第41話 夏休み

バイトが終わってスマホを見ると『どうしたの?』と穂から連絡がきていた。

穂は夏休みも、学校と同じ時間に起きてるんだなあ…と思うと、なんだか癒やされる。

『服、洗濯してなくて。着るものがないです…』

自分で入力して、自分が惨めに思えてくる。

すぐに既読がつく。

『バイトはどうしたの?』

『パジャマのスウェットで行った。怒られた』

泣き笑いしている絵文字を添える。

『そうなんだ、おつかれさま。来るの、何時頃になりそう?』

簡素だなあ。可愛い。

『11時くらいかな?ごめんね』

『じゃあ、私が、永那ちゃんに会いに行ってもいい?』

全く予想していなかった展開。

そんな…会いに行っても…なんて…嬉しすぎて、よだれ出そう。っていうか、出てた。

服の袖で口元を拭う。

『来てくれるの?』

『うん』

『駅で待ってればいい?』

『うん』

『わかった、待ってるね』


駅前のベンチに座って目を閉じた。

気づけば「永那ちゃん」と優しい声が隣から聞こえて、顔が綻ぶ。

「おはよう、穂」

「おはよう、永那ちゃん」

髪をハーフアップにして、サラサラの黒い髪がなびく。

「今日も可愛いね」

そう言うと、嬉しそうに目を伏せた。

「永那ちゃん、眼鏡なんだね」

「ああ、うん。穂の家で寝るなら、眼鏡のほうがいいかなって思って」

「そっか」

「変?」

「ううん。…なんか、新鮮で。…かっこいい」

照れくさそうに言う姿が可愛すぎて、ため息が出る。

思わず彼女をギュッと抱きしめた。

彼女の手は少し宙を彷徨った後、私の背に回る。


時計を見ると9時過ぎで、穂がすぐに来てくれたことがわかった。

「穂、早くない?」

「そう?もう朝ご飯は食べ終えていたし、あとは着替えるだけだったから」

「そっか」

「…あ」

穂が手に持っている袋を差し出す。

「ん?」

「あの…昨日わたせばよかったなって、ちょっと後悔してる。いつわたそうか、迷ってたんだけど」

へへへと照れながら、私の膝に袋を乗せた。

私は紙袋を開けて、中身を見る。

綺麗に包装されているそれを開けていいのかわからず、彼女を見ると、頷かれた。

開けると、カーキ色のカーゴパンツだった。

「え?」

それは、4人で水着を見に行った日に、私が眺めていた物だった。

水着を買い終えて、暇だからみんなでブラブラ歩いていたときの。

「…遅くなっちゃったけど、1ヶ月記念の、プレゼント」

「え?え?…なんで?」

「水着買った後、みんなでお昼食べたでしょ?…そのとき、こっそり買いに行ったの。…いらなかった、かな?」

「いや…嬉しすぎて…あ…どう反応すればいいか…わからなくて」

心臓がドクドクと音を立てて、頭が真っ白になって、何も出てこない。

友達が誕生日プレゼントをくれることはあった。

千陽も毎年くれる。

どれも嬉しかったけど、でも、服をプレゼントされたのは初めてだった。


「喜んでもらえてよかった」

彼女が微笑むから、私の息は荒くなる。

好きがどんどん膨らんでいく。

穴があくか、縮むか、毛玉まみれになるか…とにかく、着れなくなるまで、私は同じ服を着続ける。

普段は制服だし、土日にたくさん出かけるわけでもないから、べつにそれでよかった。

でも、私だってまだ17歳だ。

みんなみたいに、服が欲しいと思ったことだって、何度もある。

「…高かったんじゃない?」

やっと出てくる言葉がそれだ。我ながら呆れる。

「んー…どうかな?」

穂は困ったように笑う。

そりゃあ、困るよね。ごめん。

「あ、ありがとう。すごい嬉しい」

やっと冷静になって、お礼が言える。

「ねえ、着てよ」

彼女をジッと見てしまう。

「着る服、洗濯してなくて、なかったんでしょ?…あ、でも、下じゃなくて上だったかな?」

彼女が心配そうに、首を傾げる。

正直、脳の処理が追いつかなくて、ただただボーッと彼女を見つめることしかできない自分が恥ずかしい。


「永那ちゃん?」

「…あ、うん。下…パンツがなかった」

「そっか。じゃあ、よかった」

「えっと…どこで着替えるか」

「永那ちゃんの家は?」

家はここからそんなに遠くない。

「…お母さん寝てるから、家に人、あげられなくて」

「私は、外で待ってるよ」

穂の優しさと、自分の不甲斐なさみたいなものに、押しつぶされそうになる。

「ごめん」

「え!?全然、気にしないで。私が突然来たいって言ったんだし」

私が頷いて笑うと、彼女も笑う。

私は服を紙袋にしまって、立ち上がる。

彼女に手を差し出す。

彼女は嬉しそうに笑って、私の手に手を重ねた。

私達は歩き出す。

やっぱり今年の夏は、最高だ。


***


アパートの前につく。

「ここ…。ボロくて恥ずかしいわ…」

「そんなことないよ」

穂は向かいのブロック塀に寄りかかった。

「…んじゃ、ちょっと行ってくる」

穂が頷く。

彼女は今日ノースリーブで、白い腕がいつもより見えている。

風が吹いて、彼女の髪が揺れる。

階段を上って見下ろすと、彼女は日の光に照らされて輝いていた。

目が合って、微笑んでくれる。

それに笑い返して、私はそっと玄関のドアを開けた。


お母さんはまだ寝ている。

ホッとして、音が鳴らないように、紙袋から服を出す。

少し光沢感のある素材。足首がキュッとしまっていて、ゆったりとした太もも部分とでメリハリがある形。

私は毛玉だらけのスウェットを脱いで、彼女からのプレゼントを穿く。

家に全身鏡がないから確認できないけど、さらりとしていて着心地がいい。

ハンカチをポケットに入れる。

洗面台の鏡で顔と髪を確認する。

ドアを開ける前、足元をもう一度見た。

足首にはお揃いのアンクレット。

パンツにそっと触れて、撫でる。

フゥッと幸せを噛みしめるように息を溢した。

振り返ってお母さんを見る。

カーテンが閉まった部屋で、まだ寝ている。


ドアを開けると、音で気づいた穂が見上げてくれる。

私は階段を下りるけど、彼女はずっと私から視線を外さない。

私が近づくと、駆け寄ってきてくれる。

その姿が愛おしくて、抱きしめた。

「永那ちゃん、似合ってるね」

「ありがとう」

キスしたくなって、グッと堪える。

彼女の手を握って、指を絡ませた。

そのまま一緒に、穂の家に向かう。


「本当はいつプレゼントしてくれようとしてたの?」

「んー…」

穂は俯いて、足元を見ながら、口ごもる。

私がジッと見て返事を待っていると、彼女と目が合った。

額に滲む汗。ピンク色に染まる頬。光に照らされて透ける茶色の瞳。

彼女の全てがあまりに綺麗で、息を呑む。

立ち止まって、彼女が私の肩に手を添える。

体を傾けると、彼女の唇が私の耳に触れた。

「エッチのとき」

囁かれて、顔が熱くなっていく。

フフッと彼女が笑うから、それが余計、心をくすぐる。

…だめだ。我慢なんてできないよ。

私は彼女をブロック塀に押しやって、顎をそっと上げた。

唇を重ねる。

彼女の握った手に力が入る。

「そんなこと言うなんて、ずるいよ」

離れて、彼女を見る。

彼女が照れたように笑う。

まだ遠くに家が見える。

こんな場所で、こんなこと、穂に出会う前の私は絶対しなかった。

また彼女と重なって、私は彼女の存在を確かめるように、舌をなかに入れる。

彼女はそれを受け入れてくれて、お互いの唾液が混ざっていく。

汗が垂れる。熱い風が吹く。セミの鳴き声がやたら大きく聞こえて、少し鬱陶しいくらいだ。

子供の声が遠くから聞こえて、体が離れる。

私達は笑い合って、また歩き出した。

子供が走って通り過ぎて行く。

2人で子供の背中を見送って、今度こそ駅に向かう。


電車の中は涼しい。

家ではあまりエアコンをつけない。

お母さんが1人のときは危ないからつけているけど、夜に起きているときとか、私がいるときはつけないようにしている。

それでも最近は扇風機と外の風だけでは耐えられなくて、つけることも増えたけど。

汗がどんどん引いていく。

「誉、友達の家に遊びに行くんだって」

「じゃあ、2人きり?」

「そう。でも…できないのが残念」

彼女がどんどん魅力的になっていく。

いつだったか、彼女は“もっと求めて嫌われないか怖い”と話してくれた。

嫌いになるどころか、もっと好きになっている自分がいる。

彼女が嫌がらず、積極的になってくれることが嬉しい。

それだけ私を受け入れてくれているのだと実感できるから。


穂の家についても、エアコンが既につけられていて、涼しかった。

「永那ちゃん、寝る?」

「んー、でもけっこう汗かいちゃったからな…」

「お風呂入る?」

「穂も入る?」

穂は歯を見せて笑う。

「入らない」

「残念」

私はシャワーを借りる。

穂が用意してくれたバスタオルがふかふかで、前にも思ったけど、ずっと顔を埋めていたくなる。

家ではハンドタオルを使っていて、何年も同じものを使っているから、ゴワゴワどころかカピカピしている。

アカスリで皮膚を削っているみたいな気持ちになる。

私がいつもの癖で、ドライヤーをかけずに出ると、穂が「寒くない?」と聞いてくれる。

頷いて、ラグに倒れ込む。

穂が私の頭のそばに座って、頭を撫でてくれる。

「気持ちいい」

目を閉じると、意識が遠のいていく。

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