第35話 友達
永那ちゃんとのあれも。
私にとっては不設楽なことで、不必要なことで、ずっと意識的に避けてきた。
“意識的に”ということは、裏を返せば、物凄く興味があったのだと、今ならわかる。
だってこんなにも…こんなにも、だめだとわかっているのに、求めてる。
自分が自分についていけないほど、私の体は想像以上に彼女を求めていて、怖くなる。
隣の部屋に誰がいてもおかまいなしに彼女を求めようとした自分が怖い。
キュウキュウと締め付ける、この下腹部が憎い。
でも、憎い以上に、こんなにも心が満たされることに幸せを感じる。
ずっと見てみぬフリをしていた自分の寂しさとか、気づかずにつけていた重りとか、そういうものから解放されていくような気持ちにさせられる。
甘えていいんだって、泣いていいんだって、鎧を脱いでもいいんだって、そう、言ってもらえているような気持ちになる。
…何も考えずに笑っていられた日に、戻れたような。
そう。
お父さんがまだいて、お母さんが笑っていて、誉が生まれた…そんな日に。
いつの間にかお母さんを“お母さん”と思えなくなっていたことにも気づかなかった。
お母さんは私の“お母さん”なんだって、お母さんはロボットか何かじゃなくてちゃんと人間なんだって思えた。
ロボットみたいだったのは私のほうで、感情を殺していたのは私のほうで、何もかもを切り捨ててきたのは…私だったんだ。
こんなことを知れたのも、永那ちゃんが私をグイグイ引っ張って行ってくれるから。
今までの、ハリボテみたいな世界を壊して、永那ちゃんはどんどん私を新しい世界に連れて行ってくれる。
そんな永那ちゃんが、私は好きなんだ。
私の、ほんの些細ないたずらを、彼女は見逃さなかった。
そのいたずらは、ずっと私が無視してきた
「気づいてよ」って、切り捨ててきた感情が声をあげたのだと思う。
彼女は私の本心を見逃さず、受け止めてくれた。
“起きないと、いたずらしちゃいますよ”
インターネットのサイトの広告に載っていたエッチな漫画の台詞。
もちろん、広告をクリックしたわけではない。
点滅するように漫画のワンシーンが広告として出ていただけだ。
それをたまたま目にして、ただなんとなく、言ってみただけだった。
たまたま目にして、嫌悪感を抱いたのに、逆に意識してしまって、口から出た。
(なんであんなことを言ってしまったんだろう?)と後悔した。
あの時の私には、本当の私が見えていなかったから。
でもきっと誰かに気づいてほしかったんだ。
その“誰か”が、永那ちゃんだったんだ。
「穂?」
鏡に、永那ちゃんが映る。
永那ちゃんが不安を顔に浮かべている。
「…ごめんね」
私はつい頬を緩める。
「なにが?」
振り向いて、彼女をまっすぐ見る。
永那ちゃんは目を彷徨わせて、口を尖らせる。
「パンツ取ったこと?」
謝るなら返してよ…と内心ツッコんで、笑いながら息が溢れる。
「後でちゃんと返してよ?何するのか知らないけど」
「…そのうちね」
とんだ変態に捕まってしまったものだ。
私は永那ちゃんを抱きしめる。
「好きだよ、永那ちゃん」
永那ちゃんが抱きしめ返してくれる。
「私も、好き。穂」
「プレゼントありがとう。大事にするね」
永那ちゃんの抱きしめる力が強まる。
スーッと空気を吸って「うん」と頷く。
「ところで永那ちゃん」
「ん?」
「私、どんな顔して優里ちゃんと佐藤さんのところに行けばいい?」
彼女の肩に指を食い込ませる。
「へ?」
素っ頓狂な声が返ってくる。
グググと指に力を込めると「痛い痛い痛い」と永那ちゃんが叫ぶ。
「ふ、普通に、普通の顔で、いいんじゃない?」
私はジーッと彼女を睨む。
彼女は肩を擦って、指はもう離れたのに、まだ痛がっている。
私は「ハァ」と息を吐く。
「恥ずかしすぎて、もう会えないよ」
「えー?大丈夫だよ」
なにが大丈夫なの?
キッと睨むと、永那ちゃんは目をまん丸くする。
「ほら、顔がまだ濡れてるよ?」
永那ちゃんは誤魔化すようにタオルを取って、私の顔を拭いてくれる。
私はそのタオルで顔を半分隠したまま、リビングに戻った。
***
「穂ちゃん、おかえり~」
優里ちゃんが困ったような笑顔を浮かべる。
「…ただいま」
小さく、モゴモゴと返事をするのが精一杯だった。
永那ちゃんはご機嫌そうに誉の席に座る。
「おつかれさま」
優里ちゃんが言う。
…なにが!?
