第70話 夏が終わる

「キスと、胸は、もういい。諦めた」

私は唾をゴクリと飲んだ。

「ど、どういうこと?」

「だから、それは仕方ないってこと。私はあいつの寂しさを一生埋めてあげられないし、あいつが私への気持ちを少しでもなくせるなら、もう、許すしかないよ」

私は未だによく理解できなくて、眉間にシワを寄せる。

「あいつは…ひとりぼっちだから。みんなから顔でしか見てもらえなくて…親からも、顔でしか見られなくて、道具みたいに扱われて…。心を許せる人が、いないんだよ、たぶん」

永那ちゃんが視線を手元に落とす。

「私は…あいつから本気で迫られたら、私も…あいつを道具みたいに扱っちゃうかもしれない。それが、怖い」

大切にしたいという、永那ちゃんの気持ちが、痛いほど伝わってくる。

「穂は、絶対に千陽を傷つけないでしょ?」

彼女は悲しそうに、笑った。

「千陽には、泣いてほしくないんだ」

「でも…」

私は彼女の頬を包む。

額を合わせて、目を閉じると、涙が零れた。

「それじゃあ、永那ちゃんが、傷ついちゃう」

そっと口付けする。


「大丈夫だよ」

永那ちゃんが抱きしめてくれる。

頬に伝った涙を指で拭ってくれた。

「永那ちゃんの大丈夫は」

「嫌いなんでしょ?…でも本当だよ?」

「そうなの?」

息遣いがわかるほどの距離で、見つめ合う。

「うん、大丈夫にするためにを買ったんだから」

私は少し離れて、瞬きを繰り返す。

永那ちゃんがニヤリと笑って、箱からそれを出す。

私は透明の袋に入ったそれを見ても、何なのかわからず、首を傾げる。

「穂?」

「なに?」

「キスと、胸以外は、ダメだからね?」

確認するように、念を押すように、永那ちゃんは上目遣いに私を見た。

だから私は頷く。

「“気をつけて”って、“もう嫌だよ?”って言ったけど、なんとなく、無理なのは、わかってた」

「そ、そうなの?」

「だって、二度あることは三度あるって言うでしょ?1回キスされて、2回目もあった。しかも2回目はお泊まりときた…」

永那ちゃんは袋を開ける。


「穂が、千陽の胸をさわるのはいい。…でも千陽が、穂のをさわったり見たりしたら、ダメ」

永那ちゃんはを床に置いて、私に向き合うように座る。

自然と背筋が伸びて、私はまっすぐ彼女を見た。

彼女の手が伸びて、私のTシャツの裾を持つ。

「服の上からさわられるのは…嫌だけど、それでも、されちゃったら仕方ないと思う」

裾を捲りあげられるから、脱がされるのだとわかって、私は手をあげた。

キャミソールごと脱がされて、上半身が下着姿になる。

エアコンの風に当たって、鳥肌が立った。

パンツのボタンを外され、チャックを下ろされ、ウエスト部分に指をかけられる。

目が合って、少し睨むように見られたから、彼女の意図する通りに動くしかなくなる。

お尻を浮かせると、パンツを下ろされる。

私は正座の姿勢から、足を伸ばすように座った。

スルスルとパンツを脱がされ、上下ともに下着姿になった。


永那ちゃんが私の体を舐め回すように見て、唇をペロリと舐めた。

恥ずかしくて、俯く。

彼女の手が、私の背後に回る。

ブラのホックを外されて、そのまま取られる。

露わになった胸を見ないように、目を閉じる。

あたたかい手に優しく包み込まれ、揉まれた。

「だ、だめだよ…」

「わかってるよ」

すぐに離れて、ショーツのゴムに指をかけられる。

私が動かないからか、腰の骨をポンポンと叩かれた。

私はため息をついて、腰を浮かした。

スルッとショーツを脱がされる。

体を隠すように体育座りになって、小さく丸まる。

「立って?」

項垂れて、腕のなかに顔を隠す。

…散々見られてきたけど、こんなにも気分が乗っていないなか見られるのは、全然違う。

「穂?…お仕置きって言ったよね?…穂は悪いことをしたんだから、私の言うこと、聞くよね?」

腕に額を擦りつけて、抵抗する。

「言うこと、聞くよね?…早く立って」

低い声で言われて、私は渋々立ち上がる。


永那ちゃんがを広げる。

広げられて、なんとなく察しはついた。

…でも、どうやって着けるの?

