まで塗らないと、跡が残るでしょ?」

カーッと弟の顔が赤くなっていく。

「む、無理…」

両手で顔を覆う。

見た後に覆ったって意味ないのに。

あたしは吹き出して笑った。

バカみたい。

自分で日焼け止めを出して、塗る。

「やっぱりかき氷食べた~い」

「え!?う、うん。わかった!何味?」

「ぶどう」

「ぶどう?…あったかなあ?なかったら何がいい?」

「マンゴー」

「え!?そっちのほうがなくない!?…あるかなあ?」

「さくらんぼ」

「かき氷のさくらんぼ味、見たことないよ!」

あたしは膝に頬杖をついて、そっぽを向く。

「もう…!いちごね!いちご!なかったら、いちご!」


あたしは、歩き出す弟の足首を掴む。

「おぅっ、あぶなっ」

「あたしを1人にするの?」

「あ、ごめん…そうだよね。ど、どうしよう。一緒に行く?」

「やだ」

「えー…」

弟がポリポリと頭を掻く。

「嘘」

立ち上がって、弟よりも先に歩き出す。

弟が小走りで追いついて、首からかけている防水ケースからお金を出す。

「俺はメロンにしよ」

「ねえ」

「なに?」

「一緒にお祭り行ってあげてもいいよ?」

「本当?」

「でも、2人きりじゃなきゃ嫌。あんたの友達が来るなら、絶対嫌」

「わかった!」

弟を睨む。

「なんで“わかった”の?」

「え?どういう意味?」

「べつに。なんでもない」

「え、え、どういう意味?教えてよ」

うざ。

無視する。


「千陽、教えてよ。わかんないよ」

手を掴まれる。

フラッシュバックして、体が強張る。

「千陽?…千陽?どうしたの?」

背中をさすられて、ようやく呼吸ができる。

しゃがみこんで、俯いた。

「大丈夫?ごめんね?…ごめんね」

弟もそばでしゃがむのがわかる。

ずっと背中をさすってくれる。

「あたしの言葉なんて、適当に聞き流して」

永那はいつも“ふーん”だった。

「…うん。わかった」

なんで“わかった”の。

あたしを優先しないで。

あたしを1番大事にして。

…矛盾する気持ち。

「でもさ?…お祭りは、2人のほうがいいんだよね?」

あー、嫌い。

なにこいつ。嫌い。クソ生意気なガキのくせに。

全然、わかってないじゃん。

涙が溢れ出てくる。

サングラスかけといてよかった。

「早くかき氷買ってよ」

「う、うん。じゃあ、行こう?」

弟は立ち上がって、手を差し出す。

あたしは指で涙を拭って、自力で立ち上がる。

あんたはあたしの、王子様なんかじゃない。


マンゴーのかき氷、あるし。

弟が「マンゴー、あったねー」なんて笑うから、無視した。

弟がお金を払って、あたしたちはシートに戻る。

「あ!かき氷!いいなあ!」

3人が帰ってきていた。

頭まで浸かったらしく、3人ともびしょ濡れで、タオルで体を拭いていた。

あたしはシートに座って、かき氷を食べる。

「優里、いる?」

弟が自分のかき氷を優里に差し出す。

「わー!嬉しい!ありがとう!」

優里が何口か食べる。

「私もちょーだい」

そのまま優里が永那にわたして、永那がバクバク食べる。

「おい、永那!食べすぎ!」

空井さんはその様子を楽しそうに見ていた。

弟は、永那に半分以上食べられて肩を落としている。

「永那には、もう絶対あげない」

弟が永那を睨む。

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