顔の熱がどんどん増していく。
本当に、どんな顔をすればいいの…。
顔をそらすように時計を見ると、2時半だった。
「明日は生物と英語だけだから、少し気が楽だね。やっと最終日~」
英語のテストは2回ある。授業科目が分けられているからだ。
優里ちゃんは伸びをして、生物の教科書とノートを取り出す。
生物は理系だけれど、暗記することが多いから、優里ちゃんにとってもそこまで苦手意識はないらしい。
「ねえ、明日どうするの?」
珍しく佐藤さんが話題を振る。
「あたしは、永那と空井さんがまたあんなことをするなら、遠慮するけど。見たくもないし…聞きたくも、ない」
優里ちゃんのおかげで少し落ち着いてきた私の体が、ボッと火照って、汗が滲む。
“聞きたくもない”という言葉に、どんどん頭が重くなっていく。
体がズルズルと落ちていって、机の下でうずくまる。
「千陽が、今日来たいって言ったんでしょ?」
永那ちゃんが、謎の対抗をする。
…もういいよ、やめて。
泣きたくなる。
「私は“我慢しない”って言ったよね?」
佐藤さんがため息をつく。
「ソーデスネ」
「まあまあ、2人とも、落ち着いて」
優里ちゃんが椅子を引く。
「おーい、穂ちゃーん。戻っておいでー」
ガンッと何かがぶつかる音がして顔を上げると、優里ちゃんが机に頭をぶつけていた。
「いったー」
へへへと笑いながら、四つん這いになって、私のそばに来てくれる。
「よしよし」
頭を撫でてくれる手つきが優しくて、本当に涙が出てきそうだ。
「自分が、恥ずかしい」
呟くと、優里ちゃんが「アハハ」と笑いながら、優しく頭を撫で続けてくれる。
「明日はどーせ、みんなに誘われるんじゃない?」
永那ちゃんがため息をつきながら言う。
「空井さんはいつもそういうのには参加しないけど、今回は参加するの?」
「わかんないって」
「ふーん」
「穂ちゃん、参加したらいいのに」
そばにいた優里ちゃんが微笑んでくれる。
「私がいたら、みんなの楽しい雰囲気を壊してしまうから」
優里ちゃんの顔がクシャクシャになっていく。
「え!?」
「そんなこと…そんなことないよぉ」
涙をポロポロ零す。
ギュッと抱きしめられる。
…私、机の下で何してるんだっけ?
「私が穂ちゃんのそばにちゃんといるから!大丈夫だから!」
「え?…あ、うん。ありがとう」
私は苦笑しつつも、心がふわふわする。
「あ゙?優里、穂の隣は私なんだけど?」
「隣は1つじゃないでしょー」
永那ちゃんが机の下を覗き込む。
優里ちゃんがくしくしと目元を拭う。
佐藤さんまでもがひょっこりと顔を見せてくれる。
「なんで優里、泣いてるの?」
「穂ちゃんの健気さが千陽にはわかんないの?」
優里ちゃんが頬を膨らませる。
七面鳥のようにコロコロと表情を変える優里ちゃんに思わず笑う。
永那ちゃんがモソモソと机の下に入ってくる。
「おりゃ」
優里ちゃんに抱かれる私を、優里ちゃんごと抱きしめる永那ちゃん。
「わー!」
優里ちゃんが楽しそうに笑って尻もちをつく。
私達の様子を、冷めた目で眺める佐藤さん。
ため息をつくけど、椅子からおりてしゃがみこんだ。
「千陽は来ないのー?」
優里ちゃんが笑いながら言う。
永那ちゃんが左手を伸ばして、佐藤さんを誘う。
彼女は唇を尖らせながら、ちょこちょことやって来て、永那ちゃんの腕におさまった。
「雨宿り~」
永那ちゃんがみんなを抱きしめながら、そんなことを言う。
「なにバカなこと言ってるの?」
優里ちゃんが言う。
「はー?」
永那ちゃんが目を細めて優里ちゃんを睨む。
なんだかんだあるけど、みんな仲がいいんだなと思わされる。
…そこに私がいるのが不思議で、自然と笑みが溢れた。
***
「暑い」
佐藤さんが言って、出ていく。
次に優里ちゃんが出ていって、私と永那ちゃんの2人きりになる。
永那ちゃんはニコッと笑って、触れる程度のキスをした。
心臓が飛び跳ねて、私だけが机の下に残る。
でもすぐに、手が差し伸べられる。
「もう出ておいで、穂」
私は手を重ねて、机の下から出る。
「穂ちゃーん、ここがよくわからないんだけど、教えてくれない?」
