第79話 文化祭準備
「永那、全然割り切れてないんでしょ」
ドクンと胸が鳴る。
「自分で“いい”って言って、全然、割り切れてない。不安で不安で仕方ないんじゃない?いつか、穂が、あたしに盗られるんじゃないかって」
千陽の、手を握る力が強くなる。
「だってそうでしょ?今の日本では結婚できるわけでもないし。…そういう、他人から認められた約束を交わせるわけじゃない。だから余計、心の繋がりという不安定なものに、頼らざるを得ない。たとえ結婚できたとしても、不倫とか…いつまでもそういう問題って、つきまとうでしょ?人間と人間が関わり続ける限り。本当に誰かが誰かの物になれるわけでもないんだから」
…それは、その通りだ。
永那ちゃんが千陽を大事にしたい気持ち、私を独占したい気持ち…グチャグチャになって、わけわかんなくなって…自制が、効かなくなる。
…夏休みは、あれでいいと思った。
でもいざ学校が始まってみれば、触れ合える時間も減って、時間の…奪い合いになる。
ただでさえ永那ちゃんは、お祭りも、お泊まりも、文化祭委員も我慢していた状態だった。
焦るのも、無理はない。
他人から認められてしまえば…他人から認知されさえすれば、私が千陽に奪われる可能性が、低くなる。
自分の恥ずかしさばかりに目がいって、誰の気持ちも、考えられていなかった。
「千陽の寂しさは、いつか埋まるのかな」
「…さあ。そんなの、あたしが知りたい」
「私、千陽が寂しいって思わなくなるまで、そばにいたい」
千陽がフッと笑う。
「でも、永那ちゃんも悲しませたくない。…どうすればいいか、わからない」
「穂も、永那も…あたしに甘すぎだよ」
私は首を傾げる。
千陽は左腕を右手で擦った。
「なんで、そんなに優しくしてくれるのか、あたしにはわからない。2人はお互いに好き同士なんだから、あたしなんて切り捨てればいいのに」
そう言われて“たしかに”と思ってしまう自分もいる。
…それを他人に言われたなら、納得してしまうだろう。
永那ちゃんに対してイライラもするかもしれない。
なんで私がいるのに、他の人も大切にするんだ!って。
でも、今、この言葉を放っているのが、千陽自身であるということ。
…どうしようもなく彼女が優しくて、繊細で、孤独だという事実が、切り捨てたくなんかないという気持ちにさせる。
「私、もう少し、考えてみる」
千陽は不安そうに首を傾げた。
「永那ちゃんも、千陽も、大事にする方法」
「…なにそれ」
「ん?」
「…そんなの、両立できるわけないじゃん。どうしたってあたしは、穂と一緒にいたら、キスしたくなっちゃうもん」
心臓が跳ねる。
「そ、それも…含めて、だよ。ちゃんと、考えるから」
「あたしとそういうことしてる限り、永那の不安は消えないと思うけど?」
「…うん。そうかもしれない。…それでも、もう少し、考えてみる」
千陽は呆れたように、でも少し安心したように、笑った。
「千陽、けっこう夜遅いけど、大丈夫?」
「…泊めてくれるの?」
自分で言っておきながら、ギクッとする。
「駅まで、送るくらいなら…するよ…」
「…べつに、いい」
千陽はそのまま歩きだして、帰った。
私は彼女の背中が見えなくなってから、エレベーターに乗った。
『永那ちゃん、話したい』
珍しく、すぐに既読がついた。
『私も』
おはようのメッセージは、会っても会わなくても送り合い続けている。
でも、本当にそれだけ。
学校が始まれば、私達にはろくに2人になれる時間がない。
『明日、早くに学校つくようにするね』
『わかった』
たったそれだけの会話でも、私は嬉しい。
永那ちゃんは、どう思ってるんだろう?
…夏休みでたくさん彼女を知れたと思っていた。
私達の仲は深まって、私は彼女に安心感を抱いていた。
でも、一方的にそう思っていたのかな。
浮気。
…浮気なんてされたら、誰だって不安になるよね。
でも、永那ちゃんはそれすら許してくれた。
私と、千陽のために…って。
2人を大事にする…。
どうすればいいかなんて、わからない。
でも話さなきゃ、きっと、もっとわからない。
だから、話さなきゃ。
もっと、もっと、永那ちゃんと。
学校は7時から開いている。
私は早起きして、7時ちょうどに学校についた。
朝の部活のためか、チラホラ生徒がいる。
教室につくと、まだ誰もいなかった。
席に座って、外を眺める。
校庭で、野球部とサッカー部が練習をしていた。
少しして、ドアが開く。
永那ちゃんと千陽だった。
…2人とも、いつもこんなに早くに学校に来てるのかな?
