第39話 夏休み

永那ちゃんはいつも通り、私の料理を喜んでくれた。

「いいなあ、誉は。毎日こんなおいしいご飯が食べられて」

永那ちゃんが言うと、誉は自慢気に笑った。

「やっぱ結婚するなら姉ちゃんみたいな人だよ」

誉が言う。

永那ちゃんが咽て、お茶をゴクゴク飲んだ。

あのとき、永那ちゃんは寝ていたんだっけ。

「誉、お姉ちゃんっ子?」

前に優里ちゃんに同じことを言われていたからか、誉はキョトンとしながら頷く。

小学6年生男子って、もうちょっと天邪鬼じゃない?

「料理が上手な人がいい」

誉がそう言うと、永那ちゃんは「そっかあ」と宙を見た。

「じゃあ、千陽はダメだな」

「え?そうなの?」

「あいつは全く料理しないから」

誉は考え込む。

「じゃあさ、俺が作れるようになったらいいのかな?」

“教育しなくては”と思っていたのに、予想外に自分から提案していて驚く。

美人ってすごい。

「うん、あいつけっこう食べるの好きだから…“胃袋掴む”っていうの?でもいいんじゃない?」

「姉ちゃん、俺、今度からご飯作るの手伝うわ」

動機が不純だけれど、(まあいいか)と頷く。


ご飯を食べ終えて片付けをすると、誉が永那ちゃんとゲームがしたいと言い始めた。

「永那ちゃん、疲れてるから寝かせてあげたいんだけど?」と言っても誉は駄々をこねて、永那ちゃんは「いいよ、いいよ」と付き合ってくれる。

「そういえば、穂」

ゲームをしながら、永那ちゃんが話し始める。

「なに?」

「私ね、夏休みの間だけバイトすることにしたんだ。…去年もやったんだけど」

「え?そうなの?…いつ?どこで?なんで?」

「質問たくさん」と、永那ちゃんは笑う。

「明日から。朝方だけね、コンビニのバイト。まあ、朝方だから穂にはあんまり関係ないんだけど。念のため言っといた」

余計に彼女の体が心配になる。

「まあ、働けるときは働いておきたいなって思ってさ。貯められるなら、お金も貯めたいし」

「そっか」

私は曖昧に笑って、心配になる気持ちを抑える。

“やめておいたほうがいい”なんて無責任なことは言えないし、だからって応援するのもまた違うような気がした。


「誉、そろそろ永那ちゃん休ませてあげて」

1時間ほど様子を見て言った。

誉は唇を尖らせて、渋々ゲームをやめた。

「大丈夫だよ?そんな気遣わなくていいのに」

「だめ。気遣ってるとかじゃなくて、私が永那ちゃんに休んでほしいの」

そう言うと、永那ちゃんは嬉しそうに顔を綻ばせた。

「これから毎日家に来るなら、ちゃんと寝ないとだめでしょ?」

「ありがと」

永那ちゃんの手を引っ張って、部屋に連れて行く。

ベッドに寝転がらせて、布団をかけてあげる。

「また4時頃起こすね」

頭を撫でてあげると、彼女の瞼はすぐに、とろんと溶けそうなくらい重たくなったみたいだった。

私がリビングに行こうとすると、優しく手を掴まれる。

「そばにいて?」

今にも眠ってしまいそうな瞳で見つめられた。

可愛い…。

「ちょっと待ってて」

そっと彼女の手を離して、テーブルに置きっぱなしにした本を取って戻る。


戻ったとき、彼女はほとんど意識がなくて、私が横に座ると、安心したように眠り始めた。

布団に足を潜らせて、ベッドのヘッドボードに寄りかかって、本を開く。

開いているドアから誉がひょこっと顔を出すから、人差し指を唇に当てて「シーッ」とジェスチャーする。

誉は頷いて、リビングに戻った。

今から寝れば2時間は眠れる。

そうすれば5時間は眠れたことになるよね?

それでも短いけれど、少しでもいいから安心して眠ってほしい。


ずっとこんな時間を望んでいた。

本当はテスト期間中、こんな時間を過ごすんだろうなと想像していた。

もちろん、あの期間は楽しかったから、それはそれで良い。

でも永那ちゃんがそばにいて、彼女の寝息がそばで聞こえて、それを独り占めできる…そんな日が早くきてほしかった。

…そう、独り占めできる時間。

私はそれがずっとほしかったんだ。

スゥスゥと心地いい寝息を聞いていると、私の意識もだんだんと手放されていく。

読んでいるはずなのに、本の内容が頭に入ってこなくなり、何度も同じところを繰り返し読んでいる。

…もうだめだ。私も少し寝よう。

なんとかスマホのアラームをセットして、私は本をヘッドボードに置いた。

布団を肩までかけて、横になる。

目の前に好きな人がいる。

…こんな近くに。

綺麗な顔。

そっと彼女の唇に触れる。

それに反応するように、ムニャムニャと口を動かすのがおかしくて、フフッと笑う。

好き。

彼女の匂いに包まれて、私の瞼は落ちていく。


***

■■■


音が聞こえた。

うるさくて、眉頭に力が込もる。

けたたましく鳴った後、止まった。

音が止まったことに安心して、私はまた微睡みのなかに引き寄せられていく。

でもそれは許されないかのように…いや、違う。

それは、優しく、導いてくれるかのように私に触れて、意識がハッキリしていく。

あたたかくて、少しくすぐったいような…心地よくて、ずっと触れていてほしいと願ってしまうような、そんな感覚。

目を薄く開くと、目の前に頭があった。

匂いで、すぐにすいだとわかる。

…そうだ。私は穂のベッドで寝ていたんだった。


私から『月曜から金曜まで毎日会いたいって言ったら迷惑?』と聞いた。

でもだからって、本当に毎日会えるとは全然思っていなくて。

そりゃあもちろん、毎日会いたい気持ちは本心だけど。

毎日家に来られたら普通に迷惑だろうし、家に来たところで私が寝てしまうなら、彼女にとって、有意義な時間になるとも思えなかったから。

数日くらいなら多少寝なくても過ごせる。

だからたまに家に来させてもらったり、一緒に遊んだりしてくれれば嬉しいと思っていた。

その程度のノリで、言っただけだった。

だから穂が、本当に毎日会うつもりでいてくれたのが嬉しくて。

当たり前のように、私が毎日来ると言ってくれる気持ちがたまらなく嬉しくて、心の底から、今が人生で1番幸せだと言える。


深呼吸すると、彼女の髪がふわふわと顔にかかってくすぐったい。

彼女は私の胸元に顔を埋めて、グリグリと肌を擦っているようだった。

…くすぐったさの原因はこれか。

首元にも彼女の髪がふわふわと当たっている。

くすぐったいっていうか、痒い。

ギュッと抱きしめられて、まるで母親に甘える子供みたいだ。

(痒い原因の)頭を撫でる。

すると彼女のは止まって、ゆっくり頭が上がっていく。

彼女の瞳が普段よりも垂れていて、心臓がトクンと鳴る。

「穂?」

永那えなちゃん」

その声も、普段よりもゆったりしていて、可愛らしい。

「寝てたの?」

そう聞くと、コクリと頷く。

あまりの可愛さに、口元が綻ぶ。


どうしようもなく私の体は、その姿に反応する。

下腹部が疼いて、今すぐ彼女を

目を閉じて、フゥッと息を吐く。

今日、彼女は生理だと言っていた。

当然はできないから、我慢することになる。

我慢に我慢を重ねて、仕方ないことだとわかりつつも、私の脳みそは爆発寸前だ。

おあずけのおあずけを食らったようなものだから。

でも、それもいい。

“焦らなくていい、時間はあるのだから”

いつか彼女が言ってくれた。

私は彼女の頭を撫で続ける。

彼女の顔が近づいてきて、キスするのかと思ったら、コツンと額が合わさった。

「永那ちゃん」

「ん?」

「よく眠れた?」

「うん、ありがとう」

ふへへと笑う姿が、いつもしっかりしてる姿とは全然違くて、心臓がもちそうにない。


「起きた?」

突然声がして、心臓が跳ねる。

でも彼女が上に乗っていて、どうすることもできずに、ただ焦る。

「あー、もう。姉ちゃん」

強引に体温が引き剥がされる。

「永那ちゃん、ごめんね?」

たかが慣れた手つきで彼女を起こす。

彼女は正座して、目をクシクシ掻いていた。

「姉ちゃん、昼寝するといつもこうなんだ」

困ったように笑いながらも、どこか嬉しそうな誉。

「“こう”って?」

「んー…子供みたいになるっていうか…。まあ、顔洗わせたら、そのうち戻るから」

彼は穂の腕を引っ張って、洗面台に連れて行く。

私は何度か瞬きして、スーッと息を吸った。

“昼寝すると、いつもこう”か。

ペロリと唇を舐める。

悪くないなあ。…なんて。


私も立ち上がって、洗面台に向かう。

穂はちょうど顔を洗い終えたところだったらしく、誉が「ほら、顔拭いて」とタオルを渡していた。

「あ、永那ちゃんも洗う?」

私に気づいて、誉が聞いてくれる。

「うん、ありがと」

顔を洗い、うがいをする。

誉がタオルを渡してくれるから、なんだか嬉しくて、下唇を噛みながら笑う。

…家族みたい。

「ねえ、誉?」

「なに?」

「“ちゃん”つけなくていいよ。永那で、いいよ」

誉は目をパチパチと開閉して、ニコッと笑った。

「わかった」

“ちゃん”は穂だけでいい。

穂だけの、特別だ。


私達は床に座ってお茶を飲む。

床と言っても、ラグが敷かれているから、寝転がるのも気持ちよさそうだ。

だんだん穂は意識がハッキリしてきたのか、「永那ちゃん、よく眠れた?」と、さっきと同じことを聞かれた。

嬉しくて、笑いながら頷くと、彼女は首を傾げながらも「よかった」と笑った。

眠くて意識がハッキリしていなくても、私がよく眠れたかどうかを気にしてくれたのだとわかる。

穂の純粋な優しさに、心があったまる。

「また明日も来れるのかあ。夏休み、最高だな」

そう呟くと、「夏休み、嫌いな人なんていないんじゃない?」と誉が言った。


去年まで、私は嫌いだった。

千陽ちよと過ごす日が多かったけど、毎日会うのは躊躇われて。

会うとなっても、たいていは公園かショッピングセンターで時間を潰すだけ。

1日か2日は千陽の家に遊びに行かせてもらったけど、どうもあの母親は好きになれなかったし、千陽の部屋にはびっくりするくらい何も物がない。

あるのは服とか化粧品だけで、他は何もない。

暇つぶしする物も特になく、ただダラダラと過ごして、時間を消費していくだけだった。

優里ゆりの家に遊びに行ったこともあったけど、それも1日だけ。

お母さんが優しくて、すごく気を遣ってくれる。

それがなんだか逆に申し訳なく思えて、ずっと笑顔を作っていなければならなくて、帰るときにほっぺが痛かった。

クラスメイトとの遊びを企画しても、私はそんなにお金があるわけじゃないから、だんだん自分が惨めに思えた。

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