第36話 友達

機械の画面にランキングが表示される。

「なんか歌えそうなやつある?」

永那ちゃんが画面のページを捲ってくれるけど、知らない曲名ばかりで戸惑う。

私は苦笑して、永那ちゃんの耳に口を近づける。

永那ちゃんが肩を寄せてくれる。

「私、みんなの聞いてるだけでいいよ」

永那ちゃんの左眉が上がる。

ジッと見つめられてから、「そうだ」と何かを入力し始めた。

「これは?」

そこには、音楽の授業で歌ったことのある曲名が表示されていた。

私が頷くと、永那ちゃんはそれを選択して、予約されたことが画面に表示される。

永那ちゃんは自分の曲を入力し終えると、優里ちゃんに機械を渡す。


数曲流れた後、永那ちゃんが入れてくれた曲が流れる。

数人が「なんでこの曲?」と笑う。

流行りの曲がわからないことが、どことなく恥ずかしく思える。

…そうだ。私がみんなの誘いを断るようになったのも、みんなのノリについていけない自分を嫌でも感じてしまうから、というのも理由の1つだった。

ノリについていけない上に、こうしてみんなを興醒めさせてしまっている。

だからクラスの打ち上げとかには参加しない。

長らく断ってきたから、そのことをすっかり忘れていた。

「はい、みなさんパートごとにどうぞー!」

永那ちゃんが言うと、みんながソプラノ、アルト、テノールで分かれて歌い始める。

マイクを渡されて緊張しつつも、私はソプラノだったので普通に歌う。

マイクを通した自分の声にビックリして、つい声が小さくなる。

永那ちゃんは自分で言っておきながら、机に頬杖をついて私を眺めているだけで、歌っていない。

画面に表示されている歌詞を見つつも、気になってチラチラと永那ちゃんを見た。


なんとか歌い終えると、永那ちゃんが手を出す。

「次私だからちょうだい」

ニマニマ笑いながらそう言うから、ちょっとおかしくてつられて笑う。

マイクを手渡す。

「なんか意外と楽しかったなー」

誰かがそう言って、「他の曲も入れよーぜー」と続く。

予約曲に学校で歌った曲が入れられて、ホッとする。

永那ちゃんの凄さを見せつけられた気がした。

前奏が流れて、みんなが一気に盛り上がる。

ジャカジャカと流れて、永那ちゃんが立ち上がる。

みんな知っている曲なのか、合いの手を入れてノリノリだ。

「永那ー!かっこいー!」

優里ちゃんが叫ぶ。

それに続いて他の子達も思い思いに叫んでいる。

永那ちゃんはそれに応えるように笑みを浮かべる。

永那ちゃんが歌い始めると、ゾワリと鳥肌が立った。

その歌声があまりに綺麗で、かっこよくて、見つめてしまう。

たまに目が合って、流し目で見下ろされるたびに胸がギュゥッと締め付けられる。


ソファの端では数人が曲に合わせて踊っている。

音楽が体に振動して、自然と高揚感に包まれる。

曲が終わると、永那ちゃんは座って、優里ちゃんにマイクを渡した。

優里ちゃんもテンポの良い曲を入れていて、みんながノリノリだった。

(みんな歌上手いなあ)