「おはよう」
「おはよ」
2人が返してくれる。
…やっぱり、2人はお似合いだなあ。なんて、考える。
「あたし、どっか行ってくる」
千陽は鞄を机にかけて、教室から出て行った。
永那ちゃんが目の前の椅子に座る。
朝日に照らされる永那ちゃんの肌が透き通っていて、綺麗で、見蕩れる。
そっと彼女の頬に触れる。
「髪型、似合ってるね」
「ありがと」
触れるだけの口付けを交わす。
***
「どうして、みんなに言ったの?」
永那ちゃんはため息をつく。
「わからない。…ただ、千陽に盗られるかもって思った。…そのうち、穂に…呆れられるかもって…。全然一緒にいられない私なんかよりも、もっと一緒にいてくれる誰かに…盗られるかもって」
腕の中に顔をうずめてしまう。
「ごめんね」
くぐもった声。
…夏休み、言葉を尽くしたつもりだった。
私からすれば、永那ちゃんが与えてくれたものが全て。
永那ちゃん以外なんて…あり得ないのに。
でも、どれだけ言葉で言われても、現実的に、物理的に、一緒にいられないという不安は消えてはくれない。
それなら。
「永那ちゃん」
呼ぶと、目だけこちらに向けてくれる。
「私、永那ちゃんのお母さんに会ってみたい」
全く話の脈絡が読めない様子で、目をパチクリさせている。
永那ちゃんは体を起こして、左眉を上げる。
「ど、どういうこと?」
「永那ちゃんが、私と一緒にいられないことが不安なら、一緒にいる時間を増やせればいいんだと思ったの」
首を捻って、眉間にシワを寄せる。
「お母さんは、永那ちゃんがいれば、あまりパニックを起こさないんでしょ?それなら、そこに私がいてもいいんじゃないかなって、思ったんだけど…。そしたら、一緒にもいられるし」
永那ちゃんは深く呼吸をして、考える。
「私、永那ちゃんが好きだよ」
薄茶色の瞳が、光で透けて、キラキラ光る。
「一回だけでも、試してみちゃ、だめかな?」
「…わかった」
「もし、それでだめそうなら、また他に考える」
「うん。…ありがとう、穂」
「あと…ちゃんとみんなに言った責任、取って?」
「え…」
フゥッとため息を吐いて、私は彼女を睨む。
「永那ちゃんが寝てるから、みんな、私にいろいろ聞いてくるの。…ちゃんと、永那ちゃんが言っちゃったんだから、永那ちゃんが話してよ」
彼女の目が大きく見開いてから、申し訳なさそうに謝る。
「そうだね、私がちゃんと、言わないとね」
「うん」
「穂、好き」
「うん」
彼女が私の頬をさする。
「好き」
「私も、永那ちゃんが好きだよ」
耳に触れて、髪に触れる。
その手つきがあまりに優しくて、目を閉じる。
「誰にも、とられたくない」
「とられないよ」
額にぬくもりを感じて目を開けると、彼女の胸が目の前にあった。
少しおりてきて、私は慌てて目を閉じる。
瞼にキスが落とされる。
鼻、頬、唇…優しく、触れられる。
最後にもう一度、唇が重なる。
「好き」
彼女に見つめられる。
私はフフッと笑ってから、彼女の頬にキスをした。
「永那ちゃん、千陽と何か話したりしてるの?」
「何かって?」
「んー…私とのこととか」
「最近は、よく話すよ。テスト期間中、穂が恥ずかしがって机の下に隠れたの、可愛かった~とか」
「…なにそれ」
「え?惚気?」
…そんな恥ずかしい過去、話さなくていいよ。
「千陽も話にノッてくるから、あいつも穂のこと、好きなんだなってわかる」
千陽がどんなふうに話にノッてるのか…少し気になる。
「千陽は…なんて言うの?」
永那ちゃんがジト目になる。
「教えない」
「な、なんで」
「…千陽じゃなくて、今は2人のことを話したいから」
心臓がトクンと鳴って、私は俯く。
「…じゃあ…その、さっき言った、お母さんに会うって話、いつにする?」
「穂がよければ、いつでも。…でも、文化祭で忙しいんだよね?」
「そうだけど…今日は?」
「今日!?」
「さすがに、早すぎかな」
「…いや、いいよ」
「じゃあ、一緒に、帰れるね」
永那ちゃんは目を大きくして、嬉しそうに口を綻ばせた。
「そうだね、楽しみだ」
ガラガラと扉が開いて、クラスメイトが入ってくる。
大人しめの子で、私達を見てビックリして、俯くように、申し訳なさそうに、席についた。
2人で顔を見合わせて、小さく笑う。
何人か登校してきたあたりで、千陽も帰ってくる。
手にはジュースがあって、どこかで飲んでいたのだとわかった。
「仲直り、できたの?」
私の机に千陽が座る。
「千陽、机は椅子じゃない」
「いいじゃん」
空の紙パックのストローをズズッと吸って、私を見下ろす。
「で、仲直りできたの?」
「そもそも喧嘩してないし」
永那ちゃんが頬杖をつく。
千陽の目が細くなって、永那ちゃんを睨むように見た。
「穂が泣いてたことも知らないくせに」
永那ちゃんが飛び起きて、私を見る。
「ホント?」
「あ…いや…そんな、大袈裟だよ」
永那ちゃんの眉間にシワが寄って、ギリリと奥歯が鳴る。
「ごめん…ホントに…ごめんね」
多くのクラスメイトが登校してきても、永那ちゃんは私のそばにいた。
…というか、私の席に座って、私を膝に乗せていた。
みんなこちらを凝視する。
私は羞恥心で押しつぶされそうになって、顔を隠すことでなんとか生きていた。
永那ちゃんが、全然離してくれない。
「え、永那~、イチャイチャしすぎでしょ~」
優里ちゃんが言う。
「いやー、このほうがみんなも慣れるかなって思ってさ?…ねえ?穂」
何も言えない。
何も言いたくない。
どうしてこうなるの…。
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