「足上げて?」

永那ちゃんがしゃがむから、彼女の肩を掴んで、片足ずつ上げる。

恥ずかしくて、全身が火照る。

足に紐を通される。

永那ちゃんはそれを持ったまま立ち上がって、腰の辺りで一度紐を捻った。

紐が交差するように肩にかけられて、胸の位置を調整される。

「なに、これ」

「マイクロビキニ」

やたら面積の小さい、ただ、大事なところだけを隠す布。

永那ちゃんが、私の体を、上から下までじっくり見る。

ブラのように、乳房を支える物は何もない。

ショーツのように、お尻やVラインを隠す物は、ほとんどない。

ただ大事なところを隠すだけの布。

下着姿よりも、なんなら裸よりも…布で隠されているほうが、恥ずかしく思えてくる。


「千陽と会うときは、必ずこれを身に着けるんだよ?」

永那ちゃんは、怖いほど爽やかな笑顔を作る。

スッと真顔になって、顔が近づく。

耳元に口が近づいて、彼女の息がかかった。

「こんな恥ずかしい姿なら、千陽には見せられないよね?」

心臓が駆けるように速くなる。

「絶対、ここなんか、さわらせちゃ、ダメだからね」

彼女はそう言って、体が勝手に期待していたところに触れた。

肩がピクッと上がる。

「さわらせたら…もう、千陽とは関わらせない。千陽が泣いても、そのときはもう、知らない」


***


「これ、全然守ってくれないから、もし千陽に胸さわられて穂が感じちゃったら、まともな下着着けてないこと、バレちゃうね?」

カーッと顔に熱がこもる。

「べつに、さわられちゃったら仕方ないけど…そういう恥ずかしいところ、穂は、人に見られたくないよね?そうだよね?」

永那ちゃんが、俯く私の顔を覗き込む。

「穂?…これで、千陽とはこれ以上の関係にはならないよね?」

永那ちゃんは殺気を帯びた目を向ける。

背筋がゾワリとして、猫背になっていた姿勢が正される。

「…はい」

…この目、掃除のときに、初めて彼女を起こしたときの目と一緒。久しぶりに見た。

「じゃあ、約束ね?千陽と会うときは?」

「これを…着ます」

永那ちゃんが満足げに笑う。

「いい子、いい子」

頭を撫でられる。


「サイズが合うかわからなかったから、とりあえず1枚しか買ってないけど、もう何枚か買わないとね」

キャミソールを拾って、着させてくれる。

「首の紐が見えちゃうね。…違うタイプのやつを多めに買うか」

そう言ってスマホをポケットから出す。

チラリと画面を覗くと、いろんな種類の、布面積の小さいビキニが表示されていた。

自分のせいだけど、思わずため息をついてしまう。

これから、このビキニを着て過ごすの…?

「え、永那ちゃん?」

「ん?」

「学校は?」

永那ちゃんは宙を見て、スマホの角を顎に当てる。

「着なきゃだよね?」

見下ろすように見られる。

「学校でも?…たくさん人いるよ?だから、大丈夫じゃないかな?」

「私、寝てばっかだし…何が起きるかなんて、わからないよね?」

目が、怖い。


「せ、せめて…体育の日は」

「…しょうがないなあ。それだけだよ?」

私はなんとか頷いて、ショーツを穿きかけた。

刺さるような視線を感じて、慌ててショーツを脱ぐ。

パンツを穿いて、Tシャツだと首周りの紐が見えてしまうから、襟付きのシャツを着る。

長袖だから、腕を捲くって、息を吐く。

下着の凄さに気付かされる。

胸周りの締め付けがなくなり、胸が少し垂れる。

胸には紐が当たっている感覚しかなくて、違和感がすごい。

お尻に、少しザラついたパンツの裏地が擦れる。

全然、何にも守られている感じがしない。

「穂」

ギュッと抱きしめられる。

「めっちゃエロいから、今度はこれでエッチしよう?」

「え、あ、明日ってこと?」

彼女がフッと笑う。

「今日、もう着ちゃってるよ?」

「いいじゃん、明日も着て?…悪い子には、お仕置きでしょ?」

その声が、どこか悲しげで…私は彼女の背に手を回して、ギュッと抱きしめ返す。


「これでも一応、けっこう我慢してるんだよ?…お泊まりのことも、浮気のことも」

「…ごめんなさい」

「本当は、けっこう、大丈夫じゃない」

「うん」

「悲しかった…」

「うん」

「でも、千陽も、大事だから…だから、仕方ないから…」

「うん」

彼女の髪を、何度も撫でる。

「ハァ」と彼女の息が首筋にかかって、顔をうずめられる。

「穂は、私の彼女だよね?」

「うん。私は、永那ちゃんのだよ」

私の本心かんじょうに気づいてくれたのは、紛れもなく永那ちゃんだけだった。

だから、私は永那ちゃんが好き。

永那ちゃんを、大切にしたい。


「千陽は私のことが好きだったのに、なんでこんなことになったんだろ…」

「寂しいって…言ってた、から…」

「そうだね。…私と千陽は似てるんだろうな。…だから、穂に安心する。穂といると、本当の自分でいられる気がする」

本当の自分。

永那ちゃんも佐藤さんも、友達が多いように見える。

実際、多いんだと思う。

でも、永那ちゃんは自分の事情を誰にも話せていないし、佐藤さんは寂しさを誰にもぶつけられていなかった。

2人ともたくさんの人から好かれているのに、実は孤独だったのかな。

たくさんの人から好かれているはずなのに孤独なのは、すごく、寂しいのかもしれない。


キスをして、永那ちゃんを寝かせる。

私が部屋から出ると、佐藤さんが振り向いた。

「千陽!コースからそれてる!落ちちゃうよ!」

誉が騒ぐ。

佐藤さんは視線を画面に戻した。

私は椅子に座って、本を開く。

「空井さん、服、着替えたの?」

すぐに声をかけられて、佐藤さんを見た。

ゲームのコントローラーを床に置くと、誉が「もうおしまい?」と佐藤さんに聞く。

「休憩」と答えて、私の隣に座る。

頬杖をついて、ジッと私を見た。

「ちょっと、エアコンが、寒いかなって…」

「へえ」

彼女の視線が、私の首元に落ちる。

気まずくて、襟を正す。


「永那、なんだって?話したんでしょ?さっきのこと」

誉を見ると、1人でゲームをしていた。

「もう、いいって」

佐藤さんの眉間にシワが寄る。

不安そうに瞳が揺らぐから、苦笑する。

自分でしておきながら、永那ちゃんに嫌われたくなくて仕方ないみたい。…なんだか、変なの。

でも、きっと、佐藤さん自身も、グチャグチャな感情を処理しきれていないんだろうな。

私は少し目を伏せてから、指に挟んでいた本のページを開く。

彼女の耳に唇を近づける。

私達を隠すように、本を顔の前にやった。

「キスも、私が、佐藤さんの胸をさわるのも、仕方ないから、いいって」

佐藤さんの目が見開く。

ゆっくり顔をこちらに向けて、“信じられない”という表情をする。

私は微笑んで、視線を手元の本に落とす。

…複雑な気持ち。

でも、たぶん、とりあえず、今はこれでいい。

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