この空間に自分が存在していることに驚く間もないほど、あっという間に時間が過ぎていく。

永那ちゃんが「最後の曲かもしれないから、好きな曲入れたら?」と言ってくれた。

好きな曲…。

なんとなく、前にお母さんが聞いていた曲を入力してみる。

みんなが知っているかどうかはわからないけれど、テンポの良い曲なら大丈夫な気がした。

私の手元をジッと見つめている永那ちゃんを横目で見ると、それに気づいて微笑んでくれる。


私の曲が流れる。

「この曲知らない」という声も聞こえれば「有名なやつじゃん」という声も聞こえる。

ゴクリと唾を飲んで、歌い始める。

1人で歌うのは初めてだから、緊張して上手く声がでない。

それでも合いの手を入れてくれたり、踊っている人もいたりして、少しずつ緊張は和らいでいく。

ふいに膝に置いていた手にぬくもりを感じる。

そのぬくもりの先を見ると、蕩けそうな笑顔を浮かべている永那ちゃんがいた。

指を絡まれて、みんなの前で遠慮なく触れてくれるのがたまらなく嬉しく感じる。

歌い終えると、自然とフゥッと息が溢れた。

マイクを永那ちゃんに渡そうとしたら、ゴンッという鈍い音と共に、永那ちゃんが机に突っ伏してしまった。

机に乗っていた食器同士がガチャッとぶつかる音がする。

「永那ちゃん!?…大丈夫?どうしたの?」

みんな驚きながらも笑ってる。

「テスト最終日で永那の頭おかしくなった?」「曲始まるよー!」「早くマイク持てー」とか、それぞれ言っている。


「あーーー!」

永那ちゃんは叫びながら私の手からマイクを奪い取る。

みんなから笑いが起きる。

今まで、学校で習った曲以外はテンポの速い曲ばかりだったけれど、ここにきてバラードが流れる。

伴奏が静かだから、永那ちゃんの声がよく響く。

サビに向けて少しずつテンポが早くなっていく。

歌詞に出てくる「好き」という言葉にいちいち反応してしまう自分が恥ずかしい。

今回は立たずに座っているから、高音と低音が混じった彼女の声が脳にダイレクトに伝ってくる。

握った手はそのままで、彼女の歌に聞き入る。

曲が終わると、ギュッと強く手を握られて、肩に頭を乗せられた。

びっくりして体が固まる。

彼女の口が耳元に近づいて「好きだよ、穂」と囁かれた。

顔が火照って、思わず俯く。


***


カラオケを出たのは5時過ぎだった。

「永那ちゃん、時間大丈夫?」

「…うん、まあ。これくらいならギリセーフかな」

半分以上の子達は2次会に突入するらしい。

私は永那ちゃんと一緒に帰る。

「2人ともイチャイチャしすぎー」

優里ちゃんに腕に抱きつかれて、心臓がピクッと跳ねる。

「ホント、永那おかしいんじゃないの?」

佐藤さんの冷たい視線が降り注がれる。

「恋をすると、人はおかしくなるのだよ」

永那ちゃんが腕を組みながら自分で自分に頷いている。

サラリと“恋をしている”と告げていて、私は佐藤さんを見る。

でも彼女は大きくため息をつくだけで、それ以上は何もない。

「永那がバラード歌うなんて初じゃない?」

私の腕に抱きついたまま、優里ちゃんが上目遣いに永那ちゃんを見た。

いつの日からか…2人が家に遊びに来て、喧嘩をした日から、佐藤さんは永那ちゃんに抱きつかなくなった。

口調も刺々しくなって、スマホを眺める時間が長くなった。

永那ちゃんはまるで気にしていないみたいに振る舞っている。


駅でみんなと別れる。

永那ちゃんは家まで送ってくれようとしたけど「“ギリセーフ”な人にそんなことさせられない」と言って断った。

まだ外は明るいし、私はのんびり帰途につく。

風はもう夏のそれで、ジワッと汗が滲む。

ずっと涼しいところにいたからか、余計に暑く感じるのは気のせいだろうか?