優里ちゃんが教科書を指さす。生物で出てくる計算問題だ。
気づけば私が感じていた恥ずかしさは薄れて、少し照れくさいけど、居心地のよさを感じた。
次の日、期末テスト最終日。
「みんな~!今日カラオケ行こ~!テスト終わりのストレス発散じゃ~!」
誰かが言い始めて、それにバラバラとクラスメイトが返事をする。
そそくさと帰る人もいれば、輪の中に入っていく人もいる。
私はその光景を席に座って、ただ眺める。
「穂ちゃん!」
名前を呼ばれて振り向くと、優里ちゃんが立っていた。
永那ちゃんは寝ていて、佐藤さんが永那ちゃんの席の背もたれに座ってスマホを出している。
「行こ?ね?」
「え、でも…私カラオケ行ったことない…」
優里ちゃんの目が大きくなる。
「うっそー!」
「本当」
私が苦笑すると、優里ちゃんは両手を机にバンッと叩きつけた。
「じゃあ絶対行かないと!」
腕を引っ張られて、永那ちゃんの机に向かう。
「永那いつまで寝てんの。てかいつから寝てんの?」
「わりと中盤から」
「やばー…それで成績良いとか、ホント頭おかしい」
「なんで優里は隣に座ってるのに知らないの?」
佐藤さんがスマホから顔を上げる。
「永那を見たらやる気なくすもん」
優里ちゃんが永那ちゃんの机を揺らす。
「地震だー、起きろー!」
永那ちゃんがバッと体を起こす。
「ん!?」
こんな手法があったとは…。
永那ちゃんが目をこすってる。
「地震?」
「永那、カラオケだってー!」
佐藤さんが正面を向いて、永那ちゃんの背中に寄りかかる。
「うるさっ」
優里ちゃんが耳元で叫んで、永那ちゃんが眉間にシワを寄せている。
いつも彼女達の周りにいるクラスメイトが、遠巻きに私達を見ている。
…やっぱり、私がいるから。
「ねえ、穂ちゃんカラオケ初めてだって!」
「え!そーなの?」
永那ちゃんが寝ぼけ眼を私に向ける。
「あぁ…うん、まあ」
「めっちゃ楽しみになってきたー!!」
永那ちゃんが両手をあげてバッと立ち上がる。
佐藤さんはため息をつきながら、押されるように立ち上がった。
「あー、てか穂が歌うの自体初めて聞く!…ドキドキしてきた」
「え、なんで永那がドキドキするの?」
永那ちゃんが胸に手を当てている。
「私、穂の声好きだから、楽しみすぎてドキドキ」
私の顔は一気に熱をおびる。
「あの…私、やっぱり行くの」
「一緒に行くよ?」
永那ちゃんに顔を覗きこまれる。
「えーっと、永那達も行くんだよね?」
みんなに声をかけた子が恐る恐る話しかけてくる。
「うん、4人ねー」
私をチラッと見て「オッケー」と苦笑する。
気まずいし、本当に申し訳なく思えてくる。
慣れたはずの痛みが、目を覚ましたかのように胸に走る。
カラオケなんて人生で一度も行ったことがないし、心臓の音がバクバクとうるさく鳴り始める。
急に手にあたたかさを感じて、手元を見る。
永那ちゃんが指を絡めていて、驚いて彼女を見ると微笑まれる。
佐藤さんがため息をついて、あいている手を優里ちゃんに握られる。
「大丈夫だよ」
優里ちゃんが笑いかけてくれる。
「それ、私が言うはずだった台詞なんだけど」
「早い者勝ちです、残念でした」
カラオケにつくと、永那ちゃんが私の手を引いて奥まで進んでいく。
永那ちゃん、私、優里ちゃん、佐藤さんの順で並ぶ。
「じゃあ俺からー!」
クラスメイトの誰かが言って、曲を機械に入力していく。
14,5人が1部屋に詰め込まれていて、距離が近くて緊張する。
「やっぱ1番は盛り上がれる曲だよねー」
「なんか食べ物頼む?」
「ドア付近の人、飲み物適当に取ってきてー!」
みんながワイワイ話し始める。
「穂はあんま音楽聞かないんだよね?」
「うん」
曲が流れ始めると、その音の大きさに驚く。
部屋が暗くなって、カラフルな照明が点滅する。
数人が一緒に歌い始める。
隣に座る優里ちゃんも歌っている。
どこかで聞いたことのある曲…でも曲名はわからない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます