第78話 文化祭準備

両肩から手が伸びてくる。

びっくりして振り向くと、千陽がいた。

後ろから抱きしめられて、彼女の胸のあたたかさが背中に押し付けられる。

「穂」

耳元で囁かれる。

「もし永那が他の女にいったら、あたしと一緒にいようね?」

そんな言い方をされても、本当に困る。

「あたし、永那のことは奪えないって諦めてるけど、穂は奪えるかも…って思ってる」

私も奪えません。

「大事なを放って、他の女の黄色い声に鼻の下伸ばすなんて、信じられない」

彼女の顔が異常に近い。

私は少しも動いてはいけない気がして、目を閉じて、全神経を集中する。

「穂、好き」

奥歯を噛みしめる。


「おい」

ぬくもりが背中から消える。

「なにやってんだよ」

永那ちゃんが千陽の腕を掴んでいる。

「痛い」

「うっさい。離れろ」

2人が睨み合う。

「え、永那と千陽喧嘩?」「どした?」「永那ホントかっこいい」「痴話喧嘩?」

クラスの女子が周りに集まってくる。

「2人ともなにやってんのー」

優里ちゃんが割って入る。

「ほら、すぐ喧嘩しない!」

永那ちゃんがイライラしながらも、千陽の腕を掴む手を離した。

「穂?こいつの妄言に耳を貸してはいけないよ?」

永那ちゃんに両耳を塞がれる。

目の前に永那ちゃんの顔があって、見つめられて、鼓動がトクトクと速まっていく。

「千陽、マジでなにしたの?」「空井さんと仲良かったっけ?」

周りの人たちの笑い声が聞こえるけど、それは曇って聞こえてくる。

ただジッと永那ちゃんと見つめ合っていると、2人だけの時間みたいにも思えた。


顔の前で、パチンと手が叩かれる。

「こらこら、イチャイチャしない!」

優里ちゃんが言う。

そう言われて、急に恥ずかしくなって、顔が熱くなる。

「え、どゆこと?」と1人が言って、優里ちゃんが「あ、しまった…」という顔をする。

期末テスト期間中と夏休みのノリで言ったんだろうな。

永那ちゃんが立ち上がって「今、穂と付き合ってるからさ」と言い放った。

クラスがシンと静まり返る。

「マジで!?」

ドッとクラス中が湧く。

穴があったら入りたい。

「え、永那って千陽と付き合ってたんじゃないの?」「なんで空井さん?」「空井さんって恋愛するんだ…」「なんで付き合うことになったの?」「いつから?」

いろんな声が飛び交って、消えたくなる。

私は両手で顔を覆って、目をギュッと閉じた。

「これでみんな知ったからね?…千陽、変なことすんなよ?」

千陽は何も返事をしない。

ぷいとそっぽを向いてるところが想像できる。


チャイムが鳴っても、みんながコソコソ何か話しているのがわかって、授業に集中できなかった。

今までは恋愛話に興味がなくて、話題になっていても何も思わなかったけど、いざ当事者になると、“早くみんな忘れて”と心から願った。


休み時間、永那ちゃんが寝ているから、みんな私のところに来た。

話したこともない人からたくさん話しかけられて、逃げるようにトイレに行った。

1年生のトイレにひきこもらせてもらう。

…もう嫌だ。

っていうか、なんで永那ちゃん寝てるの!?

あんな暴露してすぐ寝るなんて、ひどいよ…。

…だんだんイライラしてきた。

“自ら宣伝するように言うのはやめよう”って言ったのに、なんであんな大声で、全員に…。

千陽のことはわかるけど、だからって、あんなふうに言って放置って…!

腕時計を見て、私はトイレから出る。


教室に戻ると、みんなの視線が突き刺さる。

席に座ると、前の席の子が振り向いた。

「空井、さ…ん…。ごめんなさい…」

彼女は何も話さずに、すぐに前を向いた。

不思議と脳みそは冷え切っていて、授業の内容もスラスラと入ってきた。

休み時間は本を読む。

優里ちゃんがそばに来て謝っていたけど「優里ちゃんは何も悪くないよ?」と言ったら、また謝って席に戻っていった。

授業が終わっても、永那ちゃんは起きなかった。

私はそのまま家に帰る。

千陽からの視線を感じたけれど、今、話したい気分にはなれなかった。

彼女からも何も話しかけてこなかったのは、彼女が私の気持ちを察してくれたからなのかは、わからない。


次の日、何度か誰かに話しかけられたけれど、その誰もが、結局何も話さないまま去っていく。

好都合にも思えた。

誰とも話したい気分にならない。

…それでも、生徒会はある。

一応、生徒会長候補になることを発表する日なのだから“しっかりしなくては”という気持ちに持っていく。

生徒会室の前で深呼吸して、ドアを開ける。

「おつかれさまです、空井先輩」

金井かねいさんが言う。

「おつかれさま」

いつもの席に座る。

生徒会長は既に座っていて、彼を見ると腕組みしながら頷かれた。

全員が揃ったところで、生徒会長から次期生徒会長候補として、私の名前が呼ばれた。

「他に立候補する方がいるかもしれませんが、今回の文化祭では仮の生徒会長として、精一杯頑張ります。よろしくお願いします」

そう挨拶して、拍手される。

次に副生徒会長の挨拶に移行した。


その後、文化祭についての話し合いが行われ、生徒会は6時過ぎに終わった。

「空井先輩」

日住ひずみ君に声をかけられた。

少し顔を近づけられて「聞きましたよ…大丈夫ですか?」と聞かれる。

「なにが?」

「…両角もろずみ先輩と空井先輩がお付き合いしてるって。すごい話題になってますね」


***


眉頭にシワが寄って、ギリリと奥歯が鳴る。

人の噂がこんなにも早くに広まるとは。

大きくため息をつく。

「べつに、大丈夫だよ」

「でも」

「どうでもいいから、そんなこと。鬱陶しいだけで」

日住君の目が大きくなる。

「そうですか。さすが先輩です」

彼は苦笑する。

帰り支度をすると、日住君もついてくる。

「空井先輩」

呼び止められて、振り向く。

金井さんは日住君をチラリと見て、私に視線を戻す。

「少しお話、いいですか?」

すぐ、恋話だとわかって、私は首を横に振る。

歩き出そうとして「先輩!」と大きな声を出されて、思わず立ち止まる。

「先輩の話じゃないので、安心してください」

そう言われて、ハッとする。

自分の視野が狭くなっていた。

また鎧を作ろうとしていた。

フゥッと息を吐いて「わかった」と答えた。


3人でカフェに行った。

最初に日住君に恋愛相談をしたときの、カフェ。

「先輩、私達、恋人になりました」

金井さんと日住君が顔を見合わせてから、私を見て、微笑む。

「夏祭りの後、私から、告白しました」

「…そっか。…そっか!よかったね!」

「はい、ありがとうございます」

「まさか、金井が空井先輩に相談してるなんて知りませんでしたよ…」

日住君が照れたように笑う。

3人で話す時間に、癒やされた。

夏祭りが終わってから、学校が始まるまでの1週間、毎日会っていたという。

いろんなところに2人で行って楽しかった話をしてくれた。


2人と別れて、ため息をついた。

永那ちゃんは、部活もしていないのに後輩に広まるほどの人気者。

みんなが千陽と付き合っているのではないかと勘ぐっていたから、今まで何の問題も起きていなかった。

そのバランスが、崩れた。

まして相手が私で、良くも悪くも“生徒会長(副生徒会長)”という立場で、名前の知られている人間で、学校中の話題になるのは、考えてみれば当たり前に思えた。

その対策を、何も考えていなかった。

まさか永那ちゃんが自ら暴露するとは思ってもみなかったけど…それでも、遅かれ早かれバレていたかもしれない。

それを考えれば、何も対策を考えていなかった自分にも落ち度があるように思えた。


「穂」

マンションの前につくと、千陽が立っていた。

「穂…ごめんね」

千陽があまりに傷ついた顔をしているから、慌てる。

「ち、千陽…どうしたの?」

「あたしが、穂に抱きついたから…あんなことになって」

本当に、自分のことしか見えていなかった。

永那ちゃんはずっと寝ているし、起きても、みんなの質問を適当にはぐらかしていた。

その態度にイライラしていた。

千陽が、こんなに傷ついた顔をしていたなんて、全然見えていなかった。

「千陽は、悪くないよ」

「でも、穂が傷ついてる」

頬を包まれる。

そっと口付けされて、涙が零れた。

…傷ついてる?

イライラはしてた。

でも、傷ついていたかどうかは、わからない。


「穂」

大きな瞳に見つめられる。

「穂、あたし、2人の関係を壊したいなんて、思ってない。ただ、ちょっと困らせたかっただけで、かまってほしかっただけで…」

彼女の瞳からも、涙が零れ落ちていく。

「あたしのせいで、穂が傷つくなら、もう…これで、最後にする」

胸がズキズキ痛みだす。

…そうじゃ、ない。

「違う」

彼女の唇に、唇を重ねる。

彼女を壁に押しやって、舌をねじ込む。

唾液を混ぜ合って、彼女の胸を乱暴に揉む。

彼女が私の背中をギュッと掴んだ。

…震えている、気がした。

唇を離すと、彼女の瞳から涙が溢れ出ていた。

「ごめん」

「…いいよ」

怖い思いを…させた。

「あたし、穂のだもん」

彼女を抱きしめる。

「本当に…私を奪おうとは、してないよね?」

彼女が耳元でフフッと笑った。

「奪えるの?」

千陽を見ると、悲しげな笑みを浮かべていた。

「…奪えない」


手を繋ぐ。

指を絡めて、壁に寄りかかる。

「永那ちゃんと“自ら宣伝するようにバラすのはやめよう”って約束してたの」

「ふーん」

「なのに、なんで言っちゃったのかな…あんな、みんなのいるところで」

「よっぽど、あたしに穂を奪われるのが嫌だったんだろうね」

「私は、永那ちゃんのなのに」

首筋の痕をさする。

千陽の視線を感じて、手をどけて、俯く。

「穂は永那の、あたしは穂の、結果的に穂もあたしも永那の…なのにね」

千陽が上目遣いに私を見る。

「でも…あたしも、妬いてる」

「え?」

「そんなに綺麗に、割り切れない」

彼女をジッと見る。答えを知りたくて。

「あたしは永那も穂も好き。本当に。永那が穂とセックスしてるのも、穂が永那とセックスしてるのも、どっちにも妬く。…意味、わかんなくない?」

千陽が笑う。

「2人とも、あたしのになればいいのにって、思ってる。2人に、妬いてる」

その気持ちは、私には、わからない。

私にとって永那ちゃんが恋人で、千陽は、妹みたいな存在だから。

千陽は私の気持ちを見透かすような瞳で、私を見る。

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