セミが鳴いていて、暑さを物語っているようだ。

今年は初めてのことばかりで、心臓が保つのか心配になる。

そっと胸に手を置いて、確かめる。

目を閉じて蘇るのは、嬉しくて楽しいことばかりで…あとは、恥ずかしいことも。

これからもそんな日々が続いてほしいと、心から願った。


月曜日から、テスト返却期間。

最初にテストの返却と解説をする授業があり、本来ならそれが終わっても、終業式まで授業がある日はある。

でも先生が面倒くさがって、授業がなくなることもある。

帰ってはいけないのかもしれないけれど、多くの生徒は帰ってしまう。

とは言え、毎年1、2教科しか減らないから、大方通常通り学校生活を送ることになる。

ちなみに私は1度も帰ったことがない。

一応担任の先生が終わりの挨拶をしに来るから、私は本を読んで過ごしていた。

今回は、永那ちゃんが「一緒に過ごそう」と言っていたから、初めて帰ることになるのかもしれない。


テスト返却がされると、休み時間に毎回優里ちゃんが私の席に来てくれるようになった。

永那ちゃんが起きたときには、永那ちゃんを引っ張ってきてくれる。

そのときには、佐藤さんも来る。

私の席の周りに人が集まるなんて初めてで、気恥ずかしい。

カラオケに参加していたクラスメイトからも普通に話しかけられて、驚きを隠せなかった。

「穂ちゃん…わかってはいたけど、全部90点以上って…。しかもなんで満点が3科目もあるの…?私、自分がミジンコみたいに思えてきた」

「ミ、ミジンコ?」

なぜか優里ちゃんが永那ちゃんのテストも手に持っていて、永那ちゃんは80~90点台だった。

優里ちゃんは50~80点台と、得意科目と不得意科目で点差が開いていた。

佐藤さんは興味なさげにスマホを見ている。

「穂ちゃんのおかげで、数学はなんとか平均点…。初めてだよ!」

そう言って、抱きしめられる。

「よかった」

ポンポンと肩を優しく叩くと、永那ちゃんが膨れっ面になる。

「私も褒めてー」

私の前でしゃがみこむから、仕方なく頭を撫でてあげる。…なんか、ちょっとペットみたい。


水曜日、授業が1時間だけ削られた。

「一緒に過ごそう」と言っていた肝心の永那ちゃんは眠っている。

優里ちゃんがやって来る。

「穂ちゃん。穂ちゃんはこのまま残る?」

「どこか行くの?」

「んー、特に何も考えてないんだけど…。例えば、もし良ければ穂ちゃんの家にみんなで行って、ゲームするとか!どうかな?」

ゲームは誉に付き合わされてやる程度で、私自身はほとんどやらない。

トランプとかもあるから、それでもいいのかもしれない。

「私の家でもいいんだけど…お母さんがいるからなあ。それでも良ければオッケー!」

テスト返却期間中、部活動は普通に行われる。

バドミントン部は活動日が月、火、木、土(隔週)らしく、ちょうど今日は部活がないらしい。

「私の家で大丈夫だよ」

そう言うと、優里ちゃんの表情がパッと明るくなる。

佐藤さんを誘って、永那ちゃんのそばに行く。


「うーん、どうやって起こすか」

「あれ?前にやってた地震は?」

「あれはあんまり連発すると反応しなくなるんだよ。怒られるし」

優里ちゃんが困ったように笑う。

「空井さんは永那を起こすの、得意でしょ?」

佐藤さんがスマホを眺めながら言う。

「え!?そうなの!?…穂ちゃんはなんでもできるんだなあ」

そんなに感心されても…。

私は苦笑する。

しかも私の起こし方は、あまり人前ではできない。

恥ずかしくて、私が私をたもてなくなる。

それでも優里ちゃんに期待の眼差しを向けられると、逃げられないのだと覚悟を決めるしかなかった。


「永那ちゃん、起きて」

肩を優しく叩くけど、当然彼女は起きない。

今は周りにたくさん人がいるし、彼女の足に触れることもできないし、耳元で囁くなんてもってのほかだ。

私にはバリエーションなんてものはなくて、それ以外に案が思い浮かばない。

思わずため息をついて、口を結んでしまう。

ふと、彼女の白くて細い腕が目に入る。

夏だからブレザーを着用する必要はないけれど、エアコンの風が当たって寒いからと、永那ちゃんは布団代わりにブレザーを着てきている。

たまに外でも着ているから暑くないのかな?と思うけど、本人はあまり気にしていなさそうだった。

でも今日は珍しく背もたれにブレザーがかかっていた。


***


私はそっと彼女の腕に触れる。

弾力のあるやわらかい肌、少しひんやりしていて心地いい。

思わずその感触に頬を緩めてしまう。

「永那ちゃん」

ぷにぷにと揉んでから、半袖のシャツの中に手を忍ばせていく。

「永那ちゃん、起きて」

永那ちゃんの肩がピクッと上がる。

これで9割方起きたとわかる。

袖に隠れた肌から手首のほうまで、ゆっくり撫でる。

「永那ちゃん、一緒に過ごすんじゃないの?」

手の甲から指先までゆっくり手を重ねて、指を絡ませる素振りをした後に、ゆっくり離れる。

「永那ちゃん、起きないの?」

ほんの少しだけ屈んで、彼女に近づく。

髪が肩から落ちて、彼女の腕を掠める。

永那ちゃんの耳が赤い。

もう、絶対に起きている。

眺めていても、彼女が起き上がる気配がない。

私は髪を耳にかけて、フゥッとため息をつく。

「優里ちゃん、もう置いて行っちゃおう」

突然話を振られた優里ちゃんの目が見開く。

「うぇっ!?…えっ、あ、うん!…ん?…いいの?」


彼女の体が勢いよく起き上がる。

「まっ…待って!起きてるって!起きた!起きました!」

私がジーッと彼女を睨むと、へへへと笑う。

「えー!す、すごい…永那が笑って起きた…」

「あー、エロかった」

永那ちゃんがそう小さく呟いて、私の眉間にシワができる。

優里ちゃんの顔がポッと赤くなる。

「いい加減、普通に起きてよ」

そう言うと、彼女はニヒヒと笑う。

「それが出来てたら誰も苦労しません」

思わず「ハァ」と大きなため息が出る。

「やっぱり」

佐藤さんがニヤリと笑いながら言う。

突然の言葉に私の頭にはハテナマークが浮かぶ。

も、普通に起こしたんじゃなくて、何かしてたんだ?」

墓穴を掘った…。

自分の顔が一気に紅潮するのがわかる。

「ねえ、何してたの?」

優里ちゃんはなんのことかわからず、目をキョロキョロさせて私達を見る。

「教えてよ、空井さん」


ジッと大きな瞳に捕らえられて、目をそらせない。

「2人とも…?」

優里ちゃんが助け船を出してくれる。

「ねえ、優里も気になるよね?」

その船すら、佐藤さんは絡めとっていく。

「え!?私は…」

顔を赤らめながら、俯いてしまう。

永那ちゃんは呑気にあくびをしている。

「足を…」

そう言って、初めて自分が息を止めていたことに気づく。

「足を?」

ニヤリと笑って、佐藤さんは永那ちゃんの背中に頬杖をつく。

私は息を吸って「足に手を置いただけだよ」と笑顔を作った。

佐藤さんにジッと見られて息を呑むと、「ふーん」と言われて解放される。


その後、みんなで私の家に向かい、人生ゲームやトランプで遊んだ。

初めて授業をサボった(?)けれど、不思議と私の心は落ち着いていて、純粋にみんなとの時間を楽しめている自分に驚いた。


みんなが帰った後、30分くらい経ってから、スマホにメッセージが届いた。

『そういえば話そうと思って忘れてたんだけど、穂の夏休みの予定ってどんな?』

金曜日に終業式があって、それが終わると晴れて夏休みだ。

私は生徒会の活動以外に、予定らしい予定は入っていない。

毎年1日か2日、誉と2人でどこかに出かけたりはするけれど、特に決まっている日があるわけでもない。

たまにお母さんの仕事が落ち着いていて、お盆におばあちゃんの家に行くこともある。

でも今のところそんな話は出ていない。

行くとなるといつも直前に言われるから、話が出ていないのはいつものことだけれど。

生徒会の合宿(旅行)は8月の頭にある。ボランティアは2回予定していて、今月末の土曜と8月の終わりにある。

その予定を永那ちゃんに送ると、すぐに既読がつく。

『月曜から金曜まで、毎日会いたいって言われたら、迷惑?』

全く予想していなかった提案に、心臓がピョンと跳ねた。

永那ちゃんに毎日会える…。2人きり、だよね?

結局テスト期間中も、その後も、2人きりになれる時間が全くなかった。

みんなと過ごすのも楽しかったけれど、やっぱり永那ちゃんと2人でも過ごしたい。

胸が高鳴って、体が疼いて、息が少し荒くなる。


『嬉しい』

嬉しくて震える手を必死に落ち着かせながら、ゆっくり入力して、送った。

すぐに既読がつく。

『よかった。じゃあ来週の月曜から、2人で会おうね。どこに行く?…それとも、穂の家でも良かったりするのかな?まだ、記念日のプレゼントもらってないし。…ほしいなあ?』

スマホを握りしめて、胸に抱く。

未だに、鮮明に思い出せるのことを、体が勝手に思い出す。

胸がキュウキュウ締め付けられて、下腹部が疼く。

『わかった。家で大丈夫だよ』

誉にもお母さんにも確認はしていないけれど、おそらく問題ないだろう。

…でも、誉も夏休みだから、どうなんだろう?

ご飯は作ってあげられるけど、は